【完結】「魔王が倒れ、戦争がはじまった」 作:松脂松明
サフィーレ帝国とディアモンテ王国勢力圏の争い。世界の耳目を今も集める事態だが、事ここに至って誰にも思いもよらない戦況が展開されていた。
つまりはサフィーレ帝国の圧倒的な優勢である。どういう訳か名高い勇者達を突然に失ったような王国勢に、飛びかかり食らう軍があった。
帝国軍第2軍団。北東の安定以外には特に司る分野の無いと思われていた方面軍は、応援として南方軍に正式に派遣。そして、驚くべき戦果を上げていた。やはりあの軍団は皇帝陛下の肝いりだったらしい、と多くの者が最もらしく頷いたものだ。その意見が間違っているわけではないが……これを軍団と呼ぶべきなのだろうか?
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「クィネ三等軍将。各部隊から応援要請が…」
伝令兵はクィネを前に緊張した面持ちで告げた。
階級が上の者と話すからではない、単純に眼前の男が……いや生物として恐ろしいのだ。
「……またか? 一体我々にどれほど期待するつもりなのやら、だ。右翼にはウヴァロが部隊を率いて行ってくれ。余り面子を潰さないようにな」
呼ばれたウヴァロという黒衣の男は敬礼も発言も無く、ただ頷いて駆けていった。そう駆けていったのだ。この第2軍団からの応援部隊。その中核を成す男達はどういう訳か、馬に乗っていない。
その理由を知っている者は今ではそれなりにいる。さらにその理由までをも知っているものはまだ限られてはいたが、それも時間の問題だろう。
クィネが目を合わせれば、伝令兵は氷を流し込まれたような気分になって背筋を伸ばした。……クィネという上官は部下を酷使するわけでもない。礼儀も弁えていて、普通ならば好感の持てる人物と言えた。
しかし、戦場でクィネを間近に見たことがある者にとっては恐怖の対象だ。
「左翼には俺が行く。残りはディアン1等軍士がまとめて現状を維持せよ!」
「はっ!」
将が単独で行動する。およそ常識では考えられないことである。勇者上がりや英雄、剣豪の類でも随伴する兵がいれば何かと便利なのだ。
しかもそれを誰も止めない。名乗り出もしなかった。
第2軍団の兵、そして今や融合個体ですらも悟っていた。彼の近くに行っても邪魔になるだけだ。頼むから遠くで暴れていて、こっちには来ないでくれ。
荒れ狂う洪水に懇願する原始の宗教のような面持ちで、兵達は上官を見送った。
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かつて強国と恐れられたディアモンテの軍勢は、もはや見る影もない。政変と陰謀に……そして謎の襲撃。古典的な血による繋がりを利用した強固な絆はすでに過去のものだ。
それでも戦を継続するのは、少しでも有利な条件で和を結びたいからだ。それには未だ侮りがたしと言われる程度の意地は見せなければ話にならないのだ。
今でも放っておいてもいずれは落ち着くだろうと信じて疑わない馬鹿もいるにはいるが、それはそれだ。大局には特に影響は無い。死体が増えるだけである。
「ふぅむ。敵は混乱しているようだな」
「まぁ……はい、確かに」
正確には目の前の部隊だけだが、この指揮官の目には帝国軍全体がそうであるように見えているのだ。それなりに常識を持った副官の騎士は生返事だけして、部下に指示を出す。
それは部分的には優勢になったりもするだろう。しかし勢力と勢力のぶつかり合いではもはやディアモンテ側がサフィーレ帝国側に勝つのは難しい。今は母体であるディアモンテ王国が存続できるかを賭けているところなのだ。……それをこの貴族は分かっているのか、と言いたくなる。
それにこの有利も……ああ、来てしまった。副官の騎士は自分でも驚くほどに落ち着いた諦念を抱いた。
先程まで有利だった部隊が瓦解して、否、切り裂かれていく。
この戦役で語られる恐るべきおとぎ話。サフィーレの覇道を拒もうとした者達に振り落とされる断頭刃。勝ちそうになった勇者達の下にだけそれは訪れるという。
「あれが、サフィーレの死神……」
