深夜のエリドゥ、私はその屋上に来ていた。先程私たちがゲーム開発部の生徒たちを出迎え、そして、突然現れたハブと戦った場所。
そこで私は待ち合わせをしていた。
「お待たせしました、先生」
彼女が現れたのは待ち合わせ時刻の数分後だった。
「こんばんは、ケイさん。もう、皆さんは寝られましたか?」
「いえ、まだ全然騒いでますよ。おかげで抜け出してくるのがちょっと大変でした」
ケイはそう言って苦い顔をした。何か言い訳をして抜けて来たらしい。
「お疲れ様です。アリスさんは?」
「起きていますよ。もう、隠すようなことはしたくないので」
そう言って、瞬きをすると、彼女の表情が瞬時に天童アリスの物へと変わった。たった一日だが、この変化にも慣れてしまった。
彼女はこちらに手を振ると、すぐに瞬きをし、再びケイに戻る。
「……はぁ。それで、あなたにお話したいことが色々あって、こうして呼び出したんですが、いざ話すとなると、何から言ったら良いのか分からなくなります。でも……そうですね、まずは、謝りたくて……」
「謝る? 何をですか?」
ケイの意外な言葉に私は疑問を返した。
「先ほど、ここでリオがハブの中での様子を説明した後、私が後から説明した話がありましたよね」
「ああ、リオさんやハブの責任について、話していたものですね。結果として、話は解決に向かったので良かったものと思いますが」
私の返事にケイも頷く。
「はい。私の目的はそれで間違いない物です。ただ、あれは結局、誤魔化しただけなんです。本当の原因は……紛れもなく、私だったのですから」
「それは……どういうことですか?」
「……ハブがデカグラマトンの影響を受ける少し前に、私はハブにアクセスしていました。どれほど意味があるかは未知数でしたが、少しでもその影響を削ぐために」
「まだあなたたちが廃虚にいた頃の話ですか。よくアクセスできましたね」
「
ケイは同じ屋上で動作を停止しているハブの方を見た。
「意思を得たハブが、預言者として、でもなく、ミレニアムの通信ユニットとしてでもなく、
ケイはそう言って頭を下げた。
「たとえそうだとしても結果としてミレニアムはハブを失うことが無かったのですから、良かったのだと思いますよ」
私はそう返す。あの場でこの説明をしなかったのも、余計な混乱を生まないためという意味では悪くない判断だろう。誰が悪いのか、ではなく誰も悪くない、とした方が都合が良い。
「ありがとうございます。嬉しいです、そう言ってくれて」
ケイは心のつかえが取り除かれたような様子でそう言った。
「リオさんはこの話は?」
「一度解散した後少しだけ話をしました。リオにもお礼を言われただけでしたが」
「そうですか」
であれば、この話についてはそれで良いだろう。
私がそう考えたのが彼女にも通じたのか、ケイも頷いて、再び口を開いた。
「それで、もう一つ、お話したいことがあるんです。色々考えたんですけど……私は、アリスの身体を離れようと思っています。」
――
今後のことを考えた時、ケイの言葉はその中の予想の一つではあった。一つの身体に二つの意識があることは、一概に便利な事とは言えず、寧ろ高いリスクを抱えていると言えるものだったからだ。しかし、すぐに受け流すことも出来なかった。
「離れて、どうされるのですか?」
「考えはあります。最終的には自らの身体を持てるようになればいいな、と思っていますが、それまでの一時的な居場所も、想定しています。私の意識をアリスから切り離して、移動させる居場所ですね」
ケイは、まっすぐこちらを見ながら話している。決意は決まっているようだった。
「その移動にリスクは無いのですか?」
それでも、思わず聞いてしまう。水を差すような発言だとは分かっているが、止められなかった。
「勿論、無いという訳では無いですが、あるとしても、アリスには影響を及ぼさない範囲です。」
「そういう問題では……」
「というか、先生のせいですからね」
こちらの言葉を遮るように、彼女は私に文句を言った。
「先生のせいで、
「……」
強い意志の籠った表情で、そのようなことを言われた私は咄嗟にそれに答えることが出来なかった。
「……だ、大体、リスクを取らずに生きていくことができないのは誰でも同じです。病気になれば、手術を受けることもあるでしょう。それでも、生きたいから人はリスクを取るんです。私の選択も同じことです! アリスの中にいること自体、私にとってもアリスにとってもリスクなんですから、どちらを許容するかということでしかありません!」
自分の発言が恥ずかしくなったのか、突然早口になって、ケイはそう捲し立てた。その様子に気が抜けた私は、
「確かに、それはその通りですね」
と返した。しかしその時、先ほど彼女の言った言葉が妙に引っ掛かった。
「ケイさん、言葉の綾、だとしたらそれで良いのですが、私のせいで生きてみたいと思った、というのでは、まるで元々は死ぬつもりだったかのような表現ではありませんか?」
その引っ掛かりを、彼女に尋ねる。
「それ、聞きます?」
彼女は苦笑を浮かべて、そう言った。
「言いたくなければ、無理に聞こうとは思いませんが」
