『好奇心猫を殺す』。
西洋のことわざである“Curiosity killed the cat.”を訳したもので、過度な好奇心は身を滅ぼす原因になるから、あまり興味本位で首を突っ込みすぎない方がいいという意味の言葉だ。
西洋では猫はしぶとい生き物である(“A cat has nine lives.”と表現される)とされており、その猫をも死なせることから、要は「好奇心のままに行動していては、命がいくつあっても足りない」ということである(pi〇iv百科事典より引用)。
なぜ俺が唐突に国語のテストみたいな解説を捩じ込んだのかというと、現在進行形でその諺が適切な状態に陥っているからである。
現在時刻は午後4時。学校も終わり、晩飯の買い物を終えての帰り道。スーパーから俺の家の間にある小さな公園に差し掛かった所、一ノ瀬らしき後ろ姿を発見した。発見したのは良いが、何やら挙動不審というか妙に周囲を気にしているような……?
手にはビニール袋を持ち、周囲の様子を伺うようにキョロキョロと視線を巡らせている。こちらには気が付いていないようで、やがて茂みの中へと足を踏み入れていった。
……さて、どうするか。
まさかトイレなんて事はねーよな、すぐそこに公衆トイレあるし。だとしたら、あんな所まで入っていく理由が気になる。少しだけ悩んだ末、自身の好奇心に従う事にした。ゆっくりと足音を殺して近付き、木陰からそーっと覗き込む。
見えたのは、地面にしゃがみ込む一ノ瀬。その背中に隠れてよく見えないが、茶色っぽい箱は恐らく段ボールだろう。
脇に置かれたビニール袋から見えるのは、何やらカラフルなパッケージらしきもの。というか、あれは……猫の餌? 確か一般的なキャットフードよりも少しお高い奴だったような───
「一ノ瀬」
「───っ!?」
そこまで考えた俺は、思わず声を掛けてしまっていた。
びくりと肩を震わせた一ノ瀬が、弾かれたようにこちらを向く。気づかれないように近付いたせいもあって驚かせてしまったようだ。視線には若干の警戒と怯えが混じっている。が、それも束の間のこと。声の主が俺だと分かった途端、一ノ瀬の顔が不機嫌そうに歪んだ。
「……いい加減にしてくんない? いちいち絡んでこないでって、うち言ったよね? 今度はストーカー?」
「悪い、驚かせたのは謝る。けど、それは流石に見過ごせなくてな」
一ノ瀬が立ち上がったことでようやく「それ」の全体が視界に入る。
萎びた段ボールに、擦り切れたタオルケット。たったそれだけで構成された「家」の中から、まだ小さな子猫が一匹、俺達を見詰めていた。
いつからここに捨てられていたのかは分からないが、肋の浮いた身体とツヤを失った毛並みを見れば、この子猫の飢えと乾きが生半可なもので無いことは容易に想像がつく。
だから、空腹を満たしてあげようと餌を買ってきた一ノ瀬の行動は、褒められこそすれ責められる謂れは無い。無いのだが、
「市販で売ってるペットフードは、味付けの為に塩分が高いものが多いんだよ。内蔵が育ち切ってない、しかも栄養失調っぽい子猫にいきなりそんなの食わせたら、最悪死んじまうかもしれねーぞ」
「えっ……?」
一ノ瀬の表情に動揺が走る。自分が持ってきた袋に入っている成猫用のフードと、それを興味津々で突っついている子猫との間で目線を彷徨わせる。まさか、良かれと思ってやった事が裏目になる所だったとは思いもよらなかったのだろう。
「ああいや、悪い。脅かすつもりじゃなくてな。あー、そうだな……最初は子猫用のフードを水でふやかして、柔らかくしたのをちょっとずつあげるとかなら大丈夫だと思うけど……もう何か食わせたりしたか?」
