襲ってきた相手の顔に、傷を付けたという。
無我夢中で暴れまわった時に、その爪が顔に薄く傷を作った。
一週間もすれば、注意深く見ないと分からなくなるぐらいの傷だが……それでも、それは確かな目印である。
しかし、それだけではまだ完全な確証には至らない。
だから、僕はクラスメイトの彼女に告げる。
もしも、あんたを襲った相手が本当に、学校に押しかけているやつらの仲間なら、今日もその中に紛れているかもしれない。
ちょうど、今日も朝っぱらから集まっているのは、確認している。
変なところで頭が回るのか、少人数では既に校門前に人だかりができている。
見間違いではなく、本当にそいつと思ったやつを指を差せ、見つけたら指を差せ、と。
暗がりで、顔を分からなかった、実際に分からないのであれば、それでいい。
ただ、それでもなお、こいつだと確信を持って言える相手が居たならば、そいつを指差せ、と。
僕は、ギリギリと斧を握りしめたまま告げる。
それだけで、彼女は察した。
一瞬ばかり、青ざめていた顔をさらに青ざめて……それでもなお、彼女は……ギュッと唇を噛みしめて、立ち上がった。
これから何をするのかとか、具体的に僕は何も言わなかったし、彼女も尋ねなかった。
でも、これから僕が何をしようとしていたのかは察して……周りも、言葉にしなくても察したようで……でも、誰も僕を止めようとはしなかった。
……そうして、僕は先導する彼女の後ろを付いていく。
僕の後ろに、レイダと愛の二人も付いてくる。
二人とも、僕を止めようとはしない。ただ、知らぬ存ぜぬで居るつもりはないのか、成り行きを見届けるつもりのようだ。
そして、クラスメイト達も……なんか知らないけど、ゾロゾロと後を付いてくる。
物見見物のつもりなのか、それとも加勢するつもりなのか……いまいち、分からない……けど、なんか強張った顔になっている。
……僕の視線が、自然と前を行くクラスメイトの彼女に向けられる。
彼女には、力が無い。
ただでさえ痩せ気味な身体に加えて、女子だ。同じ体格でも、男子より力が無いし、体力だって無い。
彼女には、やり返す力が無い。でも、それで何も思わないわけじゃない。
やり返せるのであれば、やり返したい。
それは、当然の事だ。
やったら、やり返される。
僕自身は、何もされていない。
でも、遠回しには、やられた。
向こうにその意図があろうがなかろうが、結果的にそうなった以上は、これはもう僕に売られた戦いも同じことなのだ。
「……小山内くん」
正面玄関の下駄箱を前にして、彼女は足を止め……僕の方へと振り返る。
「私のために、殺してくれるの?」
そして、彼女は初めて言葉にした。
「いや、僕のためだよ、君のためじゃない」
それを、僕は初めて言葉にして否定した。
そう、誰のためでもない、僕自身のためだ。
間違っても、誰かの責任にするつもりはない。
僕自身の意思で、僕自身の手で、僕自身の怒りを込めて、身勝手に刃を振るい落とすのだ。
「……小山内くん」
「なに?」
「私、家鳴智子《いえなり・ちこ》です」
「……? そう?」
「名前、知らないでしょ」
「うん、苗字は覚えていたけど、それが?」
そんな僕を見て、彼女は……何を思ったのか、ジッと僕を見つめた。
「終わったら、お礼にエッチします。小山内くんが、したいって言うなら」
「は?」
意味が分からず目を瞬かせる僕。
ぽかんと呆気に取られるレイダと愛。
クラスメイトも、突然のびっくり発言に、ぽかんと呆気に取られ……そんな中で、だ。
「ぶっ殺してくれたら、エッチします。いっぱいお〇〇ちん舐めますし、頑張ります。だから、絶対にぶっ殺してください」
さっきと同じく、いや、もっと具体的に内容を……いやいやいや、そうじゃない。
「……なんで?」
「そんなの、私に返せるお礼が自分の身体しかないからです」
