第2の人生はアスパ☆   作:レーヴィン

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☆5 バーのネコにはご用心

リビングのカメラ良し、キッチンのカメラ良し、玄関も中庭も良し。廊下は?…………うん、問題無いの。ガレージも正常。さてさて肝心の彼の部屋…………ちょっと!?真っ暗なの!?彼の寝顔を拝まなきゃ1日が始まらないのに!動いて動いて動いて動いて動いて…………良かった、映ったの!よしよし彼はまだ起きてない、じゃあズームして……あー、普段はカッコいいのに寝顔は本当に可愛いの!これが画面越しじゃなくて直に毎日拝めたら……って、もうすぐ起きる時間なの。もっとズームして……よし!撮れたの!しっかりとフォルダに入れといて、セキュリティも万全に!

あ、起きたの!じゃあ今日もあなたを支えて最高の1日にしてあげるの。だってあたしはあなたの最高の彼女なんだから!

 

 

 

 

今日の朝ご飯は〜?コーンフレークなんだ?じゃああたしも。あ、ゼリーも?あのゼリーってあったっけ……あったの!でも最後の1つ、注文しとかなきゃ。次は洗面所、あたしも行くの。

 

さて今日は何するの〜?内職?それともゴロゴロする?何でも良いけど、外出と他の雌猫どもと関わるのだけはやめてほしいの。メガス達は……まあゲームぐらいなら許して………………やっぱりダメ。メガス達とも関わって欲しくない。だって彼はあたしのものなんだから。疲れた顔から時折見せる笑顔も、ぶっきらぼうに差し出してくる手も、その手で触れられる感触も不器用に紡がれる言葉と声も全部全部あたしのものなんだから。

 

……あれ?身支度してる?まさか外出するつもり?えー、外出はやめてほしいって言ってるのに。今日雨だよ?降水確率100%。そこまでしてどこに行くっていうの?もしかして新規オープンしたピザ店?それなら今度でも良いと思うの。今店の監視カメラ見てみたけど満席なの。それでも行くの?……え、歩いて行くの!?バイク乗り回してる姿、最高にクールでカッコいいから行くんだったらバイクで行ってほしいの!!

 

あ、行っちゃうの………………仕方ないの。その代わり、道中あなたに降りかかる不幸や不快な連中はいつも通り全部あたしが排除するの。だから今回も安心して行ってきて。

 

 

 

 

見てるだけで憂鬱になるぐらいのすっごい雨なの……さっきバイクで行ってほしいって言ったけど使わなくて正解なの。それにしてもどこに行くの?そこ曲がるの?じゃあ次のカメラをハックしてって、壊れてるの!ちゃんと整備してよ!次のカメラは……映るけど、ちょっと画質が荒いの。

 

街中のカメラやたまに飛んでるドローンをハックして、あなたを追い続ける。あなたのスマホにこっそり仕込んだマルウェアが常に位置情報を送ってくれるから見失う心配も無い。それにしてもほんとにどこに行くの?…………あ、彼のスマホ覗けば…………ふーん、バイト先に呼び出されたんだ?こんな雨の日に来いなんて、電話かメールで……そう言えばバイト先の店長、人格破綻者だったの。

 

 

 

 

ここまでは何のトラブルも無し。このまま何事も無く終わってほしいけど……

 

今カメラに映し出されてるのは、電光掲示板を見上げる人々。その掲示板に表示されてる時間に合わせて入ってくる電車。

そう、謂れのない罪で数多の人達を地獄に突き落とす冤罪スポットの筆頭、駅。……偏見?うるさいの。

 

とにかく見失わないようにしなきゃ。いくら位置を把握できるからって姿が見えなきゃ意味があーこのカメラも壊れてるの!こっちも!流石に構内にドローンは飛んでないし、警備ロボはハッキングは難しくはないけどまだ導入されたばかりで配備数は少ないし妙な動きはさせられない。民間用のロボは今日は見当たらない。となると、整備が行き届いてるかわからないカメラを渡りながら……あ、カメラならそこら中にあるの。あんまりやらないから忘れてた。ちょっと忙しなくなるけどあなたのためなら全然苦じゃないの。

 

 

 

 

みんなセキュリティバッチリしてるの。でもあたしの手にかかれば一瞬で丸裸。彼を守るためだからね仕方がないの。……ん、見えなくなったの。じゃあ次のスマホを、ああセキュリティは破壊したままだから早く気づいてかけ直すといいの。

