午後になり、早瀬ユウカと黒崎コユキが戻ってきて暫く。あからさまに緊張している先輩と、完全にリラックス状態でソファにだらしなく座りゲームに勤しむ後輩という、真逆な構図になっていたところに、最初の参加者が現れた。
まだやや早めの時間だったが、偶然にもそれは見知った顔の二人組だった。
「あ、先生もいる! こんにちはー、あの、数学教室ってここであってますよね?」
「あ、セリカちゃん。待って」
アビドスの黒見セリカと、奥空アヤネだ。奥空アヤネの方は、私の姿を見て明らかにほっとしたような表情をしていたが、何かあったのだろうか。
「ええ、あってるわ。えーと、あなたたちは……それ、確かアビドスの制服よね。えーと、お名前を教えてもらえるかしら?」
「あ、黒見セリカです」
「は、はい。私は奥空アヤネです」
2人の名前を聞き、早瀬ユウカが端末で確認する。
「ありがとう。えーと……はい、確認できたわ。あ、ごめんなさい。私はミレニアムの早瀬ユウカよ。一応今回の企画の主催です」
「えっ? あ、セミナーってそういう……」
奥空アヤネが、何か呟く。
「うん? あれ、言ってなかったっけ。
「……セリカちゃんは
「そうなの? アヤネって変な所で心配性よね」
二人の会話を聞き、私にも何となく、話の全貌が見えて来た。恐らく、黒見セリカが何か
数学の勉強会ということであれば、奥空アヤネが着いてきたかは分からなかっただろう。
「何の話……? まあいいわ。とりあえず、始まるまで自由にしてていいわ。あそこで
「了解です」
2人は返事をして移動する。黒崎コユキのいるソファなどが置かれているスペースではなく、勉強がしやすそうな机が集まったところを選んだようだ
会話の中で名前を呼ばれたことに気付いた黒崎コユキが少しの間だけこちらを見たが、近寄ってこないと分かるとゲームをすぐに再開した。
次に現れたのは、見覚えのない生徒だった。ミレニアムの制服を着た褐色肌で、身長は平均より高めだろう。
「あ、カリン。連絡来たときはびっくりしたけど、本当に参加するのね」
どうやら早瀬ユウカは知っている相手のようだが。
「あ、ああ。流石に次のテストで赤点はまずくて。あ、あなたが例の先生だな。初めまして。ミレニアムの2年生で、角楯カリンという。」
角楯カリンと名乗った少女はこちらに一礼した。
「こちらこそ初めまして」
「先生は確かC&Cのことを知っていましたよね? カリンも所属しているんです。前はセミナー……といっても保安部の方ですけど、セミナーにいたので、一応同期みたいなものでもあるんです」
成程、C&C。戦闘に特化したエージェント集団とはいえ、生徒である以上試験の成績は大事という事か。
「来てくれたのは嬉しいけど、何か分からないところがあれば普通に聞いてくれても良かったのに」
「いや。実は分からないところがある、というレベルでも無くて。ちょっと本気でまずいんだ」
「そ、そうなの? ……まあ、良いわ。とりあえず後でもう一回聞くわ。適当に座ってて。ミレニアムの生徒はあなただけよ。」
そもそもミレニアムは参加者が期待できないと考え、積極的に募集を掛けることもしていなかった。偶々チラシを見たか何かしたのだろう。
「そうなのか? そこに、コユキがいるけど」
角楯カリンがゲームに熱中している黒崎コユキを指さす。
「あれは助っ人。後輩に教えられるのが嫌だったら、あっちのアビドスの子がいる方にいたらいいかもね」
「あ、ああ。……そうする」
角楯カリンは少し肩を落とし、席に着いた。
その後、アリウスの集団が一度に現れたこともあり、受付と席の案内で一人一人の生徒と会話をする暇はなくなったが、何人か見知った生徒が来ていることは確認できた。
そして、定刻になり、早瀬ユウカが開始の挨拶と説明をする時間になった。
「皆さん、時間になりましたので、軽く説明をさせていただきますね。今日は一応数学の勉強会、という名目になっていますが、数学の授業のようなことをするつもりはありません。一応、皆さんの学校の進度に合わせて、学校、学年ごとに
