花とカメラ①
エデン条約の締結などのいくつかの大きな仕事と、天童アリスの周辺に起った個人的に大きな出来事、それらの後処理も終わり、シャーレもようやく平常運転となりつつあった。
そのとある一日、私はシャーレの事務室で陸八魔アルを待っていた。彼女の、便利屋68への依頼と報告は緊急時以外は対面で行うことが多く、依頼時はこちらが出向き、報告の際は向こうがシャーレへと訪れることが定例となっていた。
しかし、今回は状況が異なっていた。予定時刻になっても陸八魔アルが現れない。以前、彼女に別の用事があった際、鬼方カヨコが代わりに現れたこともあったが、誰も来ない上に連絡もないというのが少し気になった。また不運な目にでもあっているのだろうか、そう思いこちらから連絡すをしかけたとき、事務室の扉をノックする音が聞こえた。
「どうぞ」
普段よく出入りする者に、わざわざノックして入ってくる者はあまりいない。予定外の来客だろうか。そう思いながら入室を促す
「しっしししっ……失礼します!!」
尋常じゃなく緊張した声と共に、過剰に勢いよく扉が開かれた。そして姿を見せたのは、同じ便利屋の、伊草ハルカだった。
「おや……ハルカさんでしたか。アルさんが来ると聞いていたのですが」
「……!! すみませんすみませんすみません!! アル様じゃなくて申し訳ありません! 私なんかが報告に来て……」
「ああ、いえ。ハルカさんで何か問題があるという事は全くありませんよ。報告に来ていただいたのですよね? どうぞ、おかけください」
緊張で震えている彼女を事務室内の来客テーブルへと案内する。挙動不審になりながら、椅子に着いた彼女から、大事に抱えすぎて
当然、明星ヒマリらミレニアムの専門家たちも調査に当たっているだろうが、彼女達の情報網に引っ掛かりにくい、裏社会での噂などを中心に集めてもらっていたのだ。
「ありがとうございます。飲物は何がお好きですか? コーヒーか紅茶、あるいはジュース類もいくらか用意があります」
「いえいえいえいえ。あ、あの、お、お気になさらず…………」
「そうですか? 仕事をしているだけで貰い物が増え続けてしまうので、消費に協力してくれた方が嬉しいのですが……」
「!?!? じゃ、じゃあその。お、オレンジジュースを……」
伊草ハルカは恐る恐るジュースを選び、手渡したそれを恭しく受け取った。
「で、では、私はこれでっ……ふあっ!?」
そして用件は済ませたとばかりに急いで彼女が立ち去ろうとしたとき、先ほど連絡をしようとした端末が大きな音を立てた。陸八魔アルからの連絡のようだ。
「すみません。少々お待ちを……」
それは陸八魔アルからの連絡だった。
『事後報告でごめんなさい、黒服さん! 別件の仕事でちょっとしたトラブルがあったから、ハルカにお使いをお願いしたんだけど、もう着いているかしら? 仕事が終われば私もシャーレに行くつもりだから、申し訳ないのだけれど、それまでハルカにも待っているよう伝えてもらえる?』
「……とのことですが、どうされますか?」
「………………あ、アル様が待てと仰るのであればいつまでもお待ちします……」
伊草ハルカは誰もいない周囲を見渡すようにしっかりと逡巡した後、そう宣言した。
──
人づきあいが得意でないと思われる伊草ハルカは、不特定の人物が自由に出入りするカフェよりも、まだしも初対面ではない私しかいない事務室の方が落ち着くらしく、通したテーブルから一歩も動かずに座っていた。
すぐに手持ち無沙汰になったのか、彼女がそれまで手を付けていなかった缶入りのジュースを不安そうに飲み始めた辺りで、私は資料を確認しながら彼女に便利屋の近況などについて話しかけた。
「なるほど、今日は元々、他の御三方も別の仕事が入っていたのですね。それで、ハルカさんがいらっしゃったと」
「は、はい……」
「なかなか盛況なようで安心しましたよ」
少なくとも事務所を維持したまま稼業を続けられる程度には安定しているようだ。聞いた限りでは一線を越えた案件にも手を付けていない。
勿論彼女がすべて正直に話しているとは限らないが……
「……あ、あの、アル様が、
伊草ハルカが恐々と私にそう言った。陸八魔アルから直接同じようなことを言われたこともある。人となりを考えれば社交辞令という訳でもないのだろう。私の助言とも言えないような言動が何かしらの影響を与えているのだろう。
ただ、それを伊草ハルカが今言うのはどういう意味か。牽制のつもりか、同意したいのか。いずれにせよ、こちらの質問に対する返答と挨拶以外では、彼女が発した数少ない言葉ではあった。
しかし、結局その意味を聞くことは出来なかった。
開放されたままの事務室の扉から、別の人物が顔を出したのだ。
「先生、申請書持ってきたよ、……あれ、取り込み中だった?」
現れたのは、先日アリウスの新生徒会長に就任したばかりの、秤アツコだった。
新しい学校機関として動き出したものの、復興工事が追いついていないため、彼女はシャーレやトリニティとアリウスを行き来しながら様々な準備をする生活を続けていた。
「いえ、大丈夫ですよ。連邦生徒会に加入するための申請書類でしたね?」
