「うーん……やっぱり、全然ダメね」
シャーレの事務室で、アルバイトの休憩中だった早瀬ユウカがそうぼやくのを耳にした。
「何かあったのですか?」
「あ、聞こえていましたか? すみません、実は、サークルのことで」
尋ねると、彼女はそう答えた。彼女がサークルと言うと、円の話かとも思ったが、すぐに別の回答に思い当たった。カフェの掲示板で募集されている、数学サークルのことだろう。
砂狼シロコがツーリング仲間を募集し始めて以降、掲示板はそういった学外サークルを作ったり、そのメンバーを募集したりすることに使われることがしばしばあった。
うまくいっている例だと、トリニティの生徒が貼り出した「スイーツ探索クラブ」にはゲヘナや百鬼夜行など、複数の学校から生徒が参加し、情報交換をしたり、実際に食べに行ったりしているらしい。
と、そういう経緯があり、早瀬ユウカも興味を持ったらしい。
「確か数学同好会でしたね。あまり反応が無いのですか?」
「あまり、というより全然、って感じですね……」
早瀬ユウカがため息をついた。今まで指摘することは無かったが、この勧誘活動があまりうまくいかないことは予想通りのことだった。
「まあ、
「え? 何か理由が分かるんですか? やっぱり数学にはあまり興味を持たれないのかな、と考えていたんですが」
早瀬ユウカが首をかしげる。たまには助言でもして、普段の恩を少しでも返しておくべきだろう。
「いえ、数学に興味がある方はたくさんいると思いますよ」
「え? そうなんですか?」
「ええ、ですが、その多くは恐らくミレニアムに所属していると思いますが。確か数学部もありましたよね?」
「ああ……もちろんありますよ。元々は私も入ろうと思って考えていたので。知り合いもたくさんいるので、顔を出すこともあります」
早瀬ユウカは納得したように、そこに少しの残念さを含めて頷いた。
「そのほかにも、高度な数学を扱う部活動は多くあると思います」
「それもそうですね……でも……」
彼女はそこで言葉を止めたが、言いたいことは伝わった。
「ええ、その生徒達が、ユウカさんが主宰の数学サークルに入ることはあまりないでしょう。彼女たちは数学を専門分野として活動していて、わざわざ学外のサークルに入らなくても充実しているでしょうからね」
それこそ早瀬ユウカと数学について話したければ学校ですればよい。
と、ミレニアムの生徒達は考えるだろう。勿論それでも参加したがる生徒がいる可能性はあるとは思っていたが、今のところ芳しくない状況のようだ。
「でも、ミレニアム以外にも数学に興味がある子はいるんじゃないでしょうか。むしろ、そういう子達と交流してみたかったんですけど」
「勿論、そういう生徒はいるでしょう」
例として、ゲヘナ学園の飛び級生、丹花イブキなどは興味を示すだろう。彼女の場合はシャーレに来たことがまだないのが原因ではあるだろうが、それ以外にも当然、いないとは言えないはずだ。しかし
「ただ、その場合ユウカさんの肩書が、尻込みする要因になっている可能性はありますね。理系分野で他の学校と一線を画しているミレニアムの、それも生徒会会計という役職です。ユウカさんの人柄をあまり知らない人物からすれば、数学や、数字について語るサークル、と聞いたとき、想像するのは高度数学の知識が前提の、それこそミレニアムの数学部が扱うような難しい話ではないでしょうか」
早瀬ユウカとしては、ミレニアム内でのように成果を挙げることを前提とした部活動よりも、気楽に、好きなことを話せる場としてこのサークルを作りたかった、というのを私なら理解できる。
しかしそれは文面だけではうまく伝わらなかっただろう。
勧誘チラシにも彼女の真面目さが出ていることが逆効果になっている可能性が高い。これ以上の指摘は落ち込ませてしまうだけであろうが。
「な、成程……皆がやっているのを見て、私もそういうサークルをやってみたいと思ったのですが、ちょっと早計だったみたいですね」
そして私の追撃の有無に関わらず、早瀬ユウカは落ち込んでしまった。助言をするつもりで、落ち込ませてしまったのでは意味がない。そのために、一応の改善案も思いついている。彼女の思っているようなものになるかは分からないが……
「落ち込む前に、もう一度やってみませんか?」
「え、でも……集めるのは難しいのではないんですか?」
確かに今までそういう話をしていたので、彼女が疑問に思うのは当然のことだ。
「要はアプローチを変えてみればいいのです。キヴォトスの生徒にとって、数学とは誰もが触れざるを得ないものでもありますから」
「えーと……?」
