突発的に百鬼夜行へ赴いた翌日、私はミレニアムへと足を運んでいた。
昨日の内に早瀬ユウカに面会したいと連絡したところ、明け方頃に入校許可証のみが返事として返ってきていた。彼女がどう考えているのかは、私にはわからない。
私は早瀬ユウカの能力を高く評価している。それは紛れもない事実だ。彼女の能力に助けられたことは数多くあるし、またキヴォトスにおいて屈指の人格者でもあることだろう。
しかし、それ故に彼女との関係を修復する『必要がある』という考え方は、私の中で何故か受け入れがたいものとなっていた。そしてそれが実際のところ、何なのか、という答えには未だ至っていなかった。それでも、あれ以来私なりに考えた私の問題点、それに一定の答えを出すことが出来たのだ。
かつて早瀬ユウカに案内されて入室した、セミナー役員たちの部室にたどり着いた。ノックをすると、程なく扉が開かれた。
「はーい……あら?」
扉から顔を出したのは、早瀬ユウカではなく、生塩ノアだった。
彼女は私の顔を見るなり、少しだけ不満そうな顔をしたが、すぐにそれを笑顔で覆い隠した。そして、私が用件を告げる前に、部屋の中に向かって
「ユウカちゃん。私は少し、新素材開発部の方に行ってきますので、留守番よろしくお願いしますね!」
と言った。
「……分かった」
室内から微かな声が聞こえた。早瀬ユウカは、中にいるらしい。
「……ユウカちゃん、ノックの音も聞こえていなかったみたいです。直接話しかけたら流石に気付くと思いますけど。……私が戻ってきたときには、いつものユウカちゃんに戻っていることを願っています」
生塩ノアはそう言って小さくお辞儀をし、去っていった。早瀬ユウカの同僚である彼女にとって、私はかなり迷惑な存在だろう。早瀬ユウカの性格を考えるとセミナーの仕事をおろそかにしていたとは到底思えないが、そうなると余計に、私は早瀬ユウカに負担をかける存在として映っていたのではないだろうか。
何にせよ、今は目の前のことに集中しよう。生塩ノアと入れ替わりで部屋に入った私は、早瀬ユウカが作業している元へ向かった。彼女がこうして机に向かっている様子は、見慣れたものであったが久しぶりのように感じた。机の傍らには、あの日彼女が持ち帰ったシャーレの臨時職員証が置かれていた。
話しかけるため口を開こうとしたとき、ふとこちらを見上げた早瀬ユウカと目が合った。
「…………先生? どうしてここに?」
彼女が尋ねる。多少の動揺は見られるものの、そこまでおかしな態度ではない。しかしそれは、表面上は、という話だ。
「入校手続きをお願いしたときにお伝えした通り、ユウカさんに会いに来たのです」
返信が無言だったのもそうだが、この反応は些か気になった。
「入校手続き……? あ……あれ、夢じゃ……あ、あはは、すみません、私、寝ぼけてたみたいで……あ、あの……ごめんなさい」
謝りに来たはずが、逆に謝られてしまう。あの時からこういった様子が続いていたのだとすれば、才羽モモイが私に追及したのも、先ほどの生塩ノアの反応の理由もよく分かった。
「……ユウカさん、私が貴女に謝られることなど何もありません。寧ろ私は、ユウカさんへの謝罪のために訪問したのです」
「え……? どうしてですか? 先生はあの時も謝ってくださいました。それで逃げ出したのは私なのに……」
「あれで解決した、等とは思っていません。それに……その様子だと、最近あまり眠れていないのではありませんか?」
先ほどの反応と、明け方頃の返事は、夢と現実の区別が曖昧になっていたからではないだろうか。そして彼女の顔には疲労が色濃く出ていた。シャーレに来なくなった後にそうなったのだとしたら、その原因は多忙によるものではないだろう。
「……そういうの、先生はすぐにわかっちゃうんですね……眠れていないのも、先生のせいではないです。ただ私は……後悔していたんです」
「後悔……?」
早瀬ユウカから出てきた言葉を、私は考えていなかった。私に対する怒りか、あるいは気まずさのようなものを感じている、というような感情を持っていることを、私は予想していたのだ。
「はい……」
「何に対して、かは聞いても?」
