「やはり、ここに来られていたのですね。『マエストロ』」
私は現れた自称芸術家に、生徒達を後ろに下げて応える。彼と会うのは以前の時間軸でゲマトリアの解散を宣言した時以来であり、個人的な感覚としては随分久しぶりに感じる。勿論彼は久しいといった感覚を覚えているわけがないだろうが。
「え、あの人先生の知り合いなの?」
「うちも知らないわよ。ホシノとかなら知ってるんじゃない?」
「じゃあ後で聞いてみよ」
後方で聖園ミカと河駒風ラブが何か話しているが、小声だったので内容を聞き取ることはできなかった。
「其方にその名で呼ばれるとは光栄だ、シャーレの先生よ。やはり芸術を理解できる者のようだ。あの情緒を理解できない支配者とは違う」
あいにくのことながら、私は彼の芸術自体を理解したことは一度もない。芸術を追及するというその姿勢に敬意を払っていただけだ。それも私にとっては過去のことである。
「私は偶々あなたの呼び名を知っていたにすぎませんよ。あなたの方こそ、私のことを知らないのですか?」
ベアトリーチェの動向から可能性は低いと思っていたが、ゲマトリアに所属する者に過去の記憶が存在しているかについて検証するため、問いかける。
「……勿論存じているとも。
なるほど、記憶を持っているわけではなさそうだ。
「何言ってるかよくわかんないんだけど、結局この人は何者なの?」
背後ではまたしても聖園ミカを中心に小声で話している。
「あれはマエストロって言って……私もよくわからないけど一応ベアトリーチェの協力者だと思う。さっきミカさん達が戦ってたあの変なのの製作者」
「え、じゃあ敵じゃない!?」
段々と声が大きくなり、内容が詳細にわかるようになってきたが、取り合う必要はないだろう。
「私の作品に見事に打ち克ったその手腕、拝見させてもらったぞ。見事なものだったと言えよう。そなたが情報収集のみに長けている訳ではないというのも十分理解した。故にこそ、未完成品で相対したのは心苦しいが……ここで奇妙な収穫を得られなければ、未完成品ですら出すことはできないところだったのだ。次は完成品をお見せすることを約束しよう」
マエストロが気になることをいくつか発言した。そして彼もまた、私の背後の喧騒は無視することにしたのだろうか。
しかし、女学生らしく背後の喧騒は留まることを知らない。
「何かまた同じことしようとしてるってこと? やっぱり、今のうちにやっちゃう?」
「ミカ、待って。私も少し気になるところがある」
「どうしたの? アズサちゃん」
「あの人は先ほどの戦いを見ていた、と言っていた。でも、それからアツコ達と合流してあの人が現れるまで結構経ってる。これ、どういうこと?」
「それ、そんなに気になる?」
白洲アズサの疑問に対し、河駒風ラブが呆れたように指摘する。しかし、その疑問は思わぬところから回答が来る。
「そなたらもまた、私の作品に応えてくれたのは紛れもない事実。故に、そなたらを尊重して待機していたに過ぎぬ」
マエストロのその発言に、私の背後が静まり返る。まさか返事が来るとは思っていなかったようだ。私にとっても予想外の反応だ。
「……え、今のってアズサちゃんへの返事なんじゃない?」
「む? つまり、どういうこと?」
「だから、私たちが戦ってる姿を見て感動したから、先にこっちの用件が済むのを待っててくれたってことじゃない? 先生聞いてくれないかな」
こうなってはもはや私を介す必要があるのか不明だが、一応伝言を受け取る。
「……その解釈で会っていますか? マエストロ?」
こうも聴衆が多くいては、真面目な検証はできそうもない。私は諦めた。いきなり返事をした彼にも責任はあるだろう。
「私の行動の解釈について細かく訂正するつもりはない。疑問に答えたのもそなたらへの敬意を表してのことだ」
マエストロが平然と答える。彼には表情と言うものが存在しないため、何を思っているのかは不明だが、私だけではなく、ヒエロニムスに相対した生徒たちもまた高く評価しているのは本当らしい。
「やっぱりそうなんだ。え、じゃあもしかして良い人?」
聖園ミカが、今更少し小声になって話す。
「騙されちゃ駄目よ。あの変な怪物をうちらにけしかけたのがあいつよ。先生なんか、危うく死ぬところだったじゃない。何故か無事だったけど」
すっかりそういうポジションに定着しつつある河駒風ラブが聖園ミカを諭す。
「……」
「あ、そうだった。あれ、ユキノちゃん?」
マエストロが現れてから喧騒に混じらず沈黙を守っていた七度ユキノが、突然私の元に近寄ってくる。
「ユキノさん?」
「先生、
私を睨むように見て、七度ユキノが私に尋ねる。何について聞かれている? 話の流れからすると
「……確かに、被弾しかけたのは本当でしたが、この通り、無事ですよ」
「そうですか……先生、発砲許可を」
「ユキノさん?」
突然マエストロに向けて七度ユキノが武器を構える。
「先生も、そんな相手と暢気に話すのはやめてください」
理由は不明だが、彼女は怒りに近い感情を持っていることは理解できた。私はかける言葉を探す。
「……銃を下ろしてください、ユキノさん。許可を求められたとしても出しませんよ。彼は私と同程度の肉体強度しかありません。私が普通にしているのも、現時点では潜在的な危険が少ないからです」
「……了解」
私の発言に、七度ユキノはしぶしぶ銃を下した。
「ふむ……やはり面白い。私の芸術を理解できる素質があるというだけではない。本質は探究者として、私に似ているところがあると思ったのだが……そのような者がキヴォトスの生徒たちとの相互理解を
私と七度ユキノのやり取りを見ていたマエストロのその発言に、疑問を覚える。「先生」自身の事や、トリニティに眠る教義について関心を持っていたのは知っているが、彼が生徒それ自体に関心を抱いたことはあっただろうか。
「……お褒めいただき光栄ですが、挨拶はもういいでしょう、マエストロ。こちらとしても、そこまで時間の余裕はないのです」
七度ユキノの言うことにも一理はある。ベアトリーチェの増援が来ないとも限らない。進にせよ戻るにせよ、ここで立ち止まっている暇はないのだ。
「ふむ、確かにな。私はそろそろ失礼しよう。
マエストロは再会を予想させる言葉を含めそう言って、私たちに背を向け、立ち去っていく。心中で訂正しておくが別に私も歓迎はしていない。ベアトリーチェより対話相手としては余程マシだが。
最後には誰も言葉を発することなく、マエストロを見送った。彼が完全に見えなくなった後、生徒たちの視線が私に集中する。今後の行動をどうするのか聞きたいのだろう。
私は未だ再起動ができないシッテムの箱を見て、ここにいる生徒たちの様子を再度確認する。
同行していた3人は先ほど激しい戦闘をして消耗したところだ、河駒風ラブについては気絶までさせてしまった。
アリウスの生徒たちには当然無理を強いるべきではない。七度ユキノはそういった疲れを見せないが、彼女の場合はそれを隠す技術を持っているだけだという可能性がある。
マエストロの言った通り、今の私には
私たちが地下道に入るまでに大勢は決していたとはいえ、地上の様子、特に残るスクワッドがどうなったか、というのが気になるのもまた事実だ。本来であれば今日中にベアトリーチェを殆ど孤立させるところまで進むのが理想だったが……
「……今日のところは、撤収しましょう。アツコさん達の身の安全が優先です」
私はそう宣言する。無理をして被害を出しては意味が無い。マエストロがどのような足止めをするのか分からないが、彼が嘘を言っているとも思えない。
私の言葉に、異を唱える生徒はいなかった。