私の言っていることが分からないらしく、彼女は首を傾げる。
「多くの学校で、もうすぐ行われるものがあるでしょう。生徒たちにとって嬉しい物ではないのでしょうが」
「あっ、それって……」
私がそこまで言うと、早瀬ユウカは話を理解したようだ。
「そうです。折角なので、ユウカさんの肩書を逆に利用してしまいましょう」
私はそう言って、彼女と二人で、新しい勧誘チラシの作成を始めた。
──
それから、暫く後の日の、とある朝の事。
「……という訳なのよ、よろしくね、コユキ」
早瀬ユウカがこれまでの経緯を後輩に説明し終える。
「なるほどー、そうなんですねー……それで、何で私が呼び出されたんですか!? 私、数学なんて興味ないですよ!?」
黒崎コユキが叫ぶ。
「丁度人が足りなくて困ってたところにコユキがいたから誘ったのよ。嬉しそうについてきたから、用件も分かっていると思ったんだけど……」
「だってそれは、ユウカ先輩が珍しく遊びに誘ってくれたと思ったんです! 数学の話だなんて知りません」
何やら行き違いがあったようだが、それは二人で解決してもらうしかない。
結果として、私たちが考えた案はうまく行った。まずは数学に興味を持ってもらう事、そして、他校との交流の場として計画したのは、数学教室をする、という案だった。
トリニティを始め、多くの学校では近くテストが開催され、その中には当然数学も含まれている。ミレニアムの会計担当が数学を無料で教えてくれるとすれば、興味を持つ生徒は多いだろうと踏んだのだ。
それに加え、保険という訳でもないが、私が直接思い当たる相手にこういうものをやる、と告知したことも、恐らくは意味があったのだろう。
しかし、些かうまくいきすぎた。
当初想定していたのは数人か、多くても十人くらい集まれば良いものだと思っていたのだが、想定以上の人数の応募があり、慌てて募集を止めた時には既に、早瀬ユウカ一人では教師役をこなせない程の人数が集まってしまったのだ。カフェの半分を貸切スペースに改造する必要があったほどだ。
勉強に興味津々のアリウスの生徒たちが多く申し込みしたのも影響しているだろう。
やはり無理です、では、サークル自体の印象が悪くなる。ということで一旦私も教師役に加わることになったのだが、それでも人手が足りない、ということで、黒崎コユキは目をつけられたのだろう。
「え、先生をやるんですか? 私が? 数学の課題をさせられるとかではなく?」
「そう。コユキ、数学の成績は良いでしょう? 質問が来たら答えてあげたり、考え方を教えてあげるので良いから」
「うーん……でもー……」
黒崎コユキの目が泳いでいる。先輩の助けになりたい気持ちもあるにはあるのだろうが、不安や面倒さがそれに争っているのだろう。
「お願い! お礼は弾むから!」
早瀬ユウカも必死だ。自分の主催したものを、どうにか成功させたいのだろう。
「そこまで言うなら…… やりたいようにやっていいんですよね?」
「もちろん!」
そして、どうやら黒崎コユキが折れ始めているようだ。
「念のためですけど、お菓子とか食べたり、カフェのソファでだらだらしながらでもいいんですよね?」
「ええ! 友達の家でやる勉強会のような雰囲気で、というのも良いと思うの。だから、お菓子やジュースはたっぷりと用意しているわ」
早瀬ユウカが頷く。確実に黒崎コユキの心が動かされていく。そしてついに
「むむむむ……しょーがないですね。外ならぬユウカせんぱいのためなので! 協力してあげますね!」
黒崎コユキが、先生役を受け入れた。イベント開始まであと数時間というところであり、かなりのギリギリではあったが、やることは基本受け身の教師役だ。ミレニアムで数学が得意、というレベルであれば問題になることはほぼないだろう。
「すみません。コユキとお昼を食べに行ってきますので、一旦出ますね」
その後、3人でカフェのセッティングを済ませ、早瀬ユウカがそう言った。
先程話していた内容を聞いていた様子だと、黒崎コユキがお礼として昼食を奢ってほしいとねだっていたようだ。
「ええ、ではまた後で」
「はい。……って、コユキ、待ちなさい! 一人で行って迷子になっても知らないわよ!」
「にはは! 早くいきましょうよ!」
そして早瀬ユウカは小走りで黒崎コユキに追いつくためにカフェを出る。2人は仲の良い姉妹のようにシャーレを出ていった。
今更ですが番外編とはイベスト等のメインストーリー以外の話の代わりとなり、
黒服と生徒や、生徒同士の繋がりを書いているものです
そのため番外編といっても他の章と無関係というわけではありません