その発言で、会場にどよめきが走った。驚きと不安、と言った感じだろうか。
「あ、でもそれを使わなきゃいけないってことでもありません。自分で取り組もうと思っている課題があれば、それをやっても良いし、適当に雑談するのも自由です。一応私と、そこのコユキ、それから先生が教師役になっていますので、分からないところがあったら何でも聞いてください。あっ、先生が教師役っていうもちょっと変な話ですね」
会場にまばらな笑いが起こる。流石に大規模校で生徒会をやっているだけあり、人前で話すのは慣れているようだ。
「それから、入退室も自由なので、あまり騒いで周りに迷惑をかけない範囲であれば、自由に過ごしてください。それでは皆さん、今日はよろしくお願いします」
そして彼女主催の数学教室が始まった。
流石に集まった生徒たちは数学の勉強をするつもり出来ている生徒がほとんどであり、とりあえずは、ということで殆どの生徒たちは配られた教材に真面目に取り組み始めた。
早瀬ユウカの作成した問題集は私も多少手伝ったので内容は知っているが、難易度のバランスも良く作られていた。
特にアリウスは、私の話を聞いた彼女が気を利かせ小、中学校レベルの算数、数学から実際の学年に即したものまで、様々な問題が用意されており、まともな教育状態に無かったアリウスの生徒たちに配慮されていた。
――
幾つかの質問に答えながら、生徒たちが勉強している間を歩いていると、問題集を解くわけでも無く、誰と会話するわけでもなく、ただじっと一枚の紙を見ている生徒がいた。見知った生徒、というより万魔殿の棗イロハだった。
彼女に数学が苦手であるというイメージは無かったが、実際のところはそうなのだろうか。
「こんにちは、イロハさん」
声を掛ける。彼女は私に気付き、見上げて困ったような表情をした。
「ああ、こんにちは、先生」
「まさかイロハさんがこれに参加されるとは思っていなかったのですが、何か困っているのですか?」
「はい、えっと、これなんですけど、イブキが悩んでいて、相談に乗ってはみたものの、全く分からなかったので」
私が尋ねると、そう言って、眺めていた紙を見せた。そこには確かに、いくつかの図形があり、そして数学の問題が書かれていた。しかし、これは……
「これを、イブキさんが?」
「はい、あまり難しそうには見えなかったのですが、さっぱり分からなくて」
「そうですか……、
「え?」
戸惑う棗イロハを連れて、質問の列をなすレベルで人気の早瀬ユウカのところに行く。列に並び、彼女の解説を聞いていると、教師としても向いていると思わせる内容だった。
ただ解き方の解説をするだけでなく、どこまで理解しているのかを確認しながら自らの力で正解にたどり着けるよう意識して解説をしていた。
そして、並び列で待っていた生徒の質問に答える代わりに順番を譲ってもらうなどを繰り返し、私たちの番になった。
「あれ、先生? それと……イロハさん? 何かあったんですか?」
早瀬ユウカが私たちに気付き驚く。教師役を任せられている私が並んでいるのだからそれはそうだろう。
「イロハさんが持ってきた数学の問題なのですが、見てもらいたく。飛び級で入った彼女の後輩が解こうとしていたらしいのですが……」
「あー……噂は耳にしたことがありますね。どういう問題ですか」
彼女も興味を持ったようで、棗イロハから問題の書かれた紙を受け取る。そしてすぐに目の色を変えた。
「これ……本当に後輩の子が考えてたんですか?」
「はい、そうですけど……」
「……一度、その子とちょっとお話がしてみたいわね」
「え、何を言ってるんですか急に」
棗イロハが困惑と警戒の表情を浮かべるが、早瀬ユウカは興味津々な様子だった。
「あ、ごめんなさい急に。でも、ちょっと俄かに信じられないことだったから。先生がわざわざここに来られた理由も分かります!」
早瀬ユウカがあまり見たことの無いテンションになっている。
「あの、
少し拗ねたような口調の棗イロハが、対称的に低いテンションでそう言った。