ゲヘナ学園にいて、連絡の取ることのできる生徒は風紀委員会しかいないが、彼女たちが万魔殿への顔つなぎになってくれるとはその関係を聞く限り到底思えなかったし、これから関係を築くうえでもいい方法ではなかった。
そしてこの状況を打開するきっかけとなったのは、意外な人物だった。
「わざわざ来ていただきありがとうございます。フウカさん」
以前トリニティで出会った、ゲヘナ学園の愛清フウカがお礼の品をもってきたといってシャーレのオフィスに現れたのだ。ここにゲヘナの生徒が来ることは非常に珍しい。そして愛清フウカほど律儀なゲヘナ生もまた同様に珍しいだろう。
「いえ、あの時は本当に助かりましたから……あの後も結構色々あったんですけどね……」
愛清フウカが遠い目をしている。あのような出来事にしょっちゅう巻き込まれているのであれば、苦労も多いだろう。
「連絡ができるようであればこちらに連絡していただければ可能な限り助けになりますよ」
「あ、ありがとうございます。あの、これ……つまらないものですが」
愛清フウカがそう言って差し出してきた袋を受け取る。中身は焼き菓子だった。洋菓子店で売られているものとも遜色ないが、包装から考えると恐らく手作りだろう。
「ありがとうございます。こちらはフウカさんが?」
「は、はい。あの、私給食部なんですけど、流石に料理をいきなり渡されても少し引いてしまうかな、と思いまして、お菓子にしてみました。上手くいったと思うんですけど……」
私は改めてもらったものをじっくり確認した後、少々の社交辞令を交えて返事をした。
「いや、見事ですね。食べるのがもったいないくらいです」
「……ほ、褒めすぎですよ」
普通に照れている。とても純真な生徒のようだった。この程度であればティーパーティーの生徒会長たちは当然のように受け流すであろう。蒼森ミネあたりには効きそうか。
「それと、こちらは……聖園ミカさんに、機会があれば渡していただけますか?」
そう言って彼女が取り出したのは、恐らくこの周辺で購入したと思われる高級洋菓子ブランドの箱だった。ロゴに見覚えがある。先ほど私がもらったのは彼女の手作りであるため、これはわざわざ別で買ったということになる。
「あっ、やっぱり気になりますよね。えっと、私がミカさんの名前を出した時の風紀委員長の様子が変だったので少し気になって、調べてみたんです。あの人、トリニティの生徒会長だったんですね。しかも、ゲヘナ嫌いで有名だって……」
私の視線が気になったのか、愛清フウカはまるで言い訳でもするように経緯の説明をし始めた。少し悲し気にしつつ続ける。
「な、なのでその、私からっていうのも言わなくていいです! ただ私が、お礼をするって言ったのを守らないのは気持ちが悪いってだけなので」
「いえ、まあミカさんは人の感謝の気持ちを無下にされるような方ではありませんけどね。何にせよ分かりました、こちらは預かっておきますね」
私が個人的に聖園ミカにだけお菓子を渡すというのも、何かしらの意図を感じさせる可能性を考慮するとよくないと思うのだが、とりあえず受け取っておく。
「その代わりと言っては何ですが、一つ聞いてもよろしいですか?」
「はい、何でしょう」
駄目で元々。風紀委員を除くと彼女は純粋に貴重なゲヘナ生の知り合いである。
「フウカさんには、万魔殿に知り合いなどいらっしゃいますか?」
「ぱ、万魔殿……」
露骨に嫌な顔をされる。あまり良い印象はないのだろう。というか愛清フウカが得意とする部類の生徒がゲヘナにいるのだろうか。
「いらっしゃらないようですね……実は、万魔殿のマコト議長への訪問を考えているのですが、なかなか連絡が取れずに少々困っておりました、もしかしたらと思ったんですが……」
「ああ、成程……トリニティの生徒会長ともお知り合いだったみたいですし、立場上そういう人と会っておく必要がある、と言う感じですか?」
なかなか察しが良い。2年生にしてライフライン的な部活動を運営しているだけはある。
「まあ、お察しの通りです。ミレニアム、トリニティには既に訪問したのですがね」
「だとすると、ただ万魔殿の子ってだけじゃなくて幹部との繋ぎが必要ですよね? うーん、ますます私なんかじゃ……あっ」
愛清フウカが何かを思いついたように鞄を探り始める。そして、何かの紙片を取り出した。
「これ、チアキの……万魔殿の書記をやっている元宮チアキの連絡先です」
差し出されたのは、名刺だった。確かに万魔殿書記と書かれている。
「これはこれは……素晴らしい。どうしてこのようなものを?」
「えっと、書かれているとおり、万魔殿が発行している『週刊万魔殿』の責任者なんです。私も売り込みに来た時くらいしか話したことは無いですけど……好奇心の塊のような人だったので、連絡すれば会ってくれるんじゃないかと思います」
「成程…… 非常に助かります。こちらはいただいても?」
私がそういうと、彼女はすぐにうなずき、追加でもう1枚名刺を差し出してくれた。
「はい、興味がありそうな人がいたら渡してほしい、と言われていたものなので。私も忘れてましたけど、一応持っておいて良かったです。私が言うのもなんですけどゲヘナにしては良識的な人だと思うので、丁度良いと思います」
その後、少々雑談をして、愛清フウカは帰ると言った。帰り際、一つ質問をした。
「フウカさん、最後に一つだけ、『エデン条約』はご存じですか?」
「は、はい。勿論知ってますけど」
いきなり妙なことを聞かれて、戸惑っているようだ。
「では、フウカさんはエデン条約についてどう思いますか?」
