再度近づいてきた足音に聖園ミカと白洲アズサが警戒するが、現れた者は敵対者ではなかった。
「先生! 無事でしたか」
先ほど、調印式の臨時会場では通信越しに聞いた声が、今度は直接耳に届いた。七度ユキノはたった一人で、自ら設定した目標を全うしたらしい。
現れたのは彼女と、アリウスの生徒が3人だった。そのうちの一人が誰かはすぐにわかった。
「アツコ……」
白洲アズサが、3人の中で唯一マスクを外していた秤アツコに近づく。
「あ、アズサ。……元気そうだね、良かった」
秤アツコが近づいてきた旧友に小さく微笑んだ。
「うん、元気だ。アツコは……あんまり元気そうじゃない」
「んー、そうかも? でも、大丈夫だよ」
白洲アズサがアリウスと袂を分かって以来だろう二人は、少々ぎこちなくだが、再会を喜んでいるようだった。
「先生、とりあえず報告をさせていただきます。私が地下墓地へと進んだ後の話です」
二人の再会の様子を暫く眺めていた七度ユキノは、気を取り直したのか私に近づき、経緯を語る。確かに、拘束もせずにアリウスの生徒を連れてきたのは少し気になった。
「地下墓地を先に進むと、最重要保護対象の秤アツコと、アリウスの生徒2名が何者かと話していました。先生がおっしゃっていた『異形』という存在だと思います。ご忠告通り、その者が離れるまで待機した後、二人の生徒を制圧し、秤アツコとの交渉を行いました。その結果……」
そこまで言って、七度ユキノは秤アツコの方を見る。視線に気づいたのか、秤アツコはこちらに近づいてくる。
「戻っても良いことはなさそうだし、『皆』と一緒に入られるなら、そっちに行こうと思ったの。ユキノちゃんが悪いようにはしないって言ってくれたし。……あなたが、先生だよね? よろしく」
「よろしくお願いします、アツコさん」
ロイヤルブラッドの少女。ベアトリーチェにとって最重要の人物であり、かつて彼女以外のことは暇つぶしの戯れでしかないとまで言っていた少女は、あっさりとベアトリーチェの手から離れる決断を下していた。ベアトリーチェとどのような関係性を持っていたのかは知らないが、やはり彼女は生徒のことを甘く見すぎていたのだろう。
「それで、こちらのの制圧した二人もそのままにはしておけないから連れてきました。途中までは担いできましたけど、目が覚めたのでそこからは歩いてきてもらいました。二人とも保護を受け入れることに同意しています」
七度ユキノが残る二人の方を示す。マスクをつけたままだったが、彼女たちははっきりと頷いた。
「よろしいのですか? 貴女達にとって、私は排除対象だったはずなのでは?」
念のため、二人の生徒へ尋ねる。秤アツコはともかくとして、彼女たちのような普通の生徒は厳しい洗脳状態にある、と認識していたが、違うのだろうか。
「……そもそも、私たちが反抗しても無意味っていうか……これだけ作戦が大失敗して、姫も捕虜になるの受け入れてるのに、逆らっても……」
「別に私たち、先生に恨みは無いし……。作戦失敗してアリウスに戻っても、死ぬような目に合うか、本当に殺されちゃうかだもん、この前みたいに……」
2人の生徒は、小さな声で口々にそう言った。秤アツコがそれに補足するように話す。
「最近ね、マダム……ベアトリーチェは失敗続きだった。本人は言っていないけど、百合園セイアの襲撃と桐藤ナギサへの襲撃、そのどちらもちゃんとした成果を挙げられていないし、『スパイ』のアズサだけじゃなく、『利用してた』はずのミカさんまで、土壇場でアリウスを裏切っていたんじゃないかって、一部の生徒の中で噂になってたんだ」
「……私の話? まあ、アリウスの皆からしたら裏切り行為ではあったよね。……ごめんね」
複雑そうな表情で話を聞いていた聖園ミカが、バツの悪そうな表情で謝罪する。
「その様子だと、多分本当だったみたいだね。そんな感じの、ベアトリーチェにとって面白くない噂が流れてた。それと、その少し前に『いなくなっちゃった』子がいたのもあって、反発心みたいなのが起こり始めてたみたい」
秤アツコの説明を聞いて、彼女たちの反応もある程度理解できた。
恐怖と暴力による支配は、それを行う側が絶対的でなければならない。今まで、アリウスの内部だけでそれを見せつけていた彼女は殆ど上手く事を進めていた。白洲アズサのような例外はいたが、その彼女とて他の者に庇われることが全くなければ生き続けられはしなかっただろう。
