勝利の女神NIKKE 希望のカフェ   作:スウェーデンクラス

32 / 32
みなさま、ここまで付き合って頂きありがとうございました。
これにて、紅蓮編完結です。
なっがい!!長かった!!
もうね、そもそもが無理ゲーなのよ笑
アークにいない紅蓮とマスターをどうやって再会させんのよ!!
無理やり再会できるようなストーリー展開にしたから、長なりました笑

さて、ラストのシーンですが、敢えて、今後の2人がどうなっていくのかを明記していません。
あーなればいいな、とか、こういう会話をしているのかな
というふうに皆様の想像にお任せすることにしました。

最後にもう一度、ここまで付き合って頂きありがとうございました。
しばらくニケシリーズは休むかもしれません。
また、書けたらアップするかもしれないので、気を長くしてお待ちいただける人は待っていて下さい。
それでは。



ルート紅蓮 最終話

 

「……逢いたいッ!……マスターにッ!!」

 

その叫びは、まるで魂そのものが発した悲鳴のようだった。

 

理由も分からぬ空白。

名前すら失った誰かへの想い。

 

それら全てが、たった一つの言葉となって紅蓮の口から溢れ出た。

 

涙が止まらない。

胸が痛い。

苦しい。

 

それでも――それでも確かに分かる。

 

自分は、その人に逢いたいのだと。

 

百年以上もの時を越えて。

記憶を失ってなお。

名前すら忘れてなお。

 

心だけが、その人を求めているのだと。

 

「……マスターに……ッ!」

 

震える声が部屋の中に響く。

その姿を見つめながら、ラプンツェルは静かに息を呑んだ。

 

紅蓮の頬を伝う涙。

苦しみに歪んだ表情。

けれど、瞳だけは違った。

 

先ほどまでの迷いがない。

 

霧の中を彷徨っていた旅人が、ようやく進むべき道を見つけたような、そんな強い光が宿っていた。

 

ラプンツェルは思わず微笑む。

 

悲しくて。

嬉しくて。

胸が締め付けられるほど愛おしくて。

 

「……そうですか」

 

小さく呟く。

記憶は失われ、彼の名前も、彼と過ごした時間も。

 

交わした言葉も。

約束も。

 

全て失われてしまった。

 

けれど、それでもなお。

 

紅蓮の心は彼を忘れていなかった。

 

もう迷う必要などない。

 

ラプンツェルはゆっくりと紅蓮の肩へ手を置き、優しく告げた。

 

「……では」

 

その声はどこまでも穏やかだった。

春の陽だまりのように、傷ついた心を包み込むように。

 

「会いに行きましょう」

 

紅蓮の瞳が揺れ、ラプンツェルは微笑んだ。

 

「彼に」

 

その瞬間、紅蓮は目を見開いた。

まるで信じられないものを見たように。

 

「……え……?」

 

声が震える。

ラプンツェルは頷く。

 

「会いたいのでしょう?」

 

紅蓮の唇が小さく震えた。

 

「でも……私は……」

 

「記憶がない?」

 

ラプンツェルが優しく言う。

 

「名前も思い出せない?」

 

紅蓮は小さく頷く。

ラプンツェルは微笑んだ。

 

「それが何ですか」

 

静かな言葉だった。

けれど、その言葉には揺るぎない強さがあった。

 

「記憶がなくても、名前を忘れていても、貴女は彼を愛している」

 

紅蓮の瞳から再び涙が零れる。

 

「彼も、貴女を愛しています」

 

その言葉に。

紅蓮は堪えきれなくなったように顔を覆う。

 

「……ッ……!」

 

嗚咽が漏れる。

ラプンツェルはそっと抱き締めた。

 

「だから会いに行きましょう。今度こそ、貴女が会いたい人のところへ」

 

その言葉を聞いた紅蓮は。

まるで迷子だった子供のように。

 

ラプンツェルの胸の中で泣き続けた。

 

ーーーーーー

 

前哨基地。

 

戦闘によって傷ついた基地は、今ではすっかり復旧していた。

 

崩れていた壁は修復され。

破壊された設備は新しくなり。

 

量産型ニケや他の皆んなも忙しそうに行き交っている。

 

まるで、あの日の戦いなど最初から存在しなかったかのように。

穏やかな日常が戻っていた。

 

指揮官は司令室の窓辺に立ち、その景色を静かに見つめていた。

 

遠くでは補給車両が走り。

整備班が作業を続けている。

 

