「おはようございます、先生! 今日はよろしくお願いしますね!」
クロノススクールの自称アイドルレポーター、川流シノンが目の前に現れた。クロノススクールからの取材スタッフは2名のみの招待枠だったが、今回も彼女はその枠を勝ち取ったようだ。
「おはようございます。参加されている他の生徒への強引な取材は控えてくださいね」
「で、ですからそんなことはいつもしていませんよ!? たまに私の中のジャーナリズムが抑えきれなくなるだけで……」
それを控えろ、と言っているのだが、通じていないようだ。
「それより先生! 今日は前みたいなことはないですよね!?」
「前のこと、とは?」
「ヴェリタスにアカウント乗っ取られたじゃないですか! あれ、私の中でも結構なトラウマなんですよ」
それに気づいた時は目を輝かせていたような気もするが、トラブルはトラブルか。
「ああ、そうですね。その件に関しては専門外ですので、セキュリティ―には十分に注意してくださいね」
「堂々と白を切るんですね……」
表向き、ヴェリタスのアカウント乗っ取りは
私と川流シノンはともに今日、
跡形もなくなった古聖堂は会場に向いておらず、また、前回の会場はただの会議室のような場所であり雰囲気が無い、ということで、今回はまた別の場所で行うことになったのだ。
川流シノンがカメラマンと共に会場の撮影へと離れて行った。
「先生。リン行政官が先生にご挨拶したいと言うので連れてきました」
「私はそんなこと言っていません。あなたが強引に連れて来たんでしょう。カヤ」
そしてそれと入れ替わるように連邦生徒会主席行政官であり、連邦生徒会長代行を務めている七神リンが、不服そうな表情で不知火カヤに連れられてきた。
前回の調印式には、連邦生徒会からの出席は無かった(厳密にいえば私はいたが)のだが、今回は不知火カヤを通し、出席できるように調整してもらった。
というのも、前回の調印式での騒動においては、無関心を貫いていた連邦生徒会に無責任であるという批判が寄せられていたのだという。
そもそも、エデン条約は元々連邦生徒会長が立案したものだったはずだ。その批判には一定の正当性がある。
「直接顔を合わせるのは随分お久しぶりですね。リンさん。いつもお世話になっています」
以前は、それこそ赴任してすぐの頃から、アビドスのことが落ち着くまではシャーレや連邦生徒会について尋ねるために何度も訪れ、そのたびに今のように嫌な表情をされていたものだ。
しかし、不知火カヤに連邦生徒会のことを任せられるようになってからはその機会もなくなってしまっていた。
「ええ。もっとも、カヤを通していつも様々な書類で先生の名前を目にしていますから、あまり久しぶり、という気はしませんが」
「はい、これからもお願いします」
「…………ええ、そうですね」
私の言葉に、七神リンは露骨に顔を顰めた。何か問題があるだろうか。
「何か不備がありましたか?」
「いえ、不備はありません。先生からの書類の形式と体裁に不備があったことは一度もありません。大抵の人であれば、一つや二つのミスは起こる物とは思っていますが、そういったことが一切ない、大変すばらしいことだと思います。ただ……」
「ただ?」
七神リンは一瞬、これを言っても良いのかと躊躇しているようだった。
「内容に無理難題が多すぎることを除けば、です。
そして、真っ当な指摘を受けた。
「成程、承知しました」
根回しをしろ、ということだろう。元々不知火カヤを通して行っていたが、また私も連邦生徒会本部へと顔を出し、関係を作っていく必要がある。
そして、隣では不知火カヤが笑いを堪えていた。それに彼女は目敏く気付く。
「何か言いたいことがありますか? カヤ」
「リンは書類に不備があってもなくても、根回しをしてもしなくても文句を言いますからね。まあ、あれで褒めているのだと思いますよ」
見つかった以上、もう我慢する必要は無いとばかりに破顔して、不知火カヤはそう言った
「褒めていません。あなたこそ、よく先生のことを批判するような口で褒めているじゃないですか。人のことを言えますか?」
「なっ、先生が誤解したらどうするのですか!?」
そして、何やら言い争いをしながら二人は去っていった。仲は悪くないのだろうが……結局何のためにこちらに来たのかは分からなかった。
――
「やっほー、先生」
「おはようございます。」
「やあ、先生。トリニティとシャーレ以外で会うのは珍しいね」
そして、今度は本日の主役ともいえる人物の内、ティーパーティーの3人が近づいてきた。
「おはようございます、皆さん。本来はこちらから挨拶に行くべきところ、申し訳ありません。」
