あの後の展開考えれないんですけど笑
まぁ頑張ります笑
今回、長なりました、そして、終わってません笑
続きは今書いてます笑
アンケートの協力ありがとうございます!
感想、アドバイス、どしどしまってます。
「や、やめてくれ! 頼む……! 俺には妻子がいるんだ!」
夜の路地裏。
黒い雨雲が空を覆い、街の光をすべて吸い込んでいた。
雨が絶え間なく降り注ぎ、コンクリートを叩く音が無情に響く。
その雨の中、ずぶ濡れの男が膝をついていた。
泥にまみれた手で取り出したのは、一枚の写真。
そこには笑顔の妻と幼い子供――かつての“帰る場所”が写っていた。
「見てくれ……頼む……! 俺は悪い人間じゃない、ただ、ちょっと間違っただけなんだ……!」
男の声は震えていた。
だが、その言葉の裏には、自らの罪を理解していない浅ましさが滲んでいた。
この男――アーク政府関連企業の研究部門に所属していた技術者。
本来なら、都市の発展を支える立場であった。
だが、社交の名目で足を踏み入れた裏カジノが、全ての始まり。
一度の勝利が、堕落の入口。
そして気づけば、巨額の借金。
焦燥と欲望が絡み合い、やがて彼は禁忌に手を伸ばした。
企業の極秘情報を、アウターリムの闇組織へと売り渡したのだ。
その代価で借金を返し、残った金で買春や人身売買にまで耽った。
彼の罪は、もはや金では贖えぬものだった。
――そして今、報いの時が訪れる。
冷たい雨の帳の中。
その男の前に立つ影――《シージペリラス》を率いるニケ、D。
漆黒のコートに雨粒が滑り落ち、夜の灯りを鈍く反射する。
手には無骨な斧。
刃先に滴る水は、まるで血のように重く地面を叩いた。
「黙れ」
Dの声は低く、冷たい。
一片の感情も感じられないその響きに、男は息を呑む。
「お前がやってきたことは、簡単な謝罪で済むものではない」
Dは一歩、踏み出した。
「その命をもって――贖罪とする」
雨が一層強くなる。
男の悲鳴をも雷鳴が掻き消す。
Dの斧が唸りを上げ、肉を断つ音が雨に溶けた。
やがて、すべてが静まり返る。
残るのは、雨音と、物言わぬ肉塊だけだった。
「……終わったのか?」
背後の闇から、もう一人のニケが現れる。
その声は軽く、まるで任務の確認程度の温度しかない。
Dは足元に転がる“それ”を見下ろしたまま、淡々と答えた。
「ああ……今、終わったところだ」
血の混じった雨水が、アスファルトの隙間を流れていく。
Dは無言で死体袋を取り出し、肉塊を無造作に押し込む。
その袋を担いだ仲間のニケが、淡々と口を開く。
「じゃあ、これ……処分しておくよ。そっちはどうする? 一旦、基地に戻るのか?」
Dは小さく首を振る。
「いや……私はこのまま、待機所に戻る。始末は任せた」
彼女はそのまま、その場から背を向けて闇の中へと消えていく。
「了解。……しかし、どうしたんだ? なんかいつもと違うんだよな……ま、いっか」
そう呟いたニケの声も、すぐに雨にかき消された。
彼女は死体袋を肩に担ぎ、夜の闇の中へと姿を消す。
足跡だけが、雨の中に滲んで消えた。
ーーーーーー
薄暗いシャワー室。
コンクリート打ちっぱなしの壁が、冷たく湿気を孕んでいる。
天井から滴る温水が、絶え間なくDの肌を打っていた。
一糸纏わぬ姿の彼女は、黙ったまま、頭上から流れ落ちる湯をそのまま受けていた。
ぬるく温かい雫が、彼女の肩を伝い、胸を滑り、足元の排水口へと吸い込まれていく。
その流れの中に、淡い赤が混じっていた。
鉄の匂い――それはつい先程まで、Dが斧で断ち切った“誰か”の残滓。
彼女はその赤を、ただ無感情に見下ろしていた。
眉ひとつ動かさず、まるでそれが自分とは無関係の汚れであるかのように。
任務。
ただそれだけが彼女を動かしてきた。