平和だった。

 

「……」

 

指揮官は小さく息を吐く。

 

あの戦いから二か月。

 

失ったものもあった。

守れたものもあった。

 

その全てを思い返していた時だった。

 

ブブッ――。

 

通信端末が震える。

 

指揮官は視線を落とし、画面に表示された名前を見て、少し驚く。

 

「……ラプンツェル?」

 

珍しかった。

彼女から直接連絡が来ることはほとんどない。

 

なにせ彼女はピルグリム。

地上を旅し続ける存在だ。

 

定住もせず。

連絡も必要最低限。

 

だからこそ、指揮官の表情が少し引き締まる。

 

何かあったのか。

マリアンか。

それとも紅蓮か。

 

そんな考えが頭を過ぎる。

 

通信を開くと、聞き慣れた慈愛に満ちた声が流れた。

 

『お元気でしたか?ブラザー』

 

指揮官は思わず苦笑する。

 

「あぁ」

 

肩の力が少し抜けた。

 

「色々あったが、こっちは大丈夫だ」

 

そして少し真面目な声になる。

 

「どうしたんだ?珍しいな。……マリアンに何かあったのか?」

 

沈黙。

そして、クスリ、と小さな笑い声。

 

『いいえ、違います』

 

ラプンツェルの声は穏やかだった。

その様子に指揮官は少し安心する。

 

『実はブラザーに頼みがあって連絡しました』

 

「頼み?」

 

指揮官は首を傾げる。

 

「君からの頼みなら何でも聞くが――」

 

言い終わる前だった。

通信の向こうから突然熱のこもった声が飛んでくる。

 

『な、なんでも?!で、では!!あんなことやこんなことも……?!』

 

「ラプンツェル?」

 

指揮官の声が低くなる。

 

数秒の沈黙。

 

そして。

 

『はっ?!す、すみません……話が逸れましたね……』

 

激しく咳払いする音が聞こえた。

 

指揮官は額を押さえる。

ラプンツェルはやっぱりラプンツェルだった。

 

そして通信の向こうで気配が整う。

 

今度こそ真面目な声だった。

 

静かで、優しくて、どこか嬉しそうな声。

 

『頼みというのは――』

 

指揮官は耳を傾ける。

ラプンツェルはゆっくりと言った。

 

『紅蓮を』

 

そこで一度言葉を区切る。

 

『マスターに逢わせることです』

 

その瞬間。

 

指揮官は目を見開いた。

 

窓の外に広がる前哨基地の景色が、一瞬遠くなる。

 

心臓が大きく脈打つ。

 

そして、静かに。

本当に静かに。

 

指揮官は笑った。

 

「……そうか」

 

短い言葉だった。

 

けれど、その声には確かな喜びが滲んでいた。

 

ーーーーーー

 

ラプンツェルから通信を受けた直後、指揮官の行動は驚くほど早かった。

 

迷う時間はなかった。

紅蓮はようやく自らの想いを取り戻した。

記憶は完全ではない。

 

それでも、彼女は確かに言ったのだ。

 

――逢いたい。

 

――マスターに。

 

その願いを知ってしまった以上、立ち止まることなど出来なかった。

 

通信が終わるや否や、指揮官は端末を手に取る。

呼び出す相手は一人。

 

中央政府副司令。

 

アンダーソン。

 

数秒の呼び出し音の後、通信が繋がる。

 

『どうした?』

 

低く落ち着いた声。

その背後からは複数人の話し声や書類をめくる音が聞こえていた。

どうやら本当に忙しいらしい。

 

『すまないが、すぐに会議が始まるため時間はあまり取れないぞ』

 

だが、それでも通信を受けてくれた。

指揮官は背筋を伸ばす。

 

「閣下。急な連絡をお許しください」

 

短く敬礼するように姿勢を正す。

 

「お時間は取りません」

 

そして、一切の前置きを捨てた。

 

「単刀直入に申し上げます」

 

息を吸う。

覚悟を決める。

 

「――ピルグリムの一人をアークへ入れる許可をいただきたい」

 

通信の向こうが静かになる。

一秒。

二秒。

 

そして。

 

『……何?』

 

アンダーソンの声が低くなる。

 

『ピルグリムを?』

 

その言葉には明確な困惑が滲んでいた。

 

『何故だ』

 

当然だった。

ピルグリム。

それは人類にとって英雄であると同時に問題児でもある。

 

中央政府の命令に従わず。

地上を彷徨い続け、帰還命令にも応じない。

 

