魔法「空位」は波紋を広げる。
魔法少女零の魔法にして周囲の探知に優れたこの能力は、非変身状態で使用した場合の効果は大幅に減少する。
その時々のパフォーマンスによってブレは存在するが、平均して5m。
今座っているボックス席のテーブルとイスは両方合わせても目算で90cmから120cmと言ったところだろう。
「空位」の中心はそれよりも対象に近いと考えれば更に距離は狭まる。
だが、そんなことを考慮せずとも十二分に効果範囲は設定されていた。
とは言え、今回の「空位」は非変身状態での発動以外にも通常と異なる点が存在する。
本来「空位」は地面に水滴を落とすことで効果が発揮される。
そして、その効果適応範囲内でかつ水滴の設置面の延長線上に触れている必要がある。
つまり、跳躍等で躱されれば効果を適応できないと言うことだ。
そして、今回の場合、「空位」が発動されたのは高さ約70cmのテーブルの上。
となれば、本来水滴を中心とした延長線上にて発動するはずの「空位」の適応範囲はテーブルの天板上に限られてしまう。能力の条件を考えれば、天板上に対象者が触れている必要がある。
だが、雫にはそれを打開するだけの考えがあったがために発動をしていた。
彼女は本来の「空位」の条件を敢えて制限することで条件を無理やりに変えていた。
彼女が抑えたのは本来の「空位」によって得られる情報の大部分。
人間で考えれば「空位」は範囲条件内で設置面に身体を付けていること。
つまり、脚を地面につけている相手に対しては、設置面だけの情報ではなく、足先から頭のてっぺんまでの情報を得ることができる。
「空位」発動時の純粋な位置情報、魔力の流れ、体勢などだ。
そう言った情報の一切を雫はそぎ落とした。
これにより、「空位」の波紋をテーブルの天板より外へと届かせる。
本来物体の表面を這うはずの波紋は、まるで天板の先にも地面が続いているかのように何もない場所に揺れを広げる。
だが、その結果得られるのは精々位置情報。
ほんの1mmにもならない波紋の通過する存在しない水面に存在する異物の感覚だけを取得する。
そこに人と分かるだけの情報はない。
だが、厚みと幅から人だと推測するのは簡単。
同時に椅子やテーブルと言う物体の位置情報も取得する。
「空位」を発動した目的はこれで十分になされることになる。
狙いは只、正確な相手との距離と攻撃を受ける可能性を考えて周囲の物の配置を見るため。
この衆人環視の状態でもコフィンの動向に警戒している故がこそだった。
だが、だ。
すでにこの場に来たときには、手遅れであったのだろう。
そんなことにやっと気づいた。
「……っ」
「空位」は半径5mの情報の取得。
そして、今回の発動にあっても例外的な使用方法とは言え、それは変わらない。
だからこそ、気付いたのだ。
自身の背後の存在に。
「空位」によって探知したのは三つの影。
そして、それぞれ一見ただの客としてこの場に居た。
だが、雫の魔法には分かってしまう。
その三つの影がこちらに意識を向けていることに。
普通は分からないだろう。
だが、視覚情報以上に「空位」は対象の身体を這うように波紋を伸ばす。
そして、ほんのわずかだ。
警戒して普段から意識を割いている雫だからこそ分かることだろう。
手練れだ。
そして、店内の反射を利用して後方を見る。
見覚えのある顔だ。
かつて秘密混成部隊の自分たちに他に個体の情報を流すことで協力者として顔を合わせていた女。
(死神の子……と、すると他二人もか)
背を向ける二つは分からないが、顔を確認できる少女は雫の知るものだった。
始めから、嵌められていたと言うことにやっと雫は気付いた。
背中を取られていると言う事、そのうえで未だ自分が無事であると言うことは完全に主導権を奪われていることに他ならない。
だが、あれだけ警戒していた自分が何故気付けなかったのか。
理由は単純なモノだろう。
雫を尾行していたわけではなかったから。
正確に言えば、死神の子たちがつけていたのは、魔法少女コフィン自身。
本来であれば、尾行に気付けるだけの能力があれば、警戒されるだろう。
だが、コフィンが自ら敢えて正体を現して自身を認識させることで、雫の意識をコフィンへと誘導する。
加えて、危機感を感じた雫が、自身を狙うものを警戒するように仕向けることで、敢えてコフィンが死神の子たちに自分を尾行させれば、雫はそれに気づくことができない。
ファミレスには、自分自身の意思で入り、尚且つここから無数の選択肢と打開方法を雫が頭に巡らせようとも、実際にはコフィンによってすべてが塞がれていたと言うわけだ。
◆
死神の子には極めて魔眼に近い目が備わる。
起源は全く異なるが、通常の魔眼に似ているもので、中でも死神の子の内の一人ティナは音に関連する魔眼を所有していた。
効果は条件に合致した任意の対象者の認知できる音を加工することができると言うもの。
意識外にあり始めから対象者が意識を向けている音でなければ極めて消音に近い状態することが出来たり、限度はあるが音を倍増させて認知させたりすることができる。
そんな彼女の能力は死神の子の間で密会をするときなど特に重宝される。
目的は会話内容を秘匿すること。
だが、周囲にいる人間すべてにティナの能力を使い、会話を知覚できなくなるほどの効果を及ぼすことはできない。
