【新テニ】戦庭の彼方へ 作:Relics
※捏造しかない(モブ選手が出ます)
白く滲む空。
リビアの大地に涼しさはない。
砂混じりの風が肌を刺すように吹きつけ、太陽は容赦なくすべてを焼き焦がす。
視界の先には一面に広がる砂漠。
だが、そこに立つ三人は確かに前を見据えていた。
「ここが今日の
平等院が額のバンドを取り、空を睨んだ。
「……気温、もう四十度超えてる。水分のペース考えないと、半日も持たないわよ」
栄華が携帯端末を確認しながら言う。
平静を装っているが、声の奥にどこか焦りが滲む。
「それに気をつけろ。空の色が変わってる……風だけじゃない」
デュークが指さす先。
雲ひとつない空には、影の筋が走っていた。
「雹かもしれない。砂嵐に混じって……この辺りでは、たまに起きるらしい」
「砂漠で? 馬鹿な……」
平等院の表情が動いたのは、その直後だった。
バチン、と乾いた音が地を打つ。
白い粒が空から落ちた。
次いで、二発、三発。
焼けた大地に弾ける、鋭い氷の粒。
「……ほんとに、雹……?」
空がざわりと鳴り始める。やがて砂と氷の交錯する混沌の世界が降りてきた。
「避けろッ!」
三人は咄嗟に走る。
巻き上がる砂と熱気が肌を焦がし、氷のつぶてが頬を掠める。
自然の理を無視したような現象が三人に襲いかかった。
その瞬間、何かが閃いた。
平等院の視界に一つの幻が走る。
空から、無数の白球が一斉に雪崩れる光景。
(……そうか。弾道じゃねぇ。数だ。落ちる場所を相手に絞らせなければ……)
荒野の中、彼はゆっくりと空を仰ぐ。
ふと別の景色が脳裏に重なる。
砂埃と人の声。
干上がった井戸を囲む、子供たちの眼差し。
そのとき俺はラケットを握りしめ、地を叩き続けた。
何十発、何百発も――砂を裂き、岩を穿ち、執念だけで水脈をこじ開けるように。
やがて、砂の底から水が滲んだ。
あれはただの狂気か、必然か。
ただひとつ確かなのは、“落とし続けた先”に道が開いたということ。
(同じだ。打ち下ろすだけじゃ足りねぇ。意識の外から、“降らせる”……)
これは災害ではなく啓示だ。
生に通ずる落下を、いま再び己の手に。
「やるぞ、デューク」
平等院の声に、デュークが静かに頷く。
「ああ。こっちはすでに、背中に一発もらってる」
「私は避難経路、確保してくる。命あっての修行だから」
そう言って、踵を返した栄華の足取りがふらついた。
「……ッ……!」
「大丈夫か!」
駆け寄ったデュークが彼女の腕を取る。
顔は赤く、呼吸が浅い。
「……水は?」
「さっきまで飲んでた……けど、ちょっとダメみたい……」
笑おうとした唇が熱に引き攣る。
平等院が振り返り、黙ってポーチを放った。
「補給用だ。管理不足というわけでもないが……次は
「……ありがと」
デュークが彼女を岩陰に運ぶ。
そのとき。
栄華の意識のどこかで、“声”が重なった。
『君は放っておくと、自分のこと忘れるからさ。……だから、俺が守ってあげるよ』
ふっと触れるような、あたたかい声色。
だが、その余韻の裏側に――
(……ちがう)
優しさの形をして、どこかでこちらの足を奪うような手触り。
あの声に身を預けたら、芯が溶けてしまう気がした。
(私は……自分の力で、立っていたい)
遠く視線の先で、平等院の影が逆光に揺れる。
まるで空を睨み返すように、何かを背負って立っていた。
(……まったく、誰も楽させてくれないんだから)
心の中で毒づきながら、唇の端がわずかに緩む。
再び、白い粒が空を叩き始めた。
だがもう、それに怯えるだけの者はいなかった。
平等院は打った。
次々に空中からボールを打ち落とす動作を再現しながら、ラケットを振る。
まるで空から、無数の弾を撒き散らすように。
弾幕のような軌跡が、熱い空気を切り裂いていった。
***
夜の砂漠は、昼とは別の顔をしていた。
月は高く、吐く息がかすかに白くなる。
砂に埋もれた岩場の影に、三人の姿があった。
焚き火の橙が揺れ、平等院の横顔を照らす。
相変わらず表情は読ませない。
だが、そのラケットには確かに変化が刻まれていた。
「あれが“Gargantua Hail”の原型……」
水筒の口をそっと閉じながら、栄華が小さく呟く。
「真上から、そして意識の外から降るような連続球……」