 

それにしても本当人が多いの。あたしだったら1分も持たないかも。お、ようやく目的の乗り場に辿り着いたの。ここまでは何事も無く来たの。……あ、座り込んじゃった。そうだよね、そりゃ疲れるよね。あたしが側にいたらいっぱい癒してあげられるのに、歯痒いの。それにしても本当に不便な立地のバイト先なの。そのうえ超ブラック。確か…………ミミって女に紹介された場所だったよね。何でこんな場所紹介したのか理解できないの。あなたの事考えてるならもっと良い場所があった筈なの。今すぐにでもバイト先の監視記録全部見せつけてどれだけ彼が苦しんでるのか見せてやりたいの。

 

電車入って来たの。うわ、一斉に降りて来た。彼は……動いたのって、なんか邪魔なカップルがいるの。楽しそうに話してるみたいだけど、後ろが詰まってるから早く乗り込んでほしいの。……全然気づいてないの。あなたも律儀に待ってないでそのまま抜かして……そうそう、動かない2人が悪いんだから。

 

……………………は?何なのこのオッサン?何で彼の腕掴んで睨みつけてるの?バカップルが動かないのが悪いんでしょ?バカップルもおかしいの。オッサンには頭を下げて彼には見向きもしないで…………あぁ、傷ついてるのに何でもないように振る舞って……大丈夫だよ、そいつらには相応の報いを受けさせてやるから。ほら、2つ先の入り口は人が少ないの。そっから乗って……反対側から杖ついたジジイ来てるの。けど、あなたの方が速い……ちょっと待って?何で杖で進路を塞ぐの?用途が違うでしょ?まさか彼が横入りするとでも思ってるの?……最悪、そのまま乗り込みやがったの。周りの奴らも何で彼を睨みつけてるの?ちゃんと並ぼうとしてたのに……よく顔が見えないけど分かるの。悲しいよね?憎いよね?ようやくまともな人生歩み始めたのにこんなのあんまりなの。

 

「ナンシー」

 

……よし!今度彼をデートに誘うの!いっぱい甘やかして癒してあげるの!

 

「ナンシー」

 

場所は彼の家?それともここ?そう言えば郊外の海に近い場所に見晴らしも良くて、誰も来ない静かなスポットを見つけたってルカが言ってたような?

 

「ナンシー聞こえてる?」

 

何にしても人がいる場所はできる限り避けたいの。面倒だしそれにあの三神の女狐が押しかけて来てから妙な連中が……十中八九……

 

「ナンシー!!」

「誰!?……ってクララか、脅かさないでほしいの!」

「さっきから呼んでるのにって、またストーカーしてる」

 

ストーカーって、彼を守るためって何度も言ってるのに全然理解してくれないの。まあいいや、理解の無い奴を相手するだけ時間の無駄なの。

 

「……まだ確定じゃないけど、もしかしたら店番頼むかもしれないから」

「え?」

 

店番?何で?確か今日はメガスが……

 

「メガス、ルカと一緒にモーゼスに連れて行かれてさ。開店時間までには戻って来るとは言ってたけど……」

 

あの軽薄野郎!!こんな時に限って邪魔しやがるの!あいつの仕事道具、運河区の適当な店で二束三文で売り払ってやるの!

 

「……とにかく今は私が店番しとくけど、いつでも出れるようにしといてよ?」

「ちょ、ちょっと!?」

 

うぅ、彼を守らなきゃいけないのに。あたしの気持ちを知ってか知らずかクララはさっさと行っちゃったし。

 

モニターの方に視線を戻す。スマホを見てるけどまた何か連絡が……はぁー、あなたも酷いの。こんなに一生懸命なのに他の雌猫どもにうつつを抜かしちゃって。今度新作のプリンを買いに行こう?1人で行って来いなの。彼を巻き込まないでほしいの。アップルパイ?そっちも1人で行って来いなの。

 

とりあえず今は大丈夫っぽいみたいだし、準備でもしとくの。はぁ、憂鬱なの。

 

 

 

 

「ナンシー」

「来るな来るな来るな、ああ!?」

 

呆気なくバリケードごとドアも粉砕。これだから体育会系は嫌なの!

