ヘビガミツカミ   作:イルルヤンカシュ

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アポロン・コンプレックス
アポロ-1


風が吹いていた。

 

強い、つよい風が吹いていた。

 

宙に浮かぶ巨大な蛇は、私に一瞥だけくれて、それからすぐにテヴェクの都心部に向かって動き始めた。身をくねらせ、折り重なるいくつもの翼をはためかせ、戦場の中心を目指して空を蛇行していく。

 

そうだ。強い風が吹いていた。すべてを洗い流すような強い風が。

 

肌を打つその風に、目も明けていられないような強風に、私は旗が激しく翻るのを感じた。

 

去り際の一瞥。鋭く、二度三度と瞬膜のシャッターが横切った刹那のひと時を思い出す。気づけば私は走り出していた。愛刀を鞘に戻すことも忘れ、全霊を以て足を駆動していた。

 

……女が、女があんな顔をしていたのだ! 行って抱きしめてやらねばならない!!!

 

あれは、これから死のうとする者の目だ!

 

私はかつてあの目を見たことがある。あの目に命を捧げたことがある。そこに宿る確かな愛を知っている。

 

彼女とならまた逢えるかも知れない。懐かしい記憶を越えるようなものと逢えるかも知れない。

 

否、逢えるはずである! でなければこの世のすべてが嘘だ! いくつもの死を捧げるような行為の源泉に愛が欠如しているなどありえない!

 

私は確信に突き動かされるように、住み慣れた街の変わり果てた景色の中を駆け抜けた。空から降り注ぐ炎、瓦礫と化した家々、輪唱のように響くいくつもの悲鳴。すべてを踏み越えて、私は走った。

 

だが、熱に浮かされた思考の中にもいくらか冷静な部分が残っていた。焦がれるような情熱が定めた目標を達成するべく、私の脳は絶対零度の冷酷な思考を保ち続けていた。

 

だから私は、バイニャンの背を追いかけなかったのだ。

 

私は半壊した倉庫の前で足を止めた。ザジ商会だ。魔物が墜落したらしく、天井が崩落していた。倉庫の扉を蹴り開け、私はその中に踏み込んだ。

 

「スコム! まだ生きているか!」

 

呼びかけに応える声はなかったが、代わりに微かなうめき声が聞こえた。私は瓦礫を蹴り飛ばしながらその出所を探る。

 

果たしてスコムは瓦礫の下にいた。瓦礫を退かして容体を確認すると、服のあちこちに黒い血が滲んでおり、彼女はすでに虫の息だった。

 

だがそれよりも私の目を引いたのは、彼女の赤黒く染まった肌といくつもの発疹である。どうやら、スコムもすでにバイニャンの毒牙にかかっていたようだ。

 

「……蛇が、蛇が来る。……ハル、蛇が」

 

とりあえずヒールとディスペルを使ってみたが、瓦礫の下敷きにされた時にできた外傷が塞がるのみで、呪毒の症状が消えることはなかった。瀕死の状況から快調する様子もない。彼女の生命は呪いによって死の淵に追いやられていたのだ。もう長くはあるまい。

 

「しっかりしろスコム。お前はまだ死んでいない。お前に聞かなきゃいけないことがある。戦闘機はどこだ? 破壊されていないのならすぐに場所を言え!」

 

私は彼女の肩を引っ掴んで揺さぶった。苦し気に咳き込む音がして、しばらくの後、スコムはようやく言葉を発した。

 

「ひ、広場。冒険者街の、広場に……いつでも……飛べる……」

 

「ありがとう、それだけ分かれば十分だ」

 

さっさと立ち去ろうとする私の袖を、ふいに動き出したスコムの腕が掴んだ。

 

「……ハル」

 

「何だ? 手短に頼む」

 

絞り出すように、言葉が紡がれた。

 

「敵を、取って。私たちの、敵を……」

 

「……かたき?」

 

何の話だろうか?