その扱いは事実上の無許可離隊。

 

……ということになっている。

ゴッデス部隊の存在は記録から消されているため、世間一般は知られていない。

 

そんななか、中央政府は彼女たちを半ば追跡対象として扱っている。

 

そんな存在をアークへ入れる。

本来ならば認められるはずがない。

 

それを知らない指揮官ではない。

 

アンダーソンもそれを理解している。

 

だからこその問いだった。

 

だが。

 

指揮官は目を逸らさなかった。

 

「……正直に申し上げます」

 

嘘をつくべきではない。

何故かそう思った。

 

「あるニケを」

 

一度言葉を切る。

 

「ある人に会わせたいのです」

 

沈黙。

長い沈黙だった。

 

端末越しにさえ、その静寂が重く感じられるほどに。

 

やがて、アンダーソンが小さく息を吐いた。

 

『……ふ』

 

笑った。

本当に小さく。

どこか懐かしむように。

 

そして。

 

『その“ある人”とは』

 

優しい声で言う。

 

『“マスター”のことかな?』

 

その瞬間、指揮官は目を見開く。

 

心臓が大きく脈打つ。

 

マスター。

 

その名前を聞いた瞬間、全てが繋がった気がした。

 

そもそも彼は何だったのか。

マリアンを守りたいと願った自分たちの前に現れた男。

 

不自然なほど多くを知り。

不自然なほど強く。

不自然なほど紅蓮に執着していた男。

 

そして。

 

その男を自分たちの元へ送り込んだのは誰だったのか。

 

――アンダーソン。

 

指揮官は思わず呟く。

 

「……すべて、ご存知だったのですか」

 

通信の向こうで副司令は答えない。

ただ静かに笑った気配だけがあった。

 

そして、返ってきたのは意外な言葉だった。

 

『……すまないが』

 

その声は公人のものだった。

副司令としての声。

 

『中央政府が追跡対象としているピルグリムをアークへ入れることは許可できない』

 

指揮官の顔が曇る。

 

『もしかすると既にヘレティック化している可能性もある。そんな危険は犯せん』

 

冷静だった、正論だった。

 

誰が聞いても反論できないほど。

 

指揮官は拳を握る。

 

「ですが!」

 

思わず声が大きくなる。

 

「彼女は――!」

 

危険ではない。

紅蓮は人類の敵ではない。

 

そう言いかけた。

だが。

 

『話は以上だ』

 

アンダーソンが遮る。

有無を言わせぬ口調だった。

 

通信の向こうで何かが動く音がする。

本当に会議へ向かうのだろう。

 

指揮官は歯を食いしばった。

 

悔しかった。

だが同時に理解もしていた。

 

副司令の立場なら当然だ。

アーク全体を守らなければならない。

個人の感情だけで動ける立場ではない。

 

だから、諦めるしかない。

 

そう思った、その時だった。

 

『あぁ、そうだった』

 

不意にアンダーソンが思い出したように言う。

 

『指揮官』

 

「……はい」

 

『以前提出されていた報告書だが』

 

指揮官は眉をひそめる。

 

『地上からの資材搬送の件だ』

 

その言葉に違和感を覚える。

そんな報告書など、提出した覚えがない。

 

『日時と使用するエレベーターの詳細が決まり次第』

 

アンダーソンは続ける。

 

『必ず報告してくれ』

 

指揮官の思考が止まる。

 

地上。

資材搬送。

エレベーター。

報告書。

提出していない書類。

 

存在しない計画。

 

そして、アンダーソンほどの男がそんな間違いをするはずがない。

 

次の瞬間、指揮官は理解した。

理解してしまった。

 

通信の向こうで、アンダーソンは微笑んでいた。

 

きっと、あの穏やかな顔で。

 

『――"事故なく上手く"搬送するように』

 

それだけ言う。

 

そして.通信は切れた。

 

無機質な終了音だけが部屋に残る。

 

静寂のなか、指揮官はしばらく端末を見つめ続けた。

 

やがて、小さく笑う。

本当に小さく。

 

誰にも聞こえないほどの声で。

 

「……ありがとうございます」

 

そう呟いたその言葉は、敬意に満ちていた。

 

ーーーーーー

 

アーク中央司令部。

 

アンダーソンは通信端末を机の上へ置く。

秘書官が慌ただしく駆け寄る。

 

「副司令。会議の時間です」

 

「ああ」

 

短く答え、立ち上がる。

 