「はい? ……ええと、政治的な意味はよく分かりませんが、個人的には良いと思ってますよ。締結されたら、この間みたいにハルナがトリニティで暴れたりしたときスムーズに助けてくれるのかなって思ってます。……何だか即物的で申し訳ありません」
「いえ、貴重な意見、ありがとうございます。すみません、引き留めてしまって」
エデン条約を切実に求めている生徒が実際にいると分かっただけで、十分価値のある意見だった。
「はい、これからも、よろしくお願いします」
愛清フウカが帰った後、私は早速元宮チアキへと連絡した。今度はレスポンスが非常に早く、翌日には元宮チアキが直接シャーレへとくる形で万魔殿の人物と対面することが確定した。
―
後日、別件でトリニティを訪問する予定があったが、その序に聖園ミカとの面会予定も立てることが出来た。
愛清フウカからのお礼の品を持ち、指定された場所へ行く。
「やほー、先生。久しぶりだねっ」
「今日はお忙しいところ、ありがとうございます」
「いや全然、忙しくない。まあヒマーって訳じゃないけど、ナギちゃんやセイアちゃんに比べれば暇なの。なんせ実質的に謹慎中の身なので、はい……奉仕活動以外での外出に制限掛かってるし」
そう語る聖園ミカは、以前と同様に明るく見えたが、どことなく今の方がより自然に見えた。
「成程、では丁度良かったかもしれませんね。こちらをどうぞ」
菓子店の紙袋を差し出す。
「え、何かくれるの? ……ってあー!? それ、知ってる! 最近話題のトコだよね!? え? それ私に? 何で?」
予想よりも聖園ミカの反応が大きい。トリニティの生徒なので、高級な品には慣れているかと思いきや、流行品が気になるのは変わらないらしい。そもそもこれが流行していることすら知らなかったが。
「お礼ですよ」
とりあえず、主体をぼかして返事をする。聖園ミカは何のことかは分かっていないようだ。
「……? まあ、これくれる代わりに何かしてほしいみたいな話じゃないってことだよね?」
「ええ、それは約束しますよ」
そもそも私からの物ではないので当然そう言ったつもりもない。
「それじゃ、遠慮なくもらっちゃうね! ねえ、これ、食べていい? ちょっとだけっ」
「それはミカさんのものなので自由にしてください」
私がそういうと、聖園ミカは存外丁寧に包装を外し、中身に目を輝かせている。どうやら数種類のクッキーの入った詰め合わせのようだ。
そして暫く悩んだ後、そのうちの1枚だけを取り口に入れ、幸せそうに笑った。
「これ! すっごく美味しいね、ありがとう!」
時間をかけてゆっくりとクッキーを食べた後、聖園ミカが、笑顔で捲し立てるようにそう言った。
「そうですか、では、そのように伝えておきます」
私の返事に、笑顔だった聖園ミカが目を丸くする。
「え? ……これ、先生からのじゃないの?」
「はい、ですから、ミカさんへのお礼の品です。ある生徒からの」
「え、だれからの?」
「聞きたいですか?」
「う、うん……」
聖園ミカは戸惑うようにうなずく。言わなくても良いとは言われたが、言うなとも言われていない、教えても問題ないだろう。
「フウカさんですよ。覚えていますか?」
「フウカ? ……あ。あのゲヘナの……本当にお礼くれたんだ」
少し考えたが、思い出したようだ。そしてしばらく何を言えばいいのか考えるような顔をした後
「何と言うか、すごく律儀な良い子だね」
そう言って笑顔になった。
「ちなみに、私は手作りのお菓子をいただきました」
「何それ!? 羨ましい! じゃなくて、え、どういう関係?」
「ミカさんと同じタイミングでしか会っていませんよ。彼女はゲヘナの給食部なので、いわば料理のプロです。自分の作る物がお礼になるという自負があるのでしょう。無論、それに足る十分な出来の物でしたが」
「やっぱり自慢されているように聞こえるけど……」
笑顔のままで。聖園ミカが器用にこちらを睨む。彼女の中で、愛清フウカに対する心象は既に十分良い物になっているようだ。
「さて、そんな彼女がミカさんへのお礼の品に関してはわざわざ今流行りの物を並んで買った。そして、渡す際には自分からだと言わなくて良いとまで言っていました」
「え……? あ……」
笑顔から一転、残念そうな表情に変わる。
「そっか。少し調べれば私の情報位わかるもんね」
流石に自分がそれなりの有名人であることを自覚しているのだろう。そして、自分が公言していたこと、つまり、ゲヘナ嫌いであることも調べればすぐにわかる。
「ちなみに、彼女はエデン条約については賛成のようですよ」
「追い打ちかけないで……何というか、凹むなあ……」
聖園ミカが俯くが、そのようなつもりはない。そもそも私はエデン条約の成否にはあまり興味が無い。
「私はどちらかというと、それでもフウカさんが貴女にお礼をしたかったという事実の方が重要に見えますがね」
「え?」
聖園ミカが顔を上げる。
「意図が気になるなら直接確認してみるのも手ですよ。シャーレで会う分には、両校を刺激することもないでしょう」
聖園ミカのゲヘナ嫌い自体やエデン条約への反対と言う立場は、早晩変えられるものではないだろう。しかしその事実は、
聖園ミカがゲヘナにいる生徒全員を嫌いにならなくてはならない理由にはならないし、逆にゲヘナ生全員に嫌われなければならないという理屈も勿論ない。
それを本人に伝えるつもりはないが、
「うん……それじゃあ、もう一度会ってみたい、かも」
彼女にもそれを理解できる日が来る兆しがあることは間違いなかった。
万魔殿もでてこなければ訪問した場所もゲヘナですらない