「……色々なことです。最初は、言い方が悪かったな、とか職員証持って帰っちゃったから返しに行かないと、ってことだったんですけど。……眠れないから、いっぱい考えられたんです。先生は、私の事を思って黙っていたんだろう、とか……冷静に考えると、私が悪いことばかりだったんです」
「ユウカさん、それは……」
彼女は、自分が言うようには冷静に考えられていないし、彼女の中で睡眠不足と考え事の因果も逆転してしまっていた。
「一日が過ぎると、今日も先生に謝れなかったなあ、とか。折角私を信用してお仕事を任せてくれるようになったのに……何をしてるんだろうって……」
「ユウカさん、聞いてください」
「ラブさんや他の子達にも……」
「ユウカさん!」
これほど声を張り上げたのはいつ以来だろうか。少なくとも生徒と1対1でこのようなことをした覚えがない。早瀬ユウカも驚いたのか、口を開いたままこちらを怯えたように見ていた。
「ユウカさんは、何も悪くありません。少し話を聞いていただけますか?」
「は……はい」
かなり、強引に話を遮ってしまったことに少し後悔もしていたが、やってしまった以上、続けるしかない。
「先ほど、私は謝罪しに来たといいましたが、内容は二つあるのです」
「二つ?」
「はい。一つは、もちろん先日のことです。私はユウカさんに危険は無かったなどと嘘をついていました。そして、事前にも同じようなことを言っていました。真剣にこちらの身を案じていたユウカさんに対して、不誠実でした。申し訳ありません」
彼女のためを思って、などではない。あれは、早瀬ユウカは知る必要のない事だ、と私が決めつけていただけに過ぎないのだ。
「……はい。でも、さっきも言いましたけどそれはもう……」
「それともう一つは、ユウカさんの信頼そのものに対する謝罪です」
「え?」
私が考えていた結論。それは私の思っていたよりもよほど深刻な物だったことには、先ほどようやく気付いたが、結論は変わらなかった。
「私は、ユウカさんが私の事を信頼していくれていることに気付いていたのです」
「はぁ……?」
私が何を言っているのか、分からない。あるいはそれがどうした、という感覚なのだろうか。早瀬ユウカは曖昧に相槌を打った。
「私は……はっきり言いましょう、私は悪人です。貴女達が悪事であると考えるだろう多くの事をやってきたという自覚があります。そして、それを後悔してすらいません。考え方は多少変わりましたが、以前の自分の考えが間違っていたなどと反省するつもりはないのです」
「……」
続く私の話を、早瀬ユウカは黙って聞いていた。その悪事の痕跡が現状殆ど見つからなかったとしても、私がやったことは変わらないし、後悔していないというのも本当のことだ。
「故に私は当初、貴女達生徒とは、利害関係でいようと考えていたのです。少なくとも当初、ユウカさんと懇意にしようと思ったのは、私にメリットがあるからでした」
ミレニアムの重要人物である彼女をきっかけに、ミレニアムの人脈を広げることが目的だった。少なくとも当初はそのつもりだった。
「故に、私はユウカさんからそれ以上に信頼されていることに気付かない振りをしていたのです。何故そうなったかは未だに分かっていませんが……」
小鳥遊ホシノや百合園セイアなど、私の別の顔を知る相手との付き合いは、多少他の意味を持っていたが、私は今までそれさえも誤魔化していた。
「厚意でやってくれていたことを臨時職員として正式にやってほしい、と言ったのも、ただの利害関係に戻したかった、という思惑が無かったとは言えません」
人の好意や信頼を利用する、などということは以前の自分なら容易に行えていただろう。少なくとも私がこの先生という立場になった当初も、そこまで難しいことではなかったはずだ。行動に制限がかけられているために、公然とそれを行うことはできなくなっていたが、この制限には多くの抜け道が存在していた。
しかしいつの間にか、早瀬ユウカや、他の何人達から感じている信頼を、利用することが難しくなっていた。利用できないどころか、受け取ってはいけないものだと感じるようにすらなっていた。罪悪感にも近いだろうか。
