ヘビガミツカミ 作:イルルヤンカシュ
「それじゃ、強く生きなよ」
白蛇は十日ほどですっかり快調した。もう少し時間が掛かると思っていたが、野生動物というのは意外と逞しいものらしい。
二度寝から起きた昼下がり、私は鳥かご片手に"西の湖"に出向いて、そのひび割れた大地に蛇を放してやった。
身をくねらせ、近くの茂みへと這っていく白蛇。バジリスクは根切りにしたから、早々に野垂れ死ぬこともないだろう。善行完了だ。
「……さて、これで私はギルド付きの聖女様とワンナイトする権利を手に入れてたって訳だ」
野暮用を片付けた私は、煉瓦造の塔の残骸が横たわる乾湖を後にした。その脚で向かうのは冒険者ギルドだ。
「話が違うじゃありませんか!」
ウッキウキで乗り込んだギルドで、期待を裏切る現実を前に私は叫ぶ。
「一つ善行を積んだ程度で善人になれるとは、大した思い上がりですね。ご自分の普段の振る舞いを思い出してみては?」
「酒浴びるほど飲んで買った女抱いて美味ぇモン腹一杯食って惰眠を貪る事の何が悪いというんですか!」
「清貧という言葉を御存知ないのですか?」
寡聞にして知らぬ。だが、イリィス女史の言わんとすることは理解した。納得はしていないが。
「そう不服そうになさらず。聖娼は品行方正かつ善良な市民以外と身体を重ねてはならないのです。日々善行を重ねる人に寄り添ってこその聖職者ですので」
「酒池肉林と悪徳に浸る人間に慈悲を垂らすのも聖職者の仕事でしょう!?」
「ええ、ですから蜘蛛の糸を垂らして差し上げます。悪徳から抜けだし、足を洗う事の助けとなるように」
蜘蛛の糸だァ……?
「こちら善行スタンプカードです。お納め下さい」
「なんですかこの夏休みのラジオ体操で貰えるアレみたいな代物は?」
「善行一つにつき、このカードにスタンプを押して差し上げます。スタンプ十個で手、二十個で胸、三十個で口、四十個で後ろ、五十個で前と言った順に解禁されていくシステムです」
「なるほどぉ」
カードを見れば、"発行者:"千の手の太陽"教会 公共への奉仕者省 聖娼委員会 テヴェク支部"とある。ちゃんとした公的なカードらしい。
「では本日分のスタンプを押して差し上げます」
「……ありがとうございます」
「善人への道は日々の地道な積み重ねです。そのカードが埋まったときに、まだ私を求めるのならば、私は喜んで貴女と褥を共に致しましょう」
肩透かしは食らったが、イリィス女史も嘘を吐いていた訳ではない。そして教会お墨付きのカードを寄越してきた時点で、彼女は今度こそ逃げも隠れもする気はないという事だ。
なかなか面白くなってきた、逃げも隠れもさせてなるものか。一つ目のスタンプが押されたカードを片手に、私はほくそ笑んだ。
「それじゃ、次の善行は何をすればいいですかね? 蛇はもう治っちゃいましたが……」
「ご自分が"これこそは善行"と思う行為をした後に、私に報告して頂ければ構いません。人の正道に照らして善行と認めることができたならば、スタンプを押して差し上げます。ですが、しばらくは私が具体的に善行の内容を指定いたしましょう。まだ善人としての生活には慣れていないでしょうし」
「大助かりです。勉強させていただきます」
イリィス女史は、聖職者的アルカイックスマイルで続けた。
「ではハルバルさん、二つ目の善行のご案内です。迷宮深層の毒沼から高位冒険者の死体をサルベージして来てください。全員教会で復活させますので。こちら依頼書です」
……何というか、手のひらで転がされている気がしてならない。
そして転がされるまま、私は久方ぶりにダンジョンに潜った。テヴェク地下大迷宮へは、ギルド併設のエレベーターで直通である。というか迷宮へ通じる陥没孔の上にギルドの箱物を作った格好らしい。
