いろいろバタバタして、なかなか筆が進みませんでした!!
はい!言い訳です!!
申し訳ありませんでした!!
荒廃した大地は、静まり返っていた。
かつて都市であった名残は、今や風に削られた骨のように露出し、ひび割れたコンクリートの裂け目からは、乾いた砂が絶えず吹き上がっている。
遠くで軋む金属音――それが風の仕業か、それとも“何か”の蠢きかは、誰にも判別できない。
その静寂を破ることなく、一行は慎重に進んでいた。
音は極力抑えられていた。
呼吸さえも周囲に溶け込ませるように。
小休憩を終えたばかりの身体はまだ完全には温まっていないが、それでも彼女たちの動きに無駄はない。
戦場において、わずかな油断が命取りになることを――誰もが骨の髄まで理解しているからだ。
やがて、先頭を進むラピが、不意に動きを止め、右手の拳を上げる。
その瞬間、後続の全員が言葉もなく足を止めた。
ラピはゆっくりと膝を落とし、ライフルを構える。
その動作には一切の迷いがなく、長年積み重ねられた経験と訓練が、まるで機械のような精度で身体を動かしていた。
スコープ越しに、彼女の視界が遠方を捉えたのは、荒野の向こう
――瓦礫の陰、崩壊した構造物の間に、不自然な影が蠢いていた。
無機質な輪郭。
規則的でありながらも、生物的な不気味さを帯びた動き。
ラプチャー。
ラピの視線が微かに細められる。
情報を整理し、脅威を測定し、そして、低く、静かに告げる。
「……ラプチャー確認。ロード級が1、セルフレス級、サーヴァント級がそれぞれ10体ずつの編成のようです」
その声は抑えられていたが、確かな緊張が滲んでいた。
“ロード級”。
それが意味するものを、この場の全員が理解している。
単なる数の問題ではない。
指揮能力と統制を持つ個体の存在は、戦場の様相そのものを変える。
空気が、わずかに張り詰める中、アニスが小さく息を吐きながら、振り返る。
「指揮官様、どうする?」
軽い調子のようでいて、その実、問いの核心は鋭い。
ここでの判断が、この先の行動全てを左右する。
全員の視線が、指揮官へと集まった。
指揮官はすぐには答えない。
ゆっくりと双眼鏡を目元へと運び、ラピが捉えたその先を自らの目で確認する。
レンズ越しに映るのは、無機質な殺意の群れ。
規則的に巡回し、互いに干渉しながら、侵入者を待ち構える機械の軍勢。
その配置、その密度、その動線。
すべてを観察し、頭の中で戦場を再構築する。
遠回りはできる。
だがそれは、約束の時間を超える可能性があった。
そしてこの世界では、時間の遅れはしばしば命の損失に直結する。
約束の時間。
それは単なる“時刻”ではない。
見えない制約のように、纏わりつく。
数瞬の沈黙。
その間、誰も口を開かなかった。風の音だけが、乾いた大地を撫でていく。
やがて、指揮官は双眼鏡を静かに下ろした。
その表情に迷いはない。
彼は静かに口を開いた。
「いや、このまま行こう。ここを迂回すれば、合流の時間に間に合わない可能性がある」
決断は、短く、そして明確だった。
ラピがわずかに頷く。
その判断を否定する理由はない。
むしろ、彼女自身も同じ結論に至っていた可能性すらある。
「では、作戦は如何いたしますか?指揮官」
即座に、次の段階へと移行する。
躊躇も、感情も挟まない。
必要なのは、最適な配置と、確実な殲滅手順。
その時――
指揮官の視線が、一瞬だけマスターへと向けられた。
外部の戦力でありながら、無視できない存在。
判断を仰ぐべきか、それとも独断で進めるべきか。
しかし、その視線に気づいたマスターは、先んじて首を横に振る。
「この部隊は指揮官の部隊だ。俺は指示する立場じゃない。遠慮なく言ってくれ、従う」
その言葉には、余計な誇張も虚勢もなかった。
