一ノ瀬と俺。   作:パラベラム弾

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一ノ瀬と俺と夏

家の扉を開けた瞬間、サウナのような熱気とじっとりとした湿気が折り重なって流れ込んできた。肌を撫でる不快感に眉を顰め、今すぐにでもこの扉を閉めて冷房の効いた室内へと戻りたくなる。

 

思わず漏れ出た溜息に合わせ、なけなしの気合いを振り絞って大きく扉を押し開けた。

 

七月。

 

うだるような夏の暑さが街全体を覆っていた。

 

日光に熱されたアスファルトは陽炎を立ち上らせ、はるか先に見える駅の輪郭をぼんやりと歪ませている。目を灼くような陽射しは朝だと言うのに強烈で、腕に滲んだ汗が直ぐに蒸発してしまうほど。

 

ご近所の庭に植えられた木からは、セミの鳴き声が嫌という程響き渡っている。今年の合唱コンクールは随分と開催が早いらしい。まあその実大声で「女の子いませんか!!!!!」と叫んでるだけなのだが。セミというのも中々どうして悲しき運命である。

 

「あっちぃ……」

 

言葉にしたところで暑さが和らぐ訳でもないが、ただただ無言で蒸し焼きにされるよりはマシというものだ。ついでに少しでも陽射しを遮れるようにと手で庇を作り、暑さの軽減を図ってみる。校章の入った半袖のワイシャツは、家を出て五分で湿気と汗とでしんなりしていた。

 

気分はフライパン上の肉。ウルトラ上手に焼かれそうだ。

 

燦々と照り付ける太陽から逃れるように小走りで日陰へ。直射日光が無いだけで体感温度はかなり変わる。胸元を摘んでパタパタと風を送りこみながら、スマホを取り出してメッセージアプリを起動。一番上に表示されているトークルームを選んで通話をかけた。

 

元よりワンコールで出るなんて思っていないので、涼みながらのんびりと待つこと一分。ようやく相手が応答したことを示すアイコンが画面に表示され、眠たげな声がスピーカーを通して耳朶を打った。

 

『あい……』

 

「おはようさん。着いたぞ」

 

『うゆ……』

 

返事か呻き声かよく分からない声をあげた一ノ瀬。支度をしているようで、電話越しにガサゴソと物音が聞こえてくる。それでも時折無音になるので、声をかけると『うぃ』だの『めぅ』だの鳴き声をあげて再起動する。

 

俺が半ば家政婦みたいなことをしているのには勿論理由があった。

 

まず、一ノ瀬は基本的に外に出たがらない。一年の時も時折学校を休んだりしていたようで、出席日数が危ぶまれていたと担任(三十二歳独身彼女なし)から聞いた。その担任から一ノ瀬へのメッセンジャーとしての役目を言い渡されたのが五月の話。そこからちょくちょく一ノ瀬の登校日が増えてきたことを好機と見たのか、担任から引き続き一ノ瀬の窓口みたいな扱いをされている。

 

で、俺を通じて『出席日数足りないとマズいからなるべく登校してね(意訳)』という担任からのメッセージを彼女に伝えたところ、『じゃあお前が起こしに来い。ついでに掃除とご飯も頼む(意訳)』と一ノ瀬から押し付けられたのが先月末の話である。

 

以前、試験勉強の借りを返しにお邪魔した際の昼飯が好評だったらしい。自分が作った料理を美味しい美味しいと食べてくれるのは素直に嬉しいので、俺としても悪い気はしなかった。料理に使う分の金は出してくれるし、あの広々としたシステムキッチンを使えるのもありがたい。

 

だって塩と胡椒がミル(ガリガリ回してその場で砕くやつ)で置いてあるんだぜ? 男なら誰でも一度は憧れるだろあんなの、風味からして違うもん。俺の家なんて市販の粗挽き塩コショウだからな。

 