なんで唐突に……って意味を込めて首を傾げれば、彼女は……家鳴は……澱んで今にも腐り落ちそうな、そんな冷たい眼差しで……玄関扉越しに、遠くの人だかりを睨んだ。
「警察なんて、頼りにならない」
「いざという時に動いてくれない警察なんて、もう信じない。ぐだぐだ屁理屈並べて、結局は何もしない自分たちを正当化するだけ」
「役所だって、そう」
「どれだけ訴えても、何もしてくれなかった。それなのに、コネがあるだけでその人たちは助けた……私たちよりもずっと良い暮らしをしていたのに」
「弁護士だって、そう」
「あいつらは、味方じゃない。傭兵といっしょ、法律を武器にお金を稼いでいるだけ、被害者の味方じゃない」
「大人だって、いっしょ」
「口では綺麗ごとを繰り返すけど、それは被害者を守るためじゃない。ただ、善人である自分をアピールしたいだけ」
「誰も、私を、私たちを、助けなかった……助けてくれたのは、友達だけ」
──でも、そう家鳴は言葉を続けた。
「小山内くんは、やり返そうとしてくれる」
先ほどまでドブ川の底の底みたいな気配がしていた眼差しが一転して、とても熱がこもっているような……そんな、爛々としたナニカがそこにはあった。
「それだけで、十分です」
「私、他の人たちよりも貧相な身体だって自覚あります」
「こんなやせっぽちな身体、うれしくないと思います」
「それでも、お礼をしたいんです」
「本当にしてほしかった事を、してくれた。それを、頼んでいないからだなんて話で済ませたら、私があいつらと同じになっちゃう」
「それだけは、嫌。それだけは、なりたくない」
「だから、お返しをしたいんです」
「でも、私にはお返しできることは何もないの」
「返せるのは、自分の身体だけ……だから、小山内くん」
静かに、それでいて、ジッと僕を見つめる、家鳴さんの視線を前に。
「終わったら、生でいっぱいしていいから……だから、絶対にぶち殺して」
「──あ、うん、まあ、善処します……」
そう答えるのが、その場では精一杯であった。
なお、後ろに控えているレイダと愛だけど。
『……なにあれ、武士?』
『思考が戦闘民族では?』
二人とも、ちょっと僕から距離を取っていた……う~ん、こいつら……。
……。
……。
…………まあ、それはそれとして、だ。
僕はもう、決めていた。
この場に、家鳴さんを襲ったやつが居たら問答無用。居なかったら、返答次第でヤルつもりでいた。
……話し合い?
話し合いの段階なんて、とっくに通り過ぎちゃっている。
いや、というか、初めから話し合いなんて出来るような事じゃなかったんだよね。
初めから、ルールがあった。
そのルールは、僕の意見で変えられるモノでもなかった。
どれだけ訴えたところで、僕には何も出来ない。だって、それをしたら、僕が死ぬわけだし。
言い換えたら、あいつらは僕に死ねって言っているんだ。
自分たちのために、僕に死ねって。
そういうつもりはないとか、そんな話じゃないし、そんなすっとぼけた言い訳を信じる気持ちには欠片もならない。
だったら、僕から死ねと中指を立ててやるだけだ。
あんたらば自分たちのために僕に死ねと要求するなら、周りを脅して死を強要するなら、それでもいい。
それならば、僕もあんたらに同じ要求をするだけだ。
まだ、そこまでしていない……なんて、そんな都合の良い言い訳を聞く気もない。
既に、あんたらが凶器を向けた。その凶器で、僕の周りを傷つけた……既に、戦争は始まっている、始めたのはあんたらだ。
自分たちは不意打ちも外道も行うけど、されるのは御免被る……そんな馬鹿な戯言に、耳を貸す理由なんて、僕にあるわけがなく。
「……小山内くん、あの、黒いニットの帽子を被って緑色のジャンパーを着た、左の頬から顎にかけて傷が付いている男が、そうです」
家鳴さんが、確信を持って断言し、指差した先に居た……自分のしたことなんて、もう終わった事だと言わんばかりに素知らぬ顔をしている、その顔面へ。