ただ、戦場における役割を理解した者の、簡潔で確固たる意思表示。
指揮官は短く頷く。
その一言で、迷いは完全に断ち切られた。
「……ラピ、ネオンは前衛を。その左翼にアニスを配置。攻撃開始後、アニスのグレネードで纏めて殲滅する。ラピとネオンは奴らをこちらに近づけるな」
指示は迅速で、的確だった。
前衛で敵の進行を止めるラピとネオン。
中距離から範囲殲滅を担うアニス。
その構成は、敵編成に対して最も合理的な回答の一つ。
「了解」
「オッケー、任せて!」
「火力の見せ所ですね!」
三者三様の返答が、しかし一切の齟齬なく重なった。
それぞれが、自分の役割を理解している。
続いて、指揮官の視線がマスターとマリアンへと移る。
「マスターとマリアンは、アニスの近くで彼女をサポートしてやってくれ。アニスは近づかれると危険だ」
的確な補足。
グレネード運用のアニスは、一瞬の隙が命取りになる。
その穴を埋めるための配置。
マスターは軽く息を吐き、頷く。
「了解した。マリアンと共にアニスを援護できる場所で待機する」
簡潔だが、信頼に足る応答。
それを確認し、指揮官は最後に全員を見渡す。
乾いた風が、再び吹き抜けた。
「よし、気を引き締めろ。常に互いの位置を把握し、カバーし合え。……行動開始」
その一言を合図に――
空気が、動いた。
ラピが最初に動き出す。
低く、影のように前進し、射線を確保する位置へ。
ネオンがその側面を滑るように移動し、交差する火線を構築する。
アニスは一歩遅れて前進し、二人の左翼に位置取る。
グレネードランチャーを静かに構え、その指先がトリガーにかかる。
マスターとマリアンはアニスの左右へ展開し、アニスを中心とした防御の線を形成する。
誰一人、無駄な動きをしない。
声もない。
ただ、それぞれの役割だけが、確かにそこに存在していた。
やがて戦いの火蓋が切られる、その瞬間へ向けて。
世界は再び、張り詰めた沈黙に包まれていた。
ーーーーーー
乾いた大地に、連続する銃声が叩きつけられる。
それは空気そのものを震わせ、瓦礫を軋ませ、戦場の輪郭を塗り潰し、絶え間なく吐き出される火線が、目に見えぬ壁となって前方を切り裂いていく。
火薬の匂いが濃くなると同時に、砂塵が舞い上がり、視界が歪む。
その中で、指揮官の声だけが、明確な輪郭を持って響いていた。
「…!!10時の方向!ラプチャー接近!距離100メートル!ラピ狙えるか?!」
物陰に身を沈めながらも、その視線は鋭く戦場を捉えている。
状況の把握、脅威の優先順位付け、味方の配置――すべてが同時に処理され、寸分の狂いもなく言葉へと変換される。
「ラジャー!!」
即応。
ラピの返答は短く、それでいて一切の迷いがない。
彼女の銃口が滑るように旋回し、指示された方向へと正確に指向される。
次の瞬間――発砲。
乾いた連射音が、戦場のリズムに新たな拍を刻む。
精密に制御された弾道が、迫り来るラプチャーの関節部やセンサーを的確に穿つ。
機械の身体が軋み、火花が散る。
だが、それでも――数は減らない。
「ネオン!そのままだ!ラプチャーを近づけさせるな!」
指揮官の声が飛ぶ。
「分かりました!!かーりょーくーー!!」
ネオンの声が、それに応じて弾けた。
次の瞬間、彼女のショットガンが咆哮する。
重く、鈍く、それでいて圧倒的な破壊力を持った散弾が、前方一帯を蹂躙する。
発射のたびに反動が身体を揺らすが、ネオンは構わずトリガーを引き続ける。
一発、また一発。
撃ち込まれるたびに、ラプチャーたちの進行が鈍る。
装甲が抉れ、脚部が砕け、動きが乱れる。
そして――やがて。
それらは“群れ”としての統制を失い、押し込まれるように一箇所へと密集していく。
まるで、見えない手によって押し固められるかのように。