ディアモンテだけでなく、当の帝国軍にすら忌避されているという最強の剣士。それを前にして副官の騎士だけでなく、兵達もただうつむくしか出来ない。
冗談のような光景がそこにはある。個が集を凌駕する例外が実在することは、兵達でも知っている。だがそれでもこれはあんまりだろう? 一度見れば充分だった。
相手は剣士。剣士なのだ。
虚しく通じないのならば理解できる。全て上回られるのなら納得もできる。しかし、触れるどころか近付くことすら叶わないとなれば、諦めるしか無いだろう。
離れた場所から剣を振る。その余波で人が死ぬなど信じたくないのだ。
「まぁ……仕方ないか」
人型をしているだけでアレは災害。竜巻や洪水と同じモノだ。抗っても詮無きこと。
轟音の代わりに響く笑い声もそう思えば実にそれらしい。
黒い風が過ぎ去った後には、バタバタと倒れていく首のない死骸だけが残っていく。
「まさに剣風だなぁ……」
黒は呆けた馬上の貴族を無視して、副官の騎士へと流れ込んでくる。
きひひ、きひひ。
「あなたは強いな。さぁ敵か、味方か。選んでくれ」
最強に認められたという感慨も遠い、無駄だと分かりつつも副官は剣を構えた。瞬間、視界の剣が刃を失って……視界自体も二つに別れた。
敵か、味方か? 馬鹿なことを聞く。お前にどちらもいるはずがあるまいに。
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何もかもが切り裂かれていく。切り裂けてしまう。
最新にして最強の魔王として覇者の冠を被ったクィネという存在に抗える人間などいるはずもない。
苦悶の響きとともに、ディアモンテの勇者がまた一人地の底へと旅立った。
この男は決して弱くなど無く、誰もが強者と認めていた。それを呆気なく下したクィネですらそう思っていた。そして、これこそが覇者の証だった。
相手が弱いのではなく、己が強すぎる。最早強者であろうとクィネの前には何も出来ずに散るのみ。
かつての剣聖の技をそのまま受け継いだクィネの技量と同格の者さえ稀だ。仮に上回る技量を持って対抗する者がいたとしても、次は魔族としての身体能力が立ちふさがる。
ならばと魔に精通した者……大魔女サリデナールのごとき大が付く魔術師が出てきたとしても同じことだ。かつての余技が極限まで高まった果の斬滅の領域が有形、無形を問わずに全てを切断する。
もしクィネが真っ当な神経の持ち主であったならば、退屈の余り戦いを放棄しただろう。だがそうはならない。クィネは剣を持って戦うことしか知らないのだ。
それは究極へと至るために、かつての
人格を固着させていた生まれと信仰、そして思い出を薪へと焼べたクィネには大きな穴が開いている。だがセイフは既にいないために、穴が開いていることにすら気付かない。
究極であるからといって、完全ではない。
もはやクィネを救える者はいないのだ。
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軍としての形など無い単騎、それも将自身で行う突撃行動。
何時も通りの粉砕。敬意を払える相手を蹂躙していく最中にそれは起こった。
「なに……?」
余りにも久しぶりすぎて、声が出た。
眼前にいるのは長めのローブとフードで全身を隈なく覆った、ただ一人の剣士。性別も顔も分からない対抗者は大曲刀を受け止めていた。
最初はただの強者だと思っていた。しかし『ただの』ではない、特上の強者だ。
これまでの相手が弱かったわけではないが、歯ごたえがあったほうがやはり嬉しい。今の自分と同格である人間などいないはず、という疑問すら浮かばないままに剣と共に後退して仕切り直す。
「強い……本当に強いな。貴方は。俺は帝国の三等軍将クィネだ。貴方の名を聞かせてくれ」
「イマノ、キミニ、ナノルコトハデキナイ」
奇妙な声の調子が返ってくるが気にもならない。
大事なのはただ一つだけ。
「では貴方は俺の味方か? 敵か? 選んでくれ」
目の前のフード姿は頭を振った。酷く悲しげなのは気のせいだろうか? マスクまで付いているフードからは表情も読み取れず、隙間から覗く赤い目だけが特徴だ。
「キミノ、アユミヲ、トメルモノダ」