「……このまま死なせといてやりゃいいのに、神様も人使いの荒いこって」
75層にて、毒沼から引き摺り出した十数の死体をロープで束ねながら、私は思わず呟いた。
地の底から突然に現れる迷宮。そこに眠る金銀財宝、古代の遺物や異界の異物、それらは時に巨万の富をもたらすという。
そして西の果て"テヴェク"で見つかった大迷宮は、一攫千金や英雄譚を夢見る冒険者を大量に呼び寄せ、ダンジョンラッシュを引き起こした。迷宮近くに築かれた冒険者たちのキャンプ地が、この迷宮都市の始まりとなったのだ。
私が引き摺る死体たちも、富と名声を掴み、英雄となる夢を追いかけてテヴェクに訪れ、この迷宮に潜り、夢破れて死んでいったのだろう。
「結構な事じゃないか。好きなことして死ねるなら本望だろう。腹上死に近似する。それを叩き起こして、もう一度夢に駆り立てるだって? 興醒めだね。しかも、ここの神様は異界で死んだ私を呼びつけるくらいには節操なしと来た」
私は死体の山をエレベーターに蹴り込んだ。
「挙げ句、興醒めの片棒担がせて、それが善行、善行だって……」
……ソロの迷宮探索は、独り言が多くなっていけない。さっさと地上に戻って、スタンプを貰ってしまおう。
「暗くてジメジメした場所に一人でいると気が滅入って仕方がないですね。という訳で慰めて貰うわけにはいきませんか? ベッドの上で」
「スタンプ二個で出来るのはギルドからのお見送りくらいですね。という訳でこちらが今回の報酬です。クエスト達成お疲れ様でした」
報酬を渡されるや表に放り出された私は、意気揚々と歓楽街へ繰り出した。カードが埋まり切るまでどれくらいかかることやら、けれど、この街には自分を慰める手段などいくらでもある。
さて、誰に慰めて貰おうか。夜の帳が下り、ネオンサインめいて魔力の燐光を振りまき出した街並みを物色して回る。
テヴェクの歓楽街は人種的バラエティに富んでおり、人間獣人エルフに魔族と、この異世界の種族を網羅する勢いである。いついかなるテンションで乗り込もうと、どこかしらの店で満足できること請負だ。
……なのだが。
「……なーんかピンとこないな」
今日に限って、どの店にも心惹かれなかった。本命はスタンプが48個足りていないし、ステータスの信仰値が底を突いている私では教会経営の慰安所も利用できないので、代用品にありつくこともできない。イメクラ? 虚しいだけだ。
「……帰るか」
今日は、何か空回りしている。家に帰って、酒を飲んで、寝てしまおう。
店探しの歩みは帰路へと切り替わる。街の燦めきが眩しい気がして、私は夜空を見上げた。頭上を横切る天の川は変わらずとも、2つの月と見慣れぬ星座が浮かぶ有様は、ここが地球ではないことを物語っている。
……私も昔は夢を見ていた、様な気がする。迷宮に夢見る冒険者たちのように。
けれど今は違う。私は迷宮になど興味はない。テヴェクに住んでいるのは、冒険者が作った街故に、条例とか色々ゆるゆるで暮しやすいからというだけだ。
ここは夢に狂う街。なんだか弾き出されたような心地だった。夢を見ない私には、居場所はないような気がした。
私は家に帰って、酒を呷って、泥のように眠った。夢は見なかった。
……翌朝の事である。鳴り響いたノックの音に、私は痛む頭を抑えつつドアを開けた。
「お初にお目にかかります、ハルバル様。わたくし、バイニャンと申します」
深々としたお辞儀から面を起こした細身の少女は、僅かに舌を覗かせ、下唇を濡らした。
「本日より家内奴隷としてお仕えさせていただきます。以後、お見知り置きを」
白髪から覗く深紅の瞳が、こちらを真っ直ぐに見据えていた。