それ故に、取る方法は三人それぞれが敢えて曖昧な発音で話すことで外の物には会話を聞き取れないようにしつつ、三者間では補正することで会話を成立させると言うものだ。
「はぁ、その目通常状態で使う事出来ないの?」
だが、そんな中ヒナリがそんな声を洩らすのは、今の水準で能力を使用するために死神の子の力を解放しなければならないためであった。
魔法少女で言うところの変身。
だが、相反するインベーダー因子によってなされるそれは、通常の魔法少女の変身を阻害する。
故に、この状態でも、服が変わることも髪色が変わることもない。
だが、それでも注視するものがそれを看破できるだけの力を持っていれば、一般人と考えることはないだろう。
よって、ティナは認識阻害を発動し、そんな怪しい人物と一緒に居ることを不審がられないように他二人も認識阻害をかけていた。
そんな事情が背景にあってヒナリは文句を洩らしたのだった。
「普段は、通常状態でも十分ですけど、今回に限ってはそれは出来ませんね」
ティナの視線の先には、魔法少女零である雫がいた。
「普段はあれでも事足りてますけど、警戒している手練れの側で手は抜けませんよ」
「中滝のアホ」
「はぁ!?」
「水戸守キックして」
ヒナリに毒を吐いて、ティナに能力の対象の除外を指示した。
「はぁ……」
ティナはため息をついて、ヒナリを対象からはずした。
「キックなんてないでしょ」
「中滝の声聞こえませーん」
「聞こえないのはこっちだし。てか、喋り方キモイんだよ。歯抜けてんのかよ?」
「抜けてないし!会話聞えないようにやったらこうなるの!」
「だから聞えないし。声がブリブリしてんだよ!」
「してない!」
「はぁ」
ティナはため息をついて、能力の対象にヒナリを再度入れる。
三人は、ヒナリとキイナは言いあいながら、それをティナが冷めた目で見る。
そんな関係にある彼女たちが、態々ファミレスで同じテーブルを囲んでいるのは些か不自然なことであった。
インベーダーの呪いによって死神の子としての活動をしていた時ならばいざ知らず、比果比五子を目的としてカフェに入り浸るときでもなければ集まりはしない。
だが、それでも三人が一堂に会するだけの理由があれば話は違った。
正確なところを言えば、成り行きではあったのだが。
「まさか、アンタたちがストーキングしていたとはね……。いくら比五子ちゃんが好きだからってモラルに欠けるよね」
「はぁ?ストーキングしてたのはアンタたちでしょ。こそこそ電柱に隠れてキモイのよ。クネクネと発情して……」
「まあまあ。お二人とも落ち着いてください。チャンスのない貴方たちが焦って犯罪に手を染めて捕まるのは勝手ですけれど、私を一緒にしないでください」
「はぁ!?」と二人ににらまれるもティナはどこ吹く風だ。
「比五子さんは、私のことを皆に自分の物だと宣言したのは知ってるでしょう?」
「してねぇよ。カス」
「人より背が高いから、変な電波でも受信したの?」
ティナが一時、寝返るような真似をしてから暫く、彼女らの関係はすでに通常運転に戻っていた。
しかし、彼女らがこの場に集っているのだからただ仲良く会話をすることが本題ではなかった。
「……ですが、今は言い合っている場合ではないですね」
そう言って、ティナが視線を向ける先に居るのは一人の少女だった。
小柄な少女で、特徴的な白髪が印象的だ。
そして、比果比五子と一緒に行動を共にして、ファミレスに入店した。
「恐らくあれは魔法少女零。比五子ちゃんと交友があるとは思えないけど」
「でも、比五子ちゃんから声をかけてここに来た」
「話しかけるだけの理由が彼女にはある」
無数の可能性。
まず考えられるのは秘密混成部隊がらみ。
だが、今の比五子が態々直接接触してまで行動するほどの動機はないだろう。
今は認識阻害をかけた状態での接触。それを考えれば、その条件を揃えなければ出来ないこと。
「……ナンパ」
ティナが洩らした。
その言葉にヒナリとキイナはぎょろりと目を動かした。
「ハ、ハハ。まさか」
「こんな時に冗談はやめてよ」
二人の声はわずかに震えていた。
「無いって言い切れる?」
無言だった。
だが、二人は遅れて口を開く。
「比五子ちゃんはそんなことしない!私がくっついても全然反応ないし」
「そうだよ。比五子ちゃん結構……なんていうか控えめだし」
「それは、お二人に対してだから、そう考えることはできませんか?」
比果比五子がそんな行為をすると想像は出来なかった。
出来ない。と言うよりは、そこまで他人にそういった意味での興味を示さなそうと思ったのだ。
それは、常々行われるボディタッチから何やらとアプローチをしても、態々反応を見せることがないためだ。
しかしだ。
もし、それが他の人間。例えば比五子の眼前に座る魔法少女零である人物が行った場合、比五子は同じくあまり反応を見せないのだろうか。
断言は、出来なかった。
嫌な感覚が背筋を這う。
かつて知った絶望に匹敵しそうなほどの感覚だった。
だが、ティナの懸念に誰かが何かを言う前に三人の耳には比五子の声が届いた。
「魔法少女朝桜について知っているか?」
それは、比五子が魔法少女零を目的にして彼女に話しかけていなかったことを証明していた。