苦痛の魂を持つ戦士。血の魔術を操る男。白夜騎士団で共に戦った仲間。
そして、黄金の王座に最初に座った者。
それは数百年前、白夜騎士団がまだ存在していた頃のことだった。
ヴェルムは寡黙な男だった。
背は高く、筋肉質な体躯。黒い髪を短く刈り込み、顔には古い傷跡がいくつも刻まれている。大剣を背負い、常に無表情だった。
言葉は少なく、必要最低限のことしか話さない。だが、その剣の腕は確かだった。
戦場でのヴェルムは、別人のようだった。
大剣に血の魔術を纏わせ振るう。敵の血からブラッドゴーレムを生み出し操る、まるで獣のようだった。
ミアはいつも、その姿を隣で見ていた。
二人は言葉を交わさずとも、互いの動きが分かった。
だが、戦いが終わると、ヴェルムはまた寡黙に戻った。
ある夜、野営地でミアが煙草を吸っていると、ヴェルムが隣に座った。
「……眠れないのか?」ミアは尋ねた。
ヴェルムは頷いた。
「悪夢か?」
また頷き。
ミアは煙を吐き出した。「私も」
二人はしばらく黙って座っていた。焚き火がパチパチと音を立てている。
「ヴェルム」ミアは口を開いた。「お前、傭兵の息子なんだって?」
「……ああ」ヴェルムは短く答えた。
「父は?」
「死んだ。俺が十歳の時」
「そうか」
ヴェルムは焚き火を見つめていた。「戦場で死んだ。俺を残して」
ミアは何も言わなかった。
「それから、一人で生きてきた」ヴェルムは続けた。「傭兵として。誰も信じず、誰にも頼らず」
「……今は違うのか?」
ヴェルムはミアを見た。その目には、何か複雑な感情が浮かんでいた。
「分からない」ヴェルムは呟いた。「でも、団長や、お前たちと一緒にいると……少しだけ、違う気がする」
ミアは煙草を地面に捨てた。「それでいいんじゃないか」
ヴェルムは小さく笑った。珍しいことだった。
その時、ミアは気づいた。ヴェルムは愛情に飢えているのだと。早くから父を失い、一人で生き抜いてきた男。戦うことしか知らず、温もりを知らない男。
だからこそ、繊細だった。
戦場では冷酷に見えるが、仲間が傷つくと誰よりも心を痛めた。団長レガルドの理想を誰よりも信じ、白夜騎士団を家族のように思っていた。
そして、だからこそ、団長が捕らえられた時、ヴェルムは誰よりも苦しんだ。
黄金都市に到達した時、ヴェルムは迷わず王座に座った。
黄金の王座。神々を生み出す禁忌の王座。
「俺が最初に行く」ヴェルムは宣言した。
玉座に座った。
その瞬間、光が溢れた。
ヴェルムの体が変容していく。骨が軋み、筋肉が膨張し、皮膚が裂ける。黒い毛が全身を覆い、顔が狼のように変形していく。
痛みに耐えながら、ヴェルムは立ち上がった。
そこにいたのは、黒い人狼だった。
二メートルを超える巨体、鋭い爪、牙を剥いた顎。だが、その目には理性が宿っていた。
「ヴェルム……?」ミアが呼びかけた。
人狼は頷いた。低い声が響く。
「俺だ。心配するな」
神になった。苦痛の魂を持つ戦士は、黒き狼の神となった。
それから、ミアたち四人も神となり、世界を変え始めた。
人類は分裂し、国家同士で戦争を繰り返していた。領土、資源、信仰。理由は様々だが、結果は同じだった。血と死。
ヴェルムの信仰の在りようは暴力的だった。
ある王国が隣国を侵略しようとした時、ヴェルムは単騎で軍勢の前に現れた。
黒い人狼の姿で、大剣を携えて。
「これ以上の戦争は許さない」ヴェルムの声が戦場に響いた。
王国軍の将軍が嘲笑った。「化け物が何を言う! 貴様一人で我が軍を止められると思うか!」
「できる」
ヴェルムは大剣を振るった。
神となってより強力になった血の魔術が発動する。兵士たちの体内の血が沸騰し、傷口から血が噴き出す。数百の兵士が同時に倒れ、悲鳴が響いた。
