黒服がシャーレの先生になった世界線   作:黒服先生

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早瀬ユウカの数学教室③

「ごめんなさい、イロハさん。えっと、詳しく説明するのはちょっと難しいので、簡単に話しますね」

 

 早瀬ユウカは慌てて棗イロハに謝罪して、説明を始める。

 

 

「これ、小学校の算数みたいな書き方になっているから難しさがわかりづらくなっていますが、要約すると、『幅1mで直角の曲がり角のある通路を通ることの出来るソファの面積の最大値を求めよ』となりますよね」

 

「……はい、そうですね」

 

 棗イロハが頷くのを確認し、彼女は話を続ける。

 

「これは『ソファ問題』として数学会では有名な問題です。一見、一般的な高校数学レベルで解くことの出来そうな問題に見えますが、実際には50年以上()()()()()()()()問題です」

 

「え? 未解決問題?」

 

 棗イロハが驚いて口を開いた。丹花イブキがこの問題をどう入手したのかは分からないが、何かの本に書いてあった問題を誰かが彼女に理解できるような形式に直したか、あるいはウェブ上にそのような状態で書かれているものを印刷したかのどちらかだろう。

 

 それを解こうとしていたこと自体は大きな問題ではない。丹花イブキが高校数学レベルなら難なく解けることを、棗イロハにしても理解はしているだろう。

 

「ええ、そうなの。それに、ただ問題が難しい、というだけじゃなくて、ここに、多分その子が書いた図形がありますよね。多分、定規とペンで書いたんだと思うんだけど」

 

 早瀬ユウカは、用紙の端に描かれている所謂()()()()()()()()()()()()()()()()の図形を示す。

 

「はい、私はこれに何も書き込んでいないので、そうだと思います。それが正解なんですか?」

 

「完全な正解では無いわ。多分本人も理解していて、だから悩んでいたのかな、と思うんだけど。でも、殆ど上限値に近い形なの。これを自分で、何も見ずに作り出したとしたら数字に愛されているレベルの天才だと思う。私も数字には自信があるけど、それでも小学生の時この発想ができたかどうかは……」

 

 無理だったと断言しない時点で早瀬ユウカの才能も窺えるが、それを超える可能性もあるというのが丹花イブキの才能も凄まじいものがある。興味を惹かれて当然、というとこだろう。

 

「そんなに、ですか……」

 

 棗イロハが呟く。

 

「ええ。だから、ちょっとお話してみたいな、と思ったの。ごめんなさい、今日は教師役なのにテンション上がってしまって」

 

 早瀬ユウカが再度頭を下げる。棗イロハは首を振った。

 

「いえ、それはいいんですけど……そうですね。今度はイブキと一緒に来ても良いかもしれません。あの子はいつも算数が大好きと言っていますが、私たちでは誰も、その事をちゃんと理解できていなかったのかもしれません。ユウカさんと話せたら、イブキもきっと喜ぶと思います」

 

 棗イロハは複雑な思いを抱えていそうだったが、そう言った。

 

「あ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「いや、別にそんなつもりはないけど。……でも、うん、楽しみにしてるわね」

 

 その直後に牽制するようにそうする彼女を見て、早瀬ユウカは何か微笑ましい物を見るような目になった。

 

 難易度が高すぎたために問題の解決にはならなかったが、棗イロハは納得できたようだ。と言ってももう勉強を続けるつもりは無いらしく、カフェの中でスペースを見つけてくつろぎ始めた。

 

 

――

 

 

 早瀬ユウカが人気教師であると同時に、意外な事に黒崎コユキの方もまた多くの生徒が集っていた。

 しかし、その理由はすぐに分かった。アリウス生徒の殆どが彼女の周囲にいたのだ。あるいは、彼女が飲み食べしている菓子やジュースに興味を抱いたのかもしれないが。

 

 一応数学がテーマではあるようだが、彼女を中心に何かを話している。そしてその様子を、中心から外れて静かに見ている者がいた。

 

 今日の参加者の中では数少ない3年生である梯スバルだ。丁度、彼女に渡すべきものを持ってい

た。

 

 

「こんにちは、スバルさん。今日は皆さんの引率ですか?」

 

