プロローグ 狐坂ワカモ
深夜のシャーレ事務室内にて、私は初めて「先生」としてここに来た時のことを思い出していた。
あの日私は、このシャーレオフィスへと、何かに誘われるように単独で入り、そこで一人の生徒と遭遇した。
狐坂ワカモ。当然その存在については知っていたが、直接会うのは初めてのことだった。彼女がすぐに逃走してしまったため、少ししか話すことが出来なかったが、当時からその不自然さは感じていた。改めて、彼女との初遭遇時のことを思い出す。
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『──建物の地下で会いましょう』
状況の把握もままならない中、連邦生徒会の七神リンにシャーレオフィスの奪還作戦に参加させられ、偶然出くわした何人かの生徒と共に流されるように、作戦そのものはほぼ成功させることができた。
今のところ私の身に何が起こっているか、について分かっていることは、あまり多くない。
一つは、少なくとも私の意識としては時間を遡っている、ということ。丁度連邦生徒会長がいなくなり、『先生』が現れた頃に戻っているようだ。
そして、私がその『先生』であると誤解を受けており、かつ私にはそれを否定することが現状できないらしい、ということだ。与えられたのは立場だけであり、見た目や能力に関しては私自身のもののままである、というのは不幸中の幸いだろうか。
途中までは確かに存在していた、襲撃の首謀者である狐坂ワカモが今姿を見せていないのが多少気になるが、すぐにでも今関わっている不可避の作戦を終わらせて自身に降りかかったこの事態について調べたい。そう考え、私は一人、地下へと進むことにした。
そして私はすぐに後悔した。建物の地下、私が向かった先には既に侵入していた『災厄の狐』、狐坂ワカモが存在したのだ。
そこにたどり着き狐坂ワカモの姿を目視した際、私は引き返すか、身を隠す場所は無いかと咄嗟に考えた。しかし、いずれも間に合わず、気配に気付いた彼女は振り向き、私の方を見た。
「あら?」
仮面の生徒が、私を視界にとらえた。そして、その直後
「あ、あああああああああ!!? 」
突然、狐坂ワカモが頭を押さえて叫び始めた。
「……ああ、あなた様……」
そして、それが収まると恐らく私に対して何かを呟いたうえで。
「……はっ!? し、失礼しました!」
言いながら、恐らく侵入してきたのであろう通気口から、すぐに去ってしまった。
彼女の行動は全く持って意味不明であった。
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当時は自分の状況の確認と目の前の状況の対処に処理能力の殆ど費やしていた結果、狐坂ワカモの反応に気にかける余裕がなかったが、後から考えると、あの時の彼女の様子はおかしかった、ように思えた。思い返してみると、彼女は私のことを知っているような発言をしていたのだ。それがただの意味のない、支離滅裂な発言の可能性も無くはないが、私のことを一方的に知っていたとするなら、彼女は何かを知っている可能性がある。当初、私が残していた人物メモにもそのように書かれていた。
私がなぜ今になってそれを思い出しているのか。その理由は、ここのところ何件か連続してきている相談にあった。
それらの相談は、現場は様々だが、いずれも「狐坂ワカモ」を名乗る人物から襲撃されて被害を受けた、という点が共通していた。
通常であればヴァルキューレ警察学校に相談すべき内容であるだろうが、相手が相手だけにそう簡単な話でもないのだろう。それにしても、少なくとも私が今の立場になってから、というよりあの時彼女と会った後から、彼女の活動が確認した例は、少なくとも私は把握していなかった。それがここにきて急に活動が目立つようになったのは、どういった理由があるのだろうか。
ともかく、この相談が舞い込んできたことにより、私は狐坂ワカモのことを思い出すに至ったのだ。そして、その当時は存在しなかった、これについての意見を聞くのに最適な人物、いや、集団が身近に存在していることも思い出していた。彼女たちに話をしてみることにしよう。
「……成程、それで私たちに話を、ということですか」
翌日、シャーレ居住区の談話室。訓練場で行われていた教練が終わるのを待ち、FOX小隊に時間を取ってもらい、ここで話をすることになった。
「うげぇ……狐坂ワカモかぁ……」
姿勢悪く机に顎を載せた状態で高倉クルミが呻く。あまり良い印象は無いらしい。
「最近は何か大人しいって聞いてたんだけどね~また動き始めたんだ」
「大人しければ良い、というものではないわよ、オトギ。そもそも脱走犯なわけだし」
「脱走って何よー……大失態ってレベルじゃないわよ矯正局の連中は……」
飄々としている天神山オトギと対照的に、高倉クルミは不満を隠せない様子で愚痴を漏らす。聞けば、狐坂ワカモ達が脱走した当時、SRT特殊学園は既に実質的に休校状態となっており、動くことが出来なかったということらしい。一度その手で捕まえた彼女たちにとって、この事態には歯痒さを感じているのかもしれない。
「それで、先生。私たちに相談というのは、またワカモさんを捕縛しよう、ということでしょうか」
吉野ニコが広がりかけた話をまとめ、私に目的を尋ねる。
「いえ、今のところそこまで具体的には考えていません。最低でも証言を纏めて連邦生徒会とヴァルキューレに提出程度のことはしようと思っていますが、どれほど深くこの件に関わるかはまだ決めていません。皆さんにお聞きしたいのは……そうですね、彼女の人となりなどについてですかね」
私の返事に、場が一時沈黙する。
「……いやいや、私たち別にアイツのことよく知ってるとかじゃないわよ?」
高倉クルミが最初に返事をした。他の3人も頷いている。勿論、そこまでのことは期待していない。
「ええ、勿論そう思いますが。前に捕縛したときに思ったことや、あるいは少しでも会話されたのなら、その時のことなどを聞ければと思いまして」
私の返事に、再び4人が考えこむ。そして次に口を開いたのは吉野ニコだった。
「そうですね……『災厄の狐』という悪名から想像されるような粗暴さとは裏腹に、知略に優れている方、という印象です。目的のためにあらゆる手段を取るタイプで、その手段の幅が非常に広いともいえます」
「加えて、直接戦闘能力も高いです。実際にやりあった経験からすると……この間の作戦に参加していたホシノやミカ……それからトリニティの剣先ツルギやゲヘナの空崎ヒナのような例外的な強者を除けば、殆ど敵う者がいないと言えるレベルの実力者だと思います」
吉野ニコに続いて、七度ユキノが戦闘面での評価をする。
「会話はできるけど話が通じない奴、って印象だね。殆ど会話したことは無いけど」
「で、その能力フル活用して行うのが趣味の破壊工作ってんだから、本当最悪な奴であることは間違いないわ」
天神山オトギと高倉クルミもそれぞれの意見を出した。朧気ながら、人物像がつかめてきた。
「成程……ありがとうございます。ちなみに聞きますが、急に叫び出したり、支離滅裂な言動を行うといったことはありますか?」
「え? ……少なくとも、私たちが対峙したときにはそういった様子はありませんでしたね。もしそういう噂をお聞きになったんだとしたら、それは『災厄の狐』のことをよく知らない方が言い始めたものかもしれませんね」
吉野ニコが回答したそれはつまり、あの時の狐坂ワカモの様子は、彼女にとっても通常の状態では無かった、ということだ。であるなら、やはり、改めて彼女と会い、当時の行動の真意を確認する必要があるだろう。私は内心、この案件に関わることへの関心を高めた。
「……分かりました。とりあえずこの件についてどうするかはまた考えます。休憩に入るところお時間を作っていただき、ありがとうございました」
4人に礼を言い、談話室を後にする。
狐坂ワカモ。彼女に関わるこの一連の相談は、私にとっても、SRTの生徒たちにとっても、後に大きな影響を与えることになるのだった。