やばい、やばいやばいやばいやばいやばいやばい……。
さぁーっ、と、血の気が引いていく。姉の真琴が一枚の扉を隔てたその先にいる。コンコン、とノックをし、許可が下りればすぐにでも部屋に入ってくる勢いである。
悠哉の心の中を焦りが満たした。
隠れる!? いや、どこに……。
てか、なんで裸!? やばい、何か着ないと……。
「悠哉ー、入るよー?」
「だ、ダメ! 今……その……着替えてる!」
声帯がいつもより軽く、勢いが余って大きな声が出る。自分の声とは思えない甲高さに戸惑いながら、なんとか言葉を紡いでいく。
「悠哉? なんか声おかしくない?」
「かぜ……風邪だよ! なんか、喉痛くて……!」
「大丈夫? 熱ありそう?」
真琴の声に、いつもの優しさが滲む。しかし、むしろそれが怖い。真琴は心配性だ。放っておけば、すぐに体温計を持って押し寄せてくる。
悠哉は情けなく転がり落ちるように立ち上がり、部屋を見回した。制服は床に脱ぎ散らかしたまま。クローゼットを開けると、自分のTシャツやジーンズが並んでいるが、どれも今の華奢な体にはぶかぶかすぎる。しかし、白いキャミソールとショーツだけでは、とても人前に出られない。
「ちょっと待って! ほんとに着替えてるから!」
必死に叫ぶが、声は裏返って余計に可愛らしく響く。自分でも耳が熱くなる。
「悠哉? ほんとに大丈夫? 声、めっちゃ高いよ?」
ドアノブがカチャリと鳴った。鍵はかけてない。いつもの習慣だ。姉弟の間では、プライバシーの境界線なんてあってないようなものだった。
「待って待って待って!」
悠哉は慌ててクローゼットの奥から、姉のお下がりのパーカーを引っ張り出した。淡いピンク色で、今までの自分ならまず着ない。だが背に腹は変えられない。
袖を通すと、裾が膝まで隠れる。胸の膨らみが少し目立つが、他に選択肢がない。
髪を乱暴に後ろに払い、鏡の前で一瞬だけ自分を見た。頬が赤く、瞳が潤んでいる。まるで泣きそうな美少女だ。こんな顔で姉に会ったら、どう説明すれば──
ガチャリ。
ドアが開いた。
「……悠哉?」
真琴が顔を覗かせる。長い髪をポニーテールにまとめ、いつものTシャツにデニムというラフな格好。そして、手には体温計。
一瞬、姉の目が点になる。
悠哉は固まった。息を止めて、姉の反応をじっと待つ。
真琴はゆっくりと部屋に入ってきた。ドアを背中で閉め、鍵をかける音がした。
「……誰?」
低く、震えた声。
「悠哉……じゃないよね?」
悠哉の喉が鳴った。逃げられない。姉の視線が、頭から足までを這うように這う。
「悠哉だよ……! 朝起きたらこんなになってて……自分でも何が何だか……」
声が裏返る。姉は一歩近づいた。悠哉は後ずさり、ベッドに尻もちをつく。
真琴はしゃがみ込み、悠哉の顔を両手で包んだ。指先が震えている。
「嘘……でも、こんなに綺麗な子が……」
姉の瞳が潤んだ。驚きと、混乱と、そして──
「可愛い……」
ぽつり、と呟かれた。
悠哉の心臓が跳ねた。姉の指が頬を撫でる。温かい。
「どういうこと? 夢? いや、夢じゃない……悠哉、ほんとに女の子に……?」
真琴は立ち上がり、部屋を見回した。床に落ちた男子の制服。机の上の教科書。そして、鏡に映る自分たち──見知らぬ美少女。
悠哉は膝を抱えた。震えが止まらない。
「アプリ……が……」
「アプリ?」
姉が振り返る。悠哉は小さく頷いた。
「『美少女メーカー』って……昨日、勝手にダウンロードされてて……パーツ選んで……インストール完了って出て……」
真琴は瞬きを繰り返した。そして、ふっと息を吐いた。
「……なにそれ?」
姉はスマホを取り出し、何かを検索し始めた。悠哉は姉の横顔を見つめる。真琴は真剣な顔で画面をスクロールし、やがて顔を上げた。
「ない。ストアにも、ネットにも、そんなアプリ……」
姉はスマホを握りしめたまま、悠哉に近づいた。
「ねえ、悠哉」
真琴は優しく、悠哉の肩に手を置いた。
「とりあえず、落ち着こう。朝ごはん、食べよう? お姉ちゃんが、いろいろ聞いてあげるから」
悠哉は姉の瞳を見上げた。そこには、驚きと混乱の奥に、確かな優しさが宿っていた。
「……うん」
小さく頷く。姉の手が悠哉の手を握った。
こうして、秘密を共有する最初の相手は、姉になったのだった。