ヘビガミツカミ 作:イルルヤンカシュ
ザジ商会にカセットコンロが入荷していたので、今日の夕食はミルフィーユ鍋に決まった。
白菜っぽい野菜と豚バラっぽい薄切り肉を層状に重ね、煮込む。そんな鍋料理を食べたいんだとバイニャンにフワッとリクエストすれば、「ああ、東坡菜ですね」と二つ返事で作ってくれた。相変わらず優秀な家内奴隷である。
「しかし良いものですね、この魔道具。魔法もなしに指先一つで火が点いたり消えたり……」
つまみをカチカチと鳴らし、コンロの火を点けたり消したりするバイニャン。
「何より火力の調整がとても簡単です。扇ぐ必要もなければ風口を気にする必要もない。ただつまみを捻るだけ、それだけで……ほら! 弱火があっという間に強火に! ああ、なんて便利なのでしょう……」
「気に入ってもらえたみたいで何よりだよ」
ミルフィーユ鍋、バイニャンに曰くトンポーツァイを噛みつぶす。層状に連なった柔らかな食感とともに、野菜の甘みと肉の旨みが調和した優しい味わいが口いっぱいに広がった。……懐かしい味だ。
「良くできた料理だよね。具材は2種だけ、えらいシンプルなのに時々無性に恋しくなる。何より安くて手軽なのが好い。……君としては腕の振るい甲斐がなくてつまらない料理だったかもしれないけど」
「富者は肯へて喫くらはず、貧者は煮るを解せず……なんて言葉もありますし、この手の料理はただ美味しければそれで良いのですよ、ハルバル様。細かいことはお気になさらず、ただ楽しまれて下さい」
「全くだね」
苦笑しつつ、嚥下した野菜と肉を追うように酒を呷る。フルーティで、仄かに酸味があった。白だろうか? 鍋の優しい味わいと良く調和している。
「いいねこれ。凄く美味しいや」
思わず素直な感想を口にすれば、我が家の食品仕入れ担当者は胸を張って応じた。
「目利きには自信があるのです」
ふふん、と鼻を鳴らすバイニャン。
「ここは大きな街ですが、いかんせん冒険者が多いですから。酔えれば良い質の彼らを相手にする都合、商人が仕入れるのも強いだけの安酒ばかり。本当の名酒を手に入れるために方々探し回りました」
彼女は軽く酒を含むと、目を瞑り、じっくりと味わった。杯を揺らし、頷きながら吟味するその姿には、小柄な体躯に見合わない不思議な迫力があった。
「……苦節数週間、遂に見つけ出した逸品なのです。どうか噛み締めるように味わってくださいませ」
「あ、うん」
その見開かれた赤い瞳には、ただならぬ執念が滲んでいた。この酒を手に入れるために相当な苦労があったらしい。せめて存分に楽しまねば。
「……しかし本当に美味しいねこれ。どこの店で手に入れたんだい? テヴェクは何でも揃うけど、悲しいほど質が伴わない街だ。それは私も良く知ってる。それこそ美味い酒の確保はずっと悩みの種だったからね。その店、是非行ってみたいな」
バイニャンは杯をテーブルに置き、困ったように身を縮こませた。
「……それをお教えしたら、私がご入用でなくなってしまいます」
奴隷という社会的に最弱の立場にあって、己の存在意義を証明する機会の何と僅少なことか。上目遣いの視線に隠された切実な感情に、私は気圧されてしまう。
「……うん、分かった。買い出しは今後とも君に一任する」
「ありがとうございます、お優しいハルバル様」
花が咲いたような笑顔に、思わずホッとしてしまった。……奴隷の主人という立場も存外に気を使うものらしい。まあ酒の席である、そういうこともあろう。
そして二人して鍋をつつき、時折に酒を呷ってしばらく、出し抜けに問いがあった。
「……ハルバル様は何故冒険者になられたのですか?」
「むしゃくしゃしてたからだよ」
バイニャンは無言で下唇を舐めた。
