元宮チアキがシャーレを訪ねて来た日から2日後、約束通り私はゲヘナ自治区へと足を踏み入れていた。途中何度か爆発音が聞こえたり、風紀委員が出動している現場を目撃したりはしたが、運よく大きく遅れることもなく校舎まで到着することが出来た。いざというときの手段は用意していたが、やはり一人で出歩くには危険な街だ。
「あ、先生! 無事に着きましたね、お待ちしていました!」
私が来るのをどこかで見ていたのか、連絡するより前に、2日前にあったばかりの元宮チアキがすぐに現れた。
「お出迎えありがとうございます。ゲヘナに来るのは2度目になりますが、随分と……活気のある場所ですね」
「あはは! 今すごく言葉を選びましたね先生! まあその喧噪が華ってのはありますよ実際。嫌だったらいられません。さあ、早速ご案内しますよ!」
そのまま校内へと手招きされ、中に入りながら、元宮チアキに尋ねる。
「入校手続きなどはいらないのですか?」
ミレニアムでもトリニティでも、施設内へ入るには入校許可が必要だった。
「そんなのやってる人ゲヘナにはいませんよ?」
そう言って、元宮チアキは先に進んでいく。学内の雰囲気も騒然と、あるいは雑然とした状態であり、穏やかさと緊張感が共存していたトリニティや、爆発や暴走はあれど高度な研究機関、という様にはなっていたミレニアムとは全く、違っていた。想像と大きく異なるわけではないが、やはり実際に体感しなければ理解したとは言えないのだ。尚、アビドスに関しては寂寥、あるいは荒廃といった印象だ。
「ここが万魔殿の本部です!」
流石はマンモス校の生徒会本部だけあり、間近で見た万魔殿は立派な建屋に存在していた。ミレニアムのような最新設備というよりは、歴史を感じさせる施設だ。
「とりあえず応接室に案内しますね! 今は誰もいないと思いますけど」
そう言って通された応接室には、確かに誰もいなかった。元宮チアキはどこかに行ったと思えば、コーヒーを持って戻ってきた。
「その辺に置いてあったインスタントですけど、よかったらどうぞ!」
「ありがとうございます。ああ、それとこちら、一応手土産です。」
そう言って、菓子店の紙袋を渡す。先日愛清フウカが聖園ミカにと渡したものと同じ店の物だ。反応が良かったため、昨日店に行き買っておいたのだ。
「えー、いいんですか!? ってそれっ、見たことありますよ! 確かハルナ先輩が開店初日に行ったとか何とかで風紀委員の子がピリピリしてましたね。でもまだあるってことは良いお店ってことなんですね~」
ハルナとは黒舘ハルナのことだろう。彼女たちがシャーレの近くまで来ていたとは知らなかったが、流石にそこで問題を起こされていたら私の耳に入っているだろうし、恐らくその日は大人しく帰っていったということだろう。
コーヒーを飲みながら、元宮チアキから、丁度昨日とは逆の立場で簡単にゲヘナや万魔殿という組織について説明を受ける。そして、その後、他の役員たちの話になる。
「じゃあ、ちょっと他の人に会いに行きましょう! マコト先輩はいつも通りいつ来るかわかんない。サツキ先輩は何か新しい実験がどうのとか言ってさっき外出していきましたから……うん、イロハちゃんのところに行きましょうか。そのお土産も一応持っていきましょう!」
棗イロハ。今受けた説明によると万魔殿における戦車長という役職の生徒らしい。戦車長という名前ではあるが、ただの戦車乗りというだけでなく、万魔殿所有の兵力に関する責任者のような立場とのことで、幹部と言って差し支えない存在らしい。
―
「イロハちゃーん! いますかー?」
戦車室に着くと、元宮チアキが大声で棗イロハを呼んだ。
「メッセージを飛ばさないのですか?」
「イロハちゃん、戦車室にいる時は戦車を整備してるかサボってるかイブキちゃんと遊んでるかなんです。その間大体スマホの電源オフにしているので、大声で呼んだ方が確実ですね」
扱いに慣れているだろう、同僚のいう事なので、大人しく待つことにする。暫くすると、少々けだるげな表情をし、少し制服を着崩した赤髪の生徒が現れた。
「何? チアキ。イブキが寝ちゃったから少し静かにしてほしいんですけど……どなた?」
文句を言いながら外に出てきたその生徒は私に気付き、訝しそうな顔になる。
「あ、イロハちゃんごめんね! シャーレの先生にイロハちゃんを紹介しようと思って!」
「シャーレの先生……? ……ちょっ、ちょっと待ってくださいね。」
怪訝な様子だった推定棗イロハが、焦って再び室内へと消えていく。そして暫くした後、今度は丁寧に制服を着こなした状態で現れた。
「お待たせしました、先生。すみません、先ほどは失礼な格好で……」
「おー……イロハちゃんが制服をちゃんと着てる……」
元宮チアキがなぜか棗イロハの姿に驚き感動している。その様子を棗イロハは睨んで
「初対面の外部の方相手、しかもシャーレの先生に失礼なことできないでしょう。しかもこの微妙な時期に、印象悪くしてどうするんですか」