 

「ボスに迎えに行けって言われたから。店番よろしくね」

「……はぁ」

「ついでに彼も拾ってルカが教えてくれた絶好のスポットに一緒に」

 

椅子を蹴り飛ばして飛びかかるも蹴り返された椅子に引っかかってそのままバリケードの残骸に頭から突っ込む。メッチャ痛いの。

 

「片付けもしといてよ」

 

暫くして頭を引き抜いたけど既にクララはいない。砕け散ったドアやあちこちに飛び散った空き缶空き箱。いっその事今日は休業にしてしまおうか?クララ達に大目玉食らうのは確実だけど、あーでも客……特に常連とかは心配して押し入って来そうな気がするの。それは流石に困るし、そもそもあたしの聖域に押し入って良いのは彼だけなの。彼ならいくらでも押し入って良いし何ならそのまま……んん、ちょっと下が湿っちゃった。

 

「あ!今どうなってるの!」

 

慌ててPCに戻って見ると既に電車内に彼はいない。居場所は?まだ駅前か。カメラはある。ちゃんと動いてよ?……良かった、動いて、あ!警察に捕まってるの!何で!?まだ彼は……いや、今は何とかして助けなきゃ。過去が暴かれたら彼は一生豚箱暮らし。そんな事絶対にさせない。いつものように適当な無線流してそっちに向かわせよう。周波数合わせて中継所を経由して声も変えてと。勿論偽装もバッチリ。

 

「こちらユニオン警察署。そちらの巡回区域で通報有り。近くの警官はすぐに向かってほしい」

 

今近くにいる警官は彼を捕まえてる2人だけ。必然的にこいつらが向かわざるを……

 

『すまない、俺達は向かえない。代わりの応援を頼む』

 

…………は?

 

「付近を巡回中なのはあなた達だけで応援となると」

『上司からの指示なんだ。とにかく代わりの応援を向かわせてくれ』

「……分かりました」

 

上司からの指示?彼の確保って事?いや考えるのは後なの。他に使えそうな……ちょっと待って!?手錠!?パトカーに乗せられてるの!ど、どうしたら……

 

ん?あのトラック、乗ってるのは……ロボット?そう言えばロボットを使った大会が近いうちに行われるって……閃いたの!ただ……いや大丈夫なの。彼を信じなきゃ!このロボットを試運転してる所には悪いけどちょいと借りるの。……よし、警備ロボより簡単。後はパトカーに向けて!

 

「ナンシー、まだストーカーしてるの?」

「やばっ!?」

 

慌ててPCを伏せて部屋から飛び出した所でクララとぶつかってしまった。

 

「ちょっと、危ないでしょ」

「ごめんごめん、というか何で戻って?」

「忘れ物したの。じゃあ行って来るから。真面目にやってよ?」

 

そう言い残して店から出て行った。彼がどうなったか見たいけど、これ以上籠ってたら流石にマズイか。

 

「…………無事でいてね」

 

 

 

 

「今度、テルに、お祓い、してもらうかゲホっ」

 

割と真面目に視野に入れつつ、警官のポケットから鍵を抜き取って手錠を外すと外の様子を伺う。すぐ近くに人はいない。少し離れた場所にまばらに何人かいるが俺には気づいてないみたいだ。リュックと傘を外に放り投げて俺も外に這い出る。

 

「トラックか」

 

出発した時よりもだいぶ雨が酷くなってる。スリップしたのかはたまたよそ見か。ドライバーはよく見えない。

 

「あ、そうだ」

 

再びパトカーに潜り込むと手早く前後のドラレコを回収。幸い映像はまだ送られてないから映像を消去。この程度で欺けるなんて経験上思っちゃいないが全く効果が無いわけじゃない。

ドラレコをリュックに詰め込むと急いでその場を離れた。

 

 

 

 

「そういうわけでクビになった」

『そんな理由で?』

 

ちょうど都市部と郊外の境目に建つファーストフード店を出て早々にここを紹介してくれた友人ミミに事の経緯を説明していた。街の外へ旅行や仕事、もしくは帰って来た人達がメインの客層なのだが、年中出入りが激しい故に必然的に客の数は膨大。特に夏と冬はスタッフも料理の材料も常に足りないほど他のファーストフード店とは一線を画す程の忙しさを誇る。その分、給料は破格とも言えるほどの待遇だったのだが……

 

『確かに店長、元々女の子に対して若干優遇気味な面はあったけど』

 

