無窮の魂   作:yumui

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蜥蜴人の集落

陽光が湿地の水面を照らし、キラキラと輝いていた。

 

シュラーレムは川辺に立ち、網を引き上げた。緑色の鱗に覆われた手に、びしょ濡れの網が引っかかる。網の中では数匹の魚が跳ねていた。

 

「まあまあの収穫だな」

 

シュラーレムは満足げに呟いた。蜥蜴人特有の低い声が、静かな川辺に響く。

 

身長は人間よりやや高く、全身を硬い鱗で覆われている。緑の鱗は湿地の光を反射し、鈍く輝いていた。細長い尾が背後で揺れ、黄色い目が魚を見つめる。

 

シュラーレムは魚を川岸の平らな石の上に並べた。ナイフで素早く内臓を取り出し、串に刺して火を起こす。しばらくすると、香ばしい匂いが漂い始めた。

 

焼けた魚にかぶりつく。熱い。だが、うまい。

 

蜥蜴人の集落に戻って三ヶ月が経った。

 

シュラーレムは若い頃、故郷の湿地帯を出た。外の世界を見たかった。人間の国、角人の領土、蟲人の巣。様々な場所を旅し、様々な経験をした。

 

戦争も見た。

そして、疲れた。

 

故郷に帰ろう、とシュラーレムは思った。湿地の静けさ、仲間たちの顔、そして愛する者の元へ。

 

魚を食べていると、足音が聞こえた。

 

「シュラーレム!」

 

振り返ると、体格の良い蜥蜴人の男が近づいてきた。カレムだ。幼馴染で、シュラーレムが旅に出る前からの友人だった。

 

カレムはシュラーレムより一回り大きく、筋肉質な体をしていた。鱗は濃い緑色で、背中には古い傷跡がいくつも刻まれている。狩りで負った傷だ。

 

「よう、カレム」シュラーレムは串を差し出した。

 

「食うか?」

 

「もらおう」

 

カレムは串を受け取り、豪快に魚を食べ始めた。二人はしばらく黙って食事をした。川の流れる音と、鳥のさえずりだけが聞こえる。

 

「なあ、シュラーレム」カレムが口を開いた。「久しぶりに故郷に帰ってきて、どう思う?」

 

シュラーレムは川を見つめた。水面に自分の姿が映っている。緑の鱗、黄色い目、揺れる尾。

 

「ここが最も身体によく馴染む」シュラーレムは静かに答えた。「外の世界は……俺には合わなかった」

 

「そうか」カレムは頷いた。「でも、外の世界はどうだった? 面白かったか?」

 

シュラーレムは魚の串を地面に置いた。

 

「面白い、というのとは違うな」シュラーレムは言葉を選んだ。「むしろ……地獄のようだった」

 

カレムの目が真剣になった。「地獄?」

 

「ああ」シュラーレムは頷いた。「角人の侵攻で、いくつもの人間の国家が崩壊していた。都市は焼かれ、人々は殺され、疫病が蔓延していた」

 

「角人が……」カレムは眉をひそめた。「そんなに強いのか?」

 

「神だからな」シュラーレムは苦々しく言った。

 

「新たなる神になった角人が軍勢を率いている。脆い人間たちではまるで歯が立たないだろう」

 

カレムは黙り込んだ。湿地に住む蜥蜴人たちは、外の世界の出来事をあまり知らない。人間や角人の争いは、遠い場所の話だった。

 

「でも」シュラーレムは続けた。「一つだけ、希望がある」

 

「希望?」

 

「カイルという男の噂を聞いた」シュラーレムは言った。「赤鷲の団という戦士団を率いているらしい。角人の軍勢に抵抗している」

 

「一人の人間が、神に立ち向かっているのか?」カレムは驚いた声を上げた。

 

「ああ。詳しいことは知らない。ただの噂かもしれない」シュラーレムは肩をすくめた。「だが、人々はその名前を希望を込めて語っていた」

 

