「……これは、本当に申谷カイから? 先生は本当にカイ先輩に会ったのだ!? あの人は今どこで――」
真剣な表情で手渡した包みと丸薬を眺めていた薬子サヤは一転、動揺した様子で、私に掴みかからんとするような勢いで話しかけて来る。
パン、と破裂音のようなものが間近で響く。薬子サヤが身を震わせて、口を止め
「先生がこれからお話しますので、どうか落ち着いて聞いてくださいね?」
吉野ニコは笑みを浮かべながらそう言った。口調にも視線にも一切威圧感のようなものは無かったにも拘わらず、薬子サヤは黙って首を縦に振った。私にはできない芸当だ。
しかし、この場はありがたく譲り受けよう。
「さて、説明が足りませんでしたね。と言っても、内容としては今言った通りです。包み紙に書いているように、そこには申谷カイからの署名があり、中には、その丸薬が入っていました。これは手渡されたというものではなく、シャーレへと届いたものであり、他に送り主を示す痕跡のようなものは見つかりませんでした。指紋などの多少の調査はしましたが」
私が改めてそう話すと、薬子サヤは小さく息を洩らし、俯いた。
「……そっか。興奮しちゃって、ごめんなさい……」
「その様子だと、これに心当たりがあるわけでは無いようですね。加えて、申谷カイの現在の消息なども」
「知らないのだ。
薬子サヤはその言葉を最後まで言わなかったが、前会長と現会長、というだけあり、2人の間に浅からぬ関係があることは間違いなさそうだった。
「そうですか。ありがとうございます。シャーレやSRT……つまり連邦生徒会においても、という事になりますが、
薬子サヤが黙って頷くのを確認し、話を続ける。
「しかし、今日私がここに来たのは、彼女の捜査に協力して欲しい、というような目的ではありません。個人的な興味として、これを私に届けた人物の目的と……この薬の正体を知りたくて来たのです。」
「それで、ぼく様に……?」
「ええ。生憎私が行った調査では成分解析すら覚束ない状態でして、やはり専門家でないと調べられない事かと。ご協力、お願いできないでしょうか」
彼女の目を見て、頼み込む。
「……うーん。……ふぅ……ま、まあ、カイ先輩のやったことであれば、それを読み解くことができるのは、ぼく様くらいのものだと思うのだ。任せて! ぼく様がこの薬を分析してみるのだ!」
薬子サヤは少しだけ考え込む仕草をしたが、意を決したのか、一度首を振って深呼吸した後快く私の頼みを引き受けてくれたのだった。
「本当ですか? ありがとうございます」
「とはいえ、ぼく様は別に心理学者ではないので、カイ先輩が何を考えてるかとかは全然わからないのだ。あくまでこの薬の分析をするだけで、もしそういう事が知りたいなら、別の適任がいるんだけど……今は会えるか分からないのだ」
彼女は念を押すように役割を確認した後、ヒントのようなことを口にした。
「それは、玄龍門の門主、竜華キサキさんのことですか? 申谷カイさんの追放を決めたのも彼女だとか。一応この後、六和閣の方へも足を運ぶつもりではありますが」
彼女たちにどのような人間関係があったのかは分からないが、順当に考えればそこにも因縁があるのは明らかだった。
「うん。まあ、会えるかは分からないけど、それが良いと思う。もし何か協力出来ることがあれば、出来る範囲で協力してあげてもいいのだ」
「ありがとうございます。非常に助かります。 ……では、私たちは一旦失礼させていただきます」
私はそう言って立ち上がる。吉野ニコもそれに続いた。
「うん。こっちも出来るだけ早く調べようと思うけど、結構時間かかっちゃうかもしれない。なので、分かったらこちらから連絡するのだ」
薬子サヤがそう言って、私に拳を突き出した。
「はい、よろしくお願いします」
「私たちも、カイさんのことで何か分かればサヤさんにも共有しますね」
私たちはそう伝え、錬丹術研究会を一度後にした。
――
「無事、協力を得ることができましたね」
研究所を離れ、それが見えなくなった頃、吉野ニコが私に話しかけた。
「そうですね。後は、上手くやってくれれば良いのですが」
「ご本人は自信がありそうでしたけど……」
私の返事に、吉野ニコがフォローを入れるようにそう言った。
言い切りで無いのは、彼女自身も気づいていたからだろう。
「そう捉えることもできますが……私の考えを言うと、彼女がこの依頼に対し自信ありげな仕草を見せたのは、
「……それは少し」
私の言葉に、彼女が苦言を呈した。虚栄は言い過ぎだっただろうか。
「そうですね、すみません。ただ、彼女が頷く前、その表情には不安が見られました。それだけ、前会長である申谷カイに実力がある、ということでしょう。本人も間違いなく天才的な能力を持つサヤさんにあって、自分を奮い立たせなければ頷けない程に」
「……先生って、不思議な方ですね。」
「不思議、ですか?」
「はい、
その言葉に込められているのは不信感と、そして少しの不満だろうか。私の普段の言動と矛盾していると言いたいのだろうか。ともあれ細かく何に対しての物かは分からないが、その言葉に対する答えは私にとって難しい物ではなかった。
「それは単に、私が得意とする範囲が著しく狭い、というだけですね。私のそれなりに年季の入った経験から、人の弱みのような心の動きであれば、比較的理解できるという訳です。私の数少ない特技とも言えるでしょう」
そして私はそれを利用してきた。これに関しては過去の話ではなく、今でも特に変えるつもりはなかった。
薬子サヤに関しても、彼女が正面から頼まれると断りづらいという性格を見越して正直に頼んだという側面があり、そしてそれは思惑通りにいった。彼女で無理なら、どちらにせよ諦めるしかないのだから。
「………………はぁ」
吉野ニコは今まで見たことの無い表情、表現するとしたら軽蔑と呆れの入り混じった目、だろうか。
まあ、嫌われても仕方の無いことだ。善意や好意を理解せず、人の弱みに付け込むのだけが上手い人間を好きになる人物は稀だろう。
「……先生は、
しかし、再び口を開いた彼女は、いつも通りの柔和な表情を浮かべていた。感情を咄嗟に隠したようだ。
「そうですね、実はその通りです。ですが、これは一応覚えていて欲しいのですが……私は紛れもなく悪人ですが、今はニコさんの、生徒たちの味方のつもりです。」
彼女達は正義を重んじている。相容れない部分はあるだろうが、お互いに利用できる部分はあるだろう。
「…………そ、そうですか。」
しばらく呆気に取られていた表情をしていた吉野ニコは、再び表情を取り繕って頷いた。
「さて、そろそろ玄武商会へ行ってみましょうか。ニコさんのご友人がいればよいのですが」
その後は玄龍門にも行く予定である。立ち止まっていては日が暮れてしまうだろう。
「はい、そうですね! そろそろお腹もすいてきましたし、折角のグルメ街なので、ご飯くらいご馳走していただけるんですよね? なんて」
「構いませんよ。朝食もご馳走になったことですし」
「あ、あれはあるもので作ったので……でも、ありがたくご馳走になりますね」
少し戸惑うような仕草をしていた彼女は、最終的には朗らかに笑ってそう言った。
もっとも、結局この日、彼女の食事代を支払うことはなかったのだが。