プロローグ 申谷カイからの届け物
深夜。私はシャーレの一室で、一つの懸案事項について考えていた。今日、シャーレに届けられれた一つの小さな荷物のことだ。
消印や送り状などが付けられていないそれは恐らく差出人かその協力者によって直接届けられたものだ。
差出人の名前は『
その人物のことは当然、私は知っていたが、と言っても直接的な交流があったわけでは無い。少なくとも
故にこのような物が送られてくる心当たりはないのだが、これが本当に申谷カイからの物だとすると、それなりに大きな問題である。
私は、ヴァルキューレや連邦生徒会に知らせるより先に、何が届けられたかについて調べることにした。
幸いにして、危険物の取扱についてはある程度の知識があった。
研究室に改造していたシャーレの一室、その密閉空間の中、更に密閉された容器の中で慎重に開封していく。
「……これは……」
中からでてきたのは、小さな袋に入れられた丸薬と思われる物体だった。
申谷カイから送られてきた荷物に入っていた丸薬。あまりにも直接的に信用できない、警戒すべき代物だ。しかしそれ故に、すぐに処分する、という選択すら取れなかった。
A.R.O.N.A.の協力のもと成分分析を行った結果、基本的には『
しかし、結局、これが何の薬で、どのように利用する物なのかは見当もつかなかった。
作業に集中していたためか、いつの間にか夜更けを越え、空は白んできていた。
――
事務所を開ける時間が近づいているため、その前に一度居住区に戻るべく、作業部屋として使用していた部屋を出る。
そこに、タイミングよく、あるいは不運なことにある人物が現れた。
「先生……? おはようございます、随分お早いですね。こんなところで何を?」
FOX小隊の小隊長、七度ユキノだった。もっとも、こんな時間にシャーレ内を歩いている人物は彼女か、忙しい時期の不知火カヤくらいの物だったので、それ自体はおかしなことでは無い。
問題は、今いる場所が、その先に私がいた部屋位しかないことであった。何かが起こった際に被害を最小限に抑えるために選んだ場所だったのだが。
「おはようございます、少し作業をしていましてね」
「こんな時間から……というより、徹夜で、という事ですか」
七度ユキノが目を細くする。こちらを訝しんでいる目だ。
「まあ、そんなところですね。徹夜をするつもりは無かったのですが、気づけばこんな時間になってしまいました」
「……そうですか。一体何を……?」
彼女にそう聞かれるまで、私はいかにして誤魔化すか、ということを考えていた。しかし、いざ聞かれると、誤魔化すよりも正直に話をして、意見を求めた方が良いことに気が付いた。
少なくとも七囚人については、私よりも彼女たちの方が余程詳しいだろう。
「実は、
「は?」
「ああ、誤解なきように言いますが、申谷カイというのは、五塵の獼猴の通り名を持つ七囚人その人のことです。ユキノさんは彼女について何か……ユキノさん?」
気付けば、七度ユキノが目の前で頭を抱えていた。
――
「それで、緊急招集ってわけ? なるほどねぇ。んぐんぐ」
「緊急だっつってんのに何食ってんのよオトギは……」
「これ? ミレニアムからの試供品のレーション。結構美味しいよ」
「何を食べてるかって聞いてるわけじゃないわよ…… っていうか、それ
天神山オトギと高倉クルミが、いつものように言い合っている。
私が七度ユキノに正直に説明してからすぐに、彼女の提案により、残りのFOX小隊の生徒たちも呼び出し、緊急の会議を行うことになった。
緊急、といっても事態が切迫している、という訳では無いのであくまで早朝に例外的に行う、というニュアンスのものだ。
天神山オトギが食事をとっているのも、私がそれを許可したから、という経緯があった。
「すみません、遅くなりました」
「いえ、急な呼び出しに来ていただいて、ありがとうございます」
そして最後に吉野ニコが到着し、会議が始まった。
――
「前も言った気がするんだけど、私たち、別に七囚人の人となりに詳しいわけじゃないわよ?」
丸薬については情報が無さそうだったため、申谷カイ自身の話に移行した際に、高倉クルミがそう言った。
以前、狐坂ワカモについて相談したときに、確かに同様のことを言われた。
「それでも、私よりは余程詳しいでしょうから、参考にお話を伺いたかったのです」
私がそう返すと、彼女は仕方ないというように溜息をついた。
「まあ、良いけど。申谷カイ……関わりたくなさで言ったら七囚人でもトップクラスの奴ね」