「うん。ほとんどこの間先生が言った通りに書いちゃったけど、念のため、確認をお願いします……あれ、あなたは確か……」
私に書類を渡しながら、秤アツコは新たな登場人物を凝視しながら固まっている人物を眺め、それが誰であるかを思い出したようだ。
「確か、便利屋の人だよね。リツカ*1と再会したときに一緒に来てた子だ」
「は、はい!?」
秤アツコは至って平坦な様子でそう言ったが、案の定、伊草ハルカは過剰な反応を示した。
「あれ、何か凄い警戒されてる? 大丈夫、怖くないよ~」
「ハルカさん。アツコさんはアリウスの生徒会長ですが、ハルカさんと同じ一年生です。そう緊張されずとも大丈夫ですよ」
私がそう言うと、伊草ハルカは顔を青褪めさせた。生徒会長だと言うのは余計だったかもしれない。
「す、すみませんすみません! 驚いてしまってすみません……」
「驚かせちゃった? ごめんね。あ、リツカは元気?」
秤アツコには、伊草ハルカが情緒不安定な様子を見せるのを気にした様子は無いようだ。
「は、はい! 今日もカヨコ課長と一緒に仕事に行っています。私なんかよりとっても優秀です……」
「そっか。うん、元気なら良かった。」
秤アツコはそう言って微笑み、伊草ハルカも、少し安心した表情を浮かべた。
「あ、先生、ちょっと印刷機を使わせてもらっても良い?」
秤アツコがふと思い出したように私に尋ねた。
「ええ、構いませんが、何を印刷するのですか?」
「ちょっと写真を見てもらいたくて……」
「写真?」
「うん」
秤アツコが頷いて、彼女のスマートフォンをプリンターに繋げ印刷を始める。暫くの後、印刷を終わらせた彼女はそれを伊草ハルカのいるテーブルまで持っていき、その近くの席に着いた。
私にも来い、ということだろう。そう思い、私も移動する。
「あ、ああ、あの。私、邪魔だと思うので席を外していましょうか?」
「え? 全然邪魔じゃないよ。寧ろ一緒に見て意見くれたら嬉しいかも」
「え!?」
驚き目を見開いた伊草ハルカを余所に、秤アツコは印刷した何枚かの写真を見やすいように並べた。
「これは、建設中の校舎の写真ですか?」
「うん、これは修復したポルタパシスの。それで、こっちは新エデン条約の調印式の時の写真……今、学校紹介を作ろうとしているんだけど、そのための写真がなかなかうまくとれないんだよね、カメラが良くないのかな?」
そう言って、彼女は自らが撮ったと思われる写真を順番に見せていく。写真に詳しいわけでは無いが、どれも普通に見ることの出来る者であり、彼女が何に困っているのかは素人目にはよくわからなかった。
そして、とある写真で、彼女の手が止まった。道端に生えた一輪の花を撮ったと思われる写真だ。
「あれ? これ、間違って印刷しちゃったんだ」
秤アツコはそう言って、それを脇によけた。
「あ……」
そして、次の写真へと移行しようとしたとき、伊草ハルカが小さく声を上げた。
「え?」
「な、なな何でもないです」
「そう?」
伊草ハルカが首を振ったため、秤アツコはそのまま撮った写真を見せる作業を続けた。
そして、最後まで行っても、彼女の写真について、何が気にくわないのか私にはわからなかった。
「どうかな?」
「そうですね……アツコさんはどうしてうまく撮れない、と言っているのかがよくわからなかったのですが、ご自身はどう考えているのですか?」
考えを率直に伝えると、秤アツコははっとした表情になる。
「あ、そうだよね。ええと、ほら。カフェに新聞が置いてあるでしょ。あれにも新エデン条約のと特集があって、同じ素材の写真なのに、全然違って見えるなって思ったんだ」
「成程。そういうことでしたか。確かにあの写真は臨場感があるような気はしましたね」
「うん。何でだろ。カメラが違うのかな……ハルカさんはどう思った?」
秤アツコが伊草ハルカに話を振った。当然、伊草ハルカは恐慌に陥る。
「え!? …………あ」
が、何かを思いついたように口を開きかけ、そこで口ごもった。
「何かあった? 何でも言って欲しいな」
秤アツコはそれに目敏く気付き、その続きを待つように、伊草ハルカをじっと見据えた。
「えっと……その、花の写真は、とても綺麗に撮れてた気がします。あ、あの見当違いなことを言っていたら申し訳ありません……」
「あ、これ? やっぱりそう思う? でもこれも同じスマホで撮ったんだよね……」
観念したように口を開いた伊草ハルカに同意した秤アツコは、そういって首をひねった。さて、私は答えを持っていないが、持っている可能性のある人物自体は明白だった。
「気になるのであれば、本人に聞いてみますか?」
「え?」
カフェに置いてある新聞『週刊万魔殿』はゲヘナの生徒、元宮チアキが個人製作しているものだ。であれば、彼女に聞くのが間違いないだろう。
連絡を取ってみると、すぐに反応があった。
『良いですよ! と言うかナイスタイミングです!! 丁度今、最新号を持ってシャーレに向かっているところです!!』
という感嘆符だらけの返信は、彼女がこの相談を快く受け入れてくれることに疑いの余地が無いものだった。