キッチンとダイニングを忙しく行き来する真琴。弟が突然美少女になっていたということに困惑の色を見せつつも、その姿はどこか平静に見える。こういうときこそ、無理にでも姉である自分がしっかりしなくてはならないという責任感の表れかもしれない。
キッチンから、トーストの焼ける香ばしい匂いと、目玉焼きのジュージューという音が聞こえてくる。悠哉はダイニングテーブルの椅子に小さく座り、姉の古いピンクのパーカーをぎゅっと握りしめていた。裾は膝をすっぽり隠しているが、胸元のふくらみがどうしても目について、視線をどこにやればいいかわからない。
真琴がトレイに乗せた朝食を運んできた。トーストに目玉焼き、ウインナー、サラダ、そしてフルーツが山盛り。いつもなら「朝からそんなに食えるかよ」と文句を言う悠哉だが、今は胃が食料を求めている。こんな時でも、こんな時だからこそ腹は減るらしい。
「はい、悠哉。……いや、悠哉……ちゃん? なんて呼べばいいの?」
真琴がトレイを置きながら、照れくさそうに笑う。悠哉は頬を赤く染めた。
「や、やめてよ……まだ『悠哉』でいい」
「そっか。じゃあ、悠哉のまま」
真琴は向かいの椅子に腰を下ろし、自分用のコーヒーをすすった。湯気が立ち上り、顔を覆い尽くす。白い湯気の奥で、姉は言葉を選ぶようにして口を開いた。
「さて、これからどうするかよね……」
「やばいよ。父さんと母さんになんて説明しよう」
「その点については大丈夫」
真琴はコーヒーカップを置き、軽く手を振った。まるで「そんなの朝飯前」というような、余裕のある仕草だ。
「え……?」
悠哉は目を丸くした。姉の言葉が、予想外すぎて頭が追いつかない。
「父さんと母さん、今朝の新幹線で出張に出てるよ。向こうの会社でトラブルがあって、急遽呼ばれたんだって。少なくとも一週間、いや二週間は帰ってこないって連絡があった。家は私たちだけでしょ?」
真琴はスマホをテーブルに置き、画面を悠哉の方に向けた。そこには、母親からのLINEのスクリーンショット。『急な出張でごめんね。悠哉のことよろしくね。冷蔵庫に食材入れておいたから』という、いつもの丁寧な文面。
悠哉はぽかんと口を開けたまま、姉の顔を見上げる。
「……マジで?」
「マジで。神様、味方してくれてるみたいでしょ?」
真琴はくすっと笑った。でも、その笑顔の奥に、わずかな緊張が混じっているのがわかった。姉だって、こんな状況に慣れてるわけじゃない。弟が一夜にして美少女になってるのだから。
悠哉はテーブルに突っ伏した。長い髪が顔にかかり、鼻先でくすぐったい。
「でも、学校どうしよう……」
あぁ、もう! と、ぐしゃぐしゃと髪の毛を乱す。
「私に考えがある」
指を一本立ててウィンクした。いつもの悪戯っぽい笑顔だ。
「え──?」
悠哉は顔を上げた。髪がふわりと頬にかかり、慌てて払う。指先が震えている。
「悠哉──いや、『ゆう』学校、行けるよ」
「えっ!?」
声が裏返った。悠哉はテーブルを両手で叩き、身を乗り出す。胸の膨らみがぷるんと揺れて、慌てて腕で押さえた。
「従姉妹の『ゆう』として学校に行くの」
「ど、どういうこと!?」
「落ち着いて。ちゃんと説明するから」
真琴は立ち上がり、キッチンの引き出しから一枚の写真を取り出した。高校時代のアルバム。そこに写っているのは、制服姿の真琴と、もう一人の女の子。
「これ、覚えてる?」
写真の女の子は、黒髪ロングで、大きな瞳。悠哉の今の姿と、瓜二つだ。
「……え?」
「従姉妹の『ゆう』。去年までアメリカに留学してて、今はこっちに戻ってきたってことにすればいい」
真琴はにやりと笑った。
「ゆうちゃん、実はあんたと同級生で、ちょっと背が低め。顔も若干似てるし、誰も疑わないよ。制服は私のやつがあるから大丈夫」
悠哉はぽかんと口を開けた。姉の頭の回転の速さに、ついていくのがやっとだ。
「で、でも……悠哉は? 俺、どこに……」
「悠哉は『急な体調不良でしばらく休み』って私が連絡入れとく。で、その間に『従姉妹のゆうちゃんが遊びに来てる』ってことにする。学校には、私の制服着て、ゆうとして登校。そうすれば、誰も気づかないよ」
真琴はクローゼットから、去年の制服を取り出した。紺のセーラー服に、赤いリボン。スカートは膝上丈で、ゆうの今の体型にぴったり合いそうだ。
「ほら、着てみて」
姉に促され、ゆうは震える手で制服を受け取った。
「…………」
着替えながら、鏡を見る。セーラー服の襟元が鎖骨に沿い、リボンが胸元で揺れる。スカートから伸びる足は、白くて細い。髪をポニーテールに結べば、どこからどう見ても完璧な女子高生。
「うわ……」
思わず呟いた。自分でも信じられない。石ころだった自分が、こんなに──。
「似合う! めっちゃ可愛い!」
真琴はパチパチと手を叩いて喜んだ。
「ゆうちゃん、決定ね。あなたの名前は『棚橋ゆう』。私と悠哉の従姉妹で、家に泊まりに来たってことで。学校には『転校生扱い』で、私が先生に話を通しとく」
親指を突き立てる姉に勇気づけられ、ゆうはスカートの裾をギュッと握りしめる。
その辺の石ころだった悠哉、誰もが二度見するレベルの美少女・ゆうへと変貌を遂げたのだった。