ミミの言う通り、女の子に鼻を伸ばす所は度々あったがそれでも理解するまで付きっきりで面倒見てくれたり、ある時は自腹で従業員全員引き連れてそこそこ値の張る料理店に行ったり、皆から信頼されてるオッサンだった。

 

だがある時から急に女の子の給料だけ大幅に引き上げて男達は大幅な引き下げ、女の子達が定時で帰る中、日を跨いだ残業は常態化。ついでに残業代は無し。他にも挙げればキリがないが……そして今回男性従業員は全員解雇、理由は人件費削減なんて言ってたがそんな訳ない。自分の理想郷を作りたいだけなのが見え見えだ。

 

『ごめんなさい、店長の本性にもっと早く気づけてればそんなとこ紹介なんて』

「謝る必要はない」

 

ミミは他のアルバイトとの兼ね合いもあって途中で辞めた。だからこんな事態になってるとは知る由もないし、俺もミミを心配させたくなったから言わなかった。何にせよミミに責任は無い。

 

『で、でも』

「そもそもバイト先の事に関して全部ミミに丸投げしてた俺が悪い。だから気にしなくていい」

『……うん……あ、休憩終わったから』

 

落ち込んでるのが電話越しからでも分かった。責任感の強い彼女の事だから、いくら大丈夫だと言ってもしばらく引きずるだろうな。自分が紹介した場所なんだから尚更だろう。

 

「近い内に休みだったよな」

 

今度ミミの休みに遊びに連れ出してみるか。あいつが落ち込んでる姿はあんまり見たくない。

 

 

 

 

『落雷のため全ての運行便を停止します』

「マジかよ」

 

どうにも今日は不運に恵まれてる。テルじゃなくて知り合いの占い屋が良いだろうか?いやでもあいつはなぁ……

 

「おっ、と」

 

パトカーが見え、慌てて身を隠す。わざわざ駅前で待ち伏せて難癖付けて来やがる連中だ。用心するに越した事はない。しかしこの状況だとタクシーもバスも満員もしくは運行停止、警官どもも彷徨いてる。下手したら帰るの夜になるな。

 

「どっかで一泊……あ」

 

“Dispersion Prisms”

 

メガス達が働くバー『虹の鏡』。無意識のうちに足が向いていたのか、偶然か……何にせよ方針は決まった。

 

「今日の店番はメガスだったよな」

 

ならメガスに連絡入れといてバーの近くで待機。連絡が来たら気配を消して空き部屋に直行。何で気配を消すかって?あのバーの奥には引きこもりの狂猫がいるんだがそいつに絶対に見つかりたくないから。

 

「……遅いな」

 

いつもならすぐに連絡が来るはず……忙しいのか?

 

「もうちょっと待つか」

 

 

 

 

20分経っても返信どころか既読すらつかない。いよいよ心配になってきた俺はリスクを冒してバーの前まで来ていた。入口には開店準備中の札。電気がついてるという事は居ることに間違いはない。団体で予約でも入ったか…………VIPやら上流階級の中でも一握りの連中が密会の場として使ってる噂もあるが実は本当でその対応……いやいや考えすぎ……

 

「もしかして倒れてる?」

 

メガスが倒れるなんて全く考えられない。仮に倒れてたら流石に狂猫が動いてるはず。

 

「そんなわけ」

 

気づけば俺はバーに突入していた。そこにいたのは、

 

「はぁ、お客さん。開店準備中の札、見えなかったの?また後ににゃは♡

 

 

 

 

常識で図れない

理解の範疇を越える

理性すら意味を成さない

恐怖を超越した何か

 

それらに遭遇したら?鳥肌が立つ?それなら全然いい。声が出ない?足がすくむ?致命的だが俺から言わしたらマシと断言する。

 

「仕事……して、たんだな?」

 

口から、目から、毛穴から全身の細胞が我先にと逃げ出すような強烈な不快感を抱えながら何とか言葉を絞り出す。

 

対して狂猫、ナンシーは、

 

「にゃはーーー!!!」

 

弾丸の如く突っ込んできた。

 

「!?」

 

目前まで迫ってきた所で何とか身体を投げ出して避ける。ナンシーはテーブルや椅子を薙ぎ倒しながら再び飛び掛かる体勢に入ってる。

 

「ナンシー!落ち」

 

言い終わる前に突っ込んでくるナンシーを避けながら入口のドアを引っ張るが何故かびくともしない。

 

「これ〜?」

 

ナンシーの手に握られてる小さなリモコン。何したかすぐに察した。

 

「ナンシー、ここら辺で辞めにしよう!クララが」

「にゃはーーー!!!」

 

これも避ける……が、空中で反転しながら壁を蹴って突っ込んで来た!