その瞬間を、指揮官は見逃さなかった。
「今だ!!アニス!吹き飛ばせ!」
号令が、雷鳴のように響く。
「任せて!!」
アニスが笑う。
そして――引き金を引いた。
ボン、ボン、と鈍い音が連続して鳴る。
銃声とは異なる、空気が抜けるような低い衝撃音。
擲弾が、次々と射出されていく。
弧を描き、密集したラプチャーの中心へと吸い込まれるそれらは――
一瞬の静寂の後、爆ぜた。
閃光。
衝撃。
轟音。
すべてが一体となって炸裂し、ラプチャーの群れを内側から引き裂く。
装甲が裂け、機構が露出し、金属片が四方へと飛び散る。
破壊は連鎖する。
一体が崩れれば、それに巻き込まれるように周囲も崩壊していく。
なす術もなく――ラプチャーたちは、ただ“壊されていった”。
しかし。
戦場は、常に一方向では終わらない。
その爆炎の裏側で、静かに――だが確実に、別の脅威が動いていた。
影の中を這うように進み、音もなく接近する複数の機影。
前線の混乱に紛れ、後方へと浸透していたラプチャー数機が、一斉にその姿を現す。
「な!?後ろ?!」
アニスの声が裏返る。
反射的に振り向き、グレネードランチャーを構える。だが――
トリガーを引いても、反応がない。
「やば!弾切れ?!」
その一瞬の空白。
それは、戦場において致命的な隙となる。
迫る影。
跳躍。
鋭い爪が、アニスへと振り下ろされようとした――その瞬間。
前に、大きな影が割り込む。
「残弾の管理は重要だぞ。アニス」
低く、落ち着いた声。
マスターだった。
その腕が迷いなく持ち上がり、ショットガンが咆哮する。
至近距離から放たれた散弾が、飛びかかってきたラプチャーの中枢を粉砕する。
衝撃で機体が弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「マリアン!残りは頼む!」
「任せて下さい!」
間髪入れずに応じたマリアンの声。
少し離れた位置から、彼女のマシンガンが火を噴く。
絶え間ない発砲音が、空間を埋め尽くす。
その精密な制圧射撃は逃げ場を与えず、残っていたラプチャーを次々と貫いていく。
機体が裂け、爆ぜ、そして――沈黙する。
やがて、銃声が途切れた。
残るのは、焼け焦げた空気と、転がる残骸だけ。
「ふぅー。危なかったー。サンキュー!!マスター!マリアン!」
アニスが大きく息を吐きながら笑う。
マスターは無言でサムズアップを返す。
その仕草を真似るように、マリアンも少し遅れて同じ動作をする。
その小さなやり取りが、戦場の緊張をほんの一瞬だけ緩めた。
だが――
まだ、終わってはいない。
瓦礫の向こう、煙の奥にーー
一際巨大な影が、ゆっくりと姿を現す。
ロード級。
その存在は、まるでこの戦場の“核”のように、重く、圧倒的だった。
指揮官はそれを睨み据える。
「あとはコイツだけだ。油断するなよ!」
その言葉を合図に、再び火線が集中する。
ーーーーーー
「状況終了!各員残敵確認!」
ラピの声が、戦場に響く。
それは戦闘の終わりを告げる合図だった。
隊員たちは慎重に動き出し、周囲を確認する。
まだ動くものがないか、罠が残っていないか――緊張は完全には解かれていない。
その中で、ひときわ目を引く残骸があった。
ロード級。
他のラプチャーとは比較にならない巨大な機体が、無残に横たわっている。
「…デカいな。久しぶりに見た」
マスターはショットガンにシェルを込めながら、苦笑混じりに呟く。
近づけば、その損傷の激しさがよく分かる。
装甲は抉れ、内部構造が露出し、あらゆる箇所が焼け焦げている。
集中砲火による、完全な撃破。
――のはずだった。
だが。
その“目”が、微かに光る。
赤く、断続的に。
まるで、まだ何かを訴えようとするかのように。
