【完結】「魔王が倒れ、戦争がはじまった」 作:松脂松明
「クィネ。貴方は戦いが終わった後はどうするのですか?」
骸が横たわる平原の夜に、金の髪を持つ魔将が突然そうクィネに問うた。
質問の意味は誰の耳にも明らかだが、それはクィネの上を滑った。
そもそも戦いが終わるということが、この剣の魔王には理解できない。人生というのは戦いである。そうした価値観は何も珍しくはないが、文字通りの切った張ったを表している者は少ないだろう。
しかし、不思議なことに会話らしい会話が成立した。
「俺が目指す世界へと向けて努力を重ねるのみだ。元より俺にはそれしかできない。それしかない。道半ばで絶えようと、成就まで漕ぎ着けようとも……どちらでも我が本懐は叶う」
クィネの理想……勢力の分かれがひどく単純になる世界。
それは達成は困難であっても、歩み続ける限り幸福な願望だった。なにせその価値観に勝敗が入っておらず、途中で息絶えたところで己が劣っていたから死んだに過ぎない。
戦いの理由と背景が単純でさえあれば良いのだ。きっとクィネという男は今この瞬間に倒れても、相手を祝福しながら後悔もなく死ぬだけだった。自分の敵となる相手がいてくれるだけで幸福なのだから、ある意味では異常なほど安上がりな夢である。
「私は今まで……塔国を倒すことだけを夢見ていました。ですが、貴方を見ていると思ってしまうのです。こんな自分にも次があるのでは、なんて甘い考えを……」
「甘くは無いだろう。世界は単純であるべきだ。未来がある人間にはあり、無い者には無い。そしてそこに正義と不正義すらもない。そんなものは見る者によって幾らでも変化する」
クィネという人間を外から眺めていれば、不撓不屈の超人のようだ。倒れても、次の存在へと変わって立ち上がる。それは確かに一面において間違っていない。ただ、倒れる度に本当に精神的に死んでいるのだという事実が他人には理解できないからこそである。
セイフという勇者が死に、傭兵クィネが生まれた。そして融合個体となり更に異形と化した。傭兵クィネと融合個体クィネも厳密には別の存在であり、彼は都合二回は死んでいることになる。
ただ復讐に身を浸すだけのスフェーンはここにきて、悲しいほどにすれ違った。
「ゆえにこその“彼らと我ら”。正義、悪……秩序、混沌。そうした要素こそが己を不安定にして、不幸を生み出す。スフェーンも存分に本懐を果たして、更に都合の良い未来を目指すと良い」
それは己一人だけではなく、全ての人の幸福を願う狂った理想。
彼は剣士である。戦士である。
戦士とは、戦わぬ役割の者のために戦うのが役目。天下万民の安定のためにクィネは己が悪逆の象徴となることも厭わない。
「相変わらず無茶苦茶な理屈ですね……まぁそれも貴方らしいです。クィネ。私の勝者。矮小にして卑小、それでいて大勢を犠牲にする私の復讐が果たされて尚、物語が続くのであれば……」
「私は貴方に仕えたい。ここまで私と共にあってくれた貴方の宿願のために、今度は私が貴方の手となり足となりたいのです」
結局、スフェーンの狂気もクィネと比べればただ願いが強いだけに過ぎない。常人と比べて大分歪んではいるが、根は一人の人間だった。
そして皮肉なことに強弱と思いの尊さは関わりが無かった。
一方的に全てへと善意を押し付けるクィネ。そんな貴方にこそ恩を返したいというスフェーンの思い。誰かのための狂気と彼のための献身。どちらが救いになるかと言われれば……
「それも良いな。元より私のあり方が認められぬのなら、世界を相手に一人でも戦う気だった。そこにもう一人いるのも悪くない」
「悪くないのではなく、良いことです。魔王には供回りが必要なのですから。たった一人の軍勢など、貴方を討とうとする勇者に失礼でしょう」
夜は更けていく。
決戦はもうすぐそこだ。
2人の凶手がどんな思いを持っていても、大多数のものにはただ迷惑なことである。それしか確かなことなど無いままに。
/
そして決意を固めるのは彼らだけではない。
かつての仲間を排除するために、夜の中で色気の無い会話が行われていた。穏やかな声を紡ぐのは硬質化してひび割れた顔を持った怪人。そして妖艶なる美女だ。
美女と怪人の組み合わせはどこか廃退的な雰囲気を漂わせている。
