朝の聖園ミカの訪問以降、補習授業部3日目の日中は、比較的穏やかに過ぎていた。特筆すべき点としては、白洲アズサと下江コハルの成績に向上の兆しが見えた点だろうか。特に白洲アズサに関しては、合格ラインまで後1点というところまで迫っていた。
一方、浦和ハナコの得点は7点であり、曲直瀬リリ(=百合園セイア)は93点であった。この二人はテストを利用して読み合い勝負をしているというのが傍観している立場からの感想であり、もしそれが正しければ百合園セイアが一歩リードしているという状況だろう。
阿慈谷ヒフミは低空飛行ながら合格点をキープしていた。目下の関心ごとは浦和ハナコの成績についてだろう。「急に授業についていけなくなった」などという話ではないことは彼女にもわかっているはずだ。
また、シスターフッドの新入生、伊落マリーの訪問もあったが、これはティーパーティーの誰かの意志とは完全に無関係であり。白洲アズサへ感謝の言葉を伝えるための訪問だった。白洲アズサのモチベーション強化につながる内容であり、ポジティブなイベントだったと言えるだろう。
総じて、希望を感じさせる一日だった。
そしてその夜は、私の部屋への訪問者が多い日であった。
消灯時間後、室内で明日の準備をしていると、ノックの音が聞こえた。阿慈谷ヒフミとは今後の計画と浦和ハナコの話をするために、その後には百合園セイア及び蒼森ミネと共に明日の聖園ミカとの直接対面に向けた打ち合わせをすることになっていた。つまり、阿慈谷ヒフミの訪問だろうと扉を開く。
「こんばんは、先生♡」
予想は外れ、そこにいたのは浦和ハナコであった。
「おや、どうされました、ハナコさん」
「すみません、急にお邪魔してしまって……実は、アズサちゃんのことで……」
「アズサさんですか? まあ、立ち話も何ですから、お入りください」
浦和ハナコと1対1で話す機会も今まであまりなかったが、丁度いい機会だろう。阿慈谷ヒフミと鉢合わせになる可能性はあるが、結局彼女の話をするのだから、本人もいてもらった方が良いだろう。
「コーヒー……はやめておきましょうか。ルイボスティーでも淹れましょう」
「……あら、先生もそういうものを嗜まれるんですね?」
「頂き物ですがね。私は比較的気の利かない方であるという自覚はありますが、こういうものがあった方が話が進むということは知っています」
普段下江コハルや白洲アズサ、阿慈谷ヒフミと話しているときは比較的リラックスしているように見えたが、私の正体が見えないこともあり、浦和ハナコはいささか緊張しているようだった。外部から来た教師が【入院しているはずの】大物を1年生として引っ張ってきた事実は彼女のように聡い人物を警戒させるには十分だろう。最も、それに関しては濡れ衣なのだが。いずれにせよ、アイスブレイクは私が時間遡行後に学んだ重要な交渉技術の一つだ。
「それでは、折角なのでいただきますね」
彼女の同意も得られたので、ルイボスティーの準備をする。
「こうして1対1でお話しするのは初めてかもしれませんね」
「そうですね……大人の男性の方とお話するのはあまり経験がないので、すこしドキドキしちゃいますね」
やはり緊張していたらしい。ルイボスティーにはリラックス作用もあるらしいので、丁度良かっただろう。
「そうですか? まあ、そういう意味でも良い機会かもしれませんね」
「はい。そうさせてもらいます。……それで、本題のアズサちゃんのことなのですが……」
浦和ハナコが改めて切り出したとき、再びノックの音が鳴る。中断が長すぎたようだ。
「ヒフミさんでしょうね。一緒に話を聞いてもらっても? 彼女は補習授業部の部長でもありますし」
「ヒフミちゃん? 何かお約束されていたのですか? 私の話はヒフミちゃんにも一緒に聞いてもらった方が良いかもしれませんが」
同意を得たので、入室を促す。
「お、お邪魔しまーす。すみません、先生。ちょっと遅くなってしま……ハナコちゃん? ハナコちゃんも何かおはな……」
扉を開け、中にいる浦和ハナコの姿を見た阿慈谷ヒフミが固まる。
「こんばんは、ヒフミちゃん。先生とお話の予定があったのですよね、ごめんなさい、お邪魔していて」
浦和ハナコが横入りの詫びをしながら、立ちあがる。そして阿慈谷ヒフミは
「な、なっ、なんでハナコちゃん水着なの!!?」
「あら」
阿慈谷ヒフミは浦和ハナコが来ていたこと自体ではなく、その恰好をみて驚いていたらしい。
「確かにそうですね。何故水着なのですか?」
率直に理由を確認する。阿慈谷ヒフミに納得のいくものであれば話が早い。
「実はこれ、パジャマなんです」
「なるほど」
寝巻であれば、露出徘徊することに比べれば大した問題でもないだろう。
「そんなわけないですよね!!? っていうかハナコちゃん昨日までは普通の格好してましたよ!!?」
「あらあら? ヒフミちゃん少し声が大きいですよ。消灯時間は過ぎていますから声を少し落としましょうね」
