山海経自治区の中心部、山海経中央特区。
生徒会組織である玄龍門が拠点とする六和閣や、玄武商会の本部がその地区の外れに、錬丹術研究会は位置していた。
この地区の建物は、先進的であったり、あるいは重厚な歴史を感じさせる立派なものが多かったが、錬丹術研究会の研究所は平凡な木造建築で、取り立てて目立つ要素も無い建屋であった。
「……何というか、独特な雰囲気というか、香りがしますね」
建物に近づいた時、吉野ニコがほんの少しだけ表情を歪めてそう言った。建物にこれといった特徴は無い。彼女が言っていることの主旨は、そのにおいの方だろう。
「薬品……それも化学薬品ではなく、薬草や動物由来の生薬などを多く取り扱っているためでしょうね。外にもこれほど漂ってくるとなると、室内は覚悟した方がいいかもしれませんね」
「はい、そうですね」
吉野ニコは、私の言葉に苦笑しながらそう言った。
――
『外来の御用の方は下記まで電話してください』
という手書きの張り紙が電話番号とともに扉に張り出されていたため、約束の時刻の数分前だったが、指示通りにそこに電話をかける。
壁が薄いのか、中でアナログ電話の呼鈴が鳴っているのが聞こえてくるが、誰かがそれに出ることは無く、すぐに切られてしまう。
それからしばらく待っていると、徐に扉が開かれた。
「お、お待たせしました~…… ゴホッ、ゴホッ」
マスクをした生徒が咳をしながら現れる。恐らく錬丹術研究会の生徒なのだろう。
「こんにちは、薬子サヤさんとお約束をしていたのですが……」
「サヤ会長と……? って、あなた、その見た目! も、もしかして会長の薬の副作用で!? 申し訳ありません! すぐ、呼んできます!! サヤ会長、外部の人にまで……!!」
私を見たその生徒が、驚きと怒りの感情を見せながら、すぐに建物の中の方へと戻っていった。
その時に気付いたが、室内からは予想通りの先ほどのにおいをより強烈にさせたものに加え、何かを燻しているのか、異様に煙臭い様子だった。
先ほどの生徒がマスクをしながら席をしていたのも、そういう事情からだろう。
「……副作用?」
吉野ニコが首を傾げながらこちらを見た。
「さあ、何か誤解があるようですね」
私も首を振ってそう言った。
――
「どういうこと!? 全然身に覚えが無いのだ!」
「と・に・か・く! 出てください!」
開放された扉の奥から何やら叫び声と怒鳴り声が聞こえ、その後床を踏み鳴らす音が近づいてきた。
「お、お待たせしたのだ! ぼく様に何の……!!? そ、その姿……て、手遅れなのだ……」
現れた少女、話の流れから察するに錬丹術研究会の会長、薬子サヤが私を一目見てそう言った。
「いえ、この見た目は生まれつき……という訳でもないのですが、以前からこうなので薬の影響や病気という訳ではありません。あなたが薬子サヤ会長ですか?」
恐らく私の病状を想い涙を流している少女に返事をする。
彼女は大きく目を見開き、
「……え? そうなのだ? 何だ、道理で心当たりが無いと思った。じゃあ、あなたはぼく様に何の用?」
と、涙を拭ってそう言った。
「ああ、申し遅れました。先日アポイントさせていただいていた者です。少々早めに来てしまい、申し訳ありません」
「あぽいんと……? ああ! シャーレの先生!! 忘れてたのだ!? ちょ、ちょっと待って! 今研究室がとんでもない状態になってて…… と、とにかくしばらくお待ちをー!!!」
私の言葉に、動転した薬子サヤは、言いながら再び研究室内に戻っていき、奥からは暫く協力を求める叫びや会長を詰る声が再び聞こえてくることとなった。
「……何というか、申谷カイのいた怪しげな実験を行う闇の深い研究所、という印象は薄れましたね」
吉野ニコが最大限好意的な解釈を持って所感を述べる。