「セイフと実際に戦って分かった。塔国では彼を止めることはできない。今や彼を止められる者などこの世に一人としてありはしない」
「それが例え貴方であってもー? 今の貴方は性能的にはクィネと完全に互角……一部では上回るでしょうー?」
たった一人ではあるが、その力量は国をあげようと止められる戦力ではない。そう語れるのはかつて勇者と呼ばれた異形もほぼ同じ領域にあるからだ。
そして口調からも分かるように融合個体としての不利も収まった。
「その間延びした言い方は変わらないね。この頃昔が奇妙に懐かしいよ」
「もちろん、僕でもあいつには勝てない。そもそも僕は死人だ。でも彼は生きている。いくら善戦したところで、最後にその差が出てしまうだろう。死者は何も出来ないものだ。だから、最後の瞬間こそ新たな魔王の不意をうつ最大の機会にもなる」
クィネとクレスの力量差は実際にはわずかだ。
問題となるのは精神面。クィネと呼ばれる剣聖が変貌した男は死者と生者のいいとこ取りをした要素を持っている。その輝きは死のように純粋で、生のようにひたむきなのだ。
互角と称されたクレスだが、なまじ近い力量だけに死闘ではその差が果のない絶壁になるはずだ。少なくとも勇者自身はそう確信している。
「……オニキスはどうするのー。あの子にこれ以上は耐えられないわよー?」
その名はかつての聖女。仲間のために墜落を重ねる流れ星のような哀れな娘。
クレスへの恋慕ではなく、壊れた絆の復活を願っての邪法だったのがまだ幸いだが……もはや彼女も世界にあっていい存在ではないだろう。
「せめて最後の瞬間まで付き合うさ。どれだけ長いかは塔国の善戦次第だろうけど……ああ、確かに僕は勇者に相応しくなかったな。理屈を優先して、彼らを見捨てようとしている」
「善戦ねぇ……まぁ出来なくはないわよー。あそこは実は魔術国家でもあるものー。まぁ今のセイフに戦闘向けの魔術は全く意味を成さないけれどもー、何あの剣? 今や火や雷はおろか、闇や光ですら切断してるわよー反則よー」
「なら君が入れ知恵するというのは? ここまで来たんだ。君はセイフへの対抗策を見出しているんだろう?」
クレスは大魔女サリデナールを高く評価している。
崩れ去った仲間の中で、この女だけが地に足の着いた人間だった。優しさと厳しさを両立させた魔女が無策で元仲間の凋落を見届けるなどありえない。
「もうやってきたわ。でも全然駄目ねー、あそこは保守的で頭が固いったら無いわ。大魔女になった今でも弟子の弟子扱いに、学説の違いもあって全く聞き入れて貰えないわー」
お師匠様の時点であの爺様より上なのにね、と苦笑をこぼした。
色っぽい格好と顔立ちだが、そうするとまるで穏やかな母親のようだった。
「そうか。ままならないね、世界は。セイフがかつての世界を懐かしむのも無理は無かったのかも知れない……それはともかく、そうなると最後の希望は君になるね。僕はこの生命を使ってセイフを留めるよ」
「そして私はできるだけ多くを救うわー。最近ね、若い子を拾ったんだけど善人も悪くないわー」
「……頼んだよ」
自身の死から始まったという仲間たちの墜落。
セイフもオニキスもそこまで絶望する必要は無かったのだ。現に大魔女はむしろ人魔戦争のときよりも成長している。
確たる存在も、はっきりとした世界像も不要なのだ。
人は曖昧な中でも幸福になれるのだから。
「ねぇクレス……私は貴方のことが好きだったわー、でもこれからはオニキスをお願いね」
そう言い残すと大魔女はかき消えた。
決戦はすぐだ。昇る朝日が異形の目には痛かった。
/
『スフェーン、眠れないの?』
穏やかな声が脳裏に響く。
それとは対照的に不吉な音色が魔将の腕から奏でられている。正当な持ち主を上回りかねない豪腕によって引かれることで、弓が悲鳴を上げている。調子が狂った弦楽器が奏でる音のように聞くものを不安に陥れる。
『スフェーンは元気ね。でも、髪が汚れてしまっているわ。さぁこっちへ……』
ええ、今すぐそこへ行きます。
優しい思い出が復讐への燃料へと変化していく。
貧民の生活などどこも似たり寄ったり。その程度の悲劇などそこら中に転がっている?
病の治療が成されるだけ、他の国よりもマシ?
