テマのミレニアムへの学校訪問は波乱と共に終了となってしまった。
シャーレへと戻る帰路の中、テマが目を覚ました。パニックに陥ることはもう無かったが、落ち込んでいた様子だった。
そこで、彼女が恐らく
私の依頼を快く引き受けてくれた彼女がシャーレに来てから、暫くの時が経った。時刻は既に深夜といえる頃になっていたが、私にも時間的余裕があまり無く、まだ事務所に残っていた。
「あなた様♡ まだこちらにいらしたんですね」
「ワカモさん。お疲れ様です。テマさんの様子はどうでしたか?」
呼んでいたのは、狐坂ワカモだ。テマはあの時、彼女を探しているように見えた。彼女のフォローをしてもらうとともに、心当たりが無いか聞くつもりでもあった。
「やっと寝付きましたわ。ですので、後はサキさんにお任せしました。いつまでもあの場にいると厄介な狐さん達に見つかってしまうかもしれませんから」
FOX小隊の生徒たちにとって、厄介な狐とはまさに彼女のことだろうが。
それはともかくとして、そんな状況にあっても彼女はテマのために駆け付けてくれた。私の頼み、ということもあるのだろうが、彼女がテマのことを気にかけているというのも、また事実だろう。
「そうですか。ありがとうございます」
「あなた様のお願いでしたら、このワカモ、何でもお受けいたしますわ♡」
彼女の言っていることは事実だろう。そして見返りを求めることも殆どない。強いて言えば、彼女の指定する店で食事を共にしたくらいだ。だからこそ、彼女の力を借り過ぎることに躊躇はあった。
しかし、今回に関しては彼女にしか頼めないことが複数あり、こうして連絡を取ったのだ。
「さて、落ち着いたところで申し訳ありませんが、二つほどお聞きしたいことがあります。よろしいですか?」
「もちろんです。どういったことでしょう?」
狐坂ワカモはいつもの距離感で立ったまま。私の言葉を待った。
「テマさんは今日、瓦礫の山を見てPTSDと思われる発作を起こしたというのはお伝えしましたが……実はその時、ワカモさんのことを読んでいたのです。『
「まあ、そうなのですね」
「何か心当たりがありますか?」
私の問いに、彼女はしばらく考えるようなしぐさをして、
「申し訳ありません。心当たりはありませんわ」
と言った。
「そうですか……仕方のないことでしょう」
「ですが……一点だけ思ったことがあります。あの子の言っているものがわたくしのことなのかは分からないので、はっきりとは言えないのですが……」
狐坂ワカモは彼女にしては歯切れ悪く、そう前置いた上で、答えた。
「落盤事故や建物の崩落にわたくしが巻き込まれる、というのはあまり想像できません。それに、その程度のことで大けがを負うというのも。つまり……いえ、だからなんだという話は、わからないのですけれど……」
「いえ、貴重な情報です。ありがとうございます」
確かに彼女の言うとおりである。もし仮にテマが未来から過去に移動してきていたとして、その原因等についてテマが思い出さなければ、これ以上の調査は難しい。あるいは、この時間軸においてもいずれ分かることかもしれないが。
「それともう一件、私に届いたメールを見てほしいのです」
昨日届いたメールを開き、狐坂ワカモに見せる。
「これは……」
「昨日、丁度件の騒動が直前に私に届いたメールです。本文に『覚えていますか』とだけ書かれています。ワカモさん。あなたも私と再会した際、同じようなことを私に尋ねましたね。これは、何か意味のある言葉なのでしょうか」
「…………」
メールを見て目を見開いた彼女は、暫く無言でそのメールを食い入るように見つめていた。そして
「…………うふ、うふふ、うふふふふふふふふふふふ♡」
不意に、彼女が狂気を帯びているように感じさせるような笑い声をあげた。その瞳からは涙がこぼれていた。
「……ワカモさん?」
「……はっ!? す、すみません!? ちょっと、えっと、その……思い出し笑いを」
「成程?」
彼女は慌てたように目元を拭き、そう言って誤魔化した。思い出し笑いなどと、明らかにそのような様子ではなかったが、深入りするべきではないのだろう。