マリアンが、その様子に気づく。
言葉を発することなく、ただゆっくりと歩み寄ろうとする。
その足取りは、どこか迷いがあった。
だが――
その前に、指揮官が立ちはだかる。
「……指揮官?」
戸惑いの声。
マリアンの瞳が揺れる。
指揮官は、静かに首を振った。
「ダメだ、マリアン。やつに近づいては……」
その声音には、感情がほとんど乗っていない。
ただ、経験と判断に裏打ちされた、冷徹な制止。
マリアンはそれでも、目を逸らさない。
「でも、あの子、痛がってます。可哀想です。早く楽にしてあげないと……」
その言葉は、あまりにも真っ直ぐだった。
戦場には似つかわしくないほどに。
だが――だからこそ、重い。
指揮官は再び首を振る。
「もう機能は停止する。先を急ごう」
断言。
そこに揺らぎはない。
「でも……」
言い縋ろうとするマリアンの手を、指揮官はそっと掴む。
そして振り返ることなく歩き出した。
その背中を、マスターは静かに見つめていた。
やがて一行は再び歩き出す。
合流地点へと向かうために。
瓦礫の間を抜け、ゆっくりと遠ざかっていく。
その背後。
地面に倒れ伏していたロード級ラプチャーのセンサーが、最後に一度だけ赤く瞬いた。
そして――
かすかな機械音が、小さく鳴った。
ーーーーーー
その音は、ほとんど「音」として成立していなかった。
通常であれば戦場全域に鳴り響くはずのコーリングシグナルは、今回は異様なほどに小さく、か細く――風に紛れて消えてしまいそうなほどの微弱な振動に過ぎなかった。
人間には届かない。
ニケの感覚器にも、かろうじてノイズとしか認識されない。
だが――
それは「届くべき存在」にだけ、確かに届いていた。
遠く離れた地下深く。
幾重にも折り重なった地層の中で、長い時を眠るように停止していた“それ”は、その微かな呼び声に応じるように、内部機構を静かに起動させる。
沈黙していた回路に電流が走る。
封じられていた駆動系が軋みを上げる。
そして――
地が、割れる。
地表が盛り上がり、裂け目が走り、巨大な影がその奥から姿を現す。
土砂と瓦礫を押し退けながら現出したその巨体は、まるで大地そのものが意思を持って立ち上がったかのようだった。
次の瞬間。
それは空へ向けて咆哮する。
金属が軋み、内部機関が唸りを上げるその音は、単なる機械音ではない。
それは、目覚めの宣言であり――狩りの始まりを告げる咆哮だった。
――
その頃。
マスター達カウンターズは、地上の廃墟を縫うように進行を続けていた。
崩壊した都市の残骸。
草木に侵食されたコンクリート。
そして、散発的に出現するラプチャー。
その全てを排除しながら、彼らは着実に前へと進んでいた。
だが――
不意に。
マスターが足を止めた。
そして、ゆっくりと振り返る。
「……なんだ…?」
その呟きは、自分自身に向けられたものだった。
理由が分からない。
何かを感じたはずなのに、それが何なのか言葉にできない。
直感か。
あるいは、長年戦場に身を置いてきた者だけが持つ“悪寒”のようなものか。
ただ、胸の奥に引っかかる違和感だけが、確かに存在していた。
「マスター?どうしたんですか?」
隣を歩いていたマリアンが、不思議そうに首を傾げる。
マスターはしばし遠くを見つめた後、小さく首を振った。
「いや……分からない。気のせいだろう」
苦笑とともにそう言い、再び歩き出す。
ーーーーーー
夕暮れの光が、崩壊した街の輪郭を鈍く染めていく。
折れた鉄骨が影を引き、ひび割れた壁面は赤く滲み、まるでこの場所そのものが長い戦いの傷を抱えたまま息を潜めているかのようだった。
風は弱く、だが乾いている。瓦礫の隙間をすり抜けるその流れが、時折、微かな軋みと砂の擦れる音を連れてくる。
