ヒエロクック・アルカフルールには人間の記憶があった。
動物の様子を取り込んだインベーダーがその仕草を自然とするように、人間の特徴を多く取り込んだヒエロクックは、何かの記憶を有していた。
だから、初めは分からなかった。
混濁する記憶に自我が不安定になった。
昨日まで自分は小学三年生で、今日もいつものように侵略をしに来たはずだ。
だから今日は、早く殺して、魔法少女の配信を見なければ……。
あれ?
二つが混ざった思考は自分にすらよくわからない。
どちらの記憶が主たる物かはあいまいで、強いて言うなら波の様なものがあった。
どちらかが、強くどちらかが弱くなるタイミングが。
始めに目を覚ました時、意識の多くは■■■と言う人物が大半を占めていた。
昨日まで、小学校に通っていたはずだった。
それなのに、工事現場みたいな場所に居て、水溜まりの反射したそこに写ったのは自分の顔ではなかった。
いや、順当に成長すればこうなるだろう。
だけれど、記憶のおおもとは小学三年生の意識が強くて、それとわずかに乖離した中学生くらいの外見は、少女を戸惑わせるには十分だった。
そして、混乱のおり、自身が囲まれていることに気付く。
いや、意識が曖昧なだけで今丁度囲まれたのかもしれない。
とにかく、とびとびの意識は状況の把握に努めるには酷く頼りなかった。
「動くな!」
武器を向けられて、そう叫ばれた。
まだ何もしていないのに、向けられる目は憎悪の色を見せていた。
それが当方もなく怖かった。
いや、気持ち悪かった。
まるで自分が人殺しをしたかのような視線。
自分の正義を押し付けて糾弾する気持ち悪い姿勢。
それに対する苛立ちよりも、不安に駆られた。
二つの意識が別々の感情を出力する。
少女の意識は、弁明に向かった。
向けられる敵意を収めてもらうために。
「お前ら、誰に武器を向けているかわかってんのか?」
だけど、内なるインベーダーの意識はそれを許さなかった。
不幸なことに波は少女には向いていなかった。
時間が経つについて意識の境界は曖昧になっていった。
それでも、■■■には知らない場所で、知らない人たちに敵意を向けられることは怖かった。
早く家に帰りたかった。
早く家に帰って、いつものように魔法少女の配信が見たい。
おかーさんは、その様子を見て心配そうな顔をするけれど、眠って起きたら次の日になって学校に行って……。
学校は少し行きたくないから、でも、出来るだけ頑張ろう。
そうすれば、きっと……。
「要求だ」
ああ、なんだっけ。
早くしなければならないことがあった気がする。
センセーがおかーさんに説得するように何度も言っていた。
高校生になれば普通学級にしか入れないから、今のうちに……あれ?
いや、この侵略予定地を……だったかな。
わからないけど。
「──魔法少女の配信が見たい」
気を強く張らないと。
そうしなければ、多分殺されてしまう。
時々、意識がはっきりとしてくるけれど、それ以外の時と同じようにしなければ。
侵略期には期限がある。
ピークを過ぎたあたりで世界強度は段々と減少する。
その時に、力を保ったままでは、世界が壊れてしまう。
侵略予定のこの地を壊すことはできない。
同様に、ライブも現地で見たかったが範囲外へと出てしまうから出来ないか。
ああ、
「ちっ」
ああくそ。
ムカつくことも多いが、この坂本と言う男は使いやすい。
変なところにこだわりがあるが、他の奴は自制心があり過ぎる。
「ライブいきてぇな」
オンラインライブは味気ない。
直接空霜を見たい。
いっそここを壊しても……。
直接ライブを見たい。
「私がヒエロに協力しましょう」
意図的なエネルギーの発露だった。
苛立ちと、我慢ならない気持ちのままにここを抜け出そうと企てていた。
だが、監視のためのマイクが機能しなくなった後、坂本はそう言った。
◆
坂本は誰よりも近くでヒエロクックを見ていた。
彼には、委員会を揺るがすインベーダーがただの少女に見えていた。
感情にブレーキが効かず、時々裏返ったように理性で動く。
元来持ち合わせる横暴さと幼稚さが色を見せた。
インベーダーでありながら魔法少女の配信を好んだ。
戦略的に魔法少女の情報を入手するためでなく、ただヒエロクックの趣向はそちらに向いていた。
最初は、憎悪すら向けていた。
坂本も委員会に勤める身、少なからずインベーダーには思うところがあった。
仕事にするにあたって個人的に調べることも多かったし、何より研修では散々インベーダーについて知ることとなる。
悪逆非道の限りを尽くし、大人たちでは対応することのできないそれらを年端もいかない少女に託す。
これほどまでにやるせないこともない。
悔しかった。
だから、委員会に入った。
だけれど、何より坂本の中心にあるものがあった。
それが、魔法少女空霜の存在だ。
彼女の配信や歌を通して坂本は日々の疲れを癒していた。
元々、交通事故で無くなってしまった年の離れた妹が好きだったものだ。
その影響で一緒に見ていて、亡くなった後もどこか妹のことを感じるために見ていたのかもしれない。