「いいえ、先生は来賓なのですから、当然のことです。」
桐藤ナギサがそう言うと、残りの二人も頷いた。
「さて、いよいよですね。ナギサさん。緊張していますか?」
彼女にとって、エデン条約は悲願であり、何より精力的に取り組んできた彼女の大きな目的のはずだ。
「ええ、少し。前回は準備段階も当日も、それどころではありませんでしたが、今回は大きなトラブルもなく、落ち着いているから、でしょうか」
私の問いに、彼女はそう言って少し照れたように笑った。
「全然少しじゃなかったよ、ナギちゃん。昨日の夜中寝れないとかなんとか大騒ぎだったじゃん」
「何故言ってしまうのですか、ミカ!?」
「おかげで私も寝不足なんだもん」
そしてそれを聞いていた聖園ミカが割り込み、先程似たような光景を見た気がしたが、幼馴染同士二人の生徒会長が目の前で言い合いを始めてしまった。
唯一、それを逃れた百合園セイアが一歩近づいてくる。
「先生、改めて、お礼を言わせてほしい」
そういって、彼女は微笑んだ。しかし、私にはあまり心当たりが無い。
「何のことでしょう」
「今日のこの光景こそ、私が終ぞ『夢』で見ることの出来なかったものだからね」
夢、つまり、彼女の未来視、或いは別世界の記憶の話だろう。
「ああ、その話ですか。それこそ、私が礼を言われるようなことではないと思いますが」
「先生には無くとも、私にはあるのだよ。私は先生が、君がいなければ、
「また、独特な言い方をしますね」
未来は決まっている、というのが間違いであることを実感として受け取れる、ということ自体が貴重な体験だ。
「だから、先生と出会えたこと自体に、私は感謝している、ということだよ」
「そうですか、ではその感謝は受け取っておきます。……それから、私もセイアさんのような理解者に出会えたことには感謝していますよ」
私は返礼をした。何気なく言ってから、私自身が、実際にそう思っている事を強く実感した。
「さて、私たちは準備もあるので、失礼しようか。ミカ、ナギサ、いつまで乳繰り合っているつもりだい」
そして百合園セイアは少し顔を赤らめてそう言った。気恥ずかしくなったのだろうか。
「え、もう!? 私も先生にお礼とか言いたかったのに!」
「ミカさんのせいですよ、もう……先生、では、また後でゆっくりお話ししましょう」
ティーパーティーの3人はそう言って慌ただしく去っていく。主役である以上、あまり時間の余裕があるはずもないだろう。それでもこちらに挨拶に来てくれたのはありがたいことなのだろう。
そして、この流れは続く予感がした。
――
「キキキッ、この羽沼マコト様がわざわざ直々に挨拶に来てやったぞ!」
予想通り、ゲヘナの代表者である万魔殿の議長、羽沼マコトも幹部たちを引き連れて現れた。
「こんにちはー、先生! 今日はネタになりそうなことが盛りだくさんで、絶賛、ハイテンションです!」
「先生は来賓なのですから、当然のことですよ。さっきまで順番で揉めていたのはとても言えませんね」
「おはようございます、先生! えへへー、何だか遠足みたいだね! 知らない人がいっぱい!」
「そうね、イブキちゃん。私も早起きしたから少し疲れたわ。」
私が返事をする前に、後ろに続いていた生徒たちが口々に話始める。
順番に、元宮チアキ、棗イロハ、丹花イブキ、京極サツキだ。眠そうな目をこすっている京極サツキは会話を理解していないとしか思えないが。
「ふむ、背後が何やら騒がしいが、気にするな」
「ええ。おはようございます、マコトさん。それから万魔殿の皆さん。本来はこちらから挨拶に行くべきところ、申し訳ありません。」
一言一句ティーパーティーへの挨拶と同じことを述べたが、それで彼女は満足したようで、大きくうなずいた。
「キキキッ。分かっているなら良い。今日はゲヘナにとっても、このマコト様の覇道にとっても重大な一日となるだろうからな!」
さて、こう言っているが羽沼マコトは明らかにエデン条約には反対する立場だったはずだ。どのような理屈で宗旨替えしたのだろうか。
「この条約で、キヴォトス全土にマコト先輩の名声を広めて、キヴォトス征服の足掛かりにするんですよね!」
「そういう建前で、本当は危機感を持ったんですよ。自分たち『
元宮チアキと棗イロハが羽沼マコトの二面を映すかのように、私に解説する。
「うるさいぞ、イロハ。……まあとにかくだ、乗ることになった以上は最大限活用させてもらうに越したことはないからな」
「ええ、そうですね。ぜひ活用してください。こういうものは利用できる限り利用するべきものですからね」
「キキキッ! 話が分かるではないか」
