「またあなたですか、マエストロ。先日はしてやられましたが、その後も我々を監視していたのですか?」
現れたマエストロに言葉を投げかける。歌住サクラコは銃を構えようとしたが、それは止めさせた。彼は基本的に我々の敵ではあるが、攻撃を仕掛けるべき相手でもない。
加えて彼、というよりゲマトリアの構成員と話がしたかったのは、私も同じだ。
「あの時は勿論、意図的に攪乱させてもらったが今日は偶然だ。そう警戒するな。もっとも、近いうちに其方らが再び此処を調べに来るというのは想像に容易かったがな」
結局、待っていたのか本当に偶然なのか分からない物言いだ。
「では、マエストロ。あなたは何をしにこちらへ?」
「
マエストロはカタカタと音を立てながら話した。あれは実際に、彼が機嫌の良いときに鳴らすものだ。彼が私と会えてよかった、と言っているのは本当のことなのだろう。嬉しくはないが、状況的に悪いことではないだろう。
「私の作品について会話していたな。其方の考察が見事であったのは勿論だが、シスターの娘も、目の付け所は悪くない、だが……」
シスターの娘、という言葉に伊落マリーも驚いたように反応していたが、マエストロの言っているのは当然、歌住サクラコの方だろう。
「あれは兵器などではなく、私の『作品』だ。間違えるな」
やはり、そこも聞いていたうえで、気にしていたらしい。相変わらずこの見た目で繊細な性格をしている。
「お言葉を返すようですが、彼女の友人が実際にグレゴリオとの戦いで負傷しています。彼女が兵器と捉えるのも当然では?」
歌住サクラコが何か言う前に、瑕疵を指摘する。伊落マリーが不安そうにこちらを見ていた。喧嘩になるとでも思っているのだろうか。
「……ふむ。一理あるな。先程の言葉は取り消そう。少なくとも
予想通り、彼は簡単に折れた。彼は不遜な口調をしているが、議論が得意な訳ではない。というより、議論に価値を殆ど感じていないのだろう。勿論それが芸術関係の話題であれば別だろうが。
そして、『
それが誰であるかは容易に想像がついた。勿論「彼女」のことをマエストロが小娘と呼ぶのを聞いた事は無いが、相性の良くなかったという点では共通している。
「その割には、随分と彼女に協力していたようですが。あなたが彼女に肩入れしたことは意外でしたね」
「肩入れしたわけではない。あれは
マエストロは、特に隠す素振りも見せず、真意を明らかにした。
「取引の結果、ですか。では、あなたたちがベアトリーチェを助け出したのも契約の内、ということですか?」
「そうではない。寧ろ対極だ。未だ対価を払ってもらっていなかったために、私たちはあれを回収する必要があった、というだけだ」
深く聞いたわけでも無いが、マエストロは次々と新情報を明らかにした。あるいは、彼が私の前に姿を現したのはあの日のことを釈明するつもりなのかもしれない。
「ふむ。それでは、取引は上手く行きましたか? そろそろ引き渡していただきたいところではあるのですが。ゴルコンダにも伝えましたが、彼女は我々にとっても重要参考人となる人物なのです」
彼らが素直に渡すわけは無いが、さらに情報を引き出すべく、問いかける。
「取引は未だ完了していない。加えてあれは今、そのようなことが可能な状況ではない。故にその相談に応じることは不可能だ」
想定内の回答だ。ベアトリーチェの錯乱状態は未だに続いているようだ。恐らく彼がアリウスの場に戻ってきたのは、ベアトリーチェから
そしてそれに関わる最も大きな手掛かりを恐らく私は持っている。ポルタパシスに置かれていた、彼女のノート。
「それは残念です。そんなに悪いのですか、彼女は」
「元々、会話が噛み合わないことは多くあった。そもそも
私の知らない話だ。少なくとも、私の知っているベアトリーチェは、意見こそ違えため反発が無いわけではなかったが、実績を評価されてゲマトリアに入っていた。この世界の彼女は明らかにゲマトリアにおいて侮られているように見えた。
「では、何故彼女は仲間になったのです?」
「……ゴルコンダが、提案したのだ。恐らくゴルコンダも、あの小娘を評価したわけではない。寧ろ
マエストロが意味深に言葉を切る。ゴルコンダの関心を得るのは、どのような人物か、考えれば分かることではある。
「ゴルコンダには気を付けておけ。少なくとも私に対する発言のように、不用意に過去を仄めかすようなことはやめておけ。其方が何かしらの過去を持っていることは理解しているが、あれに知られても得はせぬぞ」
ゴルコンダはあれでデカルコマニーの相棒としては最もまともな人格ではあるが、ゲマトリアには変わらない。ヘイロー破壊爆弾もそうだが、興味を持たれて得をすることはあまりない、というのは事実だろう。
「ああ、
彼に感謝を述べたが、マエストロは更に言いたいことがあるようだ。
「それと、ベアトリーチェにもだ。其方の価値観を否定するつもりは無いが、あれを
当然、そのようなつもりはない。
しかし、以前は場合によっては直接始末することを考えるほどだったが、今は彼女と対話すべきだと考えている。
つまり、彼女に対する認識が変わっている、ということではある。だがそれは……
「……勿論、理解していますよ。ただ彼女をどのような存在として扱うかは、直接話してから決めるつもりです」
私のこの返事に、マエストロは返事をしなかった。
「……少し口が滑り過ぎたな。其方が自分で決めることに口出しする程野暮な真似もないだろう。私は失礼するが……それとも、今回も
先日のあれをもう一度見せられるのは苦痛でしかない。そもそもマエストロのことは同僚として尊重してはいたが、
「不要です。あなたを引き留める理由もこちらにはありません」
「ふん。では、また会おう、先生よ……」
マエストロは私の言葉を鼻で笑い、どこかへと消えていった。
彼が消えるのを見て、歌住サクラコがほっと息を吐き、伊落マリーはその場にへたり込んだ。
「なんとか無事に終わりましたね」
「も、申し訳ありません、先生。お役に立てず。寧ろ、庇ってもらいましたよね」
歌住サクラコは、少し青褪めているようだった。庇った、というのは、マエストロが彼女に対し怒りを露わにした時のことだろうか。
以前地下道で彼と会った時にいたメンバーはそうでもなかった気がしたが、やはりマエストロが放つ空気は異様な物なのだろう。慣れてしまった私にはあまりわからなかったが。
「いえ、こういうのは役割がありますので。大人の相手は大人でやるものです。」
「……ありがとうございます」
「マリーさんも、大丈夫ですか?」
そして言葉を発さない伊落マリーに目を向ける。こちらは歌住サクラコよりも更に顔色が悪かった。
「……は、はい。えっと、その……怖かった、です。すみません」
「それも仕方のない事でしょうね。というより、私のことは怖くないのですか? 初対面で怖がられることは結構あるのですが」
「はい。
伊落マリーはそう言って、暗かった表情を笑顔に変えた。
あまり関わりがあったわけではないが、そのように思われていたのか。
「……さて、十分な収穫は得られたことでしょう。そろそろ、トリニティに戻りましょうか。このままでは帰る頃には夜になってしまいます」
顔色のあまりよくない二人にそう告げる。
ベアトリーチェのノートを回収し、彼女の最近の状況やマエストロやゴルコンダの立ち位置もある程度図ることが出来た。そして、ベアトリーチェがまだ少なくとも生きてはいることも明らかになったのだ。
色々と情報が貯まってきた。そろそろ一度、整理しておくべきだろう。2人をトリニティまで送り届け、シャーレに戻った私は、そう考えた。