「それで、そう! そのメールのことなのですけれど……」
「何か分かりましたか?」
「いいえ。これを送った人が何を考えているのかはわたくしには分かりません。先生が覚えておられない、ということはそれが最善である、という事なのだと思いますわ。ですが、きっと」
「はい?」
彼女の言っていることが分からない。覚えていないことが最善、というのはどういう意味だろうか。
「きっと、これを送った方とは、
そしてさらに彼女は意味深なことを言った。
──
「では、また何かありましたら、いつでもお呼びくださいませ♡」
狐坂ワカモはそう言って帰っていった。今回のように何か頼みごとをするとき以外では彼女はシャーレに訪れることは実のところあまりなかった。例外は預言者同盟の集まりがあるときくらいだ。
彼女もまた、何かの準備をしているのかもしれない、と根拠は無いがそう考えていた。
いよいよ夜も更けてきた。そろそろ自室に戻るべきだろうか。そう思った時、再び事務室の扉が開いた。
「先生、こんな遅くまで仕事?」
そう言って中に入ってきたのは、高倉クルミだった。3人でミレニアムから帰ってきた後、部屋に戻ると言って離れていった彼女は、努めていつも通りに振舞おうとしているように見えた。
そして、FOX小隊の彼女が就寝時間をかなり過ぎてここに来るのは、今までには無いことだった。
「ワカモが帰るの、待ってたのよ」
私の視線に気付いたのか、バツが悪い表情をしてそう言った。
「……気付いていたのですか」
「まあね。ミヤコ……小隊長とサキから、テマについてある程度のことは聞いてたし、あの子が泣いて呼んでいたのが誰だったのか、っていうのは気づいてたから。まあ、あいつに気を遣われていたってのはムカつくけど。それでも、お互いに出来るだけ関わらない方が良いでしょ。指名手配犯だけど、先生にとってきっと重要な生徒の1人だってユキノも言ってたし……」
考えてみれば、当然の話か。RABBIT小隊の生徒たちに何か口止めをしたわけでも無い。テマが狐坂ワカモに懐いている様子は七度ユキノは目撃している。
そんな中で、落ち込んでいるテマへ訪問しに来る誰かが何者なのか、ということはすぐに分かる話だ。
「正直、悔しいけどね。私が守ってやる、って言っておきながら、あの子が傷つくのをただ見ている事しかできなかった事も、それを癒すのを、ワカモに頼るのが最善だって思えちゃってることも」
高倉クルミは小さくため息をついた。自分の不甲斐なさを責めているようにも思えた。
「……クルミさんは十分に護衛の仕事をされていたと思いますよ。テマさんは結果的に怪我一つありませんでしたし、モモイさんも、クルミさんが動いていなければ大怪我を負っていた可能性が高いです。本人さえも覚えていない心の傷について知らないのは不可抗力です」
「それは……言われなくてもわかってるわよ。私にはどうすることもできなかった、護衛としては十分仕事をした、そう思おうともした。でも、泣き叫ぶあの子に何も出来なかったのは、やっぱり悔しい」
私が言ったことなど、十分に彼女は理解しているようだった。しかし、感情的には納得できない、そういうことだろう。
「愚痴っちゃってごめんなさい。何か、どうしてもモヤモヤして、誰かに言わないと気が済まなかったから」
「全く構いませんよ。クルミさんにも、いつも世話になっていますから」
私がそう返すと、彼女は何故か大きなため息を吐いた。
「はぁ………… まあ、いずれにしてもリベンジするつもりだから。中途半端に終わっちゃって、納得してないでしょ、あの子も、ミレニアムの子達も。その時は私もまた一緒に行くから」
「……はい、そうですね。では、その時はよろしくお願いします」
──
高倉クルミは再挑戦の宣言をしたのち、すぐに居住区へと戻っていった。言いたいことが言えて、満足したのであれば何よりだろう。後にあまり引きずらないのは、彼女の美徳の一つだろう。
そして、彼女とテマを連れてミレニアムへの再訪問をするのは、このとき、思ったよりもずっと近い未来の話になるのだった。