ヘビガミツカミ   作:イルルヤンカシュ

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テレキャスタービーボーイ-2

その日、一人の女が死んだ。

 

数週間前、歓楽街より始まった病の流行は留まるところを知らず、今やテヴェク市の全体を飲み込みつつあった。その主な症状は発熱と全身に現れる膿疱、皮膚の変色であった。この膿疱は病が治った後にも痕が残り、赤黒い皮膚の変色が元に戻ることはなかった。

 

回復魔法デスマーチで市内を駆けずり回っていたイリィス女史を捕まえて聞いたところ、この病の致死率は30%程度らしい。歓楽街から広まったことから、感染経路は性交渉などによる粘膜接触と思われるが、その割には広がり方が急速で、何か別の条件もあるのではないかと疑われているとか。危なっかしくて仕方ないので、私はバイニャンの不要不急の外出を禁じた。現在、買い出し他の外出は全て私が熟している。

 

……その日死んだ女もこの病に感染していたらしい。だが病は彼女の死因ではなかった。死の数日前の時点で、彼女は病から回復していたのだ。

 

女は、自殺したのだ。円形劇場の屋上から飛び降りての投身自殺である。遺言はなかった。

 

売り出し中であった気鋭の女優の自殺は、既にカオスの只中にあったテヴェク市でもセンセーショナルに受け止められ、人々は口々に噂した。品のない民衆らしい、実に悪趣味な風聞を。

 

 

 

 

 

「知っているかい? あの話」

 

「何の話?」

 

「ほら、例の死体を最初に見つけたヤツは、それが誰の死体なのか分からなかったらしいよ。顔を見ても分からなかったから」

 

「潰れていたからじゃないの? ほら、頭から落ちて……」

 

「違うんだ、潰れてたんじゃない。あの病で、腫れ上がって、爛れて、血のように暗くなっていたせいで、分からなかったのさ」

 

「なんて悍ましい」

 

「きっと、醜く変わり果てた己の姿を儚んで、身を投げたんだね」

 

「それにしたって、一体、誰があの娘に移したんだろうか? 羨ましいことで」

 

「役者なんてもの、皆淫売に決まっているだろうが。これは天罰だ。女はいけ好かない」

 

「……ああ、ああ、かわいそうに」

 

 

 

 

 

斯くして、テヴェク市を襲った病魔は"ナタリア疱瘡"の名で広く知られることとなったのである。

 

 

 

 

 

「バイニャン、ちょっと出てくるよ」

 

「どちらに行かれるのですか? 食材もしばらくは保ちますし、あまり外には出られない方が……」

 

「花を手向けに。済んだら直ぐ帰るから、心配しないで」

 

「……畏まりました。どうかお気を付けて、行ってらっしゃいませ」

 

「うん、行ってきます」

 

 

 

 

 

冒険者ギルド併設の小教会での礼拝……という名の上司への報連相を終え、イリィスは祈りの姿勢を解いた。

 

「……疫病の類いというよりは、呪毒に近い性質を持つ、回復より解呪の方がまだ見込みがある、ですか」

 

神は即物的な救いを嫌う傾向にあり、迂遠な言い回しを好む。昨今街を騒がせている病について数日間お伺いを立て続け、ようやくに得られた実践的な預言であった。

 

イリィスは祭壇の銅鏡に映り込んだ己の眉間に深い皺が刻まれているのを見つけ、額を指先で揉んだ。そのまま無造作に頭皮を引っ掻けば、雲脂が床にボロボロと落ちる。切実に自宅の湯船が恋しかった。

 

「失礼します。貴女がイリィス殿でお間違いありませんか?」

 

背後からの声。知らない声である。なんだ? また仕事か? イリィスは諦めと共に振り返った。

 

「ええ、私がイリィスです。ギルド付きの派遣教会神官ですよ。何か御用ですか?」

 

燃えるような赤毛の女がそこに立っていた。全身を白銀に煌めく甲冑で固め、腰には長剣を帯びている。戦士らしい大柄な体躯は、どこぞの色狂いの大酒飲みにも匹敵する程だ。

 

だが、不思議とあの女が発するような静かな圧は感じられない。その快活そうな、人好きのする笑みがこびり付いた顔のせいだろう。

 