将軍の顔が青ざめる。
「これが神の力だ」ヴェルムは冷たく言った。「お前たちの王に伝えろ。戦争をやめなければ、次は王都を滅ぼす」
王国軍は撤退した。
こうして、ヴェルムは各地の戦争を止めていった。圧倒的な力の前に、人類の王たちは恐怖に震え上がった。
時の大国の王は、ヴェルムを暗殺しようと刺客を送った。だが、神を殺すことはできなかった。刺客たちは全員、血を操られて自害させられた。
王は震えながらヴェルムの前に跪いた。
「ど、どうか命だけは……」
ヴェルムは王を見下ろした。「戦争をやめろ。人類をまとめろ。それができないなら、王座を降りろ」
王は従った。
人類は統一され、文明は繁栄し始めた。ミアたち四柱の神の導きにより、黄金の時代が訪れた。
都市が築かれ、学問が発展し、芸術が花開いた。疫病は治療され、怪物は討伐され、人々は平和を享受した。
ヴェルムは、誰よりもその光景を喜んだ。
「これが……団長が望んだ世界なんだな」ヴェルムはミアに言った。
二人は高い塔の上から、繁栄する都市を見下ろしていた。
ミアは頷いた。「レガルドが生きていたら、喜んだだろうね」
「そうだな」ヴェルムは微笑んだ。「俺たちは、団長の夢を叶えた」
だが、ミアは不安を感じていた。
その予感は、的中した。
数百年が経ち、神々の力は衰え始めた。
文明は衰退し、再び戦争が始まった。角人の軍勢が侵攻し、世界は混沌に陥った。
ヴェルムは最後まで戦い続けた。
だが、時代は変わっていた。
長い平和の中で、人々は神々に依存することに疲れていた。時代が変わり人々は、古い神々を不幸の元凶と見なし始めた。
「神がいるから、俺たちは弱いままなんだ」
「神に頼らず、自分たちの力で生きるべきだ」
「古い神々は、もう必要ない」
反乱が起きた。
人々は武器を取り、神々に立ち向かった。厳しい時代は厳しい人間を生む。道徳や慣習に対する新たな理解を得て、人々は変わっていった。
ヴェルムは困惑した。
「何故だ……」ヴェルムは呟いた。「俺たちは、お前たちのために戦ってきたのに」
「あなたたちは、もう古い」誰かが叫んだ。「新しい時代に、古い神は要らない!」
ヴェルムは戦った。
黒き狼の姿で、反乱軍に立ち向かった。だが、神の力は衰えていた。かつてのような圧倒的な力はもうなかった。
それでも、ヴェルムは戦い続けた。
何故なら、それしか知らなかったから。戦うことしか、できなかったから。
そしてある日、ヴェルムは捕らえられた。
数百の兵士に囲まれ、魔術を封じる鎖で縛られた。力尽きたヴェルムは、広場に引きずり出された。
人々が集まっていた。かつてヴェルムを称えた人々。だが今、その目には憎悪があった。
「古き神を倒せ!」
「新しい時代を作れ!」
処刑台が用意された。
ヴェルムは、何も言わなかった。ただ空を見上げていた。
ミアはそこにいた。
群衆に紛れ、力を失った体で、ただ見ることしかできなかった。助けることもできず、ただヴェルムの最期を見守ることしかできなかった。
ヴェルムは、ミアに気づいた。
二人の目が合う。
ヴェルムは小さく笑った。まるで、あの夜の野営地で見せた笑顔のように。
そして、首が落とされた。
頭部が地面に転がり、胴体は血を流して倒れた。人々は歓声を上げた。
ヴェルムの遺体は広場に晒された。
「古きものの象徴」として。「時代遅れの神」として。
こうして彼は、後世まで記憶された。
だが、本当のヴェルムを知る者は、もういなかった。
愛情に飢えた少年だったこと。仲間を家族のように思っていたこと。団長の夢を信じていたこと。
誰も知らない。
ただ、「倒されるべき古い神」としてだけ、記録に残った。
あの少年は、その男と同じ魂を持っている。