だが、それは、ヒエロクックによって邪魔をされた。
ヒエロクックが現れたことにより、厳戒態勢での監視が続けられて現場に向かうことになった坂本は、酷くプライベートの時間を削られて、思うように配信を見ることが出来なかった。
ヒエロクックは、魔法少女空霜に興味を抱いているようで少し親近感も沸いたが、同時にインベーダーに目を付けられたことも意味していて、不安もあった。
極めつけは、自身が苦労して手に入れた限定グッズが強制的にヒエロクックの物へと行ってしまったこと。
酷く憎悪の念を抱いた。
ヒエロクックはつい最近空霜を見るようになった。
それに、興味の移り変わりが激しいところをまじかで見ていたため、ちょっと興味を持った程度の相手に宝物が渡ることを余計に不快に感じた。
だが、それでも、時間が経って、ヒエロクックは本当に好きで魔法少女の配信を見ていることが分かって来た。
一過性の消費ではなく、心からの物であると。
そして、それ以上に坂本にはますますヒエロクックがただの少女に見えてきていた。
だから、ヒエロクックが秘密を吐露した時は、協力を申し出た。
ヒエロクックの話を聞いても、すでに二つの自我は極めて干渉しあって同一化しているように見えた。
インベーダーとしての意識が少女の意識を食い殺し、強いライブに行きたかったと言う思いだけが影響を与えていた。
坂本は協力することにした。
すでにどこかで、妹と重なっていたのかもしれない。
妹に喜んでもらうために必死で手に入れた限定グッズを抱えたヒエロクックを見て、不快感は消え失せていた。
ついぞ結局渡すことが出来なかったそれを渡せたような気がした。
しんとするビルの応接室で、派手に煙をあげる瓦礫を見た。
作戦は実行されたのだろう。
ヒエロクックがここ数日収容されていた建物は何かに両断されるように壁ごと削られていた。
魔法少女には詳しい坂本は即座に赤鞘の仕業であると予想を付けた。
今回の世界強度との塩梅と、作戦適任者は彼女だけだろう。
恐らく端から疑われていたこと、加えて情報を出来るだけ秘匿するために世界強度の正確なピークは坂本には伝えられていなかった。
それを知るのは、ヒエロクック対策会議の面々と、実行役である魔法少女が精々と言ったところだろうか。
そして、自身に伝えられた作戦概要もブラフ。
正直なところ、坂本には作戦内容の正確なところは関係がなかったが、予想通り自身が疑われていてヒエロクックに情報が流れることを危惧した彼方側がそれを逆手にとろうと考えていたのだと言うことだろう。
応接室内部には、カメラが設置されているが、人はいない。
内線で話があると呼び出され待つように言われていたことを考えれば、監視をあからさまに着けて警戒されないためだろう。
とは言え、ドアの向こうには最低二人は見張り役がいるはずだろうと言うのは想像がついた。
すでに、自分はインベーダーに協力したことが確定して、上からの命令が来れば監視役が入室して捕らえられるだろう。
「ああ、そうだ」
不意に坂本は思い出したように声を洩らした。
自分が拘束される前にしておかないことがあった。
取り出したスマホを耳に当たる。
──ああ、母さん?
──そうだけどって、アンタいきなり電話してどうしたの?
電話をした先は実家だった。
夕飯を作っているのだろうか、背後でぐつぐつとなる鍋の音がした。
──母さんあのさ……。
──長い話?ちょっと待って鍋止めて来るから。
──いいよ。すぐ終わる。
──いいから、ちょっと待ってて。
電話口から離れようとする母親に待ったをかけるも、電話口から気配が離れた。
数秒もせずに気配が戻るのを感じて口を開く。
──俺、今の仕事辞めてさ。家継いでもいいかな?
──継ぐって、あんなにお父さんに言われて、それでも家出たのに……。
家を出たのはほんの少し前。
妹がなくなって、委員会に入るためにすべてを放り出して東京へ来た。
──なんていうか……。ちょっとやらかして、クビになりそうって言うか。
──ちょっと、何したのよ?
──詳しくは言えない。
──守秘義務ってやつね。……はあ、分かったわよ。取りあえずお父さんに伝えといてあげる。
──助かる。
委員会の仕事内容については言えないことも多い。
こと今回のヒエロクックに関しては完全に秘匿事項だった。
──でも、自分からもちゃんと言いなさいよ。お父さんもアンタの事嫌いなわけじゃないから、きっと許してくれるわよ。
──うん。あと……。
──まだあるの?
──多分帰るのが少し遅くなるだろうから。それだけ。……お盆には間に合わなそうだから。
──さえちゃんはお兄ちゃんのこと好きだったから少しくらい過ぎても怒ったりしないわよ。
そして、最後に言葉を続けた。
──あと、迷惑かけた人にはしっかり謝りなさい。誠心誠意謝ればきっと許してくれる。そしたら、帰って来なさい。あなたの好物作っとくから。
電話は切れる。
応接室に人が入って来た。
きっと指示が届いたのだろう。
「坂本、ごめんなさいじゃ済まねぇぞ」