 話しかけて気付いたが、彼女も一応アリウス生徒用に用意されていた問題集に手を付けていたようだ。

 

「先生。こんにちは、その通りです、と言えれば良かったのですが……実は私自身も、数学についてはこの子達と変わらないのですよ。寧ろ、私の方が年を取っているので知識を取り込むのも出遅れているかもしれません」

 

 梯スバルがそう言って、使っていた問題集を見せる。確かに今やっている部分は目安として中学2年生辺りだろう、連立方程式の問題だった。

 

「……そう言いつつも、問題なく解けているようですが」

 

「まあ、この辺りは比較的解きやすいというか……感覚的に理解しやすい内容ではあるので。それが、この後に進むと少し難解になりすぎではありませんか?」

 

 梯スバルが愚痴を吐くようにそう言った。いたって学生的な悩みであり、健康的であると言えるだろう。

 

「確かに、感覚的に理解するのが難しくなってくる範囲ではあるかもしれませんね。しかし、実際には現実世界において多く利用されている分野ではありますね」

 

「それは、そうなのでしょうけどね……」

 

 勉学についての悩みであれば、存分に悩めば良い。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。とりあえず、彼女に話しかけた目的を果たすべきか。

 

「ところで、スバルさん。少しよろしいですか。」

「はい、何でしょう?」

 

「……少し、場所を移しましょう」

 

 アリウスの生徒に囲まれている場所ベアトリーチェの話をするのは少し難しい。

 

「はい、構いませんが……」

 

 訝し気な顔で彼女は私に着いてくる。他のアリウスの生徒に声が聞こえない位置まで移動し、ベアトリーチェのノートを取り出す。

 

「これに見覚えがありますか?」

「……ノート、ですか。随分古いですね。見覚えは……確かに、どこかで見たことがあるような気もしますが……」

 

 梯スバルは自分の記憶を探るようにノートを見た。

 

 

「これは、ポルタパシスを調べた時に発見したものです。恐らく、というよりほぼ間違いなくベアトリーチェの残したものです。そして、これはその中でも最も古い物だと思われます。半分も使われていないのですが、読んでみますか?」

 

「……あの人が残した……」

 

私の促すままに、彼女はノートを開いた。そこに記されたのがベアトリーチェの日記、それも彼女が出会った頃の物だと気付き、真剣に読み始める。

 

「内容に間違いはありませんか?」

 

「……はい。あの人がよくノートに何かを書き込んでいたのも思い出しました。見せてもらったことはありませんでしたが、内容も記憶を一致しています。」

 

 彼女は時折記憶を思い出すように手を止めながら少しずつ読み進めていく。それでもすぐにその時間は終わってしまい、日記の部分はすぐに読み終わってしまう。次のページと、その次のページも空欄であることを確認した彼女は、ノートを閉じようとした。

 

「スバルさん。もう少し先の方まで見てもらって良いですか?」

「はい? 何かあるんですか?」

 

 疑問の言葉を言いながらも、彼女は素直にそれに従う。そして、件のページが開かれた。

 

「あ……」

 

 ベアトリーチェから、『今の』彼女に宛てたメッセージ。流石にそのような物が載っているとは思わなかっただろう。

 

「この部分は、最近書かれたものだと考えています。恐らく、私たちがアリウスに行ったあの日の何日か前に書かれたものだと思われます」

 

「…………やはり、あの人の中に、昔のあの人が残っている、ということ、でしょうか」

 

 私に尋ねる。その答えを私が持っているわけではない、しかし

 

「それはまだ分かりません。しかし、彼女と話をする重要性はますます高まった、と言えるでしょう。故に、私はそのための努力を続けます」

「……はい、ありがとうございます」

「それと、一つ提案なのですが……」

 

 

――

 

 梯スバルに一つの提案をした後、2人で元居た場所に戻る。

 そこでは丁度、立木マイアが黒崎コユキに質問をしているところだった。

 

「確率の問題ですか? あー、これはですね。足し算ではなくで引き算で考えた方が分かりやすいですよ!」

 

 単純な確率の問題。連続でくじ引きを行い、一定回数であたりを引ける確率を求める問題のようだ。試行回数を終えた時、全て外れになる確率を求める問題。

 