 

「ああん、避けないでよ♡」

 

視界端が暗いしチカチカする。手の震えも酷い。気づけばカウンターを背にしていた。

 

「そこなの!!」

「悪く、思うな!」

 

勝利を確信した表情で飛んでくるナンシー。それを真正面から受け止めると、勢いそのままにカウンターの方へとぶん投げた。

 

「ぐべっ!」

 

棚ごとビールやワインを破壊しながら、そのままカウンターの中に沈んだ。ピクリともしない。

 

「っ、はぁーーー」

 

一応脅威は鎮圧したが……疲労が……手の震えも今だに酷い。視界もおかしいままだし、耳鳴りまでしてきた。

 

スマホが揺れてる。見ればメガスからだった。

 

「もしもし」

『ごめんっす!急に用事が入って!』

 

……そうだよな。メガスが疲労や病気で倒れるなんて考えられない。

 

『今ナンシーが店番してるから、入っちゃダメっすよ!』

「入った」

「ええ!?だ、大丈夫っすか!?怪我してないっすか!?マーキングされてないすっか!貞操は無事っすか!』

「落ち着け。俺は大丈夫だ。ナンシーなら気絶してる」

 

もう一度確認しようとカウンターを覗き込もうと顔を上げたらナンシーと目が合った。

 

………………ナンシーと目が合う?

 

「…………あ!?」

 

俺が立ち上がるよりもナンシーが上から覆い被さって来る方が早かった。

 

「やっと捕まえたの〜♡」

『どうしたっすか!?まさかナンシー!?』

 

スマホはギリギリ手が届かない位置に飛んでしまった。それでも何とか取ろうと必死になっていたがついに押さえつけられてしまった。

 

「ねえねえ開店準備中ってしてあったよね?なのに入って来ちゃうなんてそれってもう同意したって事でいいよね?そうなの!そうとしか考えられないの!!

 

息は激しく乱れ、喜色の表情に満ちた彼女の目には情欲の炎が灯っている。

 

「いや、ナンシーが店番だと、思わなかった」

「そんなわけないの。あなたは今日メガスが店番できない事を知ってたの。クララが迎えに行く事も想定してこの時間帯に現れた。つまり最初からあたしが目的だったって事なの!」

『デタラメ言うなっす!!用事も突発的なものだから彼が知るわけないっす!!』

 

メガスが声を荒げるがナンシーはどこ吹く風。

俺の方に視線を戻すと、一気に顔を近づけてきた。

 

「もう誰にも渡さないの♡」

「むぐっ」

 

重ねられたキスはロマンもムードも欠片も無い荒々しい捕食活動そのもの。

 

「んっ、好き、好きぃ♡」

「ん、んむ、うぅ」

 

抑えられた両腕は全く動かせない。3分も走る事ができないぐらい体力が無いのに、こういう時だけは嫌な馬鹿力を発揮して……

 

「んん」

 

ナンシーの舌が入り込んで……頭を動かして抵抗するが頬に両手を添えて動けないようにされてしまう。今度は舌で押し返そうとするが器用に絡められて彼女の口内に引き込まれてしまった。

 

「あん、美味しい、もっと頂戴♡。あたしのもあげるから♡」

「んく、んっく」

 

ひたすら舌と口内を蹂躙しつつ合間に唾液を無理やり流し込まれていく。

 

『ちょ、何してるっすか!?返事するっす!?』

「聞かなくていいの♡あたしの声だけ聞いて♡あたしだけを感じて♡」

 

耳元で深く仄暗い甘さを囁きながら、片手を掴むと豊満な胸へと持っていく。

 

「あん♡あなたに触れられてるの♡」

 

彼女の胸は柔らかく、どこまでも沈んでいく錯覚は底無しの快楽へと引き摺り込まれていくような感覚へと瞬く間に変化していく。

 

「ん、ん、ぷはっ、幸せなの〜♡」

「はぁ、はぁ」

 

キスをやめて一度上体を起こすナンシーと見上げる俺の間には長い銀色の橋が切れる事なく繋がっている。

 

「もう我慢できないの♡良いよね?あなたもとっても切なそうな顔してるの♡」

 