と文句を言った。元宮チアキによる説明だと怠惰なところのあるサボり魔と言う話だったが、少なくとも対外相手では真面目な部類のようだ。制服の着こなしに関しては、ミレニアムでもトリニティでも変わった服装の生徒を目撃しているため、制服が多少崩れている程度では特に気にはならなかった。
「お気になさらず。今回はチアキさんの厚意で見学させてもらっているだけなので、訪問といってもそこまで畏まったものではありません」
「そ、そうですか? とりあえず良かったです……あ、棗イロハ、です。よろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします、イロハさん。」
寝ている生徒、話から察するに飛び級で入学したという丹花イブキがいるということで、戦車室の外、戦車室自体がガレージのような場所にあるので、本当に屋外で話すことになった。今日までの経緯や元宮チアキに誘われてゲヘナに訪問したことを伝える。
「成程。マコト先輩から連絡が来ないと。最近顔を見せなかったり、偶に見せたと思ったら訳わからないこと言いながら高笑いしてたりとで、また何か変なことやってそうな気がするんですよね……」
棗イロハが、私の説明を受け、そのような感想を漏らす。言っていることは元宮チアキに似ているが、こちらは呆れや諦念が籠った溜息とともに吐き出されていた。
「まあ、私のいう事なんか聞かないと思いますが、マコト先輩に会ったら伝えておきますよ。このままだと、今最も重要ともいえる先生との関係構築において、トリニティやミレニアムに取り返しのつかない程の差をつけられますよ……と」
「過大評価な気がしますが、協力していただけるのであればありがたいです」
そのような話をしていると、ふと、視線を感じ、振り向く。
「……」
先ほど棗イロハが出てきた戦車室の入り口から、子どもが顔だけ出してこちらの様子を見ているのが確認できた。あれが、丹花イブキだろう、想像よりもかなり幼い様子だった。
「イブキ! 起きたんですね。先生からクッキーを貰ったので、一緒に食べませんか?」
同じく様子に気付いた棗イロハが、丹花イブキを手招きする。私の見た目が怖いのか、恐る恐る近づいてくる少女をにこやかに見守っており、二人の関係が良好そのものであることが伺えた。元宮チアキはいつの間にか取り出したカメラでその様子を撮影していたが、特にコメントをする必要はないだろう。
「た、丹花イブキですっ。はじめまして……」
近づいてきた丹花イブキは近づいてきてそのように自己紹介すると、彼女を呼んだ棗イロハの陰に隠れてしまった。
どうも怖がられているようだ。
「お? イブキちゃんが人見知りを発動してる。珍しいですねー……?」
元宮チアキがその様子も撮りたいとばかりにカメラを構えながらそう発言する。
「……多分、先生が大きぎて怖いのかと。私やチアキどころか、サツキ先輩でさえ見上げないといけないくらいの大きさですし。」
確かに、丹花イブキの目の高さは私の腰辺り高さでしかなく、それに加えて、異形の身体をしているこの見た目では怖がられることも当然である。しかし、話によれば羽沼マコトもこの少女のことは溺愛しているという話なので、最低限波風は立たない程度には印象を改善する必要があるだろう。
「ご丁寧にありがとうございます。イブキさん。今日は万魔殿の皆さんにご挨拶のために来ました。よろしくお願いします」
子ども、それも児童と言うべき年齢の相手の挨拶の仕方は慣れないが、大きすぎて威圧感を与えているという話なので腰を落として目線を低くして、隠れてこちらを見ている丹花イブキに挨拶を返す。
「……みんなと仲良くなりたいってこと?」
挨拶=仲良くするために行う事。という教育的刷り込みを受けているのだろうか。私の「挨拶をしに来た」という発言をそう解釈して、私に尋ねる。
「ええ、その通りです」
否定する理由がどこにもないので、頷く。それを聞いた丹花イブキは隠していた身体をおずおずと出して、
「じゃあ、イブキも仲良くしてあげるね」
と言った。
「偉いですね、イブキ」
棗イロハがそう言って、丹花イブキを撫でる。撫でられている方も嬉しそうに笑顔でされるがままにしている。どことなく早瀬ユウカと黒崎コユキとの関係を思い出したが、あちらはよく考えれば1つしか年齢が離れていない。
「先生って、結構子どもに優しいんですねー? ポイント高いですよ!」
と元宮チアキは何故か少し嬉しそうにしながら私に話しかけてきた。
「私にとってはイブキさんも、チアキさんも子どもですよ。接し方が異なるのは個人単位であり、相手が大人か子どもか、という2パターンで分けているわけではありません」
当然、丹花イブキは悪印象を受けたままでは良くないという考えから、威圧感を与えないような行動をとったわけで、打算的な行動だ、と言う意味だったのだが、元宮チアキは何故か更に嬉しそうにしていた。
「へえ! じゃあ私ともっと仲良くなったら、特別扱いしてくれるってことですか?」
「まあ、そう言うこともあるかもしれませんね」