「我らの神から話は聞いていますね? 龍狩り騎士団団長アルベリタ! 神託の五色の石を携え、ただいま参上致しました! さぁ共に魔王の尖兵を皆殺しにしましょう! 手始めにナタリア疱瘡蔓延の原因を潰さねばなりません! 情報提供をお願いします!」

 

アルベリタを名乗る女には、静かな圧はないが、喧しい圧があった。酒が飲みたくなってきたので、祭壇に捧げていた御神酒をひったくる。瓶に口を付け、直に煽った所で、酒は既に一滴も残っていなかった。あの神全部飲んで行きやがったな。

 

「……聞いていません」

 

「え?」

 

「何も! 聞かされていません!!!」

 

「ええ!? そんな筈はありません! 我らの神はテヴェクのイリィス殿を訪ねろと確かにおっしゃったのですよ! 我が神託を授けた直参の一人であると!!!」

 

「知らないったら知らないんです! なんで王都から騎士団が来るんですか!? ここ戦場になるんですか!?? ハルバルさんを騙くらかして魔王討伐の旅に出立させれば私の仕事終わりじゃないんですか!?!? 誰だよアルベリタ!!! 私ただの聖娼!!!!!」

 

ひとしきり叫んだ後、イリィスは落ち着きを取り戻した。

 

「……失礼致しました。ちょっと神様を絞めて全部吐かせてくるので待ってて下さい。もっかい儀式をやり直します」

 

「あ、はい。なんかすみません」

 

立ち尽くすアルベリタを他所に、イリィスは部屋の隅の木箱から新しい御神酒を取り出そうとして、既に在庫が尽きていることに気づいた。

 

連日神との高強度通信を試みていた所為だろう。今月分の割当は使い切っているので、ここから先は自腹を切って代用品を調達しなくてはならない。あの神は気まぐれに電波を飛ばしてくる時以外は、高い酒がないと寄ってこないのだ。

 

「……」

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

イリィスは、喉元までせり上がってきた深々とした溜息を、どうにか飲み込んだ。

 

「はい、私は大丈夫です。それでは仕事の話をしましょう」

 

アルベリタが、何か壮絶な物を見たような目をこちらに向けているのに気付き、イリィスは乾いた笑いを溢した。

 

 

 

 

 

「……イルマちゃんも、ファムちゃんも、カリファ様も、ケザちゃんも、ドミセラさんも、ヴェローナちゃんも、みーんな死んじゃったかぁ」

 

帰り際、馴染みの店を訪ねて回ったのは失敗だった。嫌な予感など、予感のまま済ませておけばよかったのだ。確かめない内は、未知の中に希望も残り続けるのだから。

 

ここは高度な医療もなく、神から授けられた原理不明の回復魔法を唱えるばかりの世界なのだ。この世界では、生きるというのは薄氷の上を歩むような行為である。ある日突然氷が割れてしまっても何も不思議はない。

 

彼女らには、こんな目に遭わねばならない謂われなんてなかった。だが、死のリスクはただ生きているだけで影のように付きまとっている。彼女らは、一斉に氷を踏み抜いてしまっただけ、今まで意識していなかった現実が露わになっただけ、この病の蔓延は、ただベールを捲っただけに過ぎないのだ。

 

そうとも、病ではなく現実なのだ。この病の本質は……。

 

病……。

 

「ナタリア……」

 

立ち止まりかけた脚をどうにか動かして、私は家に戻った。

 

「ただいまバイニャン」

 

「お帰りなさいませ、ハルバル様」

 

玄関先で私を迎える、静かな微笑みを湛えた少女を見つけた時、私は衝動に突き動かされて、その細い身体を抱きしめた。

 

「ハルバル様……っ! いけませんっこんな昼間から……」

 

漏れる声があったが、私はただ抱きしめる。

 

「……? ハルバル様?」

 

「バイニャン、私はね……」

 

最後のベールが引き裂かれる日を想像して、一層強く抱きしめた。

 

「……君は、何処へも行かない?」

 

「貴女の行くところが、私の行くところです」

 

「そっか……」

 

少しだけ、安心した。

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