ナンシーの言う通りだ。身体も心もこのままナンシーに溺れたいと、ナンシーの与えてくれる愛情と快楽に沈んでいきたいと激しく求めている。

 

「ま、て。これ、以上は」

 

だけどその甘い甘い誘惑にこのまま沈んでしまえば二度と這い上がる事なんてできないのは疲労と快楽でぼんやりとした頭でも理解できた。

 

それに何よりも……ミミが……

 

「まだ素直になれないの〜?まあいいの、またたっぷりとあたしの気持ち、刻み込んで流し込んで囁いてあげるから♡」

「ぁ」

 

抵抗しないとミミに会えなくなる……なのに……

 

「それじゃあ♡」

「何がそれじゃあよ」

「え?」

 

誰かの声が聞こえてナンシーが浮かんでる?

 

「真面目に店番やれって言ったでしょ!」

「ギャン!」

 

そのままカウンターの方へと飛んでいったナンシーを見てたら誰かが駆け寄って来た。

 

「大丈夫っすか!?しっかりするっす!」

「……メガス」

 

という事は……解放されたって事で…………

 

「だ、ダメっす!目を開けて!クララ!」

「メガス落ち着いて。それ疲れて寝ただけだから」

 

 

 

 

「ほら乗って」

「ありがとう、クララ」

「しっかり掴まっててよ」

 

朝日が虹の鏡を、ユニオンシティを照らしていく中、一台のバイクが走り出す。

 

「メガスにも言われた通り、これからは必ず連絡が来てから入る。今回は運が良かっただけだからね?」

 

目覚めて早々、メガスに泣きながら怒られた。自分達が来なかったらどっかに連れてかれて一生性奴隷だって。今回の事を思うと間違いではないな。

 

「大体さ、ナンシーのあなたへの執着ぶり知ってるでしょ?なのに何で入ったの?」

「メガスから中々連絡来ないから、倒れてるんじゃないかって」

「ナンシーじゃあるまいに。メガスが倒れてるところなんて見た事ないでしょ?」

 

確かに。40℃近い真夏だろうが雨の日雪の日だろうがピンピンしてる。

 

「とにかくメガス達の心配はしなくていいから。自分の事だけ考えてて。じゃないと」

「なに?」

「何でもない」

 

何か言いかけたみたいだが……こういう時って聞いても答えてくれないんだよな。周りの風景でも見るか。

 

朝日が立ち並ぶ高層ビルを、続いて街灯を、道路を照らしていく。道路は今だに濡れたまま、街路樹はまだ残ってる雫が光り輝いてる。

 

「あんたってさ」

「うん?」

「景色見るの好き?」

「何で?」

「あちこち見てるから。それでどうなの?」

「嫌いじゃない」

「じゃあ好きって事ね」

 

いまいちクララの意図が読めない。

 

「ルカがさ、郊外に見晴らしが良くて、しかも誰も来ない絶好のスポットを見つけたんだって」

「そこに遊びに行こうって事か」

「うん、私とあんたでね」

 

2人……2人でか。でも思い返してみればクララとも長い付き合いにはなるけど、2人っきりっていうのは滅多にないな。大体メガスやルカが一緒だし。

 

「分かった、久しぶりに2人で遊ぼう」

「予定は今度伝えるから。はい、着いたよ」

 

たった1日空けただけなのに、数ヶ月ぶりに帰ってきた気分だ。それだけ昨日が濃密で波乱に満ちていたって事だろう。ナンシーに襲われて、ナンシーに溺れかけて、ナンシーにナンシーにナンシーに……

 

「ちょっと大丈夫?」

「……え?……ああ大丈夫」

 

これ夢に出てきた挙句、現実まで侵食してくるやつでは?……決めた。やっぱりテルに会いに行こう。

 

「……何かあったらすぐに言ってよ?」

「ああ、ありがとう、じゃあな」

 

ドアを開けて一度振り返るとクララに軽く手を振る。クララも軽く手を振り返すのを見ると俺はすぐに家の中に入っていった。だからクララの呟きに気づく事はなかった。

 

「あなたまで……いなくならないでよ」




「いやぁ!!助けてぇ!!」
「何の騒ぎだい?」
「モーゼス、新しい避雷針作ったから設置するの手伝ってほしいっす」
「ああ成程。また夜から雷雨だって言うしね。分かった」
「いやぁーーーーー!!!」
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