ヘビガミツカミ 作:イルルヤンカシュ
ハバキリを抜刀する。眼前のグリフォンを殺したいと考える。すると左腕に焼け付くような痛みが走って、どうすればそれが死ぬのか分かる。後はなぞるように刃を振るうだけだ。
セミオートの戦闘の後、通算23個目の善行、西の乾湖に現れた魔物の駆除業務は終わった。
「確か、左腕に加護の印が刻まれているのでしたか」
スタンプカードを受け取りつつ、私は包帯で覆った左腕を掲げて見せる。
「見てみたいですか? 巻き直すの結構面倒なんですけど」
左腕に刻まれた加護の印。ルーンだか何だか知らないが、常に薄っすら光っている傍迷惑な入れ墨だ。
けれどその効果は大したもので、手に持った武器はなんでも十全に扱えるし、自動で魔力エンチャントまでしてくれる。おまけに敵を殺すと3個まで残機を貯められる保険付きだ。
……だが光るのは本当にやめてほしい、パジャマでもあるまいし。なにより「眩しくて寝付けない」と女の子から不評なのだ。
「いえ結構です。”神の左手”に興味がないといえば嘘になりますが」
「え、いいんですか?」
「はい。それに、人がわざわざ隠しているものを暴く趣味はありませんので」
イリィス女史はあっさりと言い切った。
……己が奉じる”千の手”が地上に齎した恩恵ともなれば、信徒として無関心では居られないだろうに。何も悪いことはしていないが、何か悪いことをした気分だった。
「いや、光って邪魔だし故郷だと入れ墨が社会的にグレーで苦手意識があるから隠してるだけで、別に信念とかないんで、その……」
包帯ぐらい幾らでも解こうじゃないか、この仄かな罪悪感を濯げるなら。
「結構です」
「あっはい」
私はそそくさとギルドから退散した。
最近気になる猫娘な嬢とのデートと洒落込む仕事上がり。既に幾度かの逢瀬を重ね、気は熟したと見える。遊び人としての勘を頼りに、私は一気呵成に攻め入った。
「ファムちゃん。そろそろさ、私たちも次のステップに進んでいいと思うんだよ。つまり今夜私の家で君の複乳を──」
「異種族さん相手の本番は生理的に無理です。NGですよ」
「そこを何とか!」
「あんまりしつこいと店長に言いつけますよ。出禁ですよ」
「覚悟の上です!」
「はあ、もう死んじゃって下さい。……あ、ごめんなさい。失言でした」
「分かりました! それじゃ命捧げます!」
「はい?」
おっぱいも8つ揃えば相応の対価が必要ということか。ドラゴンボールより一個多いしな。では良かろう。この命に代えても私が全て手に入れてやる。余人に一つとしてくれてやるものか。
「……私が残機捧げる所、しっかり観ててね」
切腹のやり方など左腕に聞くまでもない。私はハバキリを抜刀し、己の腹に切っ先を向けるや、勢い良く振り降ろ──
「──おすわり!!!」
「わん!!!」
魂に染み付いた声が響くと同時、愛刀を放り捨て蹲踞の姿勢を取った。
最低の犬夜叉がいた。
というか私だった。
「何をしているの、貴女? こんな公衆の面前で」
人垣を割り、現れたのは小柄な体躯だった。ウェーブの掛かった赤の長髪と冷めた瞳、女王様の御成である。
「我を失っていました。カリファ様のお陰で命拾い致しました」
「発言を許した覚えはなくってよ」
「申し訳ありません!」
カリファ様は私の醜態を他所に辺りへ視線を巡らせた。そして、呆気にとられている四階建てのおっぱいを見咎める。
愛刀を拾い上げながら、カリファ様は心底呆れたと肩を竦める。
「ハル。無理強いは許されないわ。貴女はドラゴニアンに欲情されて我慢できて? 構ってくれているだけ恩情だと思いなさい」
「はい! 全く以てその通りです!」
「黙りなさい。良いこと? 健全な歓楽街に同意なき性交渉は全く不要! 肝に銘じなさい!」