俺の質問に、一ノ瀬はふるふると首を振った。
「昨日、帰りに見つけて……今日見たら、まだ居たから」
「で、餌を買ってきたと。ちなみに聞くが、飼うのか?」
「……無理。家、ペット駄目だし」
「なら、その餌もあげるのは止めたほうがいい。一度味を覚えたら、その辺に落ちてる餌なんて食えなくなる。野生で生きていく力を奪うのと同じだ。キツいこと言うけど、最後まで面倒見切れる自信が無いんだったら警察か保健所に連絡して保護してもらうのが一番良い」
「…………、」
少しだけ俯いた一ノ瀬の表情は前髪に隠れ、俺からは読み取れない。
みゃあ、と。
無邪気で幼い鳴き声だけが、小さく響いていた。
◇◆◇
「───それでは、この子は責任を持って保護させて頂きますね。お二人共、ご協力ありがとうございました」
「いえ。こちらこそ、よろしくお願いします」
三十分後。
通報を受けてやってきた警察官と保健所の人に事情を説明し、保護を任せる。知らない人と喋るのが苦手なのか、俺が職員さんと話をしている間、一ノ瀬は三歩くらい後ろでずっと黙っていた。
子猫を乗せた保健所の車が遠ざかっていく姿を見送ってから、どちらからともなく帰路についた。ただ家の方向が同じだからという、それだけの理由。人が二人ほど入れる程度に離れた距離のまま、何を喋ることもなくただ歩く。
我が事ながら、嫌な奴だと思う。
一ノ瀬からしてみれば、勝手に後ろをついてきた挙句に説教かまして来る男なんざ関わりたくもないだろう。子猫をいたずらに死なせるのも後味が悪いから口を挟んだとはいえ、何様のつもりだというのか。
……そういえば、レスバ以外で一ノ瀬とちゃんと話したの初めてだったな。捨て猫に餌をあげようとするくらいだから動物好きなんだろうし、やっぱり根が悪い奴じゃないんだろうな。
まあ、こんなことがあった後じゃあもう話す機会も無くなるだろうけど。
「……、ねえ」
「んあ?」
つらつらとそんな事を考えながら自己嫌悪に陥っていると、不意に呼びかけられた。
「やけに色々知ってたけど、猫飼ってるの?」
「一匹だけな」
「……ふーん」
「……写真、見るか?」
「…………見る」
あ、見るんだ。
スマホを取り出し、愛猫の写真が納められたフォルダを開いて一ノ瀬に渡す。いそいそと画面を覗き込む一ノ瀬、心做しか目がキラキラしているような気がする。
河村家のスイートラブリーエンジェルこと『ニル』(キジトラ♂)の魅力は一ノ瀬にもしっかり伝わったようで何よりだ。動物好きなんだけどペット飼えない環境って奴は結構いると思うんだけど、そうなると他人が飼ってる犬猫とかってめちゃめちゃ可愛く見えるんだよな。ちなみにソースは俺。
ニルを飼い始めたのも高校生に上がってからで、飼いたい!!と言った手前餌やりやシーツの交換なんかは毎日俺がやっている。休日はよく親父が猫吸いしてるし、母さんもクッション替わりに抱いてたりするので癒し系マスコットとしての地位は磐石だ。
「この子、名前は?」
「ニル。2才のオス」
「河村の家に居るんだよね?」
「そりゃあ、まぁ」
「……家、近いって言ってたよね? 本物見てみたいんだけど」
「待て待て待て」
距離の詰め方エグいって。ディージ〇イの生ラッシュかよ。
「いや、流石に家までは上がらないから。玄関先でいいから」
「……まぁ、一ノ瀬がいいならいいんだけどさぁ……」
どう考えても心配する側が逆じゃねぇのかこれ。分からん、今時の女子高生ってこんなもんなのか? いや別に何かするつもりはないし猫が目的だってのも分かってるけどね?? 一応ね??