「テクニックだけじゃない。反応を遅らせる位置取りと高さの分断。重ねてくる動作のフェイクも見事だった」
デュークの評価は率直だった。
敵として、味方として見ても、完成させれば世界に通用するものだと分かる。
栄華は、焚き火に照らされた平等院の横顔をそっと見た。
「……少しは手加減してよ。ほんと、こっちの身が持たない」
ようやく笑えるだけの余裕は戻っていた。
平等院はラケットを膝に立て、火を見ながらぼそりと呟いた。
「……生き残る奴ってのは、結局、
焚き火がぱちりと弾ける。
「あの雹だってそうだ。誰がどう降るかなんて、誰にもわかっちゃいねぇ」
ラケットのグリップを握る手に、かすかな力が入る。
「だが俺は選ぶ。たとえ全てが落ちてきたとしても、押し返す道をな」
デュークがふと目を上げる。
火の灯りで、彼の表情がわずかに揺れた。
「……そりゃ、命も勝ちも、両方拾おうって腹か」
「あなたらしいわ」
「まったくだ」
栄華が小さく笑う。
そのとき、ふと火が揺れて砂煙が巻き上がる。
無意識に咳き込んだ彼女に、平等院が荷物を投げて渡した。
膝元に落ちたそれを手に取ると、重みがいつもと違った。
「……これ、私の?」
開けた瞬間、いつもと違う中身が目に入る。
薬品の配置に水分補給用の分包、体温調整用のシート。
順番まで整えられている。
「いつの間に……」
問いかけても、平等院は焚き火を見たままだった。
「命あっての修行。……それだけだ」
ただ、それだけ。
だがその声には、昼の殺気とは違う何かがあった。
栄華は膝の上のポーチに視線を落とす。
(……言葉の数じゃないのかもしれない、こういうのって)
守られるのではなく、立っている自分を支えるための手。
あの“声”とは、まるで違う形の温度。
(今は、あの時と違う)
顔を上げると、焚き火越しに平等院と目が合う。
寄り添うでも突き放すでもなく、ただ同じ瞬間を生きる者としての確かな眼差しだった。
栄華は火の中に目を落とし、ただ小さく息を吐いた。
言葉はなかった。
だが、ひとつの“芽”が砂の下で音もなく育ち始める。
そんな気配だけが、確かにあった。
***
赤土の匂いが、熱の中でかすかに焦げていた。
風がコートの境界を曖昧にしていく。
平等院はその中央に立っていた。
焼けた空気が肌にまとわりつく。それでも、瞳の奥は凪いでいる。
この数ヶ月で吸い込んだ、密林の湿り、砂漠の熱、そしてエジプトの光――
そのすべてが今、この一点に溶け合っていた。
その背後で栄華は息を呑む。
「……随分、広い場所ね」
声は風にさらわれ、吸い込まれていく。
踏みしめるたびに土が応えるような錯覚を覚えた。
デュークが腕を組み、低く唸る。
「まるで闘技場だ」
強者がただ己を証明するために立つ場所。
栄華は周囲に視線を巡らせる。
「そうね……見られてる」
コートの柵の向こう。古びた壁にもたれる若者たち。
誰も声を発さない。
異国の来訪者たちを値踏みするように、静かに目を光らせている。
「……おい」
沈黙を裂く声が響いた。
砂煙の向こうから、一人の青年が姿を現す。
浅黒い肌と乾いた血のような唇。
そして無数の傷が、まるで闘いの証のように刻まれている。
「最近、この辺りを荒らしてる日本人ってのは……お前らだな」
彼は立ち止まり冷たく笑う。
平等院の睫毛が、ひと呼吸だけ揺れた。
「……アントニオ・ダ・メダノレを探している」
「無駄だ。奴は今、
「……そうか」
風が止む。
砂の舞いが、宙で静止したように見えた。
平等院のまぶたが、ほんの一瞬だけ動いた。
「なら、貴様が相手だ」
「……いいだろう」
二人の足が、同時に前を向いた。
その瞬間、大地が脈打つ。
かつての血の記憶――
古の時代より、剣と角で命を削り合ってきた決闘の儀。
それをを呼び覚ますように。
風が落ち、遠くで鐘が鳴った。
***
呼吸すらも戦いの一部になる。
そんな言葉を放つかのように、平等院はただ立っていた。
理性はまだそこにある。だが、手綱は緩んでいる。
対する青年はベースラインに沈むように構えた。
トスが上がる。肘をたたみ、背骨を軸にしなる。
ラケットが空気を裂き、その一撃はまるで剣ように放たれた。
最速のフラット。外角いっぱい。殺意を帯びた直線が赤土を貫く。
だが、平等院は動かない。
胸郭が膨らむたび、獣の影がそこに宿る。
(……来い!)
