あとオリ主の名前初出です。
深い眠りの水底から、ゆっくりと意識が浮かびあがってくる。
微睡みと覚醒の狭間、泥濘のように安らかな至福の時間。『起きなくちゃ』と思う自分と『まだ寝ていたい』と思う自分が、半分寝たままの脳内でせめぎ合っている。今日は平日で学校もあるから、どうせいつかは起きないといけないんだけど。
でも、まだ大丈夫。
枕元のスマホは沈黙している。起床アラームの代わりにしているアイツからの電話が鳴るまでは、もう少し寝ていられる。外は夏真っ盛りで死ぬほど暑いけれど、室内はひんやりと心地よい温度。弱めに設定したエアコンの冷風が頬を撫で、掛け布団を軽く引っ張りあげる。
この冷えと暖かさのバランスが絶妙に眠気を誘うのだ。まあ喘息あるから調子乗るとすぐに喉やられるのだが。
覚醒しかけていた意識は、お布団に包まれる幸せによって再度眠りの深海へと沈んでいく。ああ、二度寝最高───と、完全に眠りに落ちる直前。玄関の扉が閉まる重たい音が耳に届く。恐らくお母さんが仕事に出ていったのだろう。大人って朝早くから大変だなぁ。
そこまで考えてから、違和感に気付く。
お母さんが出ていく時間帯ってことは……大体いつもうちが登校準備してる時間帯じゃね?
もそもそと芋虫のようにベッドの上で蠢いて、手に取ったスマホを見る。表示された時間は7時10分。河村からの電話はいつも大体7時頃。流石に遅いなと思って視線をズラせば、件の男からメッセージが数件届いていた。
『悪い、風邪ひいた』
『今日と、多分明日も起こしに行けないから』
『サボらずにちゃんと登校してくれよ』
送信時刻を見ると6時過ぎくらいだった。早起きにも程があるでしょ。
にしても、どうしようか。今から準備しても十分間に合うから、別に登校しても良いんだけど。確か今日は体育あるし、ぶっちゃけサボりたいのが本音なんだけどなぁ。わざわざ連絡してくれた河村には悪いけど、うちも休んでしまおうか。
などと後ろ向きな決意を固めかけた所で着信アリ。や、ホラーではなく。
「うぃ」
『お、ちゃんと起きてる。メッセ見たか?』
「ん。風邪引いてるのにわざわざ電話してきたの?」
『いや……一ノ瀬の事だからしれっと休むんじゃねーかと』
「そんっ……なこと、ないですけどね?」
図星を指されてキョドりかけ、慌てて取り繕う。バ、バレてらぁ……!
若干呆れたような空気が通話越しに伝わってきたような気がしたが、気まずい沈黙はやがて小さな咳き込みと共に払拭された。
『けほ、まぁいいや。とにかくちゃんと学校は行けよ。出席日数やべーんだから』
「分かったって……ていうか。お前こそ体調どうなん?」
『あ? あー……咳とダルさ、と熱、かな』
「……まあ風邪か。何℃くらいあんの」
『…………、41℃』
「寝ろバカ」
通話を切った。何をしているんだろうかあのお節介男は。41℃ってなに? 風呂? 人間の身体が耐えられるんだろうかそれは。そんだけ熱出ててちょっとダルそう程度の声音で会話すんな。黙って寝てろマジで。
ああもう。今ので完全に目が覚めてしまった。
うちの行動が見透かされてたのも癪だし、結果として病人に気を遣わせたのも腹が立つ。学校なんて行ってもつまらないけど、アイツの顔に免じて出席だけはしてやろうと思う。
勢いよく掛け布団を跳ね除け……ることはできなかったけれど。
朝のSHRには間に合ったのでワースとさせていただきます。
◇◆◇
放課後を告げるチャイムで、意識が現実に引き戻された。
6限目を丸々寝過ごしたらしく、部活に繰り出していくクラスの人達を尻目に凝り固まった身体を伸ばす。背筋から乾いた音が小さく響いた。
いつも通りというか、学校に来ても何か楽しいことがある訳でなし。授業は教科書に書いてあることを説明してるだけだし、進んで人付き合いをする方でもないから華々しい学校生活なんて興味もない。ただ、卒業の為に出席日数を稼ぐだけのつまらない時間だった。
しばらくボケっとしてから、欠伸をひとつ。
ふと、隣の空席に視線が向いた。うちが居眠りしてると小声で起こしてくる奴がいない分、熟睡できた気がする、はずなのに。
ほんの少しだけ。
何だかいつもよりもつまらなかったな、なんて言葉が脳裏に浮かんできた。
(…………帰ろ)
「お、一ノ瀬。ちょうどよかった、少し頼みたい事があるんだが」