「嘘をついたこともそうです。私はユウカさんからの信頼を感じていながら、それに気づいていないかのように、都合の良い言葉を並べ立てたのです。そしてここに来るまで、私はその答えすら軽んじていたことに気付いていませんでした。ユウカさんがここまで思い詰めていると、考えてもいなかったのですから。……本当に、申し訳ありません」
頭を下げる。私が出来ることは、もうそれしか残っていなかった。
「…………面と向かって、よくそんなことが言えますね、先生」
暫く言葉を発さなかった早瀬ユウカの口から次に出てきた言葉は、そのようなものだった。
頭を下げたまま、続きを待つ。
「先生……私、今とっても……恥ずかしいです。顔を上げてください、先生。……私、今真っ赤になってませんか?」
「はい?」
思わず、顔を上げて彼女の顔を見てしまう。確かに言っているとおり、彼女は赤面しており、そして、何故か少し笑っていた。
「私がそんな……先生を信頼してることなんて、先生は全然気づいていないと思ってました。だってそれ、私が勝手に思ってて先生には理解できないことだと思ってましたから。だから、こっちの勝手で先生に怒ったり、泣いたりしたことに自己嫌悪してたのに……でも、気づいていたんだとしたら、確かにちょっと先生も酷かったような……むむ」
「……申し訳ありません」
「もう、いいです! 変なヒステリー女だと思われて無かったと知っただけで、ほっとしました」
「しかし……」
「私の信頼も心配も、先生が理解してくれていた、っていう事だけで満足です。だから、私は先生の謝罪を受け入れます」
「……」
これで終わりにしていいのだろうか。そう考えるが、それに気づいたのか早瀬ユウカはさらに続ける。
「というか、それ以上のことはできないんじゃないですか? 前に聞いた通り、先生はこの後も危険なことをやめるつもりは無いんですよね? 正直、すっごく嫌ですけど」
「それは……そうですね、必要であればそうするでしょう」
「ですよね? なので、もうこの話を続ける意味、無いと思います。先生はミレニアムの生徒ではないですし、私にはそれに文句を言う権利なんて無いって、分かってますから」
「……それでいいのですか?」
「き、か、な、い、でください! 本気で泣きますよ!? ……心配くらい、させてください。先生が誰で、どういう人なのかなんて関係ありませんから。強いて言えば、それだけです。後、せめて事後報告で嘘をつくのもやめてほしいです」
終わりにしようと言いながら彼女は怒り、そして小さな要求がいくつか零れてくる。私には彼女の想いがまだ分かりそうにもない。しかし、
「分かりました。ユウカさんがそういうなら、これで終わりにしましょう。改めて、この度は申し訳ありませんでした」
私はそう言って、百鬼夜行で購入したハラキリ・ヨウカンを取り出して渡した。本来最初に渡すべきだったのだが。
「え、何ですかこれ? お詫びの品? 開けてもいいですか?」
「勿論です。はい、実は昨日、百夜堂という百鬼夜行のお店で買ってきたのです」
早瀬ユウカは、私の言葉を聞きながら封を開け始める。中から変わった包装の和菓子が現れる。
「百鬼夜行ですか? そういえば昨日、コユキがお土産とか言ってセミナーにお菓子持ってきてたわね。……何ですか、これ? ハラキリ・ヨウカン?」
「謝罪の時に渡すと良いとアリスさんから聞いたのです」
「アリスちゃんから!? それで、あの子達連れて百鬼夜行まで行ったんですか? これを買いに!? あははは、本当に!?」
早瀬ユウカが、耐え切れない、というより声を上げて笑い出した。
「何か、おかしかったですか?」
「ふふふっ……先生って、やっぱりちょっと、変わってますよね! でも……ありがとうございます。……何か、涙が出てきました」
「……」
「ありがとうございます。これは後で、皆でいただきますね」
早瀬ユウカは、泣き笑いのような表情でそう言った。
―
「それでは、私はこれで失礼します」
「はい。お気をつけて」
その後、早瀬ユウカがシャーレに来なくなって以降の仕事状況などが知りたいということだったので、それらの話や雑談をし、私はセミナーの部室を後にした。彼女とはまたすぐに、シャーレで会う事になるだろう。
そしてゲーム開発部の部室に行き、改めて感謝と、花岡ユズと才羽ミドリへの土産を渡して、シャーレへと戻ったのだった。