「昔からそうなんだ。むしゃくしゃすると隠れて物に当たってさ、寝室で枕ぶん殴ったり、そうやって発散してた」
「なぜ隠れる必要があるのですか? ハルバル様なら苛立ちの原因そのものを殴って倒せるではありませんか」
「それすると逮捕されちゃうんだよ」
「異界の法は厳しいのですね」
「そこはこっちも変わらないと思うけどね」
私は酒を呷った。
「ま、ヤバい人と思われたくなかったんだよ。だから隠れてたんだ。けど、こっちじゃ物をぶん殴って壊すのも立派な仕事になる」
冒険者ならクソデカい犬畜生を蹴り殺しても愛護団体がすっ飛んでこない、ネットで叩かれない。むしろ大した益荒男ぶりよ、と褒め讃えるくらいだ。先日ニワトリと蛇の合いの子を乱獲し、鷲とライオンの混ざり物を叩き切ったことも記憶に新しい。
「気持ちの良い仕事だろう? だから続けてるんだ」
「欲求不満の発散を世への奉仕に昇華なされたのですね。流石はハルバル様です」
「よせやい擽ったい」
こちらに赤い視線を向けたまま、少女は小首を傾げる。それから視線は卓上をさまよい始め、鍋や杯や取り皿を巡って、やがて意を決したように私へと向き直った。
「……ハルバル様、不躾な事とは存じますが、そのむしゃくしゃの原因を伺ってもよろしいでしょうか?」
「それはねバイニャン、私が死んだからだよ」
酒を呷る。杯が空になった。対面に杯を差し出せば、バイニャンは素早く空白を満たしてくれる。優秀な奴隷だ。
「知ってるかな? 異界人は皆、死を経験してる。それからこちらに新しい命を得るのさ。ありがたい話だろう? 終わったと思った人生に続きがあったんだから」
「ですが、それがお気に召されなかったのでしょう?」
「私の場合死に方が問題でね」
酒を呷る。
「心中だったんだよ」
二人で死んで、生き返ったら、一人きり。
そりゃあ、むしゃくしゃするだろう?
「私はねバイニャン。生きることの究極というのは、死ぬことだと思うんだ。互いにそれを捧げたってのに、2度目の人生があったんじゃあ台無しだろ? しかもこっちに送られたのは私だけと来た。片手落ちってのはこの事だ」
「……得心致しました」
少女は静かに頷首する。それから白菜っぽい野菜と豚バラっぽい薄切り肉のミルフィーユを一口二口食べて、飲み込んで、酒を含んでから、笑った。
「では、ハルバル様は酷い不義を働いていらっしゃるのではありませんか? 毎日色々な女性を家に連れ込んで」
「そうだね。あの娘が知ったらきっと私を刺しに来るだろうね。でもいいのさ。あの娘はもう死んでるし、私ももう死んでるんだから」
「薄情な方でいらっしゃる」
「一生愛するって言うじゃないか。一生かけて愛したんだ、二生目は好きさせてもらう。義理を果たした者が当然に得られる権利だよ」
何たって神様がくれた命なのだから。全く、イリィス女史が崇める千手の太陽様は何を思って私をこちらに招いたのだろうか。
「……旗が風に靡くようなものでさ。そうやって、その時々の感情に任せて生きる以外にどうすればいいのか、分からないんだ。あっちにいる時は多分、恋愛が一番の強風だったんだと思う」
「今は、性欲に靡いていらっしゃると?」
「他に何も吹いてないもんだから、仕方ないさ」
自分語りが過ぎるな。酒が舌の滑りを良くしているらしい。えらく抽象的で、詩的で、気色悪いことを喋っている気がする。気分はいいが、気に入らなかった。
「……そろそろ寝ようかな、美味しかったよ。残りは冷蔵庫に入れといてくれるかい? 明日の朝に食べるからさ」
そうやって席を立とうとする私を呼び止めたのは、湿り気を帯びた静かな声色だった。
「ねぇハルバル様」
「なんだいバイニャン」
「セックスしましょう」
セックスした。