「行きましょう、テル! 貴方の鈍重な足取りでは、すぐにマスコミに追いつかれてしまいますわ!」
ヒカリはテルの腕を掴み、ポケモンセンターの奥へと急いだ。休憩室から裏口へ続く通路を抜け、外に出る。そこは、ゴミ集積場と、ごく少数の配達員しか利用しない寂れた裏路地だった。
「さあ、テル! ポッチャマは懐に! 私の指示に従ってください!」
ヒカリはテルの背中を押しながら、愛馬であるギャロップのボールを取り出した。閃光と共に現れたギャロップは、その美しい炎のたてがみを揺らし、主人を待つ。
「この通りを真っ直ぐ進めば、ポケッチカンパニーの裏手に出られます。貴方は全力で走って、カンパニーの通用口から入りなさい」
「君は?」
「もちろん、囮ですわ!」
ヒカリは颯爽とギャロップに跨ると、テルの持っていた新品の図鑑をひらりと受け取った。
「貴方が持っていたら、図鑑泥棒と間違えられてしまいます。これは私が持ちますわ。さあ、私が行ってきます!」
「待て、ヒカリ!」
テルが止める間もなく、ヒカリはギャロップに合図を送った。ギャロップは猛烈な勢いで裏路地を駆け抜け、大通りへと飛び出した。
「ポチャマー! チャンピオンよ! こちらですわー!」
ヒカリはテルによく似た服装で、わざとらしく大きな帽子を深めに被り、テルが使っていた新品の図鑑を振りかざした。そして、ギャロップのスピードを活かし、そのまま大通りを逆走するように走り去った。
「あれはチャンピオンのテルだ!」
「いや、服が違うぞ! でもあのポケモンは!」
マスコミとカメラマンたちは一斉にヒカリの方へ向かい、一瞬にしてテルがいた場所の騒音は掻き消えた。
(見事な囮役だ……ポケモンコーディネーターとしての、舞台度胸の賜物か)
テルはヒカリのプロ根性に感心しながら、指示通りポケッチカンパニーの裏手に回った。通用口は従業員が出入りする地味な扉だ。テルは息を切らしながらその扉を開け、中に滑り込んだ。
カンパニー内部は、外の喧騒とは打って変わり、静かで清潔なオフィス空間だった。テルは記憶を頼りに、受付にいる従業員に声をかけた。
「すいません、ポケッチカンパニーの社長に、テルから、話があるとお伝えください」
受付の女性は、テルの顔を見て、一瞬で顔色を変えた。
「ま、まさか……チャンピオンのテル様でいらっしゃいますか!? すぐに社長にご連絡いたします!」
社長室に通されたテルは、無事に新品のポケッチを受け取ることができた。ポケッチを腕に装着すると、懐かしい電子音が鳴り響く。
「ありがとうございます。これで旅が捗ります」テルは感謝を述べた。「ちなみに、わたしが以前使っていたポケッチには、特別なアプリや記録は残っていましたか?」
社長は首を振った。
「テル様が最後にポケッチを使われたのは、チャンピオンリーグで優勝された直後。その後は、特別なデータは何も残されておりませんでした。ただ、貴方のために、最新のアプリは全てインストールさせていただいております」
テルは礼を述べ、カンパニーを後にした。ヒカリが指示した合流場所は、ポケモンセンターから北東にある、人が少ない207番道路の入り口付近だ。
テルが207番道路にたどり着き、ヒカリを待っていると、遠くからギャロップの蹄の音が聞こえてきた。
「はぁ、はぁ……間に合いましたわね、テル!」
ギャロップの背から降りたヒカリは、少し息切れをしていた。手には、テルの新品の図鑑が握られている。
「ありがとう、ヒカリ。完璧な作戦だった」
テルは図鑑を受け取ると、ヒカリの額に滲む汗をそっと拭った。
「これで、ポケッチも手に入れた。さあ、次は……」
テルが次の行動を決めようとしたその時、背後から不意に、聞き覚えのある、しかし現代の口調とは違う、威圧的な声が響いた。
「おい、そこの二人……ギンガ団のマークを見たか?」
テルとヒカリは驚いて振り返った。
そこに立っていたのは、全身を黒い制服に包んだ、見覚えのある制服を着た男だった。その胸には、テルがヒスイ時代に命を賭けて戦った、謎の組織のエンブレム―――**「ギンガ団」**のマークが、不気味に輝いていた。
「……ギンガ団?」テルは呟いた。
「きさまら、何者だ」男は鋭い眼光で二人を睨みつけた。「この辺りで、不審な動きをしているという報告があった。特に、その男……チャンピオンのテルではないか」
テルは、消えた空白の記憶と、ヒスイの時代で打ち破ったはずの組織の影が、再び目の前に現れたことに、戦慄した。
「ギンガ団……まさか、まだこのシンオウに、残党がいたのか!?」
テルとヒカリの間に、緊張が走った。目の前に立つ男は、紛れもなくテルが過去の世界で相対した、**「悪しきギンガ団」の制服を身に着けている。しかし、そのエンブレムは、ヒスイの調査隊の「ギンガ団」とは違う、現代のシンオウで暗躍していた「悪の組織ギンガ団」**のものだった。
「ギンガ団だと!?」ヒカリは驚愕し、即座にギャロップを前に出した。「貴方たち、解散したはずでしょう!? なぜ、今頃ここにいるのですか!」
男は不敵に笑った。