命令を受け、目標を排除する。
感情の介在など不要だった。
考えることも、疑うこともなかった。
忠実で、正確で、効率的。
それがDという存在の全てだった。
だが――最近、何かが違う。
任務の後も、シャワーを浴びていても、
目を閉じると、いつの間にか“ある顔”が脳裏に浮かんでいる。
それが誰なのか、自分でも理解できない。
いや、理解しているのに、認めたくないのだ。
「……なぜだ。何故、いつも“あの男”の顔が浮かぶ」
自問する声は、湯気に掻き消される。
彼女は任務上、これまで多くの男を相手にしてきた。
恋人のふりをした。
妻を演じた。
時には、身体を差し出すことすらあった。
だが、任務が終われば、全てを忘れていたし、その男達の始末もしてきた。
感情は不要。思い出も不要。
任務とはそういうものだった。
だが――
たった数度会っただけの、あの喫茶店の男。
“マスター”と呼ばれるその男が見せた、穏やかな笑顔と、彼が出したケーキの温もりと、
「また来てくれ」
と言った何気ない言葉が、今も胸の奥で消えない。
その感覚が、何なのか。
理解できず、怖かった。
Dは息を吐く。
シャワーの下、鏡に手を伸ばす。
曇った鏡面に映るのは――無表情の女。
冷たい瞳。
血の色をした小さな飛沫が、頬に残っていた。
指先でその痕を拭う。
それだけで、何かが胸の奥で軋んだ。
「……ふ」
かすかな笑みが漏れた。
だがそれは、喜びでも安堵でもない。
己を嘲るような、乾いた笑み。
「何を考えている……?」
独り言のように呟く。
「今さら、人並みの幸せなど……享受できるはずがない」
その言葉を口にした瞬間、
胸の奥に――小さな痛みが走った。
かつて感じたことのない、心臓を指先で撫でられるような痛み。
不快ではない。
ただ、怖かった。
Dは蛇口をひねり、温水を冷水に変える。
途端に、肌を刺すような冷たさが全身を包み込んだ。
湯気が霧散し、室内の空気が研ぎ澄まされていく。
冷水が頭から降り注ぐ。
体温が奪われ、感覚が遠のく。
任務の後のように、何も感じない心に戻れる――
そう思った。
だが、胸の奥だけは違った。
冷たい水を浴びても、そこだけはまだ、温かかった。
まるで、あの男の言葉が、胸の奥に灯のように残っているかのように。
ーーーーーー
街の喧騒が遠く霞む午後だった。
アークの空には灰色の雲が薄く流れ、どこか眠たげな風が吹いている。
Dはその通りを歩いていた。
任務でもなく、報告でもない。
ただ、気づけば――足が勝手にそこへ向かっていた。
気がついたとき、彼女は立ち止まっていた。
見上げる先には、あの喫茶店。
小さな古びた木製の看板が、午後の光を受けて柔らかく輝いている。
『……なぜだ。なぜ、ここにいる?』
自問した。
だが答えは出ない。
ただ、胸の奥のどこかが静かに疼いていた。
“あの男”――マスターに、会いたい。
理由などなかった。
会えば何かが、分かる気がした。
それだけが確かな衝動だった。
重い心を押し隠すように、Dは出入り口のドアに手をかけた。
カラン――。
扉のベルが、小さく澄んだ音を立てる。
店内は静かだった。
ランチの混雑も過ぎ、今はわずかな香ばしいコーヒーの匂いと、カップを磨く音だけが空気を満たしている。
カウンターの奥で、マスターがふと顔を上げた。
眼鏡の奥の穏やかな瞳が、入口の影を捉える。
「いらっしゃい――」
彼は言いかけ、そして微笑んだ。
「……うん?」
そこに立っていたのは、フードを深く被った女。
その佇まいはどこか警戒心を帯び、まるで外の世界から切り離された影のよう。
「……邪魔をする」
掠れた声が、喫茶店の穏やかな空気を震わせる。
それでもマスターは変わらぬ調子で微笑んだ。
「いらっしゃい、デイジーさん。――待ってたよ」
