テマの学校見学の、その翌日。朝からいくつかの重要な仕事を済ませたところで、事務室に一人の訪問者が現れた。
本来であれば、今日は早瀬ユウカが事務所に来る日であったが、今日は来れないという連絡が先程あった。これは予想通りではあったが、代わりの生徒が来るとは思っていなかった。
「おはよう先生! 事務室に来たのって何気にはじめてかもー!」
才羽モモイの声がシャーレの事務室に響いた。
「おはようございます。モモイさん。怪我などは問題ありませんでしたか?」
高倉クルミが救出したおかげで昨日の時点では大丈夫そうではあったが、彼女も建屋の崩落に巻き込まれていたのは事実だ。
「私はね! マキは『暫くイラスト描けないしゲームもできない~!』って嘆いてたけど、私は本当に大丈夫だよ」
才羽モモイはその場でくるくると回って無事をアピールする。少なくとも、体調が万全であることは間違いないようだった。
「それは何よりです。それで、今日はどうかされましたか? また何かあった、という訳では無いのですよね?」
もしそうであれば、流石に事前に連絡があるだろう。そう思って尋ねたが、やはり彼女は頷いた。
「うん。今のとこは大丈夫! ユウカがシャーレに行けないって聞いたから、私が代わりにお手伝いに来たの!」
確か、
「そうですか……てっきり、ユウカさんと同じように、アリスさんと一緒に過ごすのかと思っていましたが。昨日のこともありますし」
そのことを尋ねると、才羽モモイは苦笑いのような表情になった。
「う~ん……確かに、そうしたい気持ちはあるんだけど。アリスが、やっぱり私にも大怪我をさせかけたってことを気にしてるみたいで。あ、そうれはユウカから聞いたんだけどね! ちょっと時間を置いた方が良いのかな、って思ったの。 あ、でもずっとって訳じゃなくて、今日一日くらいはって話だよ!」
そして、彼女はそう説明した。天童アリスが暴走していたことに関して、彼女自身にそれを責めるつもりは全く無いようだった。
「成程。そういうことであれば、よろしくお願いします」
「うん! 私は何をすればいい? っていうか、ユウカっていつも何をやってるの?」
才羽モモイは早瀬ユウカの通常の仕事内容に興味を持っているようだった。しかし、彼女に任せているような仕事を才羽モモイに任せることは難しいと思われた。
「最近は会計業務のようなことを中心にやってもらっているのですが、それをしてもらうのは少し難しいでしょうね」
「うわ~、ユウカっぽいことやってるんだね…… 私には無理そうだ―!」
才羽モモイも首を振ったので、彼女に何をしてもらえるから考えた。
「……そうですね。では、掲示用の求人情報を作ってもらいましょうか」
「んー? アルバイトみたいなこと?」
「そうです。シャーレには様々な案件の依頼が来ますが、その中でも有償の生徒派遣依頼が企業や学校から来ることがあります。専門性があれば直接生徒にお願いすることもあるのですが、そうでない場合はチラシを作ってカフェに掲示しています。モモイさんも見たことあるでしょう?」
「あ、あるある! 私もやってみようかなって思ったことあるよ!」
私の説明で才羽モモイも思い出したようで、大きく頷いた。
「そちらのPC……普段ユウカさんが使っているものですが、そこに求人というフォルダがあります。その中に求人情報のメールがありますので、いくつか好きに作ってみてもらえますか? 雛形も同じフォルダに入っていると思います」
「うん! とりあえずやってみるね!」
彼女は威勢よく頷き、PCのある席についた。
──
思いのほか、というのは失礼かもしれないが、才羽モモイはそれから至って真面目に作業を続けた。
何度か私に質問することはあったが、想像したような誇大広告にするようなことも無く、雛形に沿った堅実な求人情報を作っていた。そして、その内容も殆ど正確なものだった。後でチェックをするつもりだが、これなら問題は無いだろうと思えた。
そして、しばらくお互いに静かな状態で作業を続けた。
どれほどの時間が経っただろうか。ふと、才羽モモイが作業をしている方に目をやると、作業の手を止め、こちらをじっと見ている様子に気が付いた。
「……何か問題がありましたか?」
「あっ!? ううん、何でもないよ」
彼女に尋ねると、慌てた様子でPCの方へと視線を戻した。しかし、その手を再び動かそうとしているようには見えなかった。
思えば、彼女がただ純粋に興味本位で、あるいは単純に早瀬ユウカの代わりとしてここに来た、というのは少し不自然であるように思えた。
あれだけのことがあったのだ。能天気に振舞っていても、恐らく彼女には、
「……モモイさん。少し話をしましょうか」
「えっ!? う、うん。そうだね、お話、する」
何故か片言になってしまった才羽モモイ。どうすれば、彼女が話しやすい環境にすることができるだろうか。
早瀬ユウカがいてくれればそういったことには適任だったのだろうが、今は彼女に頼ることはできない。
「話を振っておいてなんですが、モモイさんは私に聞きたいことがあるのではありませんか? あるいは、シャーレに来たのも、別の用事があるのかもしれませんが」
少し考えてみたが、結局私はストレートに彼女に尋ねる位しか思いつかなかった。
「う……」
やはり、図星ではあったようだ。彼女は下を向く。
「えっとね……本当は……ううん、えと、先生のお手伝いをしに来たっていうのも嘘じゃないよ! でも、本当は……テマに謝りたくて来たの。でも、ちょっと言い出しづらくて……」
そして、ここに来た本当の目的を彼女は話した。
「成程……しかし、昨日の件はモモイさんに非は無いと思いますが」
「そうかもしれないけど、でも、昨日あんな感じでお別れになっちゃって、
もし、自分が怪我をしたのであれば、彼女はそこまでこの件を気にすることは無かったかもしれない。しかし、実際にはテマのトラウマを刺激され、パニックを起こしてしまった様子を彼女も目撃している。
それが彼女の気持ちを暗いものにさせていて、何とかしたい、という思いで来たのだろう。しかし、先ほども言った通り、彼女自身は別に何もしていない。それはテマや、高倉クルミも分かっているだろう。だから、言えずにいたのかもしれない。そう思った。そして、その解決策は容易に思いついていた。一つ、彼女に提案をする。
「そういうことですか。では、モモイさん。一緒にカフェに行きましょうか」
「え? カフェ? 良いけど、なんで?」
私の唐突な提案に、彼女は目を丸くした。
「何故か、ですか。今の会話の流れから分かりませんか? テマさんが今、カフェにいるからですよ」
私は立ち上がり、そう言って事務室の外へと歩き出した。
「えぇっ!!? そ、そんないきなり!? ちょっと待ってよ先生、まだ心の準備がぁっ!」
そんなことを言いつつも、才羽モモイは私の後を追い、カフェへと行く道へ着いてきた。
彼女の話は、言ってしまえばそこまで大したことでは無い。本人同士の会話になれば、すぐにでも解決する話だ。
もちろん、そう考えるのは理由があった。
カフェへと入ると、そこにいたテマはすぐ、私の後ろにいる才羽モモイに気付いた。 そして
「おぉ! モモイちゃん! 昨日ぶりですねぇっ!」
と、笑顔で話しかけた。
昨夜、最愛の「あねさま」である狐坂ワカモに目一杯甘えたらしいテマは、昨日ミレニアムに着いた時よりもさらに機嫌が良い状態になっていたからだ。