プロローグ
1945年4月7日 伝統ある大日本帝国海軍は消滅した。
帝国海軍の象徴たる"大和"の沈没とともに、幕を下ろしたはずであった。
しかし、沖縄に向け出撃したのは大和ではなかった。
三番艦"信濃"の竣工が間に合ったのだ。
無論、これは帝国海軍内部の一部しか知り得ていない情報であり、大和特攻を強硬に主張した神重徳大佐ですらも知らなかった。
なぜなら、竣工した時点では既に敗色が濃厚であり、神のような人物の知るところとなれば、非常にまずいことになる。
それを危惧した当時の連合艦隊司令長官、豊田副武と参謀長、草鹿龍之介が一計を案じたらしい。
結果として温存された、大和型戦艦3隻は太平洋戦争という航空戦力と潜水艦作戦が中心の戦闘の前には無力であった。
1945年4月7日未明
史実では、大和が水上特攻隊を率いて沖縄に突入したその日である。
瀬戸内海のどこか、暗闇の中を進む5隻の艦隊があった。
しかし艦隊というには余りにも少ない数であった。中央に鎮座している巨大戦艦を守りきれるのか不安なほどである。
だが、現在の瀬戸内海は海上護衛総隊と連合艦隊によって徹底した対潜水艦掃討作戦が実施され一応の安全は確保されている。後は航空機による攻撃が警戒されてはいたが、太平洋戦線の全航空戦力は、信濃攻撃の為に待機しておりこの艦隊に注意を向けるものなどいなかった。
「長官 そろそろ例の水域に入ります。」
「艦長 すまないな 栄光作戦発令」
伊藤整一と有賀幸作は笑いあった。
吉報ではなかったが、念願の報告が信濃よりもたらされた。
「栄光作戦成功セリ 我ガ艦隊ハ敵ノ全戦力ニヨル空襲ヲ受ク 貴艦ノ健闘ヲ祈ル」
通信士からの報告は、つまり信濃は確実に撃沈されるということを物語っている。
「その後信濃との通信は途絶しました。」
「ふむ」
伊藤整一の言いよどむ姿を見た有賀艦長が代わりに発令した。
「全艦に発令 総員退艦準備繰り返す総員退艦準備」
最後に有賀幸作はこう付け加えた。
「この作戦は未来の日本人がどう判断するかにかかっている。我々の払った代償が無駄になるかならないかを諸君らは生きて生きて生き抜いて見極めてほしい。」
こう言い終わった有賀艦長は、甲板に下り退艦する乗員を見守り、駆け寄ってきた機関長の報告を受けた。
「キングストンバルブの開放を確認しました。また残っている乗員もいませんでした。」
うんと頷いた有賀艦長は、こう言った。
「では君達も急いで退艦したまえ。 私もすぐに合流する。」
そう言った有賀艦長は、機関長の退艦を確認すると自らも海に飛び込んだ。
救助に当たった駆逐艦の艦上にて有賀艦長は伊藤整一司令長官と再会した。
「艦長 私は今回の作戦で出た犠牲が作戦の成功と釣り合うのかを考えてしまっていたよ。 私は司令長官失格だな。」
自嘲する伊藤整一を有賀艦長は
「部下を心配するのは、上官としての責務です。 部下を心配しない奴は私が上官と認めません。 ですから自分を卑下するのはやめてください。」
と励ます。
一時その言葉を反駁した伊藤整一は、それを肯定した。
「艦長の言う通りだな。 私は自分を見失っていたようだ。 すまなかった、今のことは忘れてくれ。」
この作戦で日本側は、戦艦1隻と軽巡洋艦1隻そして駆逐艦2隻を失い、戦死者2547名、負傷者248名を出した。
米軍は、航空機57機を撃墜され、行方不明機も含め75機を失い、戦死者105名負傷者21名を出した。
これから一週間後、日本帝国は無条件降伏した。
それから5年間以上大和は海中に潜み、その時を待っていた。
そして歴史は変わりはじめた。
と思いきや、そう簡単には変わらない。
1950年4月7日
大和が沈んでから5年もたった。
水中に潜むやまとなど、誰も気にも止めない。
そして、その近くにて自殺死体が見つかった。
最後の第二艦隊司令長官、伊藤整一元海軍中将その人であった。
1958年
自衛隊創設。
その演説において、吉田茂は述べた。
「本日を持って、日本の占領は終わったのだ。
我が国は、独自の防衛力を保有し指揮権も有している。」
そこで言葉を切り、一拍おいてから言った。
「海上自衛隊は瀬戸内海にて戦艦大和を発見し、現在調査中であること。
これをこの場を借りて発表したい。」
1960年
やまとのサルベージ及び復旧作業完了。
海上自衛隊護衛艦やまととして、艦隊に編入。
世界最強の軍艦として今も現役である。
艦齢は、75年である。
未来は変わるのだ。