「さて、私の番と言いましたが、どうお伝えしたら良いものでしょう……」
彼女にしては不明瞭に、明星ヒマリは話し始めた。何か複雑な事情でもあるのだろうか。
「先生は、『
「…………!!」
明星ヒマリからその名前が出てきたとき、脳に強烈な衝撃を与えられるような錯覚を覚えた。
当然、
私が信じられなかったのは、その名前を明星ヒマリが知っていたことではなかった。それを言われるまで、その存在のことを
「……驚きました。先生はご存知なのですね」
私の様子で察したのか、明星ヒマリがそう言った。驚いているというのは本当のようで、表情から微笑みが消えていた。早瀬ユウカには心当たりが無いようで、首を傾げている。
今、私の身に起こったことを伝えるわけにもいかない。しかし今更知らないというごまかしも効かないだろう。
「詳しい訳ではありませんが、その名前を聞いたことはあります。内容としてはそうですね……高性能AIの話だったかと」
しかし一方で、明星ヒマリがどこまで知っているのかもわからない。私の回答も慎重にならざるを得なかった。
「それだけでも、十分に驚くべきことです。何せ私は、いえ、私たちはデカグラマトンについて何の情報も見つけることはできなかったのですから」
「……? どういうことですか? 言い出したのはヒマリ先輩の方ですよね。」
話に置いていかれていると思っていたのか、早瀬ユウカが明星ヒマリに指摘した。しかし確かにその通りでもある。彼女が調べても何も出てこなかったというのなら、彼女にそれを教えたのは一体誰なのか。少なくとも私ではない。ゲマトリアの誰かと接触したのだろうか。
「ええ、その疑問は当然浮かびますよね。」
明星ヒマリが早瀬ユウカに首肯する。
「私がデカグラマトンを知ったのは、一通のメールによるものです。時期は、少し前。そうですね、先生がアビドスの件で話題になる、数日前のことだったかと思います。」
アビドスの件で私が話題になる少し前、ということはアビドスで主に仕事をしていた頃だ。その頃に、
「さて、そのメールについてですが、実際に見てもらった方が早いでしょうね。エイミ。」
「うん、ちょっと待って」
明星ヒマリの指示に従い、和泉元エイミが端末を操作する。モニターに、一通のメールが表示された。
それは、私たちに送られてきたメールとは違い、一件普通のメールのように思えたが、差出人が不明になっているところは共通していた。そしてその内容も、どこか奇妙なものであった。
件名は調査依頼。これだけであれば、仮に明星ヒマリの肩書を知っている者であればおかしくは無い。しかし、彼女が特異現象捜査部の部長であることは、一部の生徒しか知らないはずだ。
そして、内容はより奇妙なものだった。
「デカグラマトン。神を自称する傲岸不遜にして、自意識過剰な人工知能」
という文言から始まるレポートのような内容だ。その文章はまるで、書いている者がデカグラマトンのことをよく知っている……それは研究物として、という意味ではなく、旧知の人物であるかのような書き方であった。
そして筆者はデカグラマトンのことをよく思っていない……と取ることの出来る書き方をしている。しかし、その根底にあるのは、彼への哀れみであるように思えた。古関ウイに感化されすぎただろうか。
「これは……調査依頼、というタイトルになっていますが、とてもメールの文章がそうであるようには見えませんね。」
「ええ、面白いと思いませんか? 内容としてはどう考えても迷惑メールか何かの類ですが、メールの発信元が私でも特定できなかったこともあり、少し興味が湧いたのです。最初はその程度のことで、手慰みに調べてみたのですが、その名で調べても何も出てきませんでした。」
彼女は先ほどもそう言っていた。しかしこの場でそれを話題に出すということは、他に何か気になることがあったということだろう。
続きを促すように合図をする。