「カイル……」カレムは名前を繰り返した。「もし本当なら、すごいことだな」

「そうだな」

 

二人は立ち上がった。陽が傾き始め、湿地に長い影が落ちている。

 

「集落に帰ろう」カレムが言った。「もうすぐ夕飯の時間だ」

 

「ああ」

 

二人は川岸を離れ、湿地の小道を歩き始めた。ぬかるんだ地面に、蜥蜴人の足跡が残る。木々の間を抜け、葦の茂みをかき分ける。

 

やがて、集落が見えてきた。

 

蜥蜴人の集落は、湿地の中に点在する小島のような場所に築かれていた。木と泥で作られた家々が、水辺に並んでいる。質素だが、頑丈な造りだった。

 

集落の入り口で、カレムは手を振った。

 

「じゃあな、シュラーレム。また明日」

 

「ああ、また明日」

 

カレムは自分の家へと向かった。シュラーレムも自宅に向かって歩き始めた。

 

家の前に着くと、扉が開いた。

 

「お帰りなさい、シュラーレム」

 

柔らかい声が響いた。ヒムリスだ。

 

シュラーレムの妻は、白い鱗を持つ蜥蜴人だった。珍しい色で、集落でも一際目立つ美しさだった。細身で優雅な動きをし、青い目は穏やかな光を湛えている。

 

「ただいま、ヒムリス」

 

シュラーレムは微笑んだ。ヒムリスに会うと、いつも心が落ち着いた。

 

「魚、獲れた?」ヒムリスが尋ねた。

 

「ああ」シュラーレムは籠を差し出した。「今日の夕飯には十分だ」

 

「ありがとう」ヒムリスは籠を受け取り、家の中へと入った。「すぐに用意するわ」

 

シュラーレムも家に入った。小さな家だが、二人には十分だった。木の床、泥の壁、葦で編まれた屋根。質素だが、温かい場所だった。

 

ヒムリスが魚を調理している間、シュラーレムは椅子に座って休んだ。外の世界での旅の疲れは、まだ完全には抜けていなかった。

 

だが、ここにいると安心できた。

 

「できたわよ」ヒムリスが声をかけた。

 

テーブルには、焼いた魚と湿地の野菜が並べられていた。簡素な食事だが、心を込めて作られたものだった。

 

二人は向かい合って座り、食事を始めた。

 

「美味しい」シュラーレムは言った。

 

「よかった」ヒムリスは微笑んだ。「あなたが帰ってきてくれて、本当に嬉しいわ」

 

「俺もだ」

 

シュラーレムはヒムリスの手を取った。白い鱗が、夕日の光を受けて輝いている。

 

「この生活が、いつまでも続けばいいな」シュラーレムは呟いた。

 

「ええ」ヒムリスは頷いた。「きっと続くわ。私たちは、ここで静かに暮らしていける」

 

シュラーレムは微笑んだ。外の世界の混乱は、ここには届かないだろう。湿地は遠く、人間や角人の争いとは無縁だ。

 

そう思っていた。

その時、扉が激しく叩かれた。

 

「シュラーレム! シュラーレム、いるか!」

慌てた声が聞こえる。シュラーレムは立ち上がり、扉を開けた。

 

そこには、息を切らした若い蜥蜴人がいた。集落の見張りの一人だ。

 

「どうした?」シュラーレムは尋ねた。

 

「族長が……」若い蜥蜴人は息を整えた。「族長がすぐに来てほしいと。急いでくれ!」

 

「何かあったのか?」

 

「分からない。でも、重大なことらしい。集落の重鎮たちも全員集められている」

 

シュラーレムはヒムリスを振り返った。ヒムリスは不安そうな表情をしていたが、頷いた。

 

「行って」ヒムリスは言った。「気をつけて」

 

「すぐに戻る」

 

シュラーレムは若い蜥蜴人と共に、族長の家へと向かった。

 