窓の外には巨大なアークの街並みが広がっていた。

 

1000万の人々が暮らす人類最後の楽園。

守らねばならない場所。

 

その景色を眺めながら、アンダーソンは静かに微笑む。

 

英雄は報われるべきだ。

 

それが人間であろうと。

ニケであろうと。

 

百年以上も想い続けた二人なら尚更だ。

 

「……たまには」

 

誰にも聞こえない声で呟く。

 

「奇跡があってもいいだろう」

 

そう言って踵を返す。

 

会議室へ向かうその背中はいつも通り。

 

だがその表情だけは、どこか優しかった。

 

ーーーーーー

 

アークへと続く巨大なエレベーターの前。

 

そこに紅蓮は立っていた。

傍らにはラプンツェル。

 

二人の背後には、どこまでも続く荒廃した大地が広がっている。

 

吹き抜ける風が紅蓮の髪を揺らし、唐傘の端をかすかに鳴らす。

 

その風は冷たい、けれど紅蓮の胸の内は、不思議なほど熱かった。

 

心臓が落ち着かない。

 

百年以上の時を生きてきた。

戦場を幾つも越えてきた。

数え切れない死を見てきた。

 

だが今ほど緊張したことがあっただろうか。

今ほど恐ろしいと思ったことがあっただろうか。

 

会いたい。

けれど怖い。

 

もし彼が自分を見て失望したら。

もし記憶を失った自分を見て悲しんだら。

 

そこまで考えた時だった。

 

重厚な駆動音が響く。

 

巨大な地上エレベーターが到着したのだ。

 

人類最後の楽園と地上を繋ぐ巨大な箱の扉がゆっくりと開いていく。

 

その隙間から姿を現したのは四人だった。

 

指揮官。

ラピ。

アニス。

ネオン。

 

誰もが事情を知っている。

 

誰もが今日という日がどれほど特別かを理解している。

だからこそ誰も軽口を叩かなかった。

 

静かに。

優しく。

彼女を迎える。

 

指揮官が一歩前へ出る。

 

「待たせた」

 

短い言葉だった。

だが、その声には誠意が込められていた。

 

ラプンツェルは柔らかく笑う。

 

「いえいえ、そんなに待っていませんよ、ブラザー」

 

そして、そっと紅蓮の背中へ手を添えた。

 

軽く。

優しく。

まるで旅立ちを送り出すように。

 

押された紅蓮は思わず振り返る。

その瞳には困惑が浮かんでいた。

 

「待ってくれ」

 

小さな声。

 

「……ラプンツェルは来ないのかい?」

 

その問いに、ラプンツェルは苦笑する。

 

紅蓮らしくない。

普段なら絶対に見せない弱さだった。

 

それほどまでに不安なのだ。

それほどまでに大切なのだ。

 

これから会う人が。

 

ラプンツェルはそんな紅蓮を見つめる。

そして、優しく微笑んだ。

 

「流石に二人もピルグリムがアークへ入れば中央政府に気付かれる可能性があります」

 

穏やかな声だった。

 

「ですから、ここから先はブラザー達に任せます」

 

そう言って指揮官たちを見る。

全員が力強く頷いた。

 

紅蓮は黙ったままラプンツェルを見つめる。

ラプンツェルもまた紅蓮を見つめ返した。

 

長い付き合いだった。

ゴッデスの頃から共に戦い続けた戦友。

幾度も死線を越えた仲間。

 

だから分かる。

 

今の紅蓮がどれほど不安なのか。

どれほど期待しているのか。

どれほど怖がっているのか。

 

ラプンツェルは一歩近付き、そして静かに言った。

 

「紅蓮」

 

その声はどこまでも優しかった。

 

「不安はあるかもしれません」

 

紅蓮は小さく頷く。

 

「でも」

 

ラプンツェルは続ける。

 

「彼は貴女のことをずっと探していたんです」

 

紅蓮の瞳が揺れる。

 

「百年以上、苦しみながら、諦めずに」

 

ラプンツェルの声も少し震えていた。

 

「そして、貴女も彼を待っていた」

 

紅蓮の喉が鳴り、胸が熱くなる。

涙が込み上げそうになる。

 

ラプンツェルは微笑んだ。

 

本当に嬉しそうに。

まるで自分のことのように。

 

「……やっと」

 

小さく呟く。

 

「やっと」

 

もう一度。

 

「二人は長い、長い時を越えて再び会えるのです」

 