闇かどうかは分からないが、怪しげな実験を行い騒がしい研究所であることは間違いないだろう。
「まあ、悪人では無さそうな様子ではありましたね」
私はそう述べるにとどめておいた。
――
30分程玄関先で待っていると、再び人の気配が近づいてきたのを感じた。
「お、お待たせしましたー! とりあえず座れる場所を作ったので、ぼく様の研究所に案内するのだ」
薬子サヤが少し引き攣った笑みを浮かべながら現れ、こちらに手招きをする。
私と吉野ニコは顔を見合わせ、それからゆっくりと彼女に着いていく。
漂っていたはずの薬や煙の臭いは、殆ど消えていた。
「少し待っていたとはいえ、こうも臭いが消えるものなんですね」
吉野ニコも気づいたのか、同じようなことを呟く。
「気付いた? ぼく様が作った強力な消臭剤を使ったのだ!」
「凄いですね! 少し欲しいかもしれません」
「本当? 実は、結構自信作で、副作用も三日間くらいこの建物の辺りに雨が全く降らなくなるくらいなのだ」
「……やっぱり、遠慮しておきますね!」
この建物の辺り、がどの程度の範囲を示すのか分からないが、本当だとしたらあまりに危険すぎる代物だ。薬が、というよりこの人物が、だが。
吉野ニコが表情を変えずに薬子サヤに返事を出来たのは、流石の能力だと言えるだろう。
「ここがぼく様の研究室なのだ。ちょっと手狭だけど勘弁して欲しいな」
彼女が会長である、ということからか、或いは危険な実験を行うからかなのかは分からないが、彼女に案内されたその研究室は、建物の最奥にあった。
室内には本や実験器具、そして何かの材料が散乱しており、何故か放し飼いのネズミが1匹、主人の事を眺めていた。
少し手狭、というより、テーブルの周りに何とか3人が座れるスペースがある、という状態だったが、案内されるがままに、席についた。
「改めて、ぼく様が錬丹術研究会の会長、薬子サヤなのだ。こっちは助手のネズ助」
薬子サヤの挨拶に合わせ、ネズミがまるで頭を下げるかのような仕草をする。人語を理解しているとすると驚異的な現象だが、あり得ないことが起るのがキヴォトスでもある。
「ご丁寧に、ありがとうございます。先程言った通り、私がシャーレの先生をやっている者で、こちらが」
「SRT特殊学園の吉野ニコ、と言います。よろしくお願いします」
吉野ニコも正直に所属を話す。事前の協議の上、とりあえず錬丹術研究会では彼女の所属を明らかにしておくことにした。話す内容が内容だけに、SRTの名前を出した方が寧ろ都合が良いと考えたのだ。
「え、SRT!? まさか、ウチについに捜査のメスが……!?」
「何か心当たりがあるんですか?」
「い、いやぁー……それはその……」
何故かしどろもどろになる薬子サヤに、吉野ニコが距離を詰める。少なくとも先ほどまでの流れから人体実験の一度や二度は行っていそうではあるが、今回の目的は勿論彼女や錬丹術研究会の検挙ではない。
「あまり怖がらせてはいけませんよ。事前にお話していた通り、サヤさんには聞きたいことと、それに伴ってお願いしたいことがありまして、今日はこうしてお邪魔させていただいたのです」
薬子サヤの反応があまりに良いので、恐らく吉野ニコはただ揶揄っていただけなのだろう。私が言うとすぐに彼女は身を引いて頷いた。
「そ、そうなのだ? ふぅ……死ぬかと思った。えと、それで、聞きたいことって?」
どうにか気を取り直した薬子サヤが、私に問いかける。
先日私のところに届いた包み紙と、ポリ袋に入れた丸薬を取り出し、彼女の前に置く。
「この、申谷カイを名乗る人物から届いた丸薬について、知っていることが無いか。それから、この薬の効能について、可能なら調べて欲しいのです。」
「……申谷カイ?」
その名前を聞いた薬子サヤは、今までのどこか頼りない雰囲気のから、真剣な様子へと一変した。