「……、なんですか」
モヤついた思考を振り払うようにバッグを担いで教室を出たところで、担任と鉢合わせた。別段用事もないので脇を通り抜けようとしたのだが、声を掛けられてしまえば無視することもできない。努めて面倒臭そうな声音と表情を作りながら応対する。
およそ生徒が教師に対する態度ではないが、無精髭を蓄えた担任は気にした様子もなく手にしたプリントをバサリと振った。
「河村、今日休みだろ。プリント類纏めといたから、帰りに届けてやってくれないか」
「えー……なんでうちが」
「まあそう言うな。河村には色々世話になってるだろ? たまには一ノ瀬が世話してやってもいいんじゃないか?」
言われて、思わず押し黙る。
うちから言い始めた訳じゃないとはいえ、確かにアイツには世話になっている。最初はプリントを持ってきてもらうだけだったのが、今では朝のアラームから始まり昼飯の弁当に部屋の掃除、時折おつかいまで頼んでいる始末だ。あれこれと説教を垂れながらも何だかんだと最終的にはやってくれるので、あいつの世話焼きは根っからのものなのだろう。
ともあれ、ろくでもない人間だという自覚があるうちでも受けた恩を仇で返す程のクズではない。それはそれとして面倒なのは間違いないので、ため息と共にプリントを受け取る。
去り際、ごっつい顔でニコニコしている担任が非常に鬱陶しかった。
◇◆◇
がさ、と手に提げたビニール袋が揺れる。
結局、向かう途中で薬局に寄ってゼリーとスポドリを買った。お見舞いの品としてはありきたりだが、奇を衒うよりは良いだろう。ついでに自分用のマスクも買っておいた。このクソ暑い時期にマスクをつけるのは嫌だが、病人に会うのだから必要だろう。
後は袋ごと押し付ければそれでおしまいだ。
インターホンを押し込んで、待つこと少し。
『───はい、どちら様でしょうか』
聞こえてきたのは女性の声。てっきりアイツ本人が出るものだとばかり思い込んでいたうちは、予想を裏切られて盛大にテンパった。
「ぇっ……! あ、一ノ瀬、です。河村くんの、クラスメイトの」
『あら、春樹の? 今開けるからちょっと待っててね』
今のは、河村のお母さんか。いや、よく考えればそりゃそうだ。41℃もの高熱なら医療機関を受診するだろうし、その為の足だって必要なのだから親御さんのどちらかは家にいるだろう。あーもう、顔あっつ……。
暑さとは別の理由で火照った頬を仰いでいると、玄関が開いて優しそうな顔立ちの女性が姿を見せた。めっちゃ河村に似てる……や、逆か。河村がお母さん似なんだ。目元の辺りとかほんとにそっくり。
「初めまして、春樹の母です。あなたが一ノ瀬さんね? いつも息子がお世話になってます」
「一ノ瀬うるはです。むしろお世話になってるのはう、私、の方というか」
「外、暑かったでしょう? 冷たいお茶出すから上がっていって?」
「えっ? いやその、これ、渡しに来ただけなので……」
「わざわざ来てくれたのにタダで返すなんてこっちが申し訳ないわ。それに、うるはちゃんが直接渡してあげた方があの子も喜ぶでしょ。ほら、入って入って」
「あ、ぅ、じゃあ、お邪魔します……」
恐るべし、母の力。基本嫌なことは嫌と言えるうちですらこうもあっさり説き伏せられるとは。あと、河村と違って案外押しが強い。人って見かけによらないんだね。
リビングに通され、出してもらったのはよく冷えた麦茶。一口飲んで、ようやく身体の火照りが鎮まってきたような気がする。引きこもりにこの炎天下は堪えますよホントに。
そうして少しチルしていると、河村家の愛猫ことニルくんがうちの足に擦り寄ってきた。撫でて撫でてと言わんばかりに頭を擦り付けて来る。あー……クッソかわいい……持ち帰りたい……。
片手でうりうりと相手していると、キッチンで洗い物をしている河村のお母さんがジッとこちらを見詰めているのに気が付いた。
「な、なんですか……?」
「ん? いえ、こんな可愛い子に毎朝ラブコールしてるなんて、あの子も中々やるなぁって思ってね」
盛大にむせ返った。
「んげっほ!? ごっほ、なんっ、ごほ、いや、あの違ッ! 違いますから!」
「あらあらまあまあ、ごめんなさいね」
差し出されたおしぼりで口を拭う。い、いきなり何を言い出すんだこの人……!