その言葉を聞いた瞬間。

紅蓮の胸の奥で何かが震えた。

 

百年以上。

その言葉の重みを誰より知っている。

 

失われた時間。

待ち続けた時間。

探し続けた時間。

 

それら全てが終わる。

 

今日、この瞬間に。

 

ラプンツェルは優しく笑った。

 

「行ってらっしゃい」

 

その一言に、紅蓮は目を見開く。

 

そして、ゆっくりと微笑んだ。

 

「あぁ」

 

声は震えていた。

 

「行ってくるよ……」

 

その言葉と共に、エレベーターの扉が閉まる。

 

最後に見えたラプンツェルは、泣きそうな顔で笑っていた。

 

ーーーーーー

 

喫茶ルポの前で、静かに車が停まった。

 

夕暮れが近づき始めたアークの街並みは、柔らかな橙色の光に包まれている。

 

人々はそれぞれの生活を送り、誰もが当たり前のように明日を信じて歩いていた。

 

静かに開いた車のドアから、一人の影が降り立つ。

深くフードを被り、大きな外套で身体を隠した紅蓮だった。

 

百年以上もの歳月を戦場で過ごしてきた英雄。

人類を守り続けた勝利の女神。

 

その彼女が今、誰にも見つからぬよう身を隠している。

なんとも皮肉な光景だった。

 

「――あの店の中に彼はいる」

 

車内から指揮官が静かに告げた。

 

紅蓮は足を止め、視線だけを向ける。

 

指揮官は穏やかに微笑んでいた。

 

「つい先日退院したばかりだ」

 

その言葉に紅蓮の胸が強く締め付けられる。

 

退院。

その言葉だけで思い出す。

 

血塗れだった姿を。

自分を救うためだけに立ち上がった男の姿を。

 

壊れた身体で、死にかけながら。

それでも自分の元へ来てくれた男を。

 

「彼には君が来ることは伝えていない」

 

指揮官は続けた。

 

「それほど、君がここにいることは極秘なんだ」

 

そして少しだけ表情を引き締める。

 

静かな声だった。

だが、その裏には多くの人間の協力があった。

 

多くの者が危険を承知で、この再会のために動いてくれた。

紅蓮は小さく息を吐き、そして微笑んだ。

 

「あぁ」

 

それだけだった。

だが、その一言には感謝が込められていた。

 

「ありがとう。ぼっちゃん達には世話になったね」

 

紅蓮はそう言い残し、歩き出す。

 

「……ぼっちゃん?」

 

紅蓮の背を見守りながら、指揮官は首を肩負けていた。

 

紅蓮はゆっくりと、本当にゆっくりと、歩く。

まるで一歩進むごとに、百年という時間を越えていくかのように。

 

車内では誰も声を出さなかった。

 

指揮官も。

ラピも。

アニスも。

ネオンも。

 

ただ静かに見守っていた。

誰も邪魔をしたくなかった。

 

紅蓮は喫茶ルポの前へと辿り着く。

 

足が止まり、呼吸が浅くなる。

 

鼓動がうるさい。

耳鳴りのように響いている。

 

視線が自然と窓へ向いた、その瞬間だった。

 

――ドクン。

 

心臓が大きく跳ねる。

窓の向こう。

そこに一人の男がいた。

 

片腕で箒を持ち。

不器用そうに掃除をしている。

 

時折バランスを崩し、それでも諦めず、黙々と掃除を続けている。

 

その姿はどこか滑稽で、どこか不格好で。

 

そして。

 

誰よりも愛おしかった。

 

「――ッ」

 

息が止まる。

胸が苦しい。

苦しくて苦しくて。

 

涙が一気に込み上げてくる。

 

その時、見えた。

横顔が。

 

たったそれだけだった。

たったそれだけなのに。

 

今まで霧に包まれていた記憶が、一気に色を取り戻していく。

 

『彼だ』

 

そう心が叫ぶ。

 

理屈ではない。

記憶でもない。

心が理解していた。

 

『彼だ』

 

初めて出会った日。

無愛想だった自分。

戸惑っていた彼。

 

暖かい日差しが入る部屋。

 

淹れてもらったコーヒー。

交わした言葉。

笑い合った時間。

 

待ち続けた日々。

泣いた夜。

 

再会した瞬間。

そして、抱き締められた温もり。

 

次々と蘇る。

まるで凍り付いていた時間が溶け出していくようだった。

 

涙が止まらない、視界が滲む。

 

それでもその顔から目を逸らせなかった。

 