「クックック……私は一般論を話しただけですよ」
羽沼マコトと意見が合ったのは初めてのことかもしれない。
「先生とマコト先輩、仲良しになったみたいだね!」
「ええ、そうね。でも仲良し、というには少し不穏な気がするわね」
「馬鹿な話をしている時間はありませんよ。そろそろ時間です」
そして、私たちが相互理解をしている間に、万魔殿の生徒たちも戻らなければならない時間になったらしい。
「む。慌ただしいな。まあ、今日のところは従っておいてやろう。戻るぞ」
「はーい」
「何でそう毎回悪役みたいな言い方しかできないんですか?」
「また後でね、先生!」
「あ、マコトちゃんと一緒に私とイブキちゃんもシャーレに行くから、その時はよろしくね」
万魔殿の5人も離れていく。
――
そして、これで終わり、後は式を待つだけ、
ゲヘナの生徒たちと入れ替わるように、5人の生徒が近づいてくる。
「おはよう、先生。」
5人の中で最初に、秤アツコから声を掛けられる。
「おはようございます。皆さん、今日はよろしくお願いします」
私は
「ああ、今日はよろしく頼む」
「お、おはようございますぅ……」
「……どうも」
スクワッドの3人がそれに続いて返事をし、
「おはようございます、先生。何だか私は場違いな気がしますが」
最後に、梯スバルがそれに続いた。
「ポルタパシス修復の責任者であるスバルさんが場違いなはずは無いと思いますよ。そのおかげで、今日の新エデン条約の調印式に最もふさわしい場が出来たのではないかと思っています」
都合、最後に話した梯スバルへと返事をする。それを聞き、秤アツコも嬉しそうに頷いた。
実際のところ、今日は
そして、調印の会場は、『平和の門』、ポルタパシスが選ばれることとなった。ポルタパシスは内戦の原因でも、怨念の溜まり場でもなく、名前通りの場所になるための第一歩を進み始めようとしている。
「ところで、見慣れない格好ですね。制服のようですが、少しずつデザインが違うように見えます」
そして、その姿を見て気になったことを尋ねる。連邦生徒会にも加入し、アリウス高等学校として動き始めた彼女たちには、まだ制服は無かったはずだ。
「あ、分かる? 一応、新しい制服の案がいくつかできたから、試しに作ってみたの。折角だから、それぞれお気に入りのを選んでね」
そう言われ、見比べる。
それぞれデザインは似てはいるが、秤アツコの着ているものは、錠前サオリの着ているものよりも校章が目立つように作られている。
槌永ヒヨリの物は機能性重視というのだろうか。ポケットなどが多いようだ。
戒野ミサキの着ている者は逆に限りなくシンプルに作られていると言えた。
そして、梯スバルのものは分かりやすくデザインが異なり、スカートに着いたフリルなど、
「違います、先生。これは私の趣味ではなく後輩にアンケートを取ってもらったのですが、結果こうなっただけです。意外とかわいいデザインを好きな子が多いみたいです」
梯スバルが突然弁明を始める。特に何も思っていないが、似合っていないとも思わない。
「アンケートって、あれでしょ。スバル先輩に着せたい物アンケートみたいなのが何故か私のところにも回ってきたけど……答えなかったけど」
「私も答えていないな。着せたい物が特に思いつかなかった」
「わ、私は答えましたよ……採用されませんでしたけど」
彼女を慕う後輩たちは、ア
「あ。もうすぐ始まっちゃうよ。私たちも戻らないと」
そして秤アツコが時計を確認し、やや焦ったように声を上げた。
梯スバルはまだ何か言いたげだったが、秤アツコに引っ張られ、持ち場へと戻っていった。あの二人も、きっと話合ったのだろう。
――
そして、新エデン条約の調印式が始まった。
最初に、各校の代表者、桐藤ナギサ、羽沼マコト、そして秤アツコによる内容の確認が行われた。
元々の内容、相互の敵対関係を終わらせ、協力していくという理念と、境界線周辺での共同活動という実際の計画内容に、アリウスが自然な形で加えられるよう、主に桐藤ナギサと空崎ヒナは苦労していたようだった。
そして、ただアリウスが加わる、というだけの話ではない。あの事件で得た経験も盛り込まれている。救護、医療活動の連携についてだ。
これは境界線上のみの話ではなく、3校が相互に、その医療従事者が現地の組織と連携を取り合う事の出来る制度が条約に含まれることになったのだ。
その後、一人ずつ条約に批准する宣言を行い、調印を行う。
以前の時間軸、あるいはB世界では果たされることの無かったエデン条約が、今、こうして形を変えて成立した。
本章はこれで終了です。
次回からはしばらく番外編となります。