とまあそんな感じで、俺にとって悪いことばかりではなかったというのがひとつ。後は、ほっといたらその辺でひっくり返ってそうな一ノ瀬に対する……保護欲? 庇護欲?みたいなものを感じるようになったのがひとつ。

 

だってこいつ、家から出たら一日と生きていけなさそうなんだもん……多分セミより短命だぞ。我が家の愛猫を見て「守護らねば」と感じるのとは少し違うんだが、何なんすかねこれ。プロデューサーさんはなんだと思います?(あ〇ひ並感)

 

「お待たせ……ふゎぁ」

 

「おー、今日は案外早かっ───」

 

エントランスの扉が開き、一ノ瀬の声にそちらを振り向いた俺は一瞬、言葉を失った。

 

見慣れた制服。暑くなってきたこの時期に合わせた学校指定のカッターシャツ。袖口から覗く腕とほっそりとした指先までは、外に出ない人間特有の不健康な白さで彩られている。しっかり折り目のついたプリーツスカートに、夏用のハイソックス。校則という枠におさめられた姿の中で、「ローファー歩きにくくて無理」という理由からスニーカーにしている足元だけがスポーティさを醸し出している。

 

眠たげな瞳。気怠そうな声。紫水晶の双眸。

 

そして、先週末までは背中の辺りまで伸びていたはずの艶やかな黒髪。それが顎下の辺りまでばっさりと短くカットされている。襟足の辺りだけはやや長めに残されているが、所々毛先が跳ねているのが彼女の気質を表しているようで。準備が早かったのも髪の手入れが楽になったからなのか、等と場違いな感想が浮かんできた。

 

がらりと変わった雰囲気。しかし言動は何ら変わりない一ノ瀬のもので。そのギャップを目の当たりにして、言い知れない感情がどくんと胸の裡で湧き上がるのを感じた。

 

「……? 何その顔は」

 

吐き出しかけた言葉を途中でぶった切ったまま視線だけは上から下まで忙しなく動く俺。それに気付いた一ノ瀬が怪訝な表情で此方を覗き込んだ。勿論、俺と一ノ瀬では身長差があるので下から見上げる形で───ッ!?

 

「あ、い、いや、何でもない……っス」

 

「何で敬語? ……ふぁ、眠気ヤバい……行きたくねー……」

 

「……髪、切ったんだな」

 

「あー……外出ないなら長いままでも良かったけど、最近は学校行くじゃん? 夏だし、髪の毛って熱こもるからマジで暑いんよ。汗で張り付くし」

 

熱くなった頬は、果たして夏の暑さのせいだけだろうか。

 

近付いた際にふわりと鼻腔を擽った、シャンプーと制汗剤の芳香に混じる、一ノ瀬自身の香り。あんなに散らかった部屋で生活してんのに、どうしてこんな良い匂いするんだよこいつ。俺、別に匂いフェチでもなんでもないんだけどなぁ。

 

それはそうと、女子の身嗜みに変化があったら取り敢えず褒めておきなさいってばっちゃが言ってたな。よし、俺頑張るよばっちゃ!

 

「いいいいいい良いんじゃねぇの? 似合ってマスアノ、ハイ」

 

「……そんなキョドる位なら言わなきゃいいのに」

 

「っせーな!!!」

 

悪かったな慣れてねぇんだよ! こちとら彼女いない歴=年齢の男子高校生やぞ!田中みてーな陽キャでもない奴が女子の容姿について言及すんのがどれだけハードル高いと思ってんだ!