百年以上、会いたかった人。

百年以上、愛し続けた人。

 

その人が。

今。

目の前にいる。

 

紅蓮は震える手を扉へ伸ばす、だが上手く掴めない。

 

力が入らない。

鼓動が速すぎる。

呼吸が苦しい。

身体が震える。

 

戦場では一度も震えなかった手が震えている。

タイラント級を前にしても恐れなかった心が震えている。

 

怖かった。

 

もし違ったら。

もし拒絶されたら。

もし夢だったら。

 

そんな弱さが胸を埋め尽くす。

 

けれど、それでも、会いたかった。

 

だから、紅蓮は震える指でドアノブを掴む。

 

ゆっくりと。

本当にゆっくりと。

 

扉を押した。

 

――カラン。

 

優しい音が響く。

 

その瞬間、店の奥から声が聞こえた。

 

「すまない、今はまだ準備中なんだ」

 

聞き慣れていた声だった。

優しくて。

暖かくて。

愛おしい声。

 

夢の中で何度も聞いた声。

名前を呼んでくれた声。

 

その声を聞いた瞬間、紅蓮の膝から力が抜けそうになる。

 

涙が溢れ続ける。

止まらない。

嗚咽が込み上げる。

 

『あぁ――』

 

心が震える。

 

『そうだね』

 

思い出す。

全部ではない。

けれど大切なことだけは。

 

あの日。

 

二人で想いを伝え合ったことを。

不器用なキスをしたことを。

 

並んでコーヒーを淹れたことを。

彼が笑ったことを。

自分が幸せだったことを。

 

全部。

全部。

 

その声が教えてくれる。

 

「……っ……」

 

名前を呼びたい。

呼びたいのに、涙が邪魔をする。

喉が震え、言葉にならない。

 

「……ァ……」

 

声にならない声だけが漏れる。

 

その時だった。

店の奥にいた男が。

 

ゆっくりと。

 

こちらを振り返った。

 

時間が止まり、世界が止まる。

 

彼の顔が見える。

 

その顔をしっかり見たくて、目深に被っていたフードを下ろした。

 

見慣れた顔。

愛した顔。

夢に見続けた顔。

 

その瞬間、紅蓮の中で何かが決壊した。

 

百年以上積み重なった想いが。

 

孤独が、願いが、愛しさが。

 

一気に溢れ出す。

 

涙で滲む視界の向こうに、そこには確かにいた。

 

ずっと。

ずっと。

逢いたかった人が。

 

「……紅……蓮……?」

 

彼が自分の名前を呼んだ。

掠れた小さな声。

 

涙が溢れ、紅蓮の唇が震える。

 

そして、ようやくその名前を呼ぶ。

 

心が叫ぶように。

百年以上の想いを込めて。

 

「――マスター……ッ!!」

 

ーーーーーー

 

夕方だった。

 

エターナルスカイの人工空が、まるで本物の夕暮れを再現するかのように赤く染まり始めている。

 

柔らかな橙色の光が街を包み込み、人々の長い影を地面へ落としていた。

 

喫茶ルポの窓からも、その夕焼けが差し込んでいる。

 

静かな店内。

テーブル。

椅子。

カウンター。

全てが夕陽に照らされ、どこか懐かしい色彩を帯びていた。

 

マスターはその中で、一人黙々と掃除を続けていた。

 

長年、自らの足りない部分を補ってくれていた義手は失われた。

左手だけで箒を扱うのは想像以上に難しかった。

 

何度も柄が滑り、何度も落とす。

床へ転がった箒を拾うたびに足首が痛む。

 

額には汗が滲む。

だが。

それでもやめなかった。

 

ゆっくりでいい。

少しずつでいい。

今の自分にできることをする。

 

それだけだ。

 

いや、それだけしか残っていなかったのかもしれない。

 

戦う理由は失った。

探す理由も失った。

 

だからこそ。

今はただ、この店を元に戻したかった。

 

ここが自分の居場所だから、ここだけは失いたくなかったから。

 

夕陽が少しずつ傾いていき、静かな時間となる。

 

その時だった。

 

カラン――

 

ベルが鳴る。

喫茶ルポの扉が開く音。

 

客だ。

 

久しぶりに聞くその音に、マスターは一瞬だけ動きを止める。

 

だが、すぐに苦笑した。

まだ店は開けられる状態ではない。

 

床には掃除道具が置かれたまま。

棚の整理も終わっていない。

コーヒーマシンの点検も途中だ。

 

