角の取れた桃色の正方形に、フリルのあしらわれたファンシーな文字でアプリの名前が刻まれたシンプルなデザイン。その名は『美少女メーカー』。
検索エンジンを開き、美少女メーカーと検索をかける。しかし、不思議なことに、何一つヒットしない。ストアの履歴を遡るも、ダウンロードの記録もない。まるで幽霊アプリのように、存在という事実だけがそこにあった。
タップしようとする手を、理性が拒んだ。きっとウィルスか、悪質な広告だろう。そう頭では理解していた。だが、「美少女」という単語が、日中に感じた将の輝きと、それに対する自分の取るに足らなさを、強烈に刺激した。
「俺も、美少女に……?」
誰にも言えない、しかし確かに胸の奥に燻っている願望を、その胡散臭い名前が掻き立てた。どうせ、開いたところで、変な広告が出るだけだろう。そう好奇心に言い訳をして、悠哉はそのアイコンに指を触れた。
モテたい!
可愛くなりたい!
チヤホヤされたい!
そんな願いを叶える魔法のアプリ──美少女メーカー!
簡単操作!
パーツを選んで理想の容姿を作るだけ!
完全無料!
料金は一切かかりません!
君も今日から美少女に!
アプリは起動と同時に、高音質のポップな音楽を流し、眩しい宣伝文句を画面いっぱいに表示した。
「なんだこれ……」
思わず呟いた。胡散臭すぎて鼻が曲がるかとさえ思った。
開いた途端にこの宣伝文句。タップしたことを心底後悔した。すぐにアプリを閉じようとしたが、画面は頑として動かない。
すると、宣伝文句の下に、小さく【次へ】の文字が点滅し始めた。
「どうせなら、最後まで見てみるか……」
悠哉は半ばやけになって【次へ】をタップした。画面が切り替わると、『理想の美少女パーツを選択してください』という指示と共に、顔の輪郭、目、鼻、口、髪型などの選択肢がずらりと並んだ。まるで、スマホのゲームでキャラクターメイクをする画面だ。
やっぱり、ただの美少女着せ替えアプリか、と悠哉はため息をついた。
そう言いながらも、指は無意識にパーツを選び始める。
どうせ架空のキャラだ。日頃から将のような「光」に焦がれる悠哉は、自分とは真逆の容姿を求めた。
透き通るような白い肌。控えめながらぱっちりとした瞳。そして、悠哉のくせ毛とは正反対の、漆黒のストレートロングヘアー。パーツを選ぶたびに、画面右側のプレビュー画面に、確かに「理想」の美少女が形作られていく。
五分ほどで全ての選択を終えると、画面は大きな【入力完了】ボタンを表示した。悠哉は深く考えることもなく、それをタップする。
「理想の美少女データ、インストール完了!」
ポップなファンファーレと共に、文字が表示された直後、アプリは無言でシャットダウンし、ホーム画面に戻った。
「え……終わり?」
悠哉は拍子抜けした。何も起きることなく、ただアプリが消えただけ。アイコンはホーム画面から跡形もなく消え去っている。ウィルスでもなく、広告が出ることもなかったが、これほど肩透かしを食らうことはない。
──結局、何も変わらないのか。
将の眩しさ、自分の取るに足らなさ。アプリで一時的に夢を見たところで、現実は冷たい石ころのままだ。
悠哉は、わずかに期待してしまった自分を恥じ、スマホをベッドの脇に放り投げた。
「悠哉、ご飯だよ」
扉越しに姉の真琴(まこと)の声が響き、悠哉を現実へと引きずり戻した。
「うい」
小さく返事をし、悠哉はベッドから立ち上がった。
ーーーーーーー
食事と風呂を済ませてる間も、胸の奥に残るざわめきは消えなかった。
インストール完了。
あの文字が、頭から離れない。
本当に、何も起こらないのか?
もし、万が一──
布団に潜り込み、目を閉じても、眠りは浅かった。
将の笑顔が浮かぶ。
教室で見た、あの甘い笑み。
もし、あれが自分に向けられたら。
もし、自分が「美少女」だったら。
「……バカバカしい」
そう呟きながら、悠哉は無理やり意識を沈めた。
でも、心のどこかで、小さな期待が灯っていた。
明日、目が覚めたら、何かが変わっているかもしれない。
そんな、子供じみた妄想を抱えたまま、ようやく深い眠りに落ちていった。
布団の中で、悠哉はうっすらと目を開けた。
まだ夢と現実の境目が曖昧な、朝の薄闇。
いつもなら、枕に押しつけた頬の感触が、ざらついたシーツの匂いと混じって「今日もか」とため息を誘う。
──でも、今日は違う。
頬に触れるのは、髪の毛だった。
長くて、さらさらで、寝返りを打つたびに肩から胸へと流れ落ちる。
重い。
胸が、重い。
「……ん?」
声が裏返ったのかと思った。が、違う。
地声が高くなっている。
まるでアニメのヒロインみたいな、甘い響き。
悠哉は反射的に手を伸ばし、自分の胸を鷲掴みにした。
柔らかく豊満な感触が手に触れる。
ふたつの膨らみが、掌にぴったりとフィットする。
「は?」
跳ね起きた。
布団が滑り落ち、冷たい空気が肌を撫で回し、鳥肌が広がる。
その時、裸であることに気がついた。
いや、正確には──下着だけ。
白いキャミソールと、ショーツ。パーツを選んでいる時の、あの姿が一瞬頭を過ぎる。
視界が揺れた。
部屋はいつも通り。
ベッド脇の机、古文のプリント、埃まみれのゲーム機。
慌てて鏡の前に立つ。
鏡に映る自分は、まるで別人だった。
腰まで届いた黒い髪。
白い肌が鏡のように朝の光を跳ね返す。
そして、大きな瞳が驚愕に見開かれている。
アプリで作った、あの「理想の美少女」が、そこにいた。
「……え? どういう、こと……」
声は、震えていた。
喉が細い。
鎖骨がくっきり浮き、肩のラインが華奢で、腰のくびれが──
悠哉は、両手で自分の顔を覆った。
指先が頬に触れる。
赤子のように艶やかで、もちもちとした感触。自分の肌とは到底思えなかった。
夢だ。絶対夢だ……。
頬をつねる。
痛い。
その痛みが現実だということを確信に変えるだけだった。
今度はスマホを拾い上げ、ホーム画面を見る。
やはり、『美少女メーカー』のアイコンは、もうない。
なんの痕跡も残っていない。
──インストール完了。
ふと、昨日のあのポップなファンファーレが耳に蘇る。
冗談だと思った。
悪質なドッキリアプリだと思った。
でも、目の前の鏡は、容赦なく真実を突きつける。
「女の子……になってる」
声が震えて、最後はかすれた。
膝が崩れ、床に座り込む。
長い髪が顔にかかり、視界を覆う。
どうしよう。
学校、どうする?
将に……会ったら、どうすれば──
頭の中で、将の笑顔がフラッシュバックする。
昨日、教室の入り口で女子たちに向けた、あの甘い笑顔。
あれが、自分に向けられたら。
──いや、今の自分なら、向けられるかもしれない。
胸が、ざわめいた。
恐怖と期待がぐちゃぐちゃに混ざって。
そのとき、ドアがノックされた。
「悠哉? まだ寝てるの? もう七時よ」
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