足が土を蹴り、全身の筋肉が一斉に覚醒する。
滑るような一歩で左足を送り、肩を落としながらラケットを振り抜いた。
低い打球が逆サイドへ突き刺さる。
回転のない突きの球。
ラケットの面が音を置き去りにして走った。
青年はすぐに前へ出て大きく踏み込む。
ローボレー。ラケットの先端が鋭く光った。
だが前に流れすぎた重心が、その一瞬を鈍らせる。
球が跳ねるよりも速く、平等院の体がもう目の前にあった。
ボールはネットすれすれを滑り抜け、青年の脇を掠める。
外野の壁に叩きつけられ、土煙が爆ぜた。
青年は舌打ちし、すぐにベースラインへと退く。
「少しはやるようだな」
次のトスは先ほどよりも高い。
空気を切る音が一段深く、重くなった。
スピンを混ぜたトップスライス。
球が土に食い込み、軌道が不規則に跳ねる。
平等院の視線はそれを追わない。
ただ音を聞いていた。
ラケットを斜めに構えて腰を沈める。
打点は低い。
そして、弾丸のような打ち上げ。
打球は地を擦りながら一直線に伸びた。
青年のバック側。間髪を入れず彼も追いつく。
カウンターを狙い、ラケットを下からすくい上げた。
だが次の瞬間、平等院の目が見開かれる。
彼の影がすでに右サイドに滑っていた。
身体が、落下する位置を察知していたかのように。
乾いた破裂音とともにラケットが地を払う。
ボールが青年の足元をえぐり、再び高く跳ね上がった。
「……クソッ!」
青年は叫びながら後退し、スマッシュの体勢に入る。
額の汗が飛ぶ。
その渾身の一打に空気が裂けた。
だが平等院の体は、もうネット際にあった。
足運びが土を掘るように弾む。
重心を落とし、前脚を切り返しながら、彼は“突進”した。
青年のスマッシュが落ちる瞬間。
平等院は半身をひねり、上体をしならせて迎え撃つ。
打点は胸の前。
肩から腕へ。腕からラケットへ。全身の重みを叩きつける。
轟音。
ボールが咆哮するように、直線の弾道でコートを貫いた。
土が舞い、視界が赤く染まる。
誰もが目で追えなかった。
球はフェンスの根元に突き刺り、止まっていた。
青年は、半歩遅れて振り抜こうとしたラケットを止める。
指は震えていた。
打球の余韻が掌の中でまだ鳴っている。
平等院は、呼吸を整えながら前に進んだ。
土の上に深い足跡を残し、そのまま青年の前で止まる。
「……立て」
短く吐き捨てるように言う。
青年は歯を食いしばり、膝を押し上げる。
視線の先で平等院の影が揺らめく。
闘いの淵でまだ動くその
平等院は中央に立ったまま、ラケットを地に突いた。
生き延びた、という一点だけで形を保っているかのような姿。
その視線の先。少し離れた石壁には、古びたポスターが貼られていた。
日に焼けて色褪せたそれには、ひとりの闘士が牛の影に向かう姿が描かれている。
平等院は歩み寄り、手の甲でその埃を払った。
剥がれかけた文字の輪郭が現れる。
“El Toreo”
この国で、命を賭して闘う者たちの象徴。
紙の端をなぞると、ざらついた質感が指先に触れる。
やがて平等院はその紙を静かに剥がし、そして裂いた。
無言のまま、破片だけが散っていく。
闘士の名はここで終わった。
だがその名を越えるものが、確かに彼の中に刻まれた。
神に選ばれた闘士ではなく、神をも沈黙させる生の衝動。
***
村外れの宿に戻る道すがら、誰も言葉を発さなかった。
街灯はまばらに散り、遠くで犬が吠えている。
先頭を行く平等院は、ラケットを肩に担いだまま前だけを見ていた。
歩幅は一定。呼吸は乱れない。
だがその背の奥には何かが残っていた。
まるで、あの死合の先をまだ求めているかのように。
かける言葉が見つからなかった。
自分の呼吸が妙に浅いことに気づいて、唇を結ぶ。
土を踏み割る音と、血のように焼けた夕陽。
そして吠えるように叩きつけられた一撃。
頭の奥で、その断片が繰り返し再生される。
(……人は、本能だけであそこまで辿り着けるの?)
