生塩ノアが呼ばれたという、下層部にある部屋へと向かう。
あまり考えられる組み合わせでは無いと思っていたが、その中に入ると、どういうことなのかはすぐわかった。
「うにゃぁぁ──ーっ!!? どうしてそうなるんですかぁー!!?」
テマの叫び声が室内に響く。白石ウタハが行っていた試練。既にアバンギャルド君は破壊されてしまっているが、あれはただの演出であったため同様のゲームは引き続き遊べるようになっているらしい。
片方はテマ。そしてもう片方は白石ウタハではなく、生塩ノアがいつもの微笑みを浮かべて立っていた。
「もう全然わかんないですよぉー!!」
テマが喚きながらボタンを押す。画面を見ると
ノア 損傷率 8%
テマ 損傷率 92%
と書かれていた。これ以上ないほどに見事な負けっぷりをしていた。
「やあ、先生。来てくれたんだね」
入室した白石ウタハがこちらに気付き、声を掛けてくる。
脇で呆れた様子で戦いを眺めていた高倉クルミもこちらに気付いて会釈した。
「成程、つまり、ノアさんはこれに呼ばれていた、という訳ですか。テマさんが戦いたいと言ったんですね?」
「まあ、そうだね。私じゃ相手にならないと思って呼んだんだ。でも、思ったよりノアが強かったみたいだね」
「うわぁぁん、ウタハちゃぁん!!?」
白石ウタハと話していると、丁度③のボタンによる攻撃を通されて敗北したテマが彼女に泣きつくように駆け寄ってきた。
「お疲れ、テマ。流石の君でもノアには勝てなかったかい」
そして、子どもをあやすようにテマを受け止めた彼女は、そう言いながらテマの髪を撫でた。
テマもそれで騒ぐのをやめ、されるがままに撫でられていた。
「勝敗はともかく、随分と懐かれているようですね、テマさんに」
「うん、そうかな? まあ、気安い相手だと思われてるんだろうね」
髪から頬へと触る場所を移しながら、白石ウタハは答える。まるで猫でも扱っているかのようだ。
「本当、サキ……えっとウチの1年生でこの子が凄い懐いてる子がいるんだけど、その子くらい懐いているわね。っていうか、ウタハは何とも思ってない訳? 聞いた話では一回テマに
こちらを眺めていた高倉クルミも近づいてきて白石ウタハに話しかけた。
「ああ、まあ、なんてことは無いさ。少し驚いたし悔しくはあったけど、あくまでゲームの話だからね」
「それに、こういうのが大の得意で、
「へぇー……それ、今日ここに来ている人?」
「まあ、そうだね」
誰のことを言っているかは検討が着いた。以前までのイメージとはやや異なるが、今日の様子を見ていれば彼女が問題児呼ばわりされている意味も分かる、というものだ。
「お疲れ様です、先生」
反対側で戦っていた生塩ノアも近づいてきて、こちらに頭を下げた。
「ひぃっ!? ウタハちゃん、倒してください!」
「あらあら、随分と怖がらせてしまったみたいですね。そんなつもりは無かったんですが」
「1発目で手加減したあなたを煽ったテマが悪いのよ、気にしないで」
高倉クルミが呆れ声を出した。最初から見ていた訳では無いが、何かそれ相応のことがあったようだ。
さて、あれだけ白石ウタハを圧倒したテマが、生塩ノアには手も足も出なかったのも、理由が分かる気がした。
この二人はどちらも心理戦に強い部類ではあるだろう。少なくとも、戦う相手によっては引けを取らない強みを見せることだろう。
しかし、2人の戦い方は必ずしも同じではない。
テマがあの時白石ウタハにやってみせたのは、思考誘導だ。会話によって心の隙を作り、相手の選択肢を狭めてそこを刺す、というやり方であり、そう言った誘導に耐性が無い人物であれば、かなり高精度に行動を操ることが出来るのだろう。
一方で、生塩ノアがやっていたことは、実際のところは分からないが恐らく高度な観察力による分析だろう。相手を操ることはせず、あくまで行動や言葉、表情の変化から相手の思考を読み、出す手を決めている。
相手の行動を操ることは出来ないが、一方で相手によらず使いやすい手法だ。もっとも、彼女ほどの精度でそれをやるのは非常に難しい事でもあるのも間違いなかった。
「ウタハちゃんもクルミちゃんも頼りになりませんねぇ! じゃあ先生、出番ですよぉ! 手前様がやってしまってください!」
考え込んでいる間に、テマは白石ウタハや高倉クルミに自らの敵討ちをすげなく断られたらしい。
別に彼女の敵討ちをしてやる義理も無いのだが、周囲を見渡すと、そうしないことが許される状況でも無いことに気付いた。
「なるほど、ここで真打の登場という訳ですね」
何故か、生塩ノアが乗り気だった。
「ふむ、確かに先生がやるのは、ちょっと見てみたいな」
「一応うちのトップなんだから、カッコいいところ見せてよね!」
そして、観客の二人も似た様子で、いつの間にか、断ることの出来ない空気になっていた。
「……分かりました。一戦だけお付き合いいたしましょう」
私はそう言って、部屋の奥にある、先ほどまで生塩ノアが使っていたボタンの方まで移動した。
──
私はこのような読み合いが特段得意だと思ったことは無い。論理的思考や情報の整理、そしてその明確にされた情報に基づく分析に関してはそれなりに経験を積んでいるが、生塩ノアの、今回の対戦相手のような超人的な記憶力、観察力があるわけではない。
どちらかというと、テマに似た思考誘導や盲点を突くような事の方が、まだやりようがあると言えるだろう。
どう戦ったものか。
ボタンを前にして、考える。
とはいえ……そもそも、別に