「あー、それは同感。薬物使いっていうのが、ちょっと専門外過ぎるんだよね。負けることは無いんだろうけど、どんな被害受けるか分かったもんじゃないって感じ」
高倉クルミと天神山オトギは、申谷カイのことを苦手としているようだ。
「実際、七囚人と呼ばれる生徒の中で、カイさんは少し特殊な方ですよね。」
吉野ニコが頷きながら言う。
「そうなのですか?」
「はい。他の七囚人……『慈愛の怪盗』や『伝説のスケバン』、それこそ『災厄の狐』のワカモさんもそうですが、基本的には出身自治区の外の人や物にも影響を及ぼす大きな被害を与えた人物が多いんです。つまり、
「申谷カイは、異なると?」
言葉を止めた吉野ニコに、確認のために質問する。
「はい。カイさんの場合は、矯正局に入った時点で母校から放逐されており、その危険性や、起こした事件については山海経の玄龍門からの報告を情報源とするものが殆どです。本人も否定してはいないようなので、嘘では無いのでしょうが……」
「鵜呑みにすべきではないと?」
「すべきではない、というよりは、真実はわからない、といったところでしょうか。結局のところ、実際に会って話してみないと何があったのかは分からないと思います」
「そうだね。実際、ワカモも話してみると案外普通、というか友達もいて、妹分から随分慕われてるみたいだし。会って見なきゃわからないこともあるよね」
天神山オトギが狐坂ワカモの名前を出した、アリウスへの潜入任務以降、少なくともシャーレに常駐している人物にとって、彼女の存在は公然の秘密、あるいは暗黙の了解のようなものになりつつあった。
「待て、オトギ。ワカモと個人的に話したことがあるのか?」
七度ユキノが、目を鋭くさせ、天神山オトギに尋ねる。
「あ……うん、この前ね。報告してなかったのは悪かったけど、私一人でどうにかできる相手じゃないしさ。別に暴れたり不穏なことやりそうな様子も無いし、先生に迷惑をかけるようなことは絶対したくない! って感じで。それに、なんかアビドスの生徒会長さんと親し気に話してたしね」
天神山オトギはバツの悪そうな表情でそう言った。
「ワカモさんについては、彼女の出入りを許している私に全ての責任があります。申し訳ありません。」
話が逸れてしまっているため、そこに謝罪しながら割って入る。七度ユキノは相当に不満そうな顔をしながらも
「いえ、その件について殊更に追及するつもりはありません。今更の話ですし。」
と言った。彼女からすると面白くない事であるのは間違いないであろうし、その辺りの事について、彼女に報いる必要があるだろう。
「ですが、申谷カイに関しては他の者も言っているとおり、資料で分かる程度のことしか私たちも知りません」
そして彼女はそう続けた。予想の範囲内だ。それでもわざわざ隊員を招集して確認をとってくれたことにもまた、感謝するばかりだ。しかし、それで終わり、という訳にはいかない。
「成程……であれば、やはり山海経に行ってみるしかないでしょうね」
私がそう言うと、FOX小隊の隊員たちが呆れたような表情になった。
――
「念のためだけど、それ、先生が直接行かなきゃダメなの? 薬を送って聞いてみるとかは?」
天神山オトギから尋ねられる。
「今までの関係性が無いので信じてもらえないか、あるいは結果を教えてもらえない可能性が高いでしょう。玄龍門にもそろそろ挨拶をしておきたいところですし」
「そう言われるとなあ……」
彼女は私の回答に一応納得したように引き下がった。
「罠や、警告である可能性を考えると、私としてはやはり賛成できません。本人かどうかは不明ですが、七囚人の名を使って薬を送りつけてきているというのは相当に重く受け止めるべきだと思います。……
七度ユキノは不安と心配が含まれた表情でそう言った。
「そうですね……危険が無いわけではない、というのは承知しているつもりですが……クルミさんとニコさんはどう思われますか?」
私は彼女に対してまともな言葉をいう事が出来ず、残りの二人に話を振った。
「私からは特に何もないわ。行くんだったら成果だしてきてよね、っていうのと、そんなことより
高倉クルミは私の予想通り、反対するつもりは無いようだった。そして、
「うーん……もし先生がどうしても山海経に行かれる、というのであれば……」
残る吉野ニコはそう言って一度勿体ぶった後
「
と、斜め上の提案をした。
山海経編。開始です
ニコと一緒に山海経を観光しながら有力者達に会いに行くお話だと思います