杠リツカへの聞き取りを終わらせた後、トリニティへと向かった。正確にはトリニティ自治区にあり、アリウスの生徒たちが多く入院している病院だ。そこに、梯スバルが入院している。
彼女が救護騎士団による診察を受けた時、下された判断は『
アリウスの生徒たちの中でさえ、彼女の入院に反対する者は1人もいなかったというのが彼女の状態を象徴していたと言えるだろう。
そのような中で、救護騎士団長の蒼森ミネ経由で、私に連絡があった。曰く、ベアトリーチェに着いて話したいことがある、という話だ。
どのような内容になるかは分からないが、いずれこちらからも話を聞くつもりではあったので、断るという考えはなかったが、入院の彼女にそのような話をさせていいのだろうか。
蒼森ミネに聞いたところ、話をしたいというのであれば、聞いてあげるのも良いだろう、という事なので、ありがたくスケジュールを設定させてもらったのだ。
──
受付をしていた救護騎士団の生徒に、梯スバルとの面会に来たと説明すると、苦笑いを浮かべて案内された。どういう意味なのか、というのは到着したときに分かった。個室だと聞いていたのが、妙に病室が賑やかだった。
「スバル先輩! お水飲みますか?」
「ありがとう。今飲んだところだから良いかな」
「先輩。またお話聞かせてほしい」
「勿論。どんな話がいい?」
「あ、あのっ、先輩は入院中なのであまりそういうのは……」
「良いんですよ。こうしている方が私の健康にとって良いと、ハナエさんも仰っていましたから」
梯スバルは多くの生徒に囲まれていた。救護騎士団の制服を着ている者も混ざっているが、概ねアリウス生だろう。よく懐かれている、と言った雰囲気だ。
「あっ、先生だ」
その中の1人が、私に気付いたようだ。
「え? あ……も、もうそんな時間だったんですね……」
梯スバルはその生徒の声で私の存在に気づいたらしく、こちらを見て赤面した。このような様子を見せるのが恥ずかしかったのだろうか。
「こほん。皆、すまない。先生と話をする約束をしていると言っていましたよね? その約束の時間になったので、少し先生と二人にしてもらっても良いですか?」
「はーい」
病室にいた生徒たちは、私と面識があるかどうかによって私へのリアクションは様々ではあったが、素直に病室を出ていくところは共通していた。
「……すみません、先生。妙なところをお見せしてしまって」
「いえ、スバルさんが後輩に慕われているということがよく分かりましたので、個人的には良い物が見れたと思っておきます」
私がそう言うと、梯スバルは再び赤面し、そして溜息をついた。
「……まあ、アポイントの時間を忘れて遊んでいた私に問題がありますので、諦めます」
──
「それで、体調はいかがですか?」
梯スバルが落ち着いたところで、話を始める。この面会は彼女から提案されたものだが。
「ええ、お陰様でずいぶんよくなりました。少なくとも、
彼女は自嘲するような笑みを浮かべてそう答えた。
「例えば、食事に味がしないのは食べている物のせいだと思っていましたが、そうではなかったようです。ですが、今日久しぶりに美味しいという感覚を味わいました」
「そうですか。徐々にでも、回復しているのであれば、良かったです」
彼女は神妙に頷いた。
「先生、そろそろ本題に入っても良いですか?」
梯スバルが姿勢を正して、改まってそう言った。
「ええ、お願いします。あの、ベアトリーチェと名乗る人物について、ということですが」
「妙な言い回しですね? まあ、その通りです。私の中で整理もしたい、と思っていたので」
そして、彼女はベアトリーチェと、彼女自身のことについて話し始めた。
「まずは、そうですね。最近の話からにしましょう。あの人は、冷酷で、残忍な一面が強くありましたが、それでいて常に冷静に振る舞っている人物でした。少なくとも、私たちの前では」
ベアトリーチェは彼女たちの前では絶対的な存在として振る舞っていたはずだ。私たちから見れば傲慢的ととれる態度であったとしても、そうとは思えなかったのかもしれない。
「初めてそれが崩れたのは、聖園ミカさんのクーデターに便乗した襲撃事件のときです。あの作戦はあの人からしても、失敗することを前提としていたようなので、それは問題ではなかったと思うのですが……あの日、マイアがいなくなりました」
梯スバルは、そこで一旦話すのを止めた。冷静に話すことができるように呼吸を整えているように見える。
「それまでも何かしらの理由で、あるいは些細なミスであの人から罰則を受ける者はいました。それは直接であったり、他の生徒にやらせたりと色々でしたが、それでも、皆、戻っては来ていたんです。それなのに、マイアは戻ってこなかった。私はあの人に尋ねましたが、ただ『知りません』と返されたのです」
実際、ベアトリーチェはあの時点では知る由もなかっただろう。偶々聖園ミカが立木マイアを気にかけていなければ、そんなことは起こらなかったはずだ。