「……うちは、夫も私も帰りが夜遅くってね。家のこととか、高校上がってからは春樹に任せ切りになっちゃってたの。あの子は『好きでやってるからいいよ』なんて言うけれど……私は申し訳ないと同時に心配だった。貴重な高校生活を、私達のせいで無駄にしちゃってないか、ってね」
「……、」
「それでも、今年の6月くらいから妙に楽しそうにしているものだから、話を聞いてみれば───うるはちゃん。あなたと出会ったおかげだったのね」
「いえ、うちは……そんな大層な人間じゃない、です」
「いいのよ、うるはちゃんがどう思っていても。あの子が楽しそうにしていられるのなら、私としても嬉しいから。白黒みたいな毎日に、ちょっとでもあなたみたいな『色』がついただけでも十分よ」
本当に、うちは褒められるような人間じゃない。自堕落で、面倒臭がりで、マイペースで。河村のことだって、家政婦みたいに便利なやつだと思ってた。だからあれこれ理由をつけて、部屋の掃除とかモーニングコールを押し付けてただけだ。
…………本当に、それだけなのに。
◇◆◇
二階に上がり、部屋の扉を叩く。
『……? 母さん? なんだよノックなんてして』
「河村、うちだけど」
『……え? 一ノ瀬? なんでっ、げっほ……!?』
「入ってもいい?」
『いや、いいけども……』
部屋の主から許可をもらい、ドアを開ける。
河村の自室に入るのは初めてだが、想像通りに整頓された部屋だった。ベッドと本棚、作業デスクにパソコン。世間一般の男子高校生の部屋はどうだか知らないけど、随分と小綺麗な印象の部屋で、これが河村の部屋だと言われれば妙に納得できた。
そのベッドの上に、上体を起こしたあいつがいた。
おでこに冷感シートを貼って、Tシャツの上にジャージ。マスクのせいで息苦しそうだが、朝方から咳は出ていたようなので仕方ないだろう。まだ熱があるのか、目には若干覇気がないように見える。
「これ、学校のプリントと……あと、お見舞い」
「……わざわざ持ってきてくれたのか。ありがとうな」
袋ごと手渡して、これで目的は達成。後は帰るだけ……なのだが、なんとなくその気にならなかった。歩を進め、デスク前のゲーミングチェアにちょこんと腰掛ける。うちより河村の身長が高いせいか、座ってもつま先は床につかなかった。
「体調は? 熱、下がった?」
「ん、あぁ。熱は、38℃くらいだな。解熱剤飲んだら、ちょっとはマシになったよ」
「そっか。ご飯は食べれた?」
「昼はな。うどんだけ食った」
「……そっか」
居座ったのは良いが、特に何か目的があった訳でもない。自分でもどうしてそんなことをしたのか分からないのに、会話が広がるはずもない。
こんな時、気の利いた話題のひとつも振ることができない自分が恨めしい。いや、そもそも病人相手に何をしているんだろう。あいつからしたら迷惑かもしれないのに。
黙り込んでしまったうちを見かねてか、遠慮がちに河村が口を開いた。
「どうした? なんか、元気なさそうだけど」
「別に。いつも通りでしょ」
「ほーん……? あ、さてはお前、俺が居なくて寂しかったんだろ」
明らかに冗談だと分かる声音。発熱で上気した頬。
自分だって風邪引いて辛そうなクセに。普段はデリカシーの欠片もないくせに。向けられる気遣いはいつだって優しくて、こんな時にまでうちの僅かな変化に気付く。
胸の奥がきゅうっと締め付けられるように痛むのを自覚したと同時に、思わず声に出してしまっていた。
「───本当だよ」
「…………え?」
「授業はつまんないし、購買のご飯はあんまり美味しく感じなかったし、行きも帰りもひとりでなんにも面白くない。……お前がいなきゃ、学校なんて全然楽しくない」
「あー……悪かった、な……?」
違う。謝って欲しい訳じゃない。河村は何も悪くない。そっちの気持ちなんて考えずに、うちが勝手なわがままを言ってるだけなのに。
「……ごめん。悪化させちゃうと悪いから、今日は帰るね」
「あ、おう。ゼリーとスポドリ、ありがとな。治ったら、また連絡する」
「……、ん」
その言葉を聞けただけで、少しだけ心が暖かくなったような気がする。
浮ついた心を悟られないように素っ気ない返事だけを残し、うちは足早に部屋を後にした。