「解散? 確かに、あのアカギ様の計画は失敗に終わった。だが、偉大な理想は消えていない。我々は、アカギ様の思想を継ぐ**『真のギンガ団』だ。このシンオウのどこかに、必ずやアカギ様が残された『最後の研究』**の成果があるはず……それを探している」
男はテルの全身を値踏みするように見つめた。
「そして、お前だ、チャンピオン。お前が消えている間、我々の行動はスムーズだった。だが、お前が戻ってきたことで、また邪魔が入る。どうせ、お前もギンガ団の遺跡や神話に興味があるのだろう? **アカギ様が手放した『時空の神の力』**を、手に入れようとでも?」
テルは静かに、しかし威圧的に一歩前に出た。腰にはポッチャマのボールを握っている。
「俺は、お前たちの言う『力』には興味がない。ただ、このシンオウの平和を乱す奴がいるなら、見過ごせないだけだ」
テルは、過去の世界でウォロという男の狂気と、アカギという男の歪んだ理想を目の当たりにしてきた。現代でギンガ団の残党が動いているという事実は、彼の空白の記憶とシロナの失踪にも、何らかの形で繋がっている可能性を示唆していた。
「お前たち、アカギの残した研究とは、具体的に何を探しているんだ?」
「ふん、無駄口を叩くな」
男はテルに勝負を挑む暇さえ与えず、ボールを掲げた。
「無駄口はここまでだ。お前のような**『幻のチャンピオン』**は、我々の偉大な計画の前に、消え去るべき存在なのだ!」
ボールから飛び出したのは、ドンカラスとマニューラ。いずれもギンガ団幹部たちが好んで使っていた、素早く強力なポケモンだ。
「ヒカリ!ここは危険だ、下がっていろ!」
「な、何を言っているんですの! 私だって戦えますわ!」
ヒカリは反論したが、テルの目は真剣だった。彼はヒカリのコーディネーターとしての戦い方ではなく、自分の知るヒスイの時代の戦い方でこの場を切り抜けようとしていた。
「ポッチャマ!君はまだ慣れていない、俺の後ろだ!」
テルはポッチャマを庇い、代わりにヒスイの仲間たちのボールを握りしめた。
「来い、ヒスイのバクフーン! ゾロアーク!」
テルがボールを投げると、ドンカラスとマニューラが奇襲を仕掛けようとした瞬間、バクフーン(ヒスイのすがた)とゾロアーク(ヒスイのすがた)が姿を現した。
「ブォオオオ!」
バクフーンの背中から立ち昇る青白い炎と、ゾロアークの纏う禍々しいゴーストの気配。その異様なオーラと姿に、ギンガ団の男は完全に動きを止めた。
「な……なんだ、そのポケモンは! シンオウには、そんな色のバクフーンは存在しない!」
「これが、俺の旅の成果だ」テルは低い声で言った。「お前たちの知っているシンオウの歴史は、全てではない」
テルは過去の世界で培った、野生の力を引き出す戦術を思い出す。
「バクフーン、ドンカラスに**『シャドーダイブ』! ゾロアーク、マニューラに『うらみ』**だ!」
テルが叫ぶと、バクフーンは一瞬で姿を消し、ドンカラスの背後からゴーストの炎を伴って出現した。ゾロアークは、マニューラに呪いをかけるように、強烈な**『うらみ』**の波動を叩き込んだ。
一撃で、ドンカラスとマニューラは戦闘不能に陥った。
「バ、馬鹿な! 一瞬で!?」ギンガ団の男は恐怖に顔を引きつらせた。
テルは静かにバクフーンとゾロアークをボールに戻した。彼の強さは、現代のジムリーダーや四天王だけでなく、悪の組織の想定をも遥かに超えていた。
「二度と、俺たちの前に姿を現すな。そして、アカギの残した**『最後の研究』**について、詳しく知っているのなら、今すぐ吐け」
ギンガ団の男は、テルの威圧感と、ヒスイのポケモンたちの存在に圧倒され、言葉を失っていた。
「くっ……覚えていろ、チャンピオン! 我々の偉大な計画は、必ずや成就する!」
男は逃げるようにその場から去っていった。
ヒカリは、唖然とした表情でテルを見つめていた。
「あれが……貴方の空白期間に得た力……? あんなポケモン、図鑑にも載っていませんわ……!」
テルは、新品の図鑑をチラリと見た。ゾロアークたちのページには、やはり**『番号外のポケモンを確認』**のエラー表示が出たままだった。
「ヒカリ、急がないと。あの男が言っていた**『最後の研究』**が気になる。ギンガ団の残党が探しているなら、それは、俺の失われた記憶と、シロナが追っている『答え』に直結している可能性がある」
テルは、ポケッチの地図を開いた。
「このシンオウには、まだ、隠された真実がある。俺たちが次に探すべき場所は、ギンガ団が最後に大騒動を起こした場所……テンガンざん、または、シンオウの神話の根源を辿る場所だ」
ヒカリは、恐怖を打ち消すように深く息を吸い込み、決然と頷いた。
「わかりましたわ、テル! 貴方の調査隊員として、そして債務者として、私も付き合います。行きましょう、ハクタイシティへ。そこには、ギンガ団の悪の活動の拠点だった建物がありますわ!」
時空を越えたチャンピオンと、負けず嫌いな元コーディネーターの旅は、現代シンオウに残る、歴史の影を追う段階へと進んだのだった。