◇◆◇
10分後、我が家にて。
「ほんじゃ、連れてくるからちょっと待ってて」
「うん」
そわそわと落ち着かない様子の一ノ瀬を玄関外に待たせ、とりあえず買ってきた食品をさっさと冷蔵庫へ。肉とか魚とかは買ってないので良かったが、これが夏場だったら今頃エコバッグの中身は大惨事だ。
「ニ〜ル〜、おいで〜」
愛猫の名前を呼べば、奥から「にゃーん」と返事。とててて、と軽快なステップで姿を見せたのは我が家のマスコット。うーむ今日も破壊的な可愛さ。この可愛さはいつかガンにも効くようになるぞ。
「今日はちょっとお客さんが来ててな。お前の顔が見たいんだってさ」
「なぁーん……」
見せもんじゃないんですけど、とでも言いたそうな鳴き声を漏らすニルを抱き上げてから玄関へ。
「お待たせ。ほら、こいつが我が家のニル君」
「おお……か、可愛い……!」
しゃがんで地面に下ろしてやると、一ノ瀬がそっと手を伸ばす。ニルも最初は警戒していたが、すんすんと鼻を鳴らして匂いを嗅いだ後にゆっくりと一ノ瀬の足元へ歩み寄っていった。
頭を撫でられながらゴロゴロと喉を鳴らすニルを眺め、へらりと笑う一ノ瀬。
「……ヤバい。ガチで可愛いんだけど。抱っこしていい?」
「良いよ。嫌だったら多分逃げるし」
おそるおそる手を伸ばして脇を抱え、そのまま抱き上げようとして持ち上げた瞬間。ロックされた上半身が持ち上げられ、後ろ足は地面についたまま胴体だけがみよーんと伸びた。絶対やると思ったわ。
「あれっ? 持ち上がっ……なんか伸びてる! えっ!?」
「猫は液体だから引っ張っても伸びるだけだぞ。上半身と尻を支えんの。こうやって身体に引き寄せながら……よっ、と。な?」
「……手馴れてるの、なんかムカつく」
「理不尽すぎねえ?」
一応この子の飼い主なんだけど。
その後、テンションが上がった一ノ瀬は満足するまで撫でたり抱っこしたりと好き放題やっていたが、周囲が薄暗くなり始めてきたので今日のところは解散と相成った。
「だいぶ暗くなっちまったな……とりあえず、家まで送ってくわ」
「は? 別にいらんけど。近くだし」
「この時間帯に女子ひとりで歩かせられるか。つか頼むからお前はもうちょっと危機感持ってくれマジで」
箱入りというか、世間知らずというか。
電灯の明かりと、ぼんやりとした西陽の残光が照らす道を二人で歩く。相変わらず互いの距離は二人分離れたままだ。しかし、そこには数時間前のような嫌な沈黙はない。互いに静かな空気を是としているだけだということを理解できる程度には、言葉を交わしたのだから。
そうして、一ノ瀬のマンションまでたどり着いた頃にはすっかり陽は落ちてしまっていた。はー、相変わらずでっっっけえマンションだなおい。なんにせよ、エントランスまで来れば安心だろ。
「ここまでで良いか。じゃ、お疲れさん」
「あ、ちょっと待って」
役目は済んだので帰ろうとしたところ、一ノ瀬に呼び止められた。振り向いてみれば、スマホを取り出して何やら操作をしているようだ。なんの用事かと思って待ってみるが、30秒くらい待っても一向に話が進む気配がない。
「……一ノ瀬?」
仕方が無いのでこちらから声を掛けてみる。
「……河村、LI〇Eの友達追加ってどうやんの?」
「スマホ触ったことねぇのか??」
返ってきた返事が予想の斜め上過ぎた。一ノ瀬、もうお前JKやめろ。
「はぁ!? 今うちのことババアっつった!?」
「そこまでは言ってねぇだろ!ていうかなんでL〇NEの使い方知らねぇんだよ!」
「仕方ないじゃん家族以外で交換するような相手居なかったんだからさぁ!」
「……ごめん。俺が悪かった」
「だからなんでそこで謝る!? おまえマジでぶっ飛ばすぞ!!」
結局いつものようにレスバした挙句、LIN〇の使い方を俺が教えながら友達追加することになった。一ノ瀬いわく「ニルくんと遊びたい時に連絡するから」だそうだ。だろうね、知ってた。
その日の深夜、一ノ瀬からスタンプが送られてきた。なんか二頭身くらいの白いヒトガタが「Noob」って煽ってるやつだった。
とりあえず俺も二人の女の子が妙にリアルな中指立ててるスタンプを送ってから、通知をオフにして寝た。