たったそれだけの言葉。
だがDの胸の奥で、何かが音を立てる。
“待ってたよ”。
それは、彼女の人生で一度も向けられたことのない種類の言葉だった。
任務の報告を待たれることはあっても――
“自分そのもの”を待たれたことなど、なかった。
『なにを……動揺している? 全ての客に、そう言っているだけだろうに……』
心の奥でそう呟く。
だが、冷静に言い聞かせようとすればするほど、胸の内に波紋が広がっていく。
「ほら、ここに座ってくれるかい?」
マスターがカウンターの一席を指差す。
目の前には、磨き上げられた木目の天板。
その場所は、まるでDのために用意されていたかのように空いていた。
「……いや、私は……そこの隅でいい」
Dは視線を逸らし、窓際の陰を指した。
陽の光が届かず、誰の目にもつかない席。
それが彼女の“居場所”だと思っていた。
マスターは小さく苦笑する。
「そんなところじゃなくて、ここに座ってくれないか? 前回言っただろう?貴女には試作のケーキを出したいんだ」
そう言うと、彼はソーサーとフォークを音を立てずに置いた。
それは命令でも、誘導でもない。
ただ、静かに優しさだけが滲んでいた。
Dはしばし迷う。
だが、気づけば足が動く。
まるで導かれるように、彼の前の席に腰を下ろす。
その姿は、まるで初めて人に撫でられた野良猫のように、怯えながらもどこか安心しているようにも見える。
フードを深く被り直す。
自分の顔を隠すように――そして、マスターの視線から逃げるように。
マスターはまた苦笑した。
だが、それ以上何も言わない。
「コーヒーは……いつものやつでいいかい?」
静かな声。
その“いつもの”という言葉に、Dの胸がふと温かくなる。
「……客一人一人の好みを把握しているのか?」
彼女は問い返す。
どこかぎこちなく、探るような声で。
マスターは微笑んだまま答える。
「出来る限りはね。……ただ、それも常連さんだけだよ」
“常連”。
その言葉が耳に残る。
自分は、もうこの店に通う“誰か”として彼に認識されている――
その事実が、なぜか嬉しかった。
マスターがカウンターの向こうでコーヒーを淹れ始める。
蒸気とともに立ち昇る香ばしい香りが、Dの嗅覚をくすぐる。
彼の所作は静かで、丁寧で、どこか儀式のようでもあった。
その横顔を、Dは知らず知らずのうちに見つめていた。
その動きの一つひとつが、奇妙に美しかった。
時折、マスターがこちらを振り返る。
そのたびにDは慌てて目を逸らす。
何の意味もないはずなのに、心臓が微かに跳ねた。
マスターはそんな彼女に微笑みながら、そっとカップを差し出した。
「はいよ、いつものコーヒーだ」
Dは両手で受け取る。
まるで壊れやすい宝石を扱うように。
香りを吸い込み、恐る恐る一口。
その瞬間、温かさが舌の上に広がり、喉を通り、昨日の晩に冷水を浴び、冷え切っていた身体の奥をゆっくりと温めていく。
「……美味しい」
思わず零れた言葉だった。
それにマスターは柔らかく微笑み、
「ありがとう」
とだけ返す。
Dは慌てて視線を落とす。
「……あ、その、何でもない」
言葉が不器用に途切れる。
「試作のケーキを出すから待ってくれるかい?」
マスターの声が、再び彼女の心に触れる。
Dはわずかに頬を赤らめながら、
「……あぁ。待っている」
とか細い声で答えた。
その返答は、
“任務”における報告の言葉ではなかった。
ただ、彼とこの時間を少しでも長く過ごしたい――
そんな、誰にも聞かれたくない願いが滲んでいるように聞こえた。
ーーーーーー
「はいよ、試作のケーキだ」
静かな声と共に、マスターの手から小さな皿が差し出された。
銀のフォークと共に、白い陶器の上に乗せられたそれは――