「私は、納得できずに何度も確認しました。『生徒一人、どこへ逃げようと知ったことではありません。嫌気が差したのではないですか? 辛い自分を助けに来てくれない先輩に』と、そう言われました。でも、私たちに逃げる場所など、ありはしないんですよ。いえ、無かった、というべきでしょうね」
梯スバルにはあまり怒りの感情は無いように見えた、ただ、深い悲しみを感じた。
「それから私は、マダムの言葉を否定することも出来ずに、ただ、マイアを探し続けました。ですが、当然、見つけらませんでした。そもそも、マイアはあの時点で、一人でアリウスを脱出できるような体力が残っていなかったはずだったんです。それは分かっていたのに、何度も……」
彼女の顔色がかなり悪くなっている。やはり、時期尚早だっただろうか
「スバルさん。お分かりだと思いますが、マイアさんは生きていますし、ずっとスバルさんのことを心配されていました。あなたは精神的に弱っていたところを突かれ、自責の念を押し付けられていただけです」
「……ええ、分かっています。ただ……すみません。その時のことを思い出して感情が入りすぎてしまっていました」
虚ろになっていた目に光が戻り、彼女は深い呼吸をして、こちらを向いた
「話すことが辛いなら、後日でも結構ですよ。幸いにして支配者は既にいなくなりました。焦る必要は無いのです」
しかし私がそう言っても、彼女は首を振った。
「……いえ、話させてください。当然、マイアは見つからないまま、調印式の日を迎えました。そこで、あの人は……いえ、私たちは決定的な敗北をしました。それを期に、あの人はバシリカへと閉じこもるようになりました。アリウスに残った生徒の前に顔を出すことは無くなりました。例外は私だけです」
「確か、彼女に呼び出しを受けていたのでしたか」
アリウスに残っていた生徒たちは口をそろえてそう言っていた。
「私は、アリウスという存在が終わりに向かっている事を感じながら、それでもあの人に逆らうこともできず、あの人のところに向かう日々を送っていました。ただ……」
そこで、梯スバルは申し訳なさそうな表情になる。
「ただ?」
「あの人が私に何を言っていたのかは、余り思い出せないんです。リツカ達に聞いたところ、姫を、アツコさんを探すような指示を出していたようですね。ただ、その指示とは異なり、逃げても良いというような指示も出していたと。これも、正直、あまり覚えていなくて、多分、今の状態が限界だと理解していたんでしょうね。逃げられる者は、逃げた方が良い。虚ろな状態で、そう考えていたのかもしれません」
「そこまでの状態になっても、あなたは後輩たちには生き延びて欲しかった、そういうことではないでしょうか。少なくとも、あなたのその指示が、私たちをアリウスに導いた、というのは間違いないでしょう」
「……ありがとうございます。励ましていただけるんですね」
気分を変えようとして、事実を伝えただけだ。ベアトリーチェによる催眠状態が続いており、その中で、恐らく彼女は存在しない『
その上で、秤アツコを呼び出そうとしていた。ということだろう。
しかし、今更の話だがベアトリーチェはそんな策が
便利屋68のようなイレギュラーがあった上での極めて偶発的な連鎖で、偶々秤アツコがアリウスに戻ってきたにすぎない。梯スバルを軸にして、何か別のことを考えていた可能性は……
「先生? 続きを話しても大丈夫ですか?」
「……ええ、お願いします」
またやってしまった。ある程度肩の荷が降りたからか、考え込む癖が表面化してしまっている。少なくとも慣れていない生徒の前でそれをやるのは望ましいことではないだろう。
「断片的で、あやふなな記憶になってしまうんですが、最近のあの人は、かなり不安定になっていたと思うのです。あの人に暗示をされていた私が言うのも何ですが、それこそ多重人格のようになっていることがありました」
「多重人格、ですか」
彼女と会話したときのことを思い出す。多重人格、というよりは記憶の混乱のように思えたが。
「ええ。その中で、一回だけ、印象深いことがありまして……印象深いといっても、私が思い出した、というだけの話なのですが。それを伝えたくて、今日は先生をお呼びしたんです」
今までのは前置きだった、ということだ。彼女とベアトリーチェに、何があったのか。
「その日も私は呼び出されて、バシリカへと行きました。その日のあの人は、最初私の事が分かっていないようでした。呼び出したのはそちらなのに、妙な話ですよね。私が何も言えずにいると、『あなた、スバル?』って、思い出したように言ったんです。
まるで久しぶりに家族や、友人と再会したように。いつものあの人とはまるで違っていて、それで、『随分やつれてるわね、ちゃんとご飯食べないといけませんよ』と言われたんです。私の頬を触って」
誰だそれは、と思わず言いたくなるような内容だった。少なくとも私の知るベアトリーチェはそのような気遣いをしたりしないだろう。
「そのすぐ後、あの人は元の性格に戻って、何事もなかったかのようにその日の用件を伝え始めました。私は、夢でも見ていたんだろうと思いました。というか、実際に夢で見たことなんだろうと、そう、思います。ですが、先生、これだけは本当のことです。私は、そのときのあの人のことを知っているんです」
