数日後、黒服さんに呼ばれて彼の元に向かった。緑色の光る培養槽を見て、私は息を呑んだ。
緑色の液体で満たされたポットの中。そこに小さな胎児が浮かんでいた。
「お披露目ですね」
黒服さんの言葉を聞いて、口角が上がった。やっと会えた。先生の細胞と私の細胞を一つにした。私達の子供。私と先生の子供。
暖かな感覚が胸を満たしたが、どうしても現実的な部分が目に止まった。
「成長が早くないですか?」
「我がゲマトリアの技術を駆使しました。今回の計画の一環として、成長速度に関する実験も含まれています」
黒服さんの言う通り、契約書にはその事が記載されていた。
「ちなみにあとどれくらいでこの子はここから出られますか?」
「あと二ヶ月といったところでしょう」
「二ヶ月……」
その言葉を聞いて、思わず息を呑んだ。あとほんの少し待てばこの子に会える。
それから度々、黒服さんの元に向かった。日を追うごとに培養槽の我が子は大きくなっていた。
性別も判明した。男の子だそうです。あと少し。あと少しでこの両腕で抱き締める事が出来る。そう思うと自然と口角が上がった。
そして、ついにその時は来た。早足で黒服さんの元に向かった。彼の元に着いた時、胸の奥が大きく跳ねた感覚がした。
黒服さんの腕に抱かれたそれは白い布に包まれて、何かを掴もうと手を動かしていた。
「おめでとうございます。生塩ノアさん。貴女と先生の子ですよ」
黒服さんが私の目の前に我が子を差し出した。壊れ物を扱うように優しく、抱きとめた。
暖かな温もりが心身に染み渡っていく。
「ありがとうございます。黒服さん。貴方のおかげです」
ようやく会えた。私の子。私と先生の子。ああ、今の気持ちは言葉では伝えきれない。どんな言葉を持っても今の気持ちは表せられない。
でも強いて。強いて言うなら。
愛おしい。
私は再び、我が子を強く抱きしめた。愛おしさと共に固く誓った。この子を命を賭けて守ろう。今度は失わない。
青々とした午後、セミナーで事務作業に追われていた。窓の外で爆発音が鳴った。先生がいなくなってから、キヴォトスの犯罪率は上がった。
私達の仕事に対する集中力も熱意も損なわれている中、現実は追い打ちをかけるように問題を運んでくる。しかし、この頃の私は違う。以前より疲れを感じなくなった。
「ねぇ、ノア。最近嬉しそうじゃない?」
「そうですか?」
「あんなことがあったって言うのに」
あんな事。先生の件でしょう。
「先生の事は残念です。ですが落ち込んでいたら先生も浮かばれないと思います。先生はいつだって私が健やかなに過ごせるように尽力してくださっていました。先生がいなくなった今、私達がその働きに報いるように努めなけらばなりません。たとえどんなに辛くても」
「そう、よね。その通りね。ノアの言う通りだわ。前を向くことが先生を忘れることにはならないものね。ごめん。ノア。冷たい言い方して」
「いいえ。大丈夫ですよ」
我ながらどの口が言っているんだと思った。まあでもユウカちゃんになら大丈夫ですよね。
セミナーの業務が終わり、私は黒服さんの元に向かった。愛おしい我が子が私を待っている。
黒服さんのいる建物が見えてきた。
「ここで何してるの?」
建物の扉を開けた時、後ろから聞き覚えのある声が耳に入った。
「ユ、ユウカちゃん」
「最近、様子が変だったから付けてきたのよ」
私としたことが迂闊でした。まさかそこまで露骨に様子が変わっていたなんて。
すると私の意思と関係なく扉が開いた。黒服さんが許可したのでしょう。
不安もあったがこの際、私もユウカちゃんに秘めていた事を話そうと思った。息子の事。そして何故、この計画をユウカちゃんに託さなかったのか。