族長の家は、集落の中心に建っていた。他の家より大きく、集会所としても使われていた。

 

扉を開けると、中には既に十数人の蜥蜴人が集まっていた。集落の重鎮たち――長老、狩人の長、戦士の頭領、巫女。皆、深刻な表情をしていた。

部屋の奥に、族長が座っていた。

 

族長は老いた蜥蜴人の女性だった。背中は曲がり、鱗は色褪せているが、その目には鋭い知性が宿っていた。何十年も集落を導いてきた知恵者だ。

 

「シュラーレム、来たか」族長は低い声で言った。

 

「はい、族長」シュラーレムは頭を下げた。「何があったのですか?」

 

族長は深く息を吸った。

 

「西の湿地から、報せが届いた」族長は重々しく語り始めた。「人間の死体の軍勢が、こちらへ向かって進軍している」

 

部屋に緊張が走った。

 

「死体の軍勢?」シュラーレムは眉をひそめた。

 

「それは……魔術か?」

 

「恐らくな」長老の一人が答えた。「角人の神の仕業だろう。あるいは、忘られた神を信仰する魔術師の仕業かもしれん」

 

「数は?」戦士の頭領が尋ねた。

「正確には分からん」族長は首を振った。「だが、数百はいるという話だ」

 

「数百……」

 

部屋にどよめきが起こった。蜥蜴人の集落には、戦える者は200人ほどしかいない。数百の敵を相手にするのは、不可能に近かった。

 

「逃げるべきではないか?」巫女が提案した。「集落を捨て、より奥の湿地へと移動する」

 

「それも考えた」族長は頷いた。「だが、老人や子供たちを連れての移動は危険だ。死体の軍勢は休まず動く。我々は追いつかれるだろう」

 

「では、どうする?」狩人の長が尋ねた。

族長は沈黙した。誰もが答えを待っているが、簡単な答えはなかった。

 

その時、シュラーレムが口を開いた。

 

「戦いましょう」

 

全員がシュラーレムを見た。

 

「戦う?」戦士の頭領が驚いた声を上げた。「数百の敵を相手に?」

 

「逃げても追いつかれる。ならば、ここで迎え撃つしかない」シュラーレムは冷静に言った。「湿地の地形を利用すれば、数の不利を多少は補える」

 

「だが……」

 

「シュラーレムの言う通りだ」族長が言った。「逃げることはできない。戦うしかない」

 

族長はシュラーレムを見つめた。

 

「シュラーレム、お前は外の世界で戦いを見てきたな。戦術の知識もあるだろう。集落の戦士たちを指揮してくれ」

 

「族長……」シュラーレムは躊躇した。「俺は……」

 

「お前しかいない」族長は言った。「我々の中で、お前が最も戦いに詳しい。頼む」

 

シュラーレムは周囲を見渡した。重鎮たちが皆、期待の眼差しを向けている。

 

そして、ヒムリスの顔が脳裏に浮かんだ。白い鱗の妻。平穏な生活。守りたいもの。

 

「……分かりました」シュラーレムは頷いた。「やりましょう」

 

族長は安堵の表情を浮かべた。

 

「では、すぐに準備を始めろ」族長は命じた。「戦士たちを集め、武器を配り、防衛陣地を作れ。時間がない」

 

「はい」

 

シュラーレムは立ち上がり、戦士の頭領と共に外へ出た。

 

夜が迫っていた。湿地に暗闇が降り始め、虫の鳴き声が響いている。

 

「戦士たちを集めてくれ」シュラーレムは頭領に言った。「全員だ」

 

「分かった」

 

頭領は走り去った。シュラーレムは空を見上げた。

 

星が瞬き始めている。

 

シュラーレムは拳を握った。

 

 

そして、集落の中心へと歩き出した。

 

戦士たちを集め、戦いの準備をしなければならない。

 

湿地に、戦の足音が近づいていた。

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