分かっていますとも。だが、
『優しい子、可愛い子――』
姉はそんなこと望まない。知っている。
矢を向ける相手を間違っている? そうでしょうね。
私以上に姉様のことを知っている人間などいるはずもない。だから分かるのだ。復讐は何も生まないと、勝手に死者の弁を決めつける者も多いが、姉様は本気でそう言うはずだ。
「スフェーン、そんなことしないで」と――
有象無象の影がありとあらゆる反論が静止を投げかけて来る。最愛の姉が涙とともに訴えてくる。それらに対して答える言葉は一つだけ。「知ったことか」。
私は私の復讐を果たすためだけに来た。余人が何と言おうとも止まること無いと知れ。
弓は弓聖から奪った遺物、〈巨人の弓〉。
だが矢はかつての槍矢とは違い、この日のための特注品。もはや槍ですら無く恐ろしく柄の長い大剣に近い。
眼前には塔主の軍勢達が陣を強いているが、それには目もくれない。既に恐れるような相手ではないこと以上に、無色透明の壁という恨みの対象がいるのだ。目線はずっとそこに固定されている。
「さぁ、行きなさい」
隠すこと無く異形へと姿を変えている両腕の力を限界まで引き出して――スフェーンの矢が放たれた。
/
矢は軍勢を飛び越えて、その壁に激突した。
着弾地点から波紋が広がり、そこに壁があったのだとようやく気付かされるような光景だった。住人全ての生命力で構成された恐るべき壁。
城壁すら穿つだろう〈巨人の弓〉の一撃を受けても、撓んだだけである。なにせ塔国が城壁以上の鉄壁として使っている障壁だ。石造りの城壁よりも柔らかい道理はない。
しかし、たわんだのを確認した第2軍団長、そして皇帝は微笑んだ。
たわむことが分かれば、これからの仕掛けが問題なく上手く行く。全てはあの日、至高の剣士を同士に迎え入れた日から始まっていた。
放たれた矢は衝撃で先端が砕けると、次の部位がぶつかるように出来ている。それは第2軍団長の私財をほとんど投じて、世の聖剣魔剣を分析して作った細心の付呪武器なのだ。
1つ目は単純な物理、そして次は炎を帯び、次に氷、次に次に――
ブロック式で構築された矢が次々と砕け、そして壁に激突していく。まるで達磨落としが横になったような矢だった。
そして最後の風の部位が衝突した瞬間、障壁のたわみは最高点に達した。壁がいかなる魔術をもってして編まれているか分からないから、全ての属性を叩き込んだのだ。
「ああ――私のクィネ。私の勝者よ」
そしてスフェーンが放った“矢”は一つではない。
壁の前に布陣していた塔国軍は、障壁の異常にどよめいて思わず振り返っている。“もうひとつの矢”からすれば、それは致命的な隙だった。
もし彼らが壁を信じ切って前を向いていれば、結果は変わったかも知れない。だがそうはならなかった。
黒い旋風が人と人の隙間を抜けるように、そして矢とほとんど変わらない速度で動いて行くのを塔国軍は気付かなかった。
黒い風は遥か空中へと飛び上がり、矢の最後の部位と同時に着弾点へと到達した。
「見事な矢だ。スフェーン。今、俺にもこの壁の流れがはっきりと見える」
そう。たわんだ時点で成功だったのだ。
クィネの目はそのたわみから壁の魔力の流れと継ぎ目をはっきりと感知していた。そして、そこに叩き込まれる斬魔の一閃。
火球を切り裂くのと同じ原理によって、不落の壁が剣によって切り裂かれていく。
塔主達の叫びを耳にした確信でスフェーンは恍惚となった。
「壁は魔術。再生するでしょうが……私の作品と私の勝者がそれを見逃すはずもない。ただの一瞬の穴、それによって我が故郷は崩壊するのです。さぁ……蹂躙の時間です」
宣言通り、斬魔の剣が振り下ろされるのと同時に塔国内部へと飛び込んでいく影達。
言うまでもなく、融合個体達だ。これから守る者のない内部で行われることも想像に難くない。
壁が崩れているのは一瞬。再び住人の生命力で再構築が行われるだろう。だが、それによって外の軍と内部は分断される。
「我々の勝利です」
ここに帝国軍の勝利は決まった。
/
ここに帝国軍の勝利は定まった。
だが、俺個人となると話は完全に別である。
剣を振り終わり、自由落下へと移っていく最中に敵は現れた。
「やはり来たか。顔馴染みの見知らぬ人」
その姿を隠していたローブは今回は無い。なぜかそれだけで彼が抱いた不退転の決意を理解したように思えた。見たままの異形。自分たちよりも遥かにおぞましい外見に、清らかさを秘めた融合個体。
「君は私が止める。そう言ったはずだ」
「何故か気に入らないが……約束に律儀なのは良いことだ。今度は名前を聞かせて貰えるのか?」
斬滅にも劣らぬ凄烈の一撃が向かってくる。それを大曲刀で受け止めると同時に、敵の声を聞いた。
「我が名はクレス。かつての友、優しきセイフを止める者だ」
「ああ――やはり知らぬ名だ!」
最強の戦士たちは空中で争いながら、塔国へと落ちていった。
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