ユウカちゃんが無言で、私の後をつけてくる。 普段の親しげな雰囲気はそこにはなく、異物を見るような目を私に向けている。
「ねぇ、その腕に抱いている子は何?」
「先生と私の子ですよ」
私は包み隠さず打ち明けた。
「えっ……」
ユウカちゃんが固まった。
「ノア。知っていたはずよね? 私と先生が付き合っているの」
「ええ。もちろん」
「知っていて、こんな事したの?」
「黒服さんに提案されたからです。私はそれを受け入れました。先生の遺体から子種を頂いて、私の卵子と結びつけました」
私はありありと事実を述べると、ユウカちゃんの目が揺らいだ。明らかに動揺している。
「先生の遺体? 子種? 卵子? どういう事? そんなことできるわけ」
「出来るんですよ。キヴォトスの外にはそういう技術もあるんですよ」
「仮にそうだとしても、そう言うのは交際関係にある私に話を通すのが筋じゃないの!」
「話したら受けましたか?」
「それは……」
ユウカちゃんは言い淀んだ。当然だ。彼女は規律や常識を重んじるタイプだ。キヴォトスでは今だに実践されていない技術に挑めるほどの気概はない。
「私も迷ったんです。でもある事があったからユウカちゃんに託すのはやめたんです」
確かに筋を通すのならその通りです。ですが問題はその先に待ち受けているであろう結果。私はそれを恐れた。
「……なんでよ」
眉間に皺を寄せる彼女に私は携帯の画面を見せる。
ユウカちゃんの顔が静止したように固まる。私が見せたのは先生と私のモモトークのやりとりだ。
そこに書かれていたのは彼女が先生に行ってきた束縛の数々だった。
他生徒との業務以外での交流を最小限にする。
当番制を廃止して、自身の当番専属化。
睡眠時以外は三十分に一度、モモトークにメッセージを入れる。
ユウカちゃんが学園卒業後はシャーレを辞職、同棲開始。
これまで交流を持っていた生徒達の連絡先を消去する事。
そして、それらに口答え、意を唱えると手を挙げたそうです。日に日にそれはエスカレートして言った事もモモトーク画面に書かれていた。トークにはユウカちゃんにつけられたであろう痣や傷が残っていた。
「これ以外にもシャーレに監視カメラを仕掛けたそうですね。先生は気づいていたそうですよ。ああ、そしてこれは最新のやり取りです」
私はスクロールしてユウカちゃんに見せた。
『ノア。ユウカともう一度しっかり話し合って見るよ。お互いちゃんと腹を割って話せばきっとユウカもわかってくれる』
『はい! ユウカちゃんもきっとわかってくれます!』
先生と私のユウカに対するやり取りだ。
「これはあの爆破事件当日のトーク画面です。先生はユウカちゃんと話し合う事を求めていましたよ」
まあ、あの事件に巻き込まれ、先生の願いは潰えてしまいましたが。
「先生。ユウカちゃんの束縛にずっと悩んでいたんですよ」
モモトークの画面には先生がユウカちゃんにされてきた束縛の数々が記されていた。
「それは心配だったからよ! 先生はほっておくとすぐ無理しちゃうから。それはノアだって知っているでしょ! それにどうしてこんな事を、直接言ってくれればよかったのに」
「直接言って、手を出したのはユウカちゃんじゃないですか。ユウカちゃんが先生の言葉を否定し続けたから、気持ちの吐き場を失った先生は私を頼ったんですよ」
「そんな……」
「ユウカちゃん。私も先生の事好きだったんです」
「えっ……」
ユウカちゃんが一言漏らして、顔が硬直した。
「でも告白する勇気なんてなかった。だからユウカちゃんに託したんです。ユウカちゃんなら先生を幸せにできる。先生と幸せになれるって。二人の幸せを心から願いました。でもこんな事になるなんて思いもしませんでした」
細めた眼を彼女に向けると後ろめたそうに視線を逸らした。