客を迎えられる状態ではなかった。

 

マスターは振り返らずに言う。

 

「すまない」

 

少し疲れた声だった。

 

「今はまだ準備中なんだ」

 

箒を持ち直す。

 

「また改めて来てくれないか?」

 

普段なら、ここで客が返事をする。

 

「ああ、そうか」

 

とか。

 

「残念だな」

 

とか。

そんな言葉が返ってくる。

だが、返事はない。

 

代わりに聞こえたのは。

 

「……っ……」

 

かすかな呼吸。

何かを堪えるような。

泣いているような。

 

そんな息遣いだった。

 

マスターは眉をひそめる。

 

不思議に思った。

そしてゆっくり振り返る。

 

「すまない。こんな状態で、まだ客を迎え――」

 

言葉が止まり、世界から音が消えた。

 

街の喧騒。

車の走行音。

風の音。

 

全てが遠ざかる。

時が止まったように。

 

目の前に、一人の人物が立っていた。

 

大きなフードを被っている。

顔は隠れている。

だが、そんなものは必要なかった。

 

分かってしまった。

 

一瞬で。

心が。

魂が。

その存在を。

 

人物は震える手でフードを下ろす。

さらりと流れる髪。

涙で濡れた頬。

そして。

何百回も夢に見た顔。

 

「……っ」

 

息が止まる。

言葉が出ない。

 

目の前にいる。

紅蓮が。

立っていた。

 

涙を流しながら。

ただそこに。

 

「……紅……蓮……?」

 

ようやく出た声は掠れていた。

自分でも驚くほど弱々しかった。

 

紅蓮はその声を聞いた瞬間。

さらに涙を溢れさせる。

ぽろぽろと。

止めどなく。

 

まるで。

 

長い長い旅の果てに、ようやく探していた人を見つけた子供のように。

 

震える唇が動く。

 

「……マスター……!」

 

その呼び声。

たった一言。

その一言だけで。

 

マスターの顔が大きく歪んだ。

 

呼吸が止まる。

心臓が跳ねる。

視界が滲む。

 

「……っ!?」

 

信じられない。

信じたい。

だが怖い。

夢かもしれない。

幻かもしれない。

 

だから確認せずにはいられなかった。

 

「俺の……こと……」

 

喉が震える。

 

「覚えて……?」

 

言葉にならない。

紅蓮は答えなかった。

ただ、歩き出す。

 

一歩。

また一歩。

 

幼子のように両腕を前へ伸ばして。

 

あの日。

タイラント級との戦場で、果たせなかった再会を。

 

ようやく、今ここで。

取り戻そうとするように。

 

マスターの頭の中を無数の疑問が駆け巡る。

 

なぜ。

どうして。

記憶は。

誰が。

どうやってここへ。

 

だが、そんなものは次の瞬間には消えていた。

 

どうでもよかった。

 

理由など。

理屈など。

 

そんなものは、今は、本当にどうでもよかった。

 

目の前にいる。

それだけでよかった。

 

「……紅蓮……」

 

声が震える。

涙で視界が滲む。

歩きたい。

走りたい。

抱き締めたい。

 

だが。

 

壊れた足が邪魔をする。

 

思うように前へ出ない。

悔しいほど遅い。

 

たった数歩、それだけの距離。

 

それなのに、百年より長く感じた。

 

転びそうになりながらも歩く。

紅蓮も歩く。

 

二人は互いへ向かって進み続ける。

 

そして。

 

あと一歩。

その距離になった時だった。

 

マスターの身体が大きく揺れる。

足首が耐えきれなかった。

 

視界が傾く。

身体が崩れる。

転倒する。

 

その瞬間。

 

「……っ!」

 

紅蓮が駆ける。

 

「マスター!!」

 

伸ばされた腕が、迷うことなくマスターを抱き止めた。

 

その身体が支える。

その腕が支える。

 

百年以上、夢見続けた温もりだった。

 

マスターは紅蓮を見上げる。

涙で滲んだ視界の向こう。

 

そこにいる。

本物だ。

確かにいる。

もう失わない。

もう離さない。

 

残された左腕が紅蓮を強く抱き締める。

 

力の限り。

壊れてしまいそうなほど。

 

「……紅蓮!!」

 

叫ぶ。

百年分の想いを込めて。

 

「ああっ……!」

 

声が震え、涙が止まらない。

 

「紅蓮!!」

 

