1話 万魔殿のメイド
メイドの朝は早い。
まだ陽の明かりが地を照らす数十分前、私は目覚める。目覚ましの音で身体を起こし、部屋の電気をつける。
まだふわふわする思考をそのまま流しながら背を伸ばし、数秒ぼーっとする。なんの変哲もない普通のベッドから立ち上がり、とりあえず朝食の準備をする。
冷蔵庫の中は、朝食分は普通にある。これは帰りに買い物が必須かな。
朝食と学校へ行く準備を1時間程度で済ませ、自分の武器を手に取り家を出る。私はあくまで万魔殿のメイドであり、ゲヘナ学園のメイドではない。だから家で着る服はメイド服では無く、ゲヘナ学園の普通の制服だ。
まだ低い位置にある太陽の光に少しだけ鬱になりながらも、歩を進め始める。ここはゲヘナ地区とはいえかなり端っこの方。メイドじゃなくても早起きは必須事項だ。
ゲヘナ地区に珍しく、今日はとても静かで快適な朝だ。不良生徒や暴れまわる生徒が多いゲヘナでは、静かに登校するという概念は基本無いに等しくなる。メイドになってから私の家を出る時間が結構早いからってのもあるから、今まで以上にまだ概念はあり続けると信じてる。
正門をくぐり、校舎がやっと見える。時間はイチイチ確かめてないから、どのくらい経ってるかは分からない。だけどとくに苦では無いから、せいぜい30分程度しか経ってないと思っている。
校舎へ入り、まずは一番に万魔殿の部屋に向かう。厳密に生徒会室というのが部屋なのかそれとも教室判定なのか、私にはよく分からない。議長に聞いても大した答えが帰って来ないだろうから、私が独断で適当に判断している。
「おはようございます」
誰も居ない万魔殿の部屋に一応挨拶をし、返事が帰って来ないことを確認する。当然、一般的な登校時間の30分程早い登校時間だ。
3日前に特別に端にある部屋を一つ借りることが出来た。当然、私がメイド服に着替える為の部屋だ。もともと議長や情報部長などの重役以外の部屋だったらしいが、万魔殿に配属された当日から私の専用の部屋になった。
鏡で身だしなみを何度も確認しながら着替えていく。うん、今日も私は可愛いですね。
ちなみにメイドにはカチューシャがついているのが基本らしいが、議長に邪魔だし私に似合わないからつけなくていいか聞いたら、二つ返事で取りつけなくていい事になった。議長はどちらかっていうと見た目よりメイドとしての技量を重視している気がするから、そこの細かいところは気にしなかったと思ってる。
さて、メイドの仕事と言えばまず先に何を思い浮かべるか。私以外誰も居ないこの状況、まずは飲み物を用意する必要がありそうですね。
とはいえ万魔殿の冷蔵庫に入っている飲み物の種類は多くは無い。一つは紙パックに入ったココアで、もう一つはオレンジジュース。冷蔵庫以外に目を向ければ、引き出しの中に大量のコーヒー豆が入り、あとは最終手段の水道水ぐらいしかない。
議長と戦車長、情報部長の為にコーヒーを準備する作業に取り掛かる。とはいえ豆からコーヒーを作る作業はやった事無かったから、どうなるかと思ってたけど、幸い万魔殿にあったのはすでにすり潰されて粉状になっている代物。
さっき温めておいたお湯をグラスとカップに入れて温め、ペーパーフィルターをセットしてコーヒー粉を入れる。丁寧に、ゆっくりと……ここだけ見ていれば本当にメイドさんがやっている事と遜色は無い。
誰も来ていないのに今出来立てのコーヒーを用意するのは少し早いが、私が飲みたかったから問題ない。足りなければ後で足せば問題ないからね。
バァン!!
何の前触れも無く勢いよく扉が開く。珍しいゲヘナの静かな朝をしっとりと体験していた私は、いつもの日常に戻った感覚を肌で感じた。
「おはよう!!!」
クソでかい声で誰に向けたかもわからない挨拶が背中から聞こえてきた。私は即座に振り返り、声の主にメイドらしく挨拶を返す。
「おはようございます、マコト様」
万魔殿の議長、羽沼マコト様。
ここでの議長というのはゲヘナ学園の生徒会長という事。このお方こそ私を万魔殿のメイドにした張本人である。
「お早いですね。何かいい事でも?」
昨日も一昨日も、ここまで朝早くに来る事は無かった。第一感想として、この人は私と一緒で朝に弱いのかなとも思ったが。
「ああ、少しだけ見ておきたくてな」
「何をですか?」
「お前の働きぶりを、だ」
「ふふっ、そうですか」
少し、嬉しい。
「今日は午後から定例会議が控えている。それまでに資料をまとめておけ」
「はい。承知いたしました」
昨日、戦車長の補佐で今日使用する資料は私の部屋にまとめて置いてある。あとはそれらをコピーして配布する準備を整えておくだけだ。私自身、こういう事務的な事は得意じゃない。でもいざやってみて、結構楽しかったりもする。
「マコト様、コーヒーでございます」
「うむ、いただくぞ」
コーヒーは人によって好みが分かれる。
元来の味を愉しむ者もいれば、ミルクと砂糖を足して甘さを嗜む者もいる。私はコーヒーの苦みというものがあまり得意では無いので、ミルクと砂糖を一つずつ足している。
「ふむ、美味いな」
お礼は敢えて言わなかった。
これがさも当然で当たり前。
日常というのは、こういう事を言うんだと思っている。
だからこそ何も言わず、ただ後ろで得意気な顔をしておくのが一番いい。
マコト様は変人を通り越してバカであるとよく聞く。バカかどうかはともかくとして、人は変である事を悪い事と捉えない私にとっては、マコト様は不自然でも不思議でも無い。それに少しくらい手の掛かる方が、メイドとしてのやり甲斐を感じやすい。
「……そのままでいいですよ」
「……?どうした?急に」
「ふふっ。いえ、なんでも」
嬉しさを隠し切れなかった。ただ、それだけ。
ああそういえば、自己紹介がまだでしたね。
私の名前は、
3日前に万魔殿に配属された、ただのメイドでございます。
見切り発車注意
あ、まったく考えていないわけでは無いです。