しかし、トリニティに対する工作という段階に入り、粗が出始めた。殺したはずの百合園セイアは生きているどころか、生徒会へ復帰するほど健康である。『スパイ』の白洲アズサが裏切ったのはともかく、自分たちと共にトリニティを襲撃したはずの聖園ミカさえ生徒会長の立場を降りることも無く、些細な罰則を受けただけ。
絶対的な存在の教えは、勿論絶対に正しいものであり、絶対的な存在が、その支配下にある者の生殺与奪を握るのも当然のことである。これが恐怖と暴力による洗脳支配の構造だ。しかし、ベアトリーチェは自らの絶対性を揺るがす失敗を繰り返した。そしてそんな存在が、彼女たちの仲間に危害を加えた。『いなくなった』と婉曲表現をしているが、実際のところは『殺された』のだと理解しているだろう。
そして、今日の襲撃の完全な失敗が、ベアトリーチェの絶対性を揺らがせる最大の決め手となったのは想像に難くない。秤アツコと共にそれを見届けたこの二人の洗脳が解けるのは、ある意味当然なのかもしれなかった。
そして、話の内容で気になる点がもう一つあった。
「すみません、アツコさん。その『いなくなってしまった』という生徒についてですが……」
「……分からない。酷い目にあっていたのは見ていた子がいたんだけど、その後は、本当に誰も見ていないの」
秤アツコの表情が暗くなる。衰弱状態にあった者が長期間見つかっていないのであれば、その末路は誰もが想像できるだろう。しかし、そうではない。
「いえ、そういうことではなく……もしかして、立木マイア、という生徒のことではないですか?」
「え……知ってるの?」
秤アツコが目を見開く。その表情には少し、期待が浮かんでいた。
「ええ。彼女は現在、トリニティに保護されています。丁度襲撃の日に、ミカさんが発見し密かにトリニティへ連れて来ていたのです」
「嘘……」
そう呟いたのは、秤アツコではなく、私に恨みは無いと言った生徒だった。
「本当です。当時は危険な状態でしたが、先日私がお会いしたときは、身体の方は順調に回復している様子でしたよ」
「しょ、証拠はありますか!? マイアちゃんが生きているっていう、本当に、生きてるって……」
証拠となりそうなものはシッテムの箱での蒼森ミネとの通信記録位だが、生憎今は機能停止中だ。しかしここには他にも証拠を持っていそうな生徒がいる。
「あ、私写真持ってるよ。先生が会うより前だと思うけど、この前お見舞いに行った時、撮ったんだ。ね、アズサちゃん」
「うん。あの、生まれて初めてクッキーを食べた記念のだな」
言いながら、聖園ミカは自分のスマートフォンを見せる。そこに写っていたのは、泣きながら何かを頬張る立木マイアと、少し慌てている様子の朝顔ハナエの写真。もう一枚、と画像を切り替えると今度はその二人に加え、白洲アズサと聖園ミカの四人で撮った自撮り画像が収められていた。
「本当だ……本当に、マイアちゃんだ……うっ、うわあああああっ!」
証拠を求めていた生徒は、食い入るようにスマートフォンを見つめていたが、やがて堰を切ったように泣き出してしまった。もう一人の生徒が、それをなだめるように背中を撫でる。
秤アツコは、それを見て微笑んでいた。
そしてそれも落ち着いたころ、気絶していた河駒風ラブが身じろぎをする。
「……ん……あれ、うち……はっ、先生は!?」
そして、何かを言いながら飛び起きた。
「……あれ、どういう状況、これ。何か人めっちゃ増えてない!? あと、あの怪物は!?」
「あ、ラブが起きた。おはよう、どこか痛むところは無いか? あいつはミカが倒した」
白洲アズサがすぐに起きた彼女のもとへと近寄り、フォローする。
「そ、そう……痛むところ……うーん、地面で寝てたから背中が痛いわ。あ、なんか思い出してきた。先生! 何であんな事したの!?」
何故か起きぬけそうそう怒りだした河駒風ラブへ返事をしようとしたとき、また新たな闖入者が現れた。
「役者は揃ったようだな。シャーレの先生よ。そろそろ私にも挨拶させてもらおうか」
頭部が木人形でできている異形。ヒエロニムスの製作者にして、自称芸術家が、ついにその姿を私の前に現した。