「ユウカちゃん。先生を失うのが怖かったんですよね? ライバルが多い中、勇気を出して告白して受け入れてくれた先生。そんな人を手放したくなかった。だから先生を束縛し続けた。先生はとてもお優しい方です。ユウカちゃんの事を思って耐え続けた。貴女は甘えていたんです。先生の優しさに」
図星なのか。私を睨むだけで何も話さない。しかし、今の私から見れば裁きを待つ罪人にも見える。
「貴女のは愛ではありません。所有欲です。ただの独善的で傲慢な行為に過ぎません。先生の為と言いながら、結局は自分可愛さに為に先生を縛り詰めた」
「……て」
彼女の瞳が大きく揺らいだ。
「心配と言いながら先生を縛り付けて、ユウカちゃんは先生の事を何も信じていなかったんですよ。本当に愛しているのなら相手の意見を汲み取るはずです。立場を理解するはずです。以前のユウカちゃんなら出来ていた行動ですよ? 恋人になると自分のものになるから関係ないとでも思っていたんですか? 先生も一人の人間ですよ?」
「……めて」
虚勢の塊である鋭い目が崩れていく。今の私ははたから見れば酷い顔をしているだろう。それでも構わない。私は怒っている。現に言葉が止まらないから。彼女を咎める言葉が蛇口を捻ったように止まらないのだ。
「先生はユウカちゃんの事を愛していました。私が嫉妬する程に。なのに貴女は信じなかった。それに応えなかった。あんなに貴女に愛を注いでくれた方を無碍にして否定続けた。そんな人に先生から愛される資格なんてない!」
「やめて!!」
ユウカちゃんがその場で膝をついた。
「お願い。もうやめて、私が悪かった。そう。私が。怖かった。ただそれだけ。でも」
彼女の言葉が詰まる。今の彼女は罪悪感や後悔で頭の中を支配されているのでしょう。しゃくり上げながら、涙を流している。
「私が貴女に今回の計画を託さなかった理由が分かりましたか? 先生にもこんな仕打ちをするんです。もし生まれてくる子供が同じ目に遭うと思うと胸が痛くてたまりません。私も無力な子供が厳格な束縛で先生のように衰弱するのを見たくありません」
私は蹲る彼女を一瞥して、ゆりかごで眠る息子に手を添える。この子を見ていると不思議と先程までの怒りが落ち着いていく気がした。
「ねぇ、ノア」
前言撤回します。彼女がこの場にいると再燃焼され続ける。
「その子。私にちょうだい」
何を言っているんでしょう。この女は。太ももに栄養がいきすぎて、脳が萎縮してしまったのでしょうか。亡くなった先生との絆である我が子を何故、この女の贖罪の道具にされなければいけないのか。どこまで身勝手な女だ。
「お願い。ねぇ、良いでしょう?」
「何を言っているんですか?」
「あっ、それが駄目なら一緒に育てない? 一人で育てるのって大変でしょ? 数字に強い私と言葉を扱うのが上手いノアで一緒に育てたら優秀な子に育つはずよ。子育ても完璧〜ってなやつね。うん。そうしましょ。私達は今まで一緒に色々な仕事をしてきたでしょ。きっと子育てだって--」
鉛玉が青髪の女の頬を掠めた。私が撃ったからだ。
「出ていってください」
「ノア?」
「出て行け!!」
私が声を張り上げて、忠告すると彼女は力なく踵を返した。自分でもあんな怒気に満ちた声を出せるだと驚いた。
「もう済みましたか?」
「ええ。建物内で発砲してしまい申し訳ありません」
黒服さんに頭を下げた。怒りに駆られてたとはいえ協力者の近くで発砲してしまった。反省しないといけません。
「ククク。構いませんよ。普段穏やかな貴女からあんな怒声が出るとは。興味深い」
息子が泣き始めた。先ほどやりとりが眠りの妨げてしまったのでしょう。息子が眠りつく時まで、私はあやし続けた。