「そこで、少しアプローチを変えてみました。調査依頼のメールの文章のキーワードを利用して調べてみることにしたのです。高性能AIのキヴォトスやミレニアムにおける開発事情や、AIの起こした事件などをですね。しかし、案の定と言いますか、こちらでも直接の繋がりがあるようなものはみつかりませんでした。ですが、いくつか面白い噂は見つかりました」
「噂、ですか」
「はい。連続AI消失事件、とでも言えば良いでしょうか。キヴォトスで一定以上の高性能AIを搭載した機会、あるいはAIそのものが、突然無くなってしまうという事件です。時期もわからない、あるいはバラバラで連続性があるのかはわかりませんあくまで噂に過ぎませんでした。結局のところ、それらの噂に手を加えた創作、そう結論づけようとしたのですが……」
明星ヒマリが勿体をつけるように一旦話を区切った。そうならなかった、ということだ。
「何かあったのですか?」
「はい。実は、先日ミレニアムの通信ユニット『ハブ』が何者かにハッキングを受けるという事件がありました」
「はぁ!? ……すみません、続けてください」
早瀬ユウカが叫び、そしてすぐに我に返った。知らなかったのだろうか。
「ええ、ミレニアムにおいても重要な施設ですし、セキュリティにも気を使った仕組みになっていたのですが、ハブはそのハッキングに対し1マイクロ秒も抵抗できませんでした。そしてその後、AIは姿を消しました。通信ユニットごとです」
「ちょっ、ちょっと待ってください!? 流石に看過できません。じゃあ、今ハブは無いということですか? 長期メンテナンス中、と聞いていたんですが!?」
早瀬ユウカが結局、今度こそ前のめりになって言い切った。仮に彼女がそれを知らなかったのだとしたら、実際かなりの大問題に違いなかった。
「落ち着いてください、ユウカ。メンテナンス中というのは本当のことです。つまり、ハブは戻ってきたのです」
「え……?」
明星ヒマリは冷静に早瀬ユウカにそう伝えた。早瀬ユウカが停止する。
「
「………………はぁ、わかりました。すみません何度も話の腰を折って。」
早瀬ユウカは到底納得しているようには見えなかったが、そう言って引き下がった。明星ヒマリは少し、申し訳なさそうな表情をしていた。あるいは、そこにいない誰かに文句を言いたいのかもしれない。
「それで、何か問題は見つかったのですか?」
私からも話を促す。
「はい。大問題がありました。性能チェックは全く問題なかったのですが、AIの自認が変化してしまいました。今彼は『
それは奇妙な話だった。私の知っている話ともまた異なるものだ。私自身忘れていたのだから強く言えないが、少なくとも『ホド』の顛末はそれとは異なっていた。
「じゃあ、
早瀬ユウカが尋ねる。確かにそのほうが受け入れやすくはあるだろう。
「その可能性は低いと考えています。そのような痕跡は見つかりませんでした。そして、『ホド』を自称する彼は、ミレニアムの通信ユニットとしての職務を続けるために戻ってきたそうなのです。それに、突然職場を放棄した者に任せることは難しいと伝えると、判断はこちらに任せると、そう言ってきたのです。困った子でしょう?」
明星ヒマリは苦笑する。エイミは肩をすくめ、早瀬ユウカは
「さて、私とリオは、ハブに干渉し、信奉者に変化させた存在こそデカグラマトンだと考えています。そうでなかったとしても、既知のAIの性能を大きく上回っている存在であることは間違いありません。というわけで、シャーレの『先生』に調査の協力を依頼したく、こうしてお話したのです」
そして彼女は、それらの反応は無視して、そう話し終えた。
「……奇妙な話ですが、協力に関しては全く問題ありません。むしろ、私自身の興味も非常に惹かれる話ではあります。」
私が彼女にそう返事をしたとき、室内に複数の通知音が響いた。シッテムの箱と、そして明星ヒマリのスマートフォンのようだ。端末を確認する。
「……メール、ですね」