艶やかな黒のチョコレートケーキ。
しかし、ただのケーキではなかった。
断面には、紅い果肉が光を帯びて滲むように覗いている。
黒と紅――その鮮烈な対比は、どこかD自身を映しているようだった。
Dは無意識に息を詰めた。
心臓が、一瞬だけ凍るような感覚。
それは、まるで“漆黒の中で血を纏った自分”の姿。
任務に染まり、穢れに馴染んだ己の象徴のように見えた。
フォークを取ろうとする手が、微かに震える。
マスターはそんな彼女を見つめ、穏やかな口調で言葉を続けた。
「このケーキね――デイジーさんが初めてここでケーキを食べた時に思いついたんだ」
Dの視線が、ゆっくりと彼の顔へと向く。
マスターは静かに微笑んでいた。
「貴女の黒髪に、赤い瞳が綺麗だったから」
その一言。
Dの内側で、何かが砕けたように広がっていく。
「……え」
掠れた声が、唇の隙間から漏れる。
『私が……? 綺麗……?』
頭が追いつかない。
この人生で、自分の容姿を“綺麗”と評した者などいなかった。
鏡に映る自分は、常に“道具”であり、“兵器”でしかなかった。
それなのに――この男は、迷いも打算もなく、ただ“美しい”と言った。
顔の奥が熱くなる。
胸の鼓動が、抑えきれないほど早くなる。
Dは思わずフードを引き下げようとした。
だが、それ以上は被れない。
布が小さく皺を作るだけだった。
その滑稽な仕草を見て、マスターは苦笑する。
声には、どこまでも柔らかい響きがあった。
「デイジーさん。ここには私と貴女しかいない」
「顔を隠す必要はない。……それにね、デイジーさんが私の淹れたコーヒーとケーキを食べて、笑ってくれている顔を見たいんだ。自分が作ったもので人が笑う。それが1番嬉しいものなんだ」
一拍置いて、少し照れたように付け加える。
「……あぁ、無理にとは言わないよ。恥ずかしいものだしね」
――“顔を、見たい”。
その言葉が胸の奥に残響のように響いた。
誰かが、自分の“顔”を、見たいと言ってくれる。
それがどんなに優しく、どんなに残酷な幸福か。
Dの頬は、さらに熱を帯びる。
フードの下、呼吸が浅くなり、手が僅かに震える。
だが、不思議と怖くはなかった。
彼の言葉の中には、嘘も、下心も、命令もなかった。
そこにあったのは、ただ優しさだけだった。
――見てほしい。
その想いが、静かに心を支配していく。
理由は分からない。
感謝か、憧れか、それとも――初めて抱く名もない感情か。
ゆっくりと、Dはフードにかけた指をほどいた。
そして、布を滑らせるように下ろす。
現れたその顔。
長い黒髪が肩に流れ、血のように紅い瞳が微かに光を宿す。
頬には、見慣れぬ淡い紅が滲んでいた。
マスターはその姿を見て、穏やかに頷いた。
「うん……やっぱり、このケーキは貴女にぴったりだ」
「ゆっくりくつろいでくれ」
その言葉に、Dはしばらく黙っていた。
何かを言おうとするが、言葉が出てこない。
代わりに、微かに唇が弧を描いた。
――それは、この日初めて見せた笑みだった。
「……あぁ。いただくとする」
フォークを取る手が、先ほどよりもずっと穏やかだった。
黒と紅のケーキに刃を入れると、甘い香りが広がる。
その香りは、Dの胸の奥に、かすかな安らぎを落とす。
外では、午後の陽光が静かに傾き始めていた。
その光の中で、
血に塗れる暗殺者が――
今だけは、“普通の女性”としてそこにいた。
ーーーーーー
――喫茶店の扉の向こうでは、静かな夕刻の気配が街を包み込もうとしていた。
その柔らかな光が、店内のランプの灯と混ざり合い、温かな色を描き出している。
その小さな世界の中、Dは、黙々とフォークを口に運んでいた。
チョコレートの芳醇な香りと、果実のほのかな酸味が舌に広がる。