僕は──無言のままに、手斧をぶん投げた。
これまで、何千、何万回、もはや何度投げ続けてきたのか分からない僕の腕前は、もはやプロを名乗って良いレベルだと思う。
それは、我ながら惚れ惚れするぐらいに綺麗な放物線を描いて……気付いた男が、反射的に逃げようと──のけ反った、その動きを予測して、投げていたおかげで。
──ドッ、と。
想像していた通りに、想像していた軌道を描いて、深々と顔面へと食い込んで……一発で、即死させたのが遠目にも分かった。
その瞬間……直前まで騒いでいたやつら全員が、一斉に黙った。
今、傍で何が起こったのか分からない……そんな様子で、彼ら彼女らは茫然と……仰向けに倒れ、ビクンビクンと四肢を痙攣させながら、顔面から血を噴き出している……ソレを見て。
「──動いたら、殺す!! 逃げたら殺す!!」
そいつらが我に返って動き出す前に、僕は手斧を新たに出現させ、それを見せびらかすように掲げて──忠告した。
「──次に余計なちょっかい掛けてきたら殺す!!」
その言葉と同時に、投げる──手斧は、ドスッと別の男へ突き刺さって、血飛沫があがった。
狙った相手は、家鳴さんを襲ったやつの内の一人だ。
そして、それでようやく襲った者たちは僕の意図に気付いた──が、その時にはもう、彼らの顔面に、あるいは胸元に突き刺さっていて、彼らは悲鳴一つあげる間もなく絶命した。
ここでようやく、反射的に2,3人が逃げ出そうとした──既に投げていた手斧が、そいつらの背中に刺さって、そいつらはそのまま転んで動かなくなった。
と、同時に、もう反対側へと投げていた手斧が、叫んでいたおばさんの太ももに食い込んだ。ぎゃー、と悲鳴が上がったが、誰もその人の下へ駆けつけようとはしなかった。
「ひ、人殺しだ──!!!」
悲鳴をあげた──そいつへと放った斧が、寸分の狂い無く顔面を割って、即死させた。
ここで、ようやく僕が本気で殺しにきていると悟ったのだろう……が、もう遅いのだ。
パニックになって背を向けた──その背中に投げつけた斧が、例外なく食い込む。中には、逆に向かって来ようとした者もいたけど、そいつらは例外なく殺す。
伊達に、ダンジョン内で投げまくっているわけではない。お遊びではない、命がけの中で磨いた技術だ。
それに、言うてはなんだけど……こいつらの動きは、けして速くはない。
元々、年齢層が高いのだ。
全員が、けして栄養状態が良いわけではない。いきなり全力で逃げ出そうとしても、頭と体の動きが一致しない。
そもそも、こいつらが高をくくっていたのだ。
せいぜい、殴り合いになる程度だと、一方的に。いざとなれば、数で押し切れると妄信していた。
だから、いきなり殺されるという現実を前に、誰も彼もが混乱し──ある者はしりもちをついて、ある者は逃げようとして足を捻り、ある者は転んで怪我をして動けなくなった。
──だが、それがどうした?
仮に家鳴さんが泣いて許しを願っても、こいつらは許したか?
こちらが、ダンジョンのルールだからと告げたら、そこでこいつらは謝罪して離れたか?
一線の基準は、片方にあるわけじゃない。
お互いが独自に一線の基準を持っていて、どちらかが超えた時点で終わり……こいつらは、自分たちの基準が絶対的に正しいと思って行動した。
そう思うのは、自由だ。
でも、そう思わないのも自由だ。
僕が許さないから、それだけ。
どちらかが加害者だとか、被害者だとか、どうでもいい。
僕がお前たちを許さない、殺さねばいずれ僕が何らかの形で死にかねない……だから、僕は全力で自分を守るために命を奪う。
「──いいか? 今から放課後までに、ここに転がっている死体を片付けておけ。一体でも残したなら、覚悟しておけ」
そう、僕は僕のために、ただそれだけのことなのだ。
※ 次回、警察視点かな?
ほぼ100%頭抱える案件、警察の胃は死ぬ……