「はい! 申し訳ありません! 改めます!」
「謝罪する相手が違ってよ」
カリファ様は身の丈に余るハバキリを軽々と振るいながら声を張った。即座にファムちゃんの足下に身を投げ出し、全力の五体投地にて謝意を表明する私。
「この度は! 大変申し訳ありませんでした!!!」
「あっはい、二度と顔見せないで下さい」
「災難でしたわね貴女。クソ客へは毅然と対処なさい? 良くって? ……それからハル! 有り金をこの娘に渡しなさい! 迷惑料込みで精算する事! 良くって!」
「畏まりました!」
命を受けるや、財布から引っ張り出した有り金をファムちゃんに押し付ける私。
「ついてきなさいハル! これから私の城でしつけ直してあげます。覚悟なさい!」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
抜き身の刃を肩に担いだ小さな女王様に、目に見えないリードで引き摺られていく私。やれやれ、今夜は左腕以外にも包帯が必要になりそうだ。
「……そっか、今日は食べられないのか、あの娘の料理」
その微かな気がかりは、雑踏に紛れて消えた。
──イリィスにとって、入浴とは祈りの時間である。
仕事を片付け、一人暮らしのアパートに帰り着く頃には日はすっかり暮れていた。しかし女中を雇える給料ではないので、家事は自分で熟さねばならない。
足りない時間の中、それでも趣味の読書に費やす時間を捻出するために、入浴と祈りを合わせて済ませているのだ。
……この非礼を、果たして我が神は許すのだろうか?
イリィスは、この問いの答えを務めて考えないようにしている。
半身浴のまま”天に手を捧げる”祈りの姿勢を取っていたイリィスは、今しがた受信した神の言葉に顔をしかめつつ、静かに祈りを終えた。
ゆっくりと肩まで湯船に浸かり直す。冷やされた肌に湯の熱がジンジンと浸透してきた。
「"我が左腕を導け”とおっしゃいましても……」
呟きは接続の切れた神に届くはずもなく、浴室に反響するばかり。イリィスは溜め息を落とした。
「人に導けと言う前にまず私を導いてください、我が神よ。"魔王が封印を破って中つ国に侵攻してくる"とか急に言われても、その、なんですか、困るんですよ」
人と神の間に挟まれ、酷使される使徒の悲哀であった。イリィスは頭を振って、ここ数カ月時折に受信してきた預言を整理していく。
「あの色狂いに魔王を封じる力があるというのは……まあ良いでしょう。歴史を紐解けば、異界人が中つ国を脅かす者を打ち砕いた例は多い。問題は──」
イリィスは身を仰け反らせ、湯船の縁に頭を預けた。
「──こんな辺境の地で隠居を決め込んでいる風俗狂いのペーパー冒険者に「ちょっと魔王を殺してこい」なんて命令した所で、フッ軽にとんずらこかれて終わりということですね」
とりあえず更生プログラムに従ってスタンプカードを渡してみたが、これで何が変わるのだろうか?
「……そもそも、そういう事は教皇様に言って下さいよ。なぜ田舎の聖娼に過ぎない私に? いえ、恐らくツカミ・ハルバルと最も近しい聖職者だから選ばれたのでしょうが、いささか人事が大味に過ぎませんか、我が神よ」
預言を授かったなど誰に言おうと信じてくれる筈もなく、イリィスの戦いは孤独であった。上司を超えた上司からの曖昧な命令に胃壁をすり減らし、趣味の読書さえ現実逃避に転じて久しい今日である。
「私の身には余る話ですよ。神様」
呟きを最期に、イリィスは言葉すら失ってしまった。後に残るのは、ただ沈黙ばかり。
──ぼんやりと見上げた天井から、その時、一滴の雫が落ちてきた。額を叩く微かな飛沫と共に、沈黙は打ち破られる。
「……"蛇性の淫が、やがて天地を繋ぐであろう"」
或いは、不可解な預言の一つが、鍵になり得るのだろうか?