フォークの先で切り分けられた一片が口に入るたびに、胸の奥で何かが柔らかく弾けるような感覚がした。
それは、彼女にとって未知のもの。
任務もなく、誰の視線もない。ただ「美味しい」と感じていい、この時間。
自分がモデルで作られたケーキ。
そのことを思い出すだけで、胸の内が微かに温かくなる。
それがどんなに小さな幸せでも、Dには眩しすぎた。
ゆっくりと、慎重に、一口、また一口。
まるでそれが消えてしまうことを恐れるように、彼女はケーキを口に運んでいった。
そして――最後のひと口。
銀のフォークが皿の上で静かに止まる。
それを見つめるDの瞳には、わずかな迷いが浮かんでいた。
「……勿体ない」
その小さな呟きは、誰にも聞こえないほどに微かだった。
それでも彼女の胸の奥で、確かな痛みと温もりが混ざり合うように響く。
最後の一口を食べ、カップに残ったコーヒーを口に含む。
苦味と香ばしさが、チョコレートの甘さを包み込み、ゆっくりと喉を通っていく。
息を吐くと、胸の奥から自然と笑みがこぼれた。
「……ふぅ。美味しかった……」
その笑みを見逃さず、カウンターの向こうからマスターが声をかけてきた。
「どうだった? 味の感想を聞かせてくれるかい?」
その声は、まるで春の日差しのように穏やかで、Dの胸を優しく揺らした。
「……あ、その。とても……美味しかった。コーヒーと、とても合っていた……」
俯きながら、言葉を搾り出すように呟く。
頬にはわずかな熱が滲み、手元のカップを指でなぞる。
マスターはその反応に満足そうに頷き、柔らかく笑った。
「良かった。じゃあこれからは、メニューに出すことにするよ」
その瞬間――Dの心に、思いも寄らぬ痛みが走る。
まるで胸の奥を小さな針で刺されたような、鋭くも切ない痛み。
彼女の中で、それが何なのかを理解できる言葉はまだない。
だが、確かにそこにあったのは、独占欲にも似た感情だった。
――このケーキは、私のために作ってくれたのではなかったのか?
そんな考えが頭をかすめた瞬間、自分自身に驚く。
「……そ、うなのか。それは、いいことだと、思う」
言葉を絞り出すように呟きながら、Dは苦く笑う。
『何を考えている?自分のためのケーキだと?……馬鹿な。これはそんなものじゃない』
心の奥で自嘲の声が響く。
その声を振り払うように立ち上がり、フードを被り直す。
「マスター。……美味しかった。邪魔をした」
まるで、今までの高揚が嘘のように消えていく。
現実を伝えられ、絶望するような。
言葉は淡々としていたが、胸の奥では何かが崩れ落ちそうになっていた。
この店から一刻も早く出たかった。
そうしないと、気がおかしくなりそうだった。
マスターは、彼女が立ち去ろうとするのを見て、ふっと目を細めた。
「もう帰るのかい? いつも早いね」
その声音には、引き止めるような優しさがあった。
「……知ってるかい? 喫茶店ってのは、食べて飲んで終わりの場所じゃないんだ。ただコーヒーを飲んで考え事をしてもいいし、愚痴をこぼしても、楽しいことを話してもいい。そういう場所なんだよ」
その言葉に、Dの足が止まる。
彼の声が、彼女の中の何かに触れた気がした。
また、胸が高鳴るのが分かる。
視線を落としたまま、唇が自然に動く。
「……まだ、居ても……いいのか?」
マスターは柔らかく笑った。
「もちろんだ。……コーヒーのお代わりはいるかい?」
その笑顔を見た瞬間、Dの中の何かが静かに解けていった。
自分でも気づかぬうちに、口元に微笑みが宿る。
「……いただく」
そう言って再び席に座り直す。
ゆっくりとフードを外し、もう隠すことをやめた。
彼の前で、自分の顔を見せることが、なぜか自然に思えた。
マスターはその姿を見て、少しだけ目を細めた。