浦和ハナコの言う通りだ。それにあまり騒がしくしていると救護騎士団長が現れる可能性もある。
「す、すみません……じゃなくてき、が、え、て来てください!! 後先生もちゃんと止めてください!」
「あらあら、怒られちゃいました。ごめんなさい先生、ちょっと着替えてきますね?」
何故か嬉しそうにしながら、浦和ハナコは私に謝罪する。今の状況では落ち着いた話は出来そうもないので、阿慈谷ヒフミのいう通り着替えて来てもらった方が良いのだろう。
「いえ、
「先生は気にしてください!!」
私が説教される謂れは無いと思うが、阿慈谷ヒフミは私にも怒りの矛先を向けた。怒りというより混乱だろうか。浦和ハナコが着替えて戻ってくるまでの間、リラックス効果のあるルイボスティーを彼女にも勧める。阿慈谷ヒフミも浦和ハナコと同様に、私がそのようなことをすることに驚いていた。
「アズサちゃんのことなんですが……毎晩夜に外出して、早朝まで帰ってきていないようなんです……」
戻ってきた浦和ハナコが真面目な顔で切り出した話の内容は、予想通りのものだった。
「アズサちゃんが……!?」
阿慈谷ヒフミは驚いている様子だ。外出していたことにも気づいていなかったらしい。
「……そのことでしたか。朝まで帰っていなかったのですね」
「先生は、ご存じだったのですね?」
浦和ハナコが少し驚いた様子でこちらの顔を見る。
「ええ、昨日彼女が外にいるところを少し話しましたので」
「成程、そうだったんですね。うふふ、今日のアズサちゃん、元気いっぱいだったのはそれが理由だったのかもしれませんね」
確かに今日の白洲アズサの調子が良かったのは模擬試験の成績でも確かだ。影響があったかは未検証だが。
「それは、分かりませんが。もし夜通し起きているというなら、そうですね。明日からは昼寝の時間を設けましょうか」
「昼寝、ですか?」
浦和ハナコが復唱する。夜に寝させる方が良いのではないかと考えているのだろう。
「ええ、アズサさんに限らず、朝から夜まで勉強のスケジュールですから、頭を休めるのも良いことでしょう。夜に無理に寝かせようするより効果的かもしれませんよ?」
「なるほど、確かに。いいかもしれません」
「私も良いと思います!」
生徒二人が同意するのを聞き、さらに続ける。
「コハルさんもアズサさんも順調に成績が伸びています。体調不良になってしまっては元も子もありませんからね。これで『全員退学』の憂き目を逃れる目もできそうです」
阿慈谷ヒフミの用件であり、浦和ハナコに真剣になってもらうための必要な話をするために。
「ぜ、全員退学? 何の話ですか?」
浦和ハナコが動揺している。いきなりの話なので、無理もない。
「ハナコちゃん。今先生のお話していたことは本当なんです。……3回目の追試験で『私たち全員合格』が達成されなければ、その時は『全員退学』というのが補習授業部に与えられたルールなんです。今まで隠していてごめんなさい」
浦和ハナコの顔色が変わり、阿慈谷ヒフミは頭を下げる。
「そんな簡単に……という訳ではないですね。この部活動に『シャーレの先生』がいらっしゃることに疑問を持っていたのですが、これが答えですか……。……ですがどうしてそこまで……、いえ、そうですね」
暫く考え込んでいた浦和ハナコは、やがて諦念のような、うしろめたさを持っているような表情になり、私たちに話し始める。
「それを私に話した、ということは私の隠していることも既にご存じ、というわけではすよね?」
「成績のことなら、ごめんなさい、勝手に見てしまいました」
彼女の問いかけに、阿慈谷ヒフミは再び謝罪する。
「いえ、謝る必要はありません。私が悪いですから……。分かりました、そういうことであれば、私も本気で追試験に臨みたいと思います」
そして浦和ハナコは、申し訳なさそうな感情を残した微笑みを浮かべ、私たちにそう宣言した。
「ハナコちゃん! 本当に!?」
「はい。私のわがままに皆さんを巻き込むわけにはいきませんから」
浦和ハナコの問題も、これで解決と言う事でいいだろう。
―
「それじゃあ、先生。今日は私は失礼しますね!」
事態が好転しそうな空気を感じてか、心なしか朗らかな様子の阿慈谷ヒフミがそういう。浦和ハナコもそれに追随しそうになったが、
「ああ、ハナコさんは少し残っていただけますか?」
「はい? 私ですか? 分かりました」
「そ、そういえばハナコちゃんと先生、何かお話されている途中でしたよね!? ご、ごめんなさいお邪魔してしまって。……わ、私戻りますね!」
そう言って、阿慈谷ヒフミは足早に退出していってしまった。
「あらあら、何か誤解されているかもしれませんね」
「後で解いていただければ助かります」
浦和ハナコを止めたのは他でもない、折角なのでこの後のゲストとも同席してもらおうと考えたためであった。