 

「冗談ですやん。でもまあ……悪い気はしないかな」

 

胸元に流れた毛束をくるくると指先で弄びながら、彼女は小さく口元を緩ませる。

 

軽口を叩きあっている時のシニカルな笑みとは違う、柔らかな表情。どうやら及第点ではあったようだ。これで『は? 口説いてんの? キモ』とか言われなくて本当に良かった。ダメだったらもう二度と女の子とお話できないねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

「そういえばさ、一ノ瀬って休みの日とか何してんの?」

 

「寝てる」

 

最寄り駅から学校へ向かう道すがら、そんな話を振ってみた。ピッチャー返しかってくらいの勢いで投げ返された答えはまぁ、一ノ瀬らしいといえばその通りだった。

 

「即答かよ」

 

「あとはまぁ、ゲームかな。寝てるかゲームかご飯食べるか」

 

「見事な引きこもり三点セット。ちなみに何やってんの?」

 

「PU〇GとかAp〇xとかヴ〇ロとか……あとL〇L」

 

「最後隠れてねーだろそれ」

 

つかラインナップがガチのゲーマーじゃねぇか。いや、引きこもってれば行き着く先として妥当なラインではあるけど。じゃあやっぱりあの日見たプレイヤーは一ノ瀬で確定っぽいか?

 

「二ヶ月くらい前だけど、多分Ap〇xでお前とマッチしたぞ」

 

「え、マジ? 全然分かんないんだけど」

 

「プレイヤーネーム知らなきゃそりゃそうだろ。確か『hina』とかいうプレイヤーと一緒で、めっちゃ強かった覚えがある」

 

「あ、じゃあそれうちだわ」

 

「やっぱりか。世間狭すぎだろ」

 

「それな」

 

一ノ瀬と知り合ったのも席が近い、家が近い、やってるゲームが同じと、偶然とはいえ何かと接点があったおかげだと思うと不思議なものだ。何かがちょっとでも違えば、ほとんど話すことなかったかもしれないし。そういう意味では、こいつと知り合えて良かったと思う。

 

マイペースで自堕落だけど悪い奴じゃないし、割と話も合う。人嫌い……って訳ではないんだろうけど、自分からなにか誘ったりすることもないらしいし。基本は面倒臭がりで、ダウナーな雰囲気と低めの声から不機嫌だと勘違いされやすいだけで。

 

『一匹狼』だとか呼ばれてるのを聞いたことあるけど、蓋を開けてみればただの引きこもりゲーマーなんだから、事実は小説よりなんとやら、だ。

 

そんなことをつらつら考えていると、一ノ瀬が鬱陶しそうに額を拭った。白すぎるきらいのある柔肌には珠のような汗が浮かんでいる。引きこもりにはこの暑さは辛かろうて。いや俺もしんどいけど。

 

「あっつ……ねぇ、飲み物ない?」

 

「あるぞ」

 

「えっ」

 

俺は鞄を漁り、未開封のペットボトルを一ノ瀬に差し出した。本当は自分で飲もうと思って買っておいたものだが、未開封であれば渡したって問題ないだろ。

 

「タオル使うか? 冷感シートもあるから欲しけりゃ言えよ。あと日傘とハンディファンと、一応塩分タブレットも用意してあるから」

 

「な、なんでそんな持ってんの?」

 

「引きこもりの生命維持にはこの位で丁度良いんだよ。熱中症でぶっ倒れられても困るしな」

 

こいつの貧弱さは身に染みて理解したつもりだ。夜更かしに運動不足に栄養不足で役満。なんかあればすぐに体調を崩すだろうし、そうなったら俺の仕事(主にメッセンジャー)が増えるわけで。防げるリスクなら事前に防いでおくのは当然だろう。

 

キンキンに冷えてやがるペットボトルとタオルを微妙な表情で受け取った一ノ瀬は、俺をじっと見つめてこう言った。

 

「……河村ってさ」

 

「あん?」

 

「お母さんみたいだよね」

 

「……それ、褒めてんのか?」

 

「褒めてる褒めてる。ありがと、ねッ」

 

「冷っっっった!!!!」

 

首筋にペットボトルを押し付けられた。

 

なんでや。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一ノ瀬さんおはよー! あれ? 髪切ったんだ、可愛いね!」

 

「は? 口説いてんの? キモ」

 

「ゴフッ」

 

「た、田中ァー!!!」

 

……あれ?????

 

 

 

 

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