その中を――カウンターズは進んでいた。
戦闘の余韻はまだ身体に残っている。
銃身の熱、火薬の匂い、そして奇妙な静寂。
誰もが言葉にはしないが、確かに感じていた。
そして。
「小隊停止。今日はここで野営しよう。明日には合流ポイントに着くはずだ」
指揮官の声が、低く、しかし確かな重みを持って響いた。
その言葉は、命令であると同時に――許可でもある。
止まっていい、気を緩めていい。
ほんの僅かでも、“戦い続ける状態”から離れていいという合図。
それを理解した瞬間、空気がわずかに変わる。
誰かが小さく息を吐き、誰かが肩の力を抜く。
背負っていた装備が地面に置かれ、鈍い音を立てる。
極限まで張り詰めていた神経が、ほんの少しだけ緩む。
それでも――完全に解けることはない。
ここはまだ、地上だ。
「アニス、ネオン。早々ですまないが、周囲にデコイを置いて来てくれないか?」
休息を許しながらも、同時に警戒を緩めない。
指揮官の言葉は、現実を突きつけるように冷静だった。
「オッケー、指揮官様」
アニスが軽く手を振りながら応じる。
その声音は普段通りだが、動きには無駄がない。
すでに頭の中で配置とルートが組み立てられている。
「早いこと終わらせて、休憩しましょう」
ネオンも続く。
その言葉にはいつもの調子が戻りつつあったが、ショットガンを持つ手はしっかりと構えられている。
二人はすぐに動き出した。
瓦礫の陰へと消え、周囲へ装置を展開していく。
敵のセンサーを欺くための偽信号。
夜を越えるための、見えない盾。
その背を見送り、指揮官は小さく頷く。
そして、視線を次へと移す。
「ラピ、今後のルートについて、相談したい」
「了解しました、指揮官」
指揮官の言葉に、ラピは即座に応じる。
そのまま静かに歩み寄り、指揮官の隣に立つ。
二人の間に交わされるのは、地図や地形、敵の出現傾向といった情報。
その一つ一つが、明日の生死を分ける重要なものだった。
指揮官は瓦礫の中にあった机の上に地図を広げると、残る二人へと視線を向けた。
「マスターとマリアンは、すまないが、周囲を見渡せるところを確保して、監視してくれないか?」
外縁の警戒。
夜の間、最も重要な役割の一つ。
「分かった、監視所を見つけておく」
マスターは短く答える。
その声に、疲労の色はあっても、迷いはない。
しかし――
「…………」
隣に立つマリアンは、答えなかった。
俯いたまま、動かない。
その沈黙は、あまりにも不自然だった。
「…マリアン?」
指揮官の声に、わずかな困惑が混じる。
呼びかけられ、マリアンの肩が小さく震えた。
そして――
はっと顔を上げる。
「な、なんでもありません!さぁ、マスター!早く行きましょう!」
無理に明るく作られた声。
その勢いのまま、マスターの手を掴む。
温度のある、その手。
引かれるままに、マスターは一歩踏み出す。
「……ああ」
短く応じるが、その視線は一瞬だけマリアンの横顔を捉えていた。
そこにあったのは――
ほんの僅かな、揺らぎ。
戦場で見せる無垢さとも違う、どこか深いところに触れたような、不安の影。
だが、それを問いただすことなく、マスターは歩き出す。
二人は瓦礫の隙間を抜け、監視に適した高所を求めて進んでいく。
その背中を――
指揮官は、静かに見つめていた。
沈みゆく光の中で、その表情は読み取れない。
だが確かに、そこには一つの感情があった。
違和感。
言葉にできない、だが見過ごしてはならない何か。
それは戦場の気配なのか。
それとも――
人の心の揺らぎか。
どちらにせよ。
夜は、まだ始まったばかりだった。
ーーーーーー
夜は、完全に廃墟を飲み込んでいた。
崩れた建造物の輪郭は闇に溶け、わずかに残る月光が、瓦礫の縁を淡く照らすだけだ。