店内には、再び静かなジャズが流れ始める。
湯気の立つカップが新たに置かれ、芳醇な香りが二人の間を満たした。
そして、ポツリポツリと2人は話し始める。
――そして、Dはもう、笑うことを恐れなくなっていた。
ーーーーーー
シャワーを終えたDは、肌に残る水滴をタオルで丁寧に拭いながら、ふと視線を窓の外へと向けた。
ガラス越しに見えるのは、常にどこか湿った光を帯びたアークの街。
雨が降っていた。
高層居住区の外壁を流れ落ちる無数の水の筋が、まるで無機質な世界の涙のようにも見える。
その下では、雨を避けるように人々が傘を差し、光と影の間を行き交っていた。
店のネオンが滲み、路面には赤と青の光が混じり合って映える。
――人々はまだ、生きている。笑い、怒り、そして愛している。
Dはその光景を、どこか遠い夢のように見つめていた。
自分もかつて、あの中にいたはずだと――そんな錯覚を覚えるほどに。
「……アーク」
彼女が小さく呟いたその名は、希望ではなく、むしろ呪いの響きを持っていた。
人類最後の砦。
けれどその内側にあるのは、絶望と、逃げ場のない義務。
影に潜み、影から守る。
それが、シージペリラス――彼女たちの宿命。
守護者でありながら、存在を許されぬ者たち。
誰にも知られず、報われず、ただ「秩序のために殺す」。
そんな日々の果てに、Dはいつしか感情というものを置き去りにしていたはずだった。
――はず、だったのに。
「……マスター」
気づけばその名が、唇から零れていた。
たった一言。
それだけで胸の奥に熱が広がっていく。
思い出すのは、喫茶店の柔らかな灯りと、カップから立ちのぼるコーヒーの香り。
そして、あの穏やかな声。
「もう帰るのかい?」
「コーヒーのお代わりはいるかい?」
たったそれだけのやりとりが、心の奥で何度も反響していた。
彼の笑み。彼の指先の所作。
どれもが、不思議なほどに脳裏から離れない。
こんな気持ちは知らなかった。
戦場での緊張でもない、恐怖でもない。
それはむしろ、胸を締めつけるような甘い痛み――
「逢いたい」と思う感情。
Dは自分の胸に手を当てた。
心臓がうるさいほどに鳴っている。
まるで自分の身体が、彼に会いたいと訴えているようにさえ思えた。
雨に濡れた窓の向こう、今は見えない場所を想う。
小さな喫茶店を。
彼のいる場所を。
――あの優しい灯りの下を。
「……また、行っても……いいのか」
誰にともなく、呟いた。
けれど、その言葉はどこか希望のように響いた。
フードを被っていたあの日とは違う。
もう少しだけ、あの人と話し、笑ってもらいたい――そんな気持ちが芽生えていた。
だが、その想いを打ち砕くように、テーブルの上の通信端末が振動した。
鋭い電子音が部屋の静寂を切り裂く。
Dは顔をしかめ、舌打ちをした。
「チッ……」
今だけは、聞きたくなかった。
だが、彼女はシージペリラス――命令には逆らえない。
濡れた髪を払いながら端末を手に取り、冷たい画面に指を滑らせる。
暗号化解除のパスを入力する。
そして、そこに表示された任務内容を見た瞬間――
Dの赤い瞳が、見開かれた。
「……なに……?」
血の気が引くのが自分でも分かった。
息を呑み、視線が固まる。
心臓の鼓動が一拍、遅れたように感じる。
端末の光が彼女の顔を照らす。
その表情には、驚愕と、そして微かな恐怖が滲んでいた。
静寂の中、外の雨だけが、変わらず降り続けていた。
――Dは動けなかった。
ただ、冷たい光の中で時だけが、永遠のように流れ続けていた。
冷たい画面の中に映るのは、柔らかく笑う"マスター"と呼ばれる男だった。
続編希望
-
D
-
ルドミラ
-
イーグル"アイラ"
-
メアリー
-
ジャッカル
-
デルタ
-
紅蓮(多分無理笑)
-
その他