「では敵と判断する。こちらからいかせてもらうぞ! 名も知らぬ強者。俺から勝者の座をもぎ取るのだ――!」
黒白の選択を迫る質問にも、灰色の選択を選ぶ。
それこそは最悪の敵だ。どちらかでさえ無いものは理想の世界を目指す上で最大の壁となるのだから。
続く剣閃乱舞にディアモンテはおろか、サフィーレの兵士たちからも声が上がった。期待の籠もったどよめき……この誰とも知れぬ剣士ならば、この怪物を倒せるのでは?そういう期待が味方からすら寄せられている。
袈裟に向けて放った剣を、謎の剣士は己の剣の刃筋を道として、滑らせるようにして受け流した。返ってくる地摺りの切り上げを、体を逸して際どく躱す。
「どこかで見た剣。どこかで見た技だ! ……あれ?」
誰であろうと即死するはずの剣を振りながら、間の抜けた声を出してしまう。
これほどの相手……力、技共に融合個体である自分とほぼ同格。見たことがあるのなら思い出せないはずもない。なのに思い出せない。記憶に
記憶。記憶とは何か?その言葉すらも……
呆然としているさなかにも、体はカラクリのように決められた動作だけ繰り返す。どのような状態であろうとも剣は鈍らず、体は動く。そうなるように教えられ、鍛えられた。
それは誰にだったであろうか?思い出そうとしても空振るばかりだ、答えなど元から無いかのように。
「……ソコマデ、イッテシマッタノカ。ナラバ、ソコカラハ
「救うだと、違う、俺は貴様らを斬るだけだ!」
赤子のように嘆く。
それでも剣は超越した領域にあるままだ、奇怪な問答もコレで終わってくれる。敵手は紛れもない超人。だが勝利の天秤はこちらに傾き出した。同格に見えていたが、身体能力はともかく剣技はほんの僅かにこちらが上である。そして同格であるがゆえに、傾き出したのならば天秤はもう戻らない。
「終わりだ。声は不快だったが、恐るべき相手だった。お前のことは覚えておこう」
ついにフード姿の剣士の手から発光する剣が弾け飛ぶ。まさかに素手で大曲刀を受け止められるはずもない。しかし、加減できる相手でもない。
体を
「……〈ホーリースマイト〉ォ!」
「何!?」
咄嗟に相手が繰り出したのは〈
軍服の下の胸には相手の手の形をした火傷ができているようだった。
「そうか。我々は聖術に弱いのか……!」
魔と人が融合して生まれた兵器である融合個体が、相反する天上の光輝に弱い。それは考えてみれば当然のことだ。あくまで半分であるために即死はしないが、思わぬ欠点である。
だが次いで、目の前の光景で痛みを忘れる。
謎の剣士の右腕もまた爛れて、煙を上げていた。それでいて臭いは無く、熱による焦げ付きではないことを告げている。ならば答えは一つ。
「……貴方も融合個体か」
「ダメカ。イマノボクハ、キミヨリヨワイ」
まるでかつては俺よりも強かったというような口ぶり。だが、不快に感じない。むしろ素直に自身の未熟……あるいは弱体化を認める姿には賞賛を覚える。
お前はなんなのか? その言葉を紡ぎかけたとき、周囲を霧が覆った。
「確か、精神を撹乱する実体の無い霧。だが無駄だ!」
それをも剣という物理的な手段のみで切り裂く。
文字通り霧散した後に、謎の剣士の姿は無かった。術を行使する集中力を発揮していたのなら、未だにその辺りにとどまっているはずだが気配もない。
「速すぎる。霧は剣士ではなく、その仲間の術か?」
現状を確認するために、口を開く。しかし先は口にしない。
口角が釣り上がるのを止められず、とても言葉にならない。歓喜が突き抜けて総身を貫く。自分に確かなものがまた一つ出来上がった。
「……見つけたぞ、俺の宿敵を」
理想郷実現という夢でも、同志達の手助けという目的でもない。
ただ超える価値のある壁。誇るべき好敵手。
「きひっ。きひひひひっ!」
声を上げつつ、通り過ぎた戦場へと向き直る。
いつか来る再会を確信しつつ、周囲の標的を平らげるのだ。まずは下準備が欠かせない。次にやつと戦うとき死ぬのは俺だろうか? その不確定な結末が楽しくてたまらない。
クィネは笑っていた。おぞましいほどの純粋さで。
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