風は冷たく、静かで――昼間の激戦がまるで幻であったかのように、この場所は沈黙に包まれている。
その高所に、二つの影が並んでいた。
マスターとマリアン。
監視のために確保した見晴らしの良い場所。
崩れかけた建物の一角に腰を下ろし、二人は並んで夜の廃墟を見下ろしている。
遠くでは、かすかに金属が擦れる音がする。
それが風によるものか、あるいは――別の何かか。
判断はつかない。
だが、マスターの意識は、そこにはない。
隣にいる少女へと、向けられていた。
マリアン。
その横顔は、月明かりの下で淡く照らされている。
だが、その表情は――明らかに沈んでいた。
普段の無垢さも、柔らかな微笑みもそこにはない。
ただ、どこか遠くを見つめるような、憂いを帯びた眼差し。
そして、その奥に隠しきれない不安。
それを、マスターは見逃さない。
「マリアン」
静かに、優しく呼びかける。
その声は、戦場で発せられる命令とは違う。
相手の内側へと届くように、意図的に柔らかく抑えられている。
マリアンの肩が、ピクリと震えた。
まるで、自分の内面を覗き込まれたかのように。
ゆっくりと振り向く。
「なんですか?マスター」
浮かべられたのは、笑顔。
だが――それはあまりにも脆い。
張り付けたような、無理に形作られたものだと、誰の目にも分かる。
もちろん、マスターにはなおさらだった。
「なにか、気になることでもあるのか?」
問いは、あくまで静かだった。
追い詰めることなく、逃げ道も残したまま。
だが、その一言で。
マリアンの瞳が、大きく見開かれる。
言い当てられた。
隠していたはずのものを、あっさりと。
「…マスターはなんでも、分かるんですね」
苦笑。
その中には、安堵と、そして少しの諦めが混じっている。
「マスターだからな」
軽く、しかし確信を持って返す。
その言葉に、マリアンはほんのわずかに肩の力を抜いた。
視線を、再び前へと戻す。
夜に沈む廃墟。
どこまでも続く、無機質な静寂。
その中で、ぽつりと――
「…指揮官やラピ達が私に何かを隠してる気がするんです。でも、捨てられるのが怖くて、聞けません」
言葉が、零れ落ちた。
それは、ずっと胸の奥に押し込めていた感情。
恐怖。
不安。
そして――孤独。
マスターは、何も言わずにそれを聞く。
ただ、静かに。
だがその内側では、思考が巡っていた。
――あそこまで、露骨な態度ではな……
地上エレベーターを出た後のことが、脳裏に浮かぶ。
指揮官、ラピ、そして他の者たち。
確かに、どこか距離を置くような態度。
言葉の選び方。
視線の向け方。
意図しているのか、それとも無意識か。
いずれにせよ、それはあまりにも分かりやすすぎた。
「マスター?」
不安げな声が、再び彼を現実へと引き戻す。
マリアンの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。
「私は指揮官達の仲間じゃないんですか?捨てられるんですか?」
その問いは、あまりにもまっすぐで――痛々しかった。
マスターは、ゆっくりと微笑む。
否定するでもなく、すぐに答えるでもなく。
一度、呼吸を整え――
「マリアン。俺が言った言葉を覚えているか?」
と、静かに問い返す。
記憶の中へと導くように。
マリアンは一瞬だけ考え、そして小さく頷く。
「あの時――」
コーヒーの香り。
短い休息。
あの穏やかな時間。
「…なにがあっても、指揮官やラピ達を信じろって言葉ですよね」
「あぁ、そうだ」
マスターは笑う。
その笑みには、確かな信頼が宿っていた。
だが――
「……でも、不安です…」
マリアンは俯く。
言葉だけでは拭えない感情。
それは、当然だった。
マスターはその様子を見て、ふと視線を動かす。