何度も名前を呼ぶ。

何度も。

何度も。

 

紅蓮も泣いていた。

子供のように。

必死に、震えながら。

 

「マスター……!」

 

抱き締め返す。

離れないように。

消えないように。

 

「やっと……!」

 

涙が溢れる。

 

「やっと会えた……!」

 

百年以上。

届かなかった想い。

交わせなかった言葉。

失われた時間。

 

全てが涙となって零れ落ちる。

 

「会いたかった……!」

 

マスターが力強く呟きながら抱きしめる。

 

紅蓮が泣く。

 

「会いたかったっ……!!」

 

マスターも泣く。

誰の目も気にせず。

ただ。

抱き締め合う。

 

互いがそこにいることを確かめるように。

 

そして、やがて。

 

二人はゆっくりと顔を上げた。

夕陽が差し込む。

赤く染まる店内。

 

互いの瞳に映るのは。

 

ずっと探し続けた人。

失ったと思った人。

 

奇跡のような再会だった。

言葉はもう必要ない。

 

二人は涙に濡れながら見つめ合う。

笑いながら、泣きながら。

 

ゆっくりと距離が縮まる。

 

そして――。

 

百年以上の想いを埋めるように。

失われた時間を取り戻すように。

 

地面に映った二人の影が重なる。

 

夕焼けが、祝福するように。

二人を優しく包み込んでいた。

 

ーーーーーー

 

喫茶ルポ。

 

そこは普段なら、人々やニケたちが訪れ、束の間の安らぎを求める憩いの場所。

 

昼には温かな珈琲の香りが漂い、夜には一日の疲れを癒やす静かな灯がともる。

多くの笑顔と会話を受け止めてきたその店は、今日だけは少し違っていた。

 

今、この場所にいるのは二人だけ。

 

百年以上、一体のニケを愛し続けた男。

そして、記憶を失ってなお、その男への想いだけは失わなかった一体のニケ。

 

長い孤独と別離の果てに再び巡り会い、今度こそ二度と離さないと誓った二人を、喫茶ルポは静かに見守っていた。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

【本編完結】アークの一般指揮官(作者:山吹乙女)(原作:勝利の女神:NIKKE)

 背中で魅せるガンガールアクションゲームの世界に転生してしまった一般指揮官は、様々な厄介ごとに巻き込まれていく…地上を奪還するその時まで。


総合評価:6666/評価:8.92/完結:36話/更新日時:2026年05月04日(月) 08:30 小説情報

四大企業 アトラース(作者:スキル素材年中枯渇ニキ)(原作:勝利の女神:NIKKE)

 飛行機の事故で死亡した、あるNIKKEプレイヤーはそのNIKKEの世界に転生してしまう。しかも生まれはアウターリムだった。▼ そこでアドルフという名前を与えられて日々を懸命に生きていた。▼ だがアドルフは生前、日本で科学者をしていた。その持ち前の知識を活かしてアウターリムから成り上がっていく物語。▼※なお科学描写は皆無。経営描写も政治描写も多分雑。▼bla…


総合評価:4089/評価:8.92/連載:16話/更新日時:2026年06月07日(日) 18:01 小説情報

救済を願って(作者:バレンシアオレンジ)(原作:勝利の女神:NIKKE)

▼──結末を変えたかった。▼転生者が幸せな物語を目指して努力するお話。▼この小説は勝利の女神:NIKKEの二次創作ですが、▼一部原作と設定が異なりますので注意して下さい。▼投稿は不定期です。


総合評価:1630/評価:8.85/連載:35話/更新日時:2026年06月11日(木) 00:35 小説情報

転生モブ、ディストピア世界で指揮官になる(作者:模範的アーク市民)(原作:勝利の女神:NIKKE)

目が覚めると、そこは人類が地下に追いやられたディストピア世界だった。


総合評価:15118/評価:8.81/連載:19話/更新日時:2026年05月02日(土) 12:00 小説情報

一般流浪人がスタレのキャラに狙われる話(作者:しいたvol.3)(原作:崩壊:スターレイル)

我、流浪の身である。▼星神らの一瞥と童貞の卒業を求む。▼全身鎧の男がなんてことなく狙われる話。▼設定のガバ・キャラ崩壊多めです。▼リクエストの募集始めました。下記のリンクからお願いします!▼https://syosetu.org/?mode=kappo_view&kid=338210&uid=509610


総合評価:2899/評価:8.54/完結:33話/更新日時:2026年04月03日(金) 23:01 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>