理性を捨てた、とは思わなかった。
むしろ、その向こう側にある別の力だ。
――生き延びるために、殺す。
――勝つために、壊す。
最も単純で、最も残酷な、儀式という名の“生”そのもの。
胸のどこかがそれを覚えている。
恐れと恍惚が混ざって、体の奥で同じリズムを刻んでいた時の。
かつて、自分も
宿に着くと、静寂が一気に広がった。
扉の軋む音すら異様に響いた。
デュークは何も言わずにシャワー室へ消える。
砂を洗い流す音が、どこか遠い雷鳴のように聞こえた。
椅子に腰を下ろし水筒を傾ける。
喉を通る冷たさが、熱を鎮めるどころか、かえって胸の奥をざわつかせた。
ふと顔を上げる。
窓辺に立つ平等院が、月明かりを背にしていた。
背中の筋肉がわずかに動き、呼吸とともに肩の影が揺れる。
光に濡れたその横顔には、戦いの名残がまだ宿っていた。
「もう休んだほうがいいわ」
自分の声なのに、どこか他人のもののように感じる。
柔らかく言おうとしたが、音は途中で崩れた。
平等院は振り向かない。
月の方を見たまま、唇がわずかに動く。
「……血が騒いで眠れねぇ」
外の風がガラスを叩き、音が体の奥に沈んでいく。
言葉が喉の奥で止まる。恐れではなかった。
近すぎる共鳴。
かつて自分の奥にもあった、あのざらつき。
試合前夜の、誰にも触れられたくないあの異常な静けさ。
「……まるで本物の闘牛ね」
冗談めかして投げた言葉なのに、どこか祈るように出ていた。
「いや、」
その一言が夜気を裂く。
静かに、鋭く。
「闘牛は殺されるかもしれないが、俺は違う。殺される運命を殺すために走る」
その目は熱を失わないまま固まったように、静かで、危うい。
(闘うために生きるのではなく、“生きること”が、闘いそのもの――)
その思考が生まれるより先に、呼吸が苦しくなった。
月光の中の平等院が、過去と重なりかける。
恐ろしくて、でも目を逸らせない。
あの衝動はもう自分のものではないのに、身体がそれを覚えている。
「……あなたってほんと、手がかかる」
口にした瞬間、言葉は自分の意図を裏切った。
呆れたはずだったのに、音の端に少しだけ熱が滲む。
平等院の口元がわずかに動く。
笑った、と一瞬思った。
けれど次の瞬間、その像が溶けた。
残ったものは疲労か、あるいはまだ燃えている何かなのか、見分けがつかなかった。
その曖昧さが妙に生々しかった。
シャワーの音が途切れながら続いていた。
しばらくして、水の勢いが弱まっていく。
床を伝う音が細くなり、最後の一滴がタイルを叩いた。
音が消え、静けさが返ってくるはずだった。
けれど耳の奥では、まだ水が落ち続けていた。
私はその余韻の中で、ただ呼吸の数を追っていた。
洗い流されるものなどどこにもなく、何かがまた始まりかけている。
次の闘いがどこで待っているのかは、まだわからない。
けれどその始まりの音は、もう体の奥で続いていた。