しまった。私としたことが。
まさかメイド服から制服に着替えるのを忘れるとは。やっぱり色々考え事しながら行動するのはよろしくないですね。人によってはそれが出来るのかもしれませんが、私にはちょっと難しいようです。
とはいえ廊下を何食わぬ顔で走るのはよくないから、『部活動に遅れそうになっている生徒』ぐらいの気持ちで軽く走っている。
「……何してるの」
普段あまり口から言葉が出てこないイロハ先輩でさえ、思わず声に出してしまっている。
「すみません、すっかり忘れてました」
今日は珍しくサツキ先輩も帰るらしい。よくマコト先輩と一緒に帰るところを見ていたから。
「はぁ……イブキならもう外にいると思うけど」
「わかりました」
それなら好都合かも。このまま速度を落とすことなく、風紀委員に叱られない程度に軽く走って建物の外に出る。
あの子は飛び級という事もあり、ひときわ小さい。あれぐらいの年齢の子ならある程度考える事は分かってくる。だけど純粋無垢すぎて尊いあの子には思考そのものが遮られる。だからこそ私も、メイドではないありのままの姿を。
「イブキちゃん!」
私の声で気づいたイブキちゃんは、振り向いた途端笑顔になる。あー眩しいー、軽く死んじゃいそう。
ここまで緩めずに走ってきたせいで、息が上がってしまう。
「ごめん…制服に着替えるの忘れちゃって、ね」
「ううん!イブキ全然大丈夫だよ!レイラちゃん!」
私に様付けではなくちゃん付けで呼ばれてよほど嬉しいのか、眩しいを通り越してただの閃光が見える。やめて、眼球どころか顔ごと持ってかれるから!
いや、下手したら心の臓も怪しいか。
「それじゃあ、一緒に帰ろっか」
「うん!」
やめて!笑顔!眩しい!!
……気にしないようにしていたけど、多分先輩方は後方で隠れて見守ってる。それに意識を向けてもいいけど、イブキちゃんが気付く事は無いにしろ先輩方に気付かれるのは得策じゃない。あえて"万魔殿のメイド"風に言うのであれば、これは【イブキちゃんと一緒に下校する任務】なのだから。
「何かいい事でもあった?」
スキップしながら鼻歌を歌うイブキちゃん、とても機嫌がいいらしい。
「うん!だって、レイラちゃんがイブキの事イブキちゃんって呼んでくれたから!」
心臓がッッッ!!!!
……危ない、軽く逝きかける所だった。
よくもまあ先輩方はイブキちゃん可愛いだけで済んでますよね。メイド中、何度倒れかけた事か……。
私、案外可愛い系好きなんですからね?
「これから何度でも呼ぶから、それでいいんだよね?」
「うん!」
可愛いです。ありがとうございます。
多分イブキちゃんは、飛び級であるが故に、万魔殿の一員であるが故に同級生の友達が少ないのかもしれない。少なくとも私はそういう光景を見た事が無いし、イブキちゃん自身が普段から万魔殿に居るイメージが強い。同級生の子とおしゃべりしながら一緒に帰る、そういう姿を憧れていたんだと思う。その気持ち、よく分かるなー。
イブキちゃんはゲヘナ地区のどこかではなく、ゲヘナ学園内に存在する寮に住んでいる。もともとは家から通っていたらしいけど、治安最悪の道中を不安視したマコト先輩によって寮生活に変更したらしい。まあ確かに飛び級で高等部1年生とはいえ、実年齢は遥かに幼い。仮にイロハ先輩と帰ったとしてもゲヘナでは道中にどうしても不安が残る。生徒の安全の為、莫大な予算を使ってでも生徒寮を建てるのは正解だと思う。
「さて、着いたね」
「うん……」
途端、イブキちゃんは少し悲しそうな顔をする。楽しい時間はあっという間に終わってしまう。歩幅の短いイブキちゃんだったとしても、他の生徒よりは遥かに登下校の時間は短い。私とおしゃべりする時間もそう……。
「大丈夫、明日からも一緒に帰ろう?」
「でも……」
「明日から、メイドさんに戻っちゃうんでしょ?」
……。
否定はできない。
今日はマコト先輩の計らいで早く帰れたけど、明日からはそうするわけにもいかない。自分で言いだした以上、簡単に変える事は出来ない。
「うん……」
明確な答えが思いつかず、肯定する事しかできなかった。
嫌だな。こんな形で、このひと時を終わらせたくない……。
「あ!わかった!」
「……え?」
「イブキがレイラちゃんの掃除を手伝えばいいの!」
「え……でも、先輩方がなんて言うか……」
「イブキがやりたいからやるの!だからいいの!」
確かに。
それなら私の筋も通せるし、イブキちゃんの願いも叶えられる。やっぱり天才なんだろうね。
「なら、ありかも。掃除中もお話できるし」
「えへへ、でしょ?」
よかった。イブキちゃんの笑顔を絶やすことなく終わってくれて。
「それじゃあ、また明日」
「うん!またね~!」
「それで、如何でしたか?先輩方」
後ろを振り向かず、声のトーンだけ変えて言った。数秒の沈黙の後、後ろから足音が二人分聞こえてくる。
「うん……あれでいいと思う」
「それは、掃除の件ですか?」
「そう。イブキがしたいなら、私もマコト先輩も止めれないから」
ならよかった。メイドならさせないようにもっと仕事しろとか言われたらどうしようかと思った。まあ、言わないだろうけどね。
「それよりも意外だったわ」
「何がですか?」
「貴方、普段はああいう喋り方なのね」
「……立場上、敬語使う事が多いですから」
「それじゃあ、私も帰るから」
「はい、お疲れ様です。イロハ先輩」
「……慣れない」
そっと言い残して、そのまま寮の方へ歩いて行った。私は寮に住んでないから分かんないけど多分、イブキちゃんのお世話とかしてそうだなって。イブキちゃんは基本的にイロハ先輩と一緒に居る事が多いから。
「私には貴方の事、よく分かってるつもりよ」
いきなり何を言い出したかと思えば、主語が無いから上手く伝わらない。私が不思議そうな顔をしていたから、サツキ先輩は続けてこう言った。
「貴方の言う"万魔殿のメイド"の意味を」
「……そうですか」
「勘違いしないで頂戴。分かってるからこそ、貴方の事は"立派な後輩"だと思ってるわ」
ちょっと、困った。
別に理解してほしかったわけでもないし、理解してほしくなかったわけじゃない。サツキ先輩はあの摩訶不思議な趣味さえなければ基本高スペックだって事を摩訶不思議のせいでよく忘れる。
だから、困った。
「ふふふっ、それじゃあ、また明日ね」
返事をすぐ返せなかった。困っていたから。
「……あ、はい。お疲れ様です……サツキ先輩」
少しぼーっとしていよう。そうすれば多分、答えがまたやってくるから。