私がそう答えると、ケイは深くため息を吐いた。
「私のことを思って言ってくれているのは分かりますが、私としては
そしてケイは自らの考えていたことを明かし始めた。
「この世界で私が、記憶を思い出してから、私は、ずっと待ち続けていました。アリスや、先生と再会することを。その後、別の世界の記憶を持つ私とも合流して、私には思い出が増えましたが、その目的は変わりませんでした。」
別の世界……恐らく私が元々の記憶として持っているB世界と似ている世界の記憶。
「その私は、その私にとっての『先生』が現れないことを理解して、自らの意識を手放した。その時、本当は、私はそのことを羨ましく思いました。それは、私の持つ記憶の中のあの人も、この世界には現れない、と理解していたからです。」
彼女の記憶の中の存在、本来、私の代わりにいたはずの先生の事だろう。私の見た目をした、私以外の何か。
「それでも、私は待ち続けました。あなたと、アリスに会って、そして知っている情報を伝えるために。それができれば、そこでやっと終われる、と思っていたんです。本当は、それ以外の人たちと話すつもりも無かったんです。会えば会う程、それは
語る彼女の顔は、ずっと穏やかな表情をしており、その心情を窺うことは難しい。しかし、並大抵のことでは無いのは分かった。
「二日前、この世界のアリスと初めて話したとき、アリスはそんな私のことを否定しませんでした。自分には想像できないことだとは言っていましたが、私の、やりたいようにやって良い、とそう言いました。ただ、先生や、いろんな人と話をするのも良いと思う、と言ったんです。別人であっても、仲良くできるかもしれないから、と」
ケイが最初から私だけでなく、調月リオや明星ヒマリと話すことを拒否する様子を見せなかったのは、そのような事情があった、ということか。
「それで、実際に話してみて、少し、あの人とあなたを混同してしまうような失礼なことも、ありましたけど、思った通り、やっぱり、私の知っている人たちとは少し違いました。違ったんです。でも、思ったほどに嫌な気持ちにはならなかったんです。それどころか、もっとこの人たちのことを知りたい、とそう思ったんです。特に先生、あなたのことを」
「…………私、ですか」
今まで、彼女が私に執心な様子を見せるのは、過去の私ではない誰かのことを考えているから、だと思っていた。しかし、実際にはそうでは無いのかもしれない。
「どうしてなのかは分かりません。でも、私の言葉を一切否定せず、気遣ってくれていることはとても嬉しかったんです。それが理由だとしたら本当にチョロすぎますね、私。……ともかく!」
ケイは自問自答した後何かをはぐらかすように大きな声を出し、仕切りなおすように話を続けた。
「違いが気にならなかった、というより、私は新しい知り合いが増えることに、どこか喜ばしい気持ちになっていました。それは、今までかんがえていたことと大きく違っていて、それで、
それがどういうことなのか考えたんです。」
彼女の言葉の答えに近い物を私は先ほど直接聞いていた。それは、恐らく……
「……そもそも、ケイさんはどちらでも無かった、という事ですか」
「! はい、そうなんです。そうだ、という事に思い至りました。きっと、私は元々『天童ケイ』でも『KEY』でも無かったんです。本当は私は2人の記憶だけを受け取って、それが
彼女は100年以上、孤独に過ごしてきた。故にそのことに気付くことが出来なかったのだろう。
「最初に『天童ケイ』で無くなったのは、彼女が耐えられなくなったわけではなく、私がそういう想像をしたからだったんです。それは、ただの想像ですが……。そして今、『KEY』としての自分もいなくなりつつあります。いえ、いなくなる、と言う表現はきっと間違っていますね。二つの記憶は今でも大切ですが、それは元々、私の物では無かったんですから。」
彼女の話す内容は哲学的な、正しくそれが正解であるかを断じることが難しい内容であった。
彼女が『天童ケイ』や『KEY』と名乗らなかったのは、実際のところ、そのときには既に自分がどちらでも無いことを、無意識に理解していたのかもしれない。
いずれにしても重要なのは、それが故に、彼女が生きる希望を持った、ということだ。
「…………なるほど、だから私のせいで、生きてみたいと思った、と言ったんですね。些か論理が飛躍しているような気もしますが、納得しました。」
彼女の意志は彼女が自ら気付いたことによるもので、私との会話はほんのきっかけにすぎないだろう。
「余計な一言が入っていますが、その通りです。……だから、私はそうすることに決めました。はっきり言いますけど、今の私は本当に、生きる活力にあふれていますからね!?」
そしてもう一度、彼女は長々と語ったことに対する照れ隠しのつもりなのか、大声で宣言した。
「それは、素晴らしいことですね。……そういうことであれば、私も応援することにしましょう」
「あまり本音に聞こえない言い方ですね。でも、それがあなたなんですよね」
それに対する私の言葉に、ケイは天童アリスによく似た、屈託のない笑みを浮かべてそう言った。
次回からこの章のエピローグになります。