 

ともあれもうここに用はない。私は踵を返し、再び走り出した。

 

翼が必要だった。あの娘の所まで連れて行ってくれる翼が。

 

 

 

 

 

「……何かおるな。あれが話に聞く"蛇”か?」

 

ゲートの暗闇から身を乗り出し、テヴェクの街並を一望した魔王は呟いた。焼ける市街地を見る限り、部下たちは手筈通りに無差別爆撃を実施して敵の防空戦力を分散させているらしい。敵の対空砲火は実にうっとおしいが、突破できないほどではない。むしろ、突破できるように薄められているような気配がある。となれば警戒すべきは帰還時の逆襲だが……そこは我が精鋭の強さを信じる他ない。

 

それは良いのだが、問題は郊外の上空に浮かぶ怪獣である。明らかにこちらのことを認識しており、殺意をむき出しに向かってきている。なんと面倒なことか、魔王は嘆息した。

 

「まあ良い。あれが何であれ、さっさと終わらせて本陣に戻るとしよう。……雉よ、迷宮攻略の進捗はどうか?」

 

「犬、猿が先ほど突入し、深層にて箱舟を確認したとの報告が入っております。現在は魔法による防御と構造の強化を行っているとのこと」

 

「良し、では奴らの撤収が完了次第、回収作業を始める」

 

「御意」

 

優秀な部下たちの働きぶりに、魔王は満足げに首肯した。

 

「では、それまでは蛇の相手をするとしよう。龍狩り共はその後だ。……ところで雉よ、蛇を食ったことはあるか?」

 

「はい魔王様。好物ですので、幾たびとなく」

 

「良かろう。私に続け。……この場は私が矢面に立つ、なるべく死なぬようにせよ。お前の死に場所は撤退時の殿だ」

 

「御意のままに」

 

……空の戦いは、更に激しさを増していった。

 

 

 

 

 

「あれが魔王……ですか」

 

「間違いありません。あの身に纏った瘴気、魔族の中でも突出して巨大な図体、あれが我らが神に逆らう敵対者、魔王そのものでしょう」

 

「預言でテヴェクに来ることは知っていましたが……ああ、生きた心地がしない。なんで私はあんな存在と相対する羽目になっているんでしょうか?」

 

イリィスは遠い目で上空を見上げていた。ずっと上を見ながら"右手”を操作していたので、首筋に鈍い痛みが生じていた。

 

「当初の計画ではイリィス殿には地下壕に隠れて頂く予定でしたし、今からでもそちらに向かって頂いて構いませんよ?」

 

「いえ、私が頑張ってれば死者が一人でも少なかったんじゃないかとか後々考えて死にたくなるのは目に見えてるので、私は戦わないといけないんです」

 

「貴女が思い詰める事はありません。貴女は職業軍人でもないんですから」

 

「でも神の右手ですよ!? 最高位の奇跡ですよ!? 神格兵装ですよ!? ……ああっ私は敵の来襲日時が聞きたかっただけなのにぃいい」

 

いらん気を利かせてくれた神へのコンプレックスで崩れ落ちそうになりながらも、イリィスの"手"は降りかかる火の粉を払い続ける。ブレスを打ち払い、魔物を叩き落とし、拾い上げた大岩をぶん投げてドラゴンを撃墜する。正に獅子奮迅の戦いぶりであった。

 

「……まあ分かっていたことはいいんです。問題はあちらの大きな蛇っぽいものですよ。あれは一体何なんですか? 預言にもあんなものいませんでしたし、もう面倒が増えるのは御免なのですが……」

 

「恐らくイルルヤンカシュ、いやケツァルコアトルでしょうか? なんか唐突に現れましたが……おっ魔王とその側近っぽい怪鳥が蛇の方に向かった! どうやら連中敵対しているようです! いやー混沌としてきましたなぁ!」

 

「貴女はなぜ生き生きとしているんです? ……まあどちらも魔性の類には違いありません。潰しあってくれるなら結構なことです」

 

その通りだと頷きがある。

 

「違いありません。生き残った方が我々の敵となるだけのこと。そして我々の決戦は敵が撤退の動きを見せたときに始まります。今は消耗を避けられることを喜びましょう」

 

アルベリタはテーブルに向かい「魔王と蛇怪の戦いには手出し無用」と全軍に令を発した。

 

 

 

 

 

「……しかし、生きている内に"神の右手”を見ることができるとは思いませんでした。ちょっと祈ってもいいでしょうか?」

 

「はぁ……拝んでないで仕事して下さい」

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