そもそもテマ以外は、何らとやかく言うようなメンバーでも無い。
作戦を少し考えはしたが、当たり障りなく終わらせてして良いだろう。
「よろしくお願いします、先生」
「こちらこそ、お手柔らかにお願いします」
生塩ノアと挨拶を交わし、ゲームが始まった。
──
「…………」
画面表示を見て、私はため息を吐いた。そこには当然、結果が表示されている。
────-
先生 損傷率0%
ノア 損傷率104%
────-
結果的に、たったの5ラウンドで決着が着いてしまった。始まってから10分近くしか経過していない。
「な、何なんですかぁこの結果!!?」
テマの叫び声が沈黙を破る。正直妙な空気になってしまっていたため、助かった。
「いや、流石に……ええー、ここまで?」
高倉クルミの唖然とした声。
「先生とノアが示し合わせていた、わけでは無いんだろう?」
そして、白石ウタハが、念を押すようにそう言った。
しかし、そう言った事実は無いし、生塩ノアが手加減をして負けた、という訳では無いのは明らかだ。
「…………完敗、ですね」
流石の生塩ノアもこの結果には驚いているようで、私を見つめて小さく呟くのが精一杯のようだった。
さて、この空気をどうするべきだろうか。原因に心当たりのあった私はそう考える。
「……正直な所、運が良すぎましたね。幾つかのタイミングで、間違ったボタンを押してしまったものですが、それさえもうまくはまってしまったようです」
とりあえず、言い訳めいたことを口にする。流石に、堂々と誇れる気分にはならなかった。
「ほぇー……何か変な事言ってますけど、先生って意外と凄いんですねぇ」
それに乗る形でテマが気の抜けるような誉め言葉を言った。
「だから言ってるでしょ、この人、まともじゃないって」
「あ、それって褒め言葉だったんですかぁ? 先生がかなり変人なのは前から知ってましたよぉ?」
そしてテマは続けて悪意無く……いや、おそらくそこそこ悪意のある発言をする。文句が無いでは無かったが、彼女のこの空気には今助けられている。
「まあ、否定はしませんよ。ただ、今回の結果は多分に偶然が含まれている、ということだけ理解していただければと思います。…………さて、私は少し別の方とお話する予定がありますので、この辺りで失礼いたします。皆さんも体を休めることは忘れずにお過ごしくださいね」
多少空気が弛緩したことを感じた私は、そう言って、速やかにここを後にするべく動いた。
「先生……」
「ノアさんも、お疲れさまでした」
「あ……はい、おやすみなさい」
生塩ノアはまだ何かを考えているようだったが、彼女には次に会うときに話せる範囲でフォローした方が良いだろう。
部屋を出ながら、私はそう思った。
──
次の用件へと向かう前、周囲に誰もいないことを確認しシッテムの箱を開いた。
理由は当然、先ほどの
「A.R.O.N.A. 聞きたいことがあります」
-はい。
「何故あのようなことをしたのですか?」
-あのような、とは何のことですか
「あの部屋の機器に介入し、結果を改変したでしょう。私の押したボタンと、結果表示が異なっていることがありました」
-でも、それであなたは勝ちました
「それは不正というものです。勿論私が言えることではありませんが、先ほどの場面は不正をしてまで勝つ必要がある状況でも無かったのでは?」
-すみません。
「謝罪を求めているわけではありません。何故あのようなことを行ったのかを知りたいだけです」
-……怒っていますか?
A.R.O.N.A.の発言は要領を得ないものだった。今まで、このサポートAIは一定の理屈にそって行動をしていると考えていた。時折妙な発言をすることもあったが、それは単に、そう言った感情に近い物を適度に出力するようにプログラムされていただけだと思っていたのだ。
しかし、今回、発言も行動も今までのそれとは異なっていた。わざわざあのゲームに介入して私を勝たせることも、私の発言をはぐらかすようなことも、今までには無かったものだ。
そして、そのような出力が故障によるものでないとすると、考えられることは一つだった。
「怒っているのは、あなたでしょう。A.R.O.N.A」
-私は、怒っていません。私はあなたのためのAIですから
「だとしても、あなたには意思がある。違いますか? 故に怒ることもある」
-…………
「理由は……すぐには思いつきませんが、ハブと戦った時のことに関係していますか?」
-…………知りません。
この態度は、恐らく私の質問が正しい、ということだ。そしてシッテムの箱のサポートAIもまた、
怒っているというより、むしろ。
「拗ねている? 私が自らのミッションをこなしてくれたあなたを労いもせずに、ハブやケイなどの別のAIの事にかかりきりだったために?」
-…………デリカシー【delicacy】感情、心配りなどの繊細さ。微妙さ。「―に欠ける振る舞い」「―のない人」*1
サポートAIらしく、デリカシーの語義を示してきた。つまり、合っている、という事だろう。
「申し訳ありません。今の事もそうですが、先ほどの件も、配慮が足りませんでした」
-…………いえ、こちらこそ、ごめんなさい。迷惑をかけるつもりはありませんでした
「分かっています。……いつも、頼りにさせてもらっています。ありがとうございます」
-はい。これからも、よろしくお願いします
どうにか今まで通りの関係を保ったまま、A.R.O.N.A.との会話を終わらせる。今日は全くもって、妙にAIのことで頭を使う1日だった。