何を求められているのかわからないが、とりあえずそう答えておく。元宮チアキからもとりあえず悪印象ではないのなら、それでいいだろう。
「イブキ、もうお昼寝は良いのですか?」
「うん。それより先生ともっとお話ししたいな」
人見知りが抜けた丹花イブキは、第一印象とは少し異なり、溌溂とした少女という部分もあるようだ。
「では、一度本部に戻りますか。外で立ち話もアレですし、戦車室は狭いですので」
「そうしましょう! サツキ先輩やマコト先輩が戻ってきてるかもしれないし、いただいたお菓子も気になりますしね!」
棗イロハの提案とそれに同意した元宮チアキの発言により、万魔殿の本部へと戻る。言っていた2人はまだ戻っていなかった。
「さて、折角お茶菓子をいただいたのでコーヒーでも淹れましょうか。先生もコーヒーで良いですか?」
「ええ、ありがとうございます。」
棗イロハの質問に頷いて答える。
「イブキは牛乳で良いですか?」
「はーい!」
「私はカフェオレが良いです!」
丹花イブキの回答に元宮チアキが便乗して答えるが、棗イロハは一瞥して
「チアキは自分で準備してください」
と言った。そしてそれに従った元宮チアキが棗イロハについていったことで、室内には私と丹花イブキだけが残る。
「イブキさんは、牛乳が好きなのですか?」
当たり障りのない話題を投げかける。
「うん! イブキね、早く大きくなって皆を助けられるようになりたいんだあ」
丹花イブキがそう答える。先ほどの二人がここにいたらまた彼女を褒める流れになっていただろう。
「それは良い心がけですね」
「えへへー、そうでしょ? 先生は、学校の先生だからお勉強を教えてるの? イブキ、大人の先生って初めて見たよー」
キヴォトスにおいては通常の学校教育はBDで行うのが主流であり、常駐の教師がいるところは多くはないはずだ。いたとしても大体はロボットの教師だろう。私は学校教師と言う立場とは厳密には違うが、補習授業部でのことを思い出す。
「まあ、そうですね。勉強を教える機会もありますよ」
「やっぱり! イブキお勉強も好きだよ! 算数が一番好き! この間100点取ったんだー」
算数。飛び級した後に受けたのだとすれば数学だろうか。ゲヘナについてはキヴォトスにおける高校数学のレベルは外の世界とあまり変わらない。だとすればこの年齢で満点を取るというのは興味がある。私は鞄に残っていた以前補習授業部にいた際に作った3年生用の模擬試験を取り出す。
「算数がお好きなんですね。丁度テストを持っているのですが、やってみますか?」
「いいの!? イブキやりたい!」
私の提案に即答した丹花イブキに、模擬試験の数学の部分を渡す。彼女はポケットから常に持っているのだろうペンを取り出し、早速取り組み始めた。
そして、棗イロハと元宮チアキが戻ってくるまでのたった数分。その短い間で、丹花イブキは既にほとんどの問題を解き終わっていた。
「お待たせしまし……え、何してるんですか?」
「あ、イロハ先輩! 今ね、先生に算数のテストやらせてもらってるの!」
何故? と言う表情で戻ってきた棗イロハがこちらを見る。後に続いて入ってきた元宮チアキも状況が分からず首を傾げている。
それからまた数分後、最後の大問を解き終えた丹花イブキから解答を回収する。
「ああ、イロハさん。コーヒーありがとうございます。今から採点するので少しお待ちください。お二人も問題を見てみますか?」
私も彼女の解く様子に集中してしまっていたため、飲物の礼を言うのが遅れてしまった。
「え……これ、私も全然わからないのですが…」
棗イロハと元宮チアキが私が渡した問題用紙を覗き、首を傾げているのをよそに、採点を行う。、そしてそれは非常にスムーズに終わった。
「素晴らしい。満点ですね。」
「ほんと!? わーい!」
丹花イブキが無邪気に喜ぶ。この結果はただ数学ができるという話でもない。高校3年生用の問題そのままであるため、それを読み解く読解力も年齢不相応の物を持っていることが分かる。この短時間で満点を取れる生徒は、私の出会った中では同じく数に関して並外れた能力を発揮する早瀬ユウカくらいのものかもしれなかった。
「わぁ! このクッキーおいしい!」
「本当。凄く美味しいです。ありがとうございます先生」
満点を取った丹花イブキをひとしきり褒めるというイベントが終わった後、コーヒーと菓子を間にした談話が始まった。
「実はこれは、給食部のフウカさんから教えていただいたものなのですよ。私は知りませんでしたが」
「あ、そういえばフウカちゃんの紹介で私に連絡くれたんですよね! ハルナ先輩に巻き込まれた時に知ったのかな?」
「給食部のフウカ……ってああ、あの」
元宮チアキと棗イロハが愛清フウカの名前を出した私に反応する。
「イロハさんもフウカさんをご存じでしたか」
「はい。まあ、給食は
そして、棗イロハが少々気になる発言をしたとき、室内に誰かが入ってきた。
「帰ったわ。……あら、お客さん?」
羽沼マコトではない。つまり、この人物が京極サツキだろう。