少し離れた場所。
指揮官とラピたちが、地図を囲んで話し合っている。
静かな会話。
だが、その空気にはどこか硬さが残っている。
そして――
決めた。
「よし、マリアン。今から指揮官の所へ行き、話してくるんだ」
その言葉は、静かだったが――強かった。
「え?」
マリアンが目を見開く。
予想外の提案。
逃げることを許さない、真正面からの選択。
「今の君の思いを、全て、全力でぶつけてこい」
マスターの視線が、まっすぐにマリアンを射抜く。
逃げ場はない。
だが――それは決して突き放しではなかった。
支えるための、背中を押す力。
「でも、」
言いかけて、言葉が止まる。
怖いのだ。
拒絶されることが。
「大丈夫だ。喧嘩になったら俺がマリアンの味方をしてやる。俺の強さはマリアンも知ってるだろ?」
あえて、軽く言う。
冗談めかして。
だが、その奥にある本気は、隠していない。
「それに、全力の君に彼らも答えてくれるはずだ」
その言葉は、信頼だった。
マリアンだけでなく――指揮官たちへの。
マスター自身、思うところはある。
隠していること。
距離を取っていること。
だが、それでも。
これは、彼ら自身が向き合うべき問題だ。
だからこそ。
彼は介入しない。
ただ――背中を押す。
それが、彼にできる最大の援護。
マリアンは、しばらく黙り込んだ。
夜風が、二人の間を通り抜ける。
遠くで何かが軋む音。
そのすべてが、彼女の中の葛藤と重なる。
そして――
ゆっくりと、顔を上げた。
そこにあったのは、先ほどまでの弱さではない。
決意。
揺れながらも、前へ進もうとする意志。
「…私、指揮官達と話してきます!」
その声は、はっきりとしていた。
マスターは頷く。
そして、最後に一言だけ添える。
「マリアン。これだけは忘れるな。指揮官やラピ達は、絶対に君の味方だ」
その言葉に、マリアンは強く頷いた。
立ち上がる。
一歩を踏み出す。
そして――
ふと、立ち止まる。
振り返る。
「マスター。ありがとうございます」
その声は、先ほどよりもずっと強かった。
マスターは笑い、軽く手を上げる。
それだけで、十分だった。
マリアンは振り返り、歩き出す。
指揮官たちのもとへ。
その小さな背中が、闇の中へと進んでいく。
やがて――
下から、声が上がる。
最初は小さく、だが次第に感情を帯びて。
「どうして」「なんで」「黙って」
断片的な言葉が、風に乗って届く。
ぶつかり合い。
押し殺していたものが、溢れ出している。
マスターは、何もせずそれを聞いていた。
ただ、見守る。
やがて――
その声は、静まっていく。
完全にではない。
だが、確かに変化した。
対立から――理解へと。
マスターはゆっくりと視線を向ける。
そこには――
マリアンがいた。
指揮官に、抱きしめられて。
その腕の中で、声を上げて泣いている。
指揮官の口が動く。
ここからでは聞こえない。
だが――
「すまない」
そう言っているのは、分かった。
ラピたちは、その光景を見ていた。
誰も口を開かない。
ただ――悔しそうに、俯いている。
守れなかったこと。
隠してしまったこと。
そして、反対にーー
自分が守られている側でもあったという事実。
そのすべてを、理解し合えたのだろう。
夜の中で、ようやく一つの均衡が戻る。
歪んでいたものが、正しい位置へと戻っていく。
マスターは、その光景を見つめながら――
静かに、笑った。
「いい部隊だ」
その言葉は、誰にも届かない。
だが確かに――
彼の中で、そう結論づけられていた。
紅蓮編の結末予想ーー!
-
やっぱり、ハッピーエンドだよね!
-
このクソ作者の癖が全開になりバッドエンド
-
紅蓮さんとマスターが2人旅するんだ!
-
アークに戻って喫茶店を営む日常に戻る