「まあ、確率っていうのは、数学の答えとしては全然直感的じゃないですよね! マイアさんはコインを10回投げて全部裏だった時、次は裏か表、どっちがでやすいか分かりますか!?」

 

 最初はまともに解説していたが、途中で話題が逸れ始める。しかし一応まだ数学の範疇ではあるので静観する。

 

「え? えっと……表、じゃないでしょうか」

 

「そう思いますよね? でも、数学的には1/2なんです。事前の試行は次の一回の試行への影響を及ばさないので、何回連続で裏が出ていても、次の一回は必ず1/2になるんです。そこに関連性があると思い込むことをギャンブラーの誤謬、というそうですよ」

 

「ごびゅう?」

 

 立木マイアはそもそも言葉の意味が解らなかったらしい。

 

「間違い、ということです。ですが……私はそんな理論はカスだと思ってます! 流れとか、そういうものがあった方が面白いと思いませんか?」

 

「は、はい! そう思います!」

 

そしてまた立木マイアは強い意見に流されていないだろうか。

 

「ちなみに、コユキさんの答えはどうなのですか」

 

 彼女が選ぶ答えが気になり尋ねる。

 

うげっ、先生!? えーと……」

 

私に聞かれていたことに気付き、黒崎コユキは目を泳がせた

 

「話題が逸れているとは思いますが、別に説教するつもりはありませんよ」

「そうですか! じゃあ問題ありませんね。私なら、でしたっけ? にはは、勿論裏です!」

 

 自信満々と言った様子で彼女はそう答える。

 

「理由は何でしょう」

「10回も裏が連続で出たなら、それはイカサマがあるか、それか今日はそういう日なのかのどちらかです! つまり裏が出る可能性は相当高いと思います!」

「……成程」

 

 彼女なりの理屈があるのは理解できた。しかし、私はそれ以上の感想を伝えることが出来なかった。

 

「コーユーキー? 何を話してるのかしら?」

ゲッ、ユウカ先輩!? どうしてここに?」

 

 早瀬ユウカが彼女の背後に立つのが見えたからだ。

 

「どうして、ってもうそろそろ終わりの時間だから、それを伝えに来たのよ。そしたら随分楽しそうにギャンブルの話をしているみたいだったから」

「うっ……」

 

 黒崎コユキが説教を覚悟した様子になる。一応、フォローをしておいた方が良いだろうか。最悪の場合私にまで飛び火しそうだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()ですよ。確率計算が直感に反する、という事の解説をされていましたね」

 

「そうなの? 案外まともじゃない。皆、コユキの解説は分かりやすかったかしら? 結構盛り上がっているのは向こうから確認できたけど」

 

はい!

 

 立木マイアや集まっていた生徒たちが一様に頷き、肯定の返事をした。黒崎コユキは息を吐き、早瀬ユウカは満足そうにうなずいた。

 

「じゃあ、さっき言いかけど、あと少しで一応終わりの時間だから、それまでよろしくね、コユキ」

「りょーかいです」

 

そして、早瀬ユウカの言った通り、そろそろこのイベントも終わりの時間になりそうだった。

 

――

 

「……では、本日はありがとうございました。数学や数字に興味を持った方は、いつでも連絡してきて下さい」

 

 早瀬ユウカの締めの挨拶が終わり、生徒たちが帰っていく。早瀬ユウカも黒崎コユキも、何人かの生徒と個人的に連絡先を交換したようだった。

 

そして参加者が帰った後、私と早瀬ユウカで、カフェを元の状態に片づけた。黒崎コユキは疲れたと言ってまたソファでくつろぎ始めたが、早瀬ユウカはそれを見咎めることはしなかった。

 

「先生、今日はありがとうございました。お陰様で、有意義な時間を過ごせたと思います」

 

 片付けながら、早瀬ユウカに礼を言われる。

 

「それは何よりです。……いつも、ユウカさんにはお世話になっていますから、この程度の協力はいつでもさせてもらいますよ」

「はい、ありがとうございます」

 

 そして、片付けが終わり、早瀬ユウカによる、初めての数学教室は終了となった。

 

 




特に何も起きない平和な日常
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