梯スバルは、真剣な目でこちらを見る。信じて欲しい、という感情が伝わってきた。
「知っているとは、どういうことですか?」
私が尋ねると、彼女は頷いてその内容を話し始めた。
「……昔話になります。先生、あの人が、ベアトリーチェがアリウスに来た時、初めて会ったのが誰かは知っていますか?」
聞いたことは無い、秤アツコか、あるいは錠前サオリだろうと思ったが、この口ぶりだと恐らくは、
「実は、私なんです。いえ、もしかしたらもっと前に誰かと会っていたのかもしれませんが、連れまわすのは私が最初でした。というか、私が勝手にあの人に着いていった、に近いのですが」
過去を懐かしむように、彼女は振り返る。
「当時はまだ内戦の最中で、物心がつくかどうかだったころの私は、身寄りがない状態で生きるか死ぬかの状態で、あの人に拾われたんです。当時から見た目と上から目線の物言いは変わっていませんでしたが、それでも、あの人は、最初は私を、私たちのことを守ろうとしてくれている、というのが伝わってきました。それに、食べ物をくれたんです。毎日。それが美味しくて、私は彼女を慕ってついて回るようになりました」
違和感が強すぎて眩暈がしてくるが、そもそも見た目からして私の知っているベアトリーチェとは別人だ。そう言うこともあるのかもしれない、と思うしかなかった。
「……あの人が明確に変わったのは、姫と……アツコと会ったときです。あの人は、自分が保護した子供の中にあの子がいるのを見ると、突然激しい頭痛がしたように頭を押さえて倒れ込み、気を失ってしまいました」
梯スバルが目を伏せる。そして、意を決したように再度目を開けて続きを話し始めた。
「心配する私たちに囲まれてあの人が目を覚ました時、既に今の……というより最近までの、と言った方が正確でしょうか……、ともかく、残忍な性格に変わっていました」
「どういう方法をとったのかは今でも分かりませんが、その後の彼女は内戦を終結させ、支配者としてふるまうようになりました。口調はきつくても、優しかったあの人はもういなくて、だから、私は暫く、姫の……アツコさんのことが嫌いでした」
あの子に悪いところは全然なかったのは、当時だって十分知っていたはずですがね、と彼女は苦笑し、話を続ける。
「……もしかしたら、あの人に特別扱いされるあの子に、嫉妬していたのかもしれません。それくらい、私は当時あの人に執着していました。その内、そんなことも無くなっていましたが……もしかしたら、アツコさんの方にはまだ嫌われているかもしれませんね」
「……そのようなことは無いと思いますが」
「そうでしょうか? そうだと良いんですが……。まあ、それでその当時、何となく思ったことがあるんです。どんなに辛くても、あの人が私に食べ物をくれる限りは、あの人に着いていこうと。随分食い意地の張った子どもだったと思いますが、多分、だから私はあの人に反抗することも無く、今まで生きていました。昔話は、これで終わりです」
梯スバルはそう言って話を終わらせた。何とも言い難い話だ。少なくとも、私の知る彼女とは大違いの人物のようだが、何かがあり、二人の性質は近い物となった。いくつか思い当たる可能性はあるが……今は根拠が足りず、真実を明らかにするのは難しいだろう。
一つ、思い出したことがある。
「バシリカの前で、スバルさんはマダムの、彼女のこともよろしく、と言っていましたね。何かそういう意図があったのですか」
私がそう尋ねると、梯スバルは頬を掻いて、苦笑いを浮かべた。
「……よく覚えていますね、そんなこと。そうですね……別に、そこまでの想いではありません。ただ、私はもう一度あの人と……出会った頃のあの人と話をしたいのだと思います。だから、つい、そう言ってしまったんだと思います」
「成程……ありがとうございます。再び彼女と会うことが出来るかもわからない状況ですが、いつか、私もその彼女と会ってみたい、とは思います」
その視点で考えると、私のことを黒服と親し気に呼んだベアトリーチェもまた、私の知らない彼女だったことを思い出す。何かがあったのだ。恐らく、この世界のベアトリーチェには。
「そう言ってくださって、嬉しいです。先生の方から、何か聞きたいことはありますか?」
「そうですね……いえ、今はやめておきましょう。スバルさんも疲れているでしょうし、こちらでも色々と調べてみます」
「……そうですね。確かに、ちょっと疲れたかもしれません……」
そういって、梯スバルは座っていたベッドに寝転んだ。彼女もまた、私に話すことでどこか肩の荷が降りた様子だった。
──
「ゆっくり休んでください、スバルさん。貴女もまた、アリウスに不可欠な存在なのですから」
「はい、ありがとうございます」
最後にそうやり取りをして、病室を出る。
病室の近くで待機していたアリウスの生徒に話し合いは終わったという事と、彼女は疲